1.鏡
「ミレイヌって、アレックス以来の貴族って、じゃあ、あのミレイヌ?」
「おお、あのジュリアン・セント・ミレイヌ」
「今日入寮するらしいぞ」
そう言いながら、昼食のトレーを持ったフォトンさんとボルト第五小隊長は、フィルの目の前の席に腰を下ろした。
彼らはタンタール地方でのグリフィス退治への道中、近衛騎士として王太子に陪従していたミレイヌをよく知っている。貴族のボンボンらしく、まっすぐで世間知らずなあの彼だ。
ちなみに、後半はともかく、前半は自分には当てはまらないとフィルは思っている。だって普通の貴族の子は「あ、金がない」なんて旅の途中で気付いた祖父と一緒に賞金稼ぎをしたり、祖母に「何事も経験よ、経験」とか言われて、街で歌ってお金を稼いだりしないそうだから。
(……今考えると、かなりおかしかったんだな、爺さまも婆さまも)
そうしみじみ思う。
それはさておき、今の話はミレイヌだ。
彼は考え無しに暴言も吐くけれど、反省すれば、真摯に謝ってくる。最初の剣技大会の不意打ちもどうやらすごく気にしていたみたいで、タンタールへの旅の途中、真っ赤になりながらもちゃんと謝ってきた。まるっきり子供みたいで、それ以来フィルは彼を憎めなくなった。
旅を共にしていた騎士団の先輩たちも、同じように感じたのだろう。ミレイヌはいつの間にか彼らにも可愛がられていた。
「近衛騎士団はどうしたんですか?」
「辞めたらしいぞ。去年の剣技大会でお前に負けてから必死に鍛錬したのに、今年もあっさり負けたのがショックだったんだと」
「へえ」
去年の剣技大会であれだけ騎士団を馬鹿にしていたのに、変われば変わるものだ。
「そんでもって、面接で志望動機を訊かれて『打倒フィル・ディラン』と言ったらしい」
「だとう……?」
(それって、光栄に思うべきなのだろうか、迷惑だと思っていいのだろうか……?)
フィルはスプーンを口に入れたまま、しばし考え込む。
「フィルっ! 勝負だ! ……てか、スプーンを咥えるんじゃないっ! お前は本当にいつもいつもっ!」
出た。しかもいきなり口うるさい。
(光栄一割、迷惑九割で決定)
フィルはため息とともに背後を振り返った。
「……久しぶり、ミレイヌ。ええと、勝負の前に部屋を確かめて、荷物くらい置いてきたら?」
周りにも既に入寮したらしい新人っぽい子がちらほらといるけれど、どの子もちょっと気後れした感じ。そんな中我が道を行っているミレイヌの神経は相変わらずすごいなあと思う。
ついでに、正直に言おう――迷惑にも思う。だってフィルは今昼ごはんの真っ最中だ。 人のご飯を邪魔してはいけないんだぞ、と片眉をしかめる。
「? アレックスは一緒じゃないのか?」
フィルはその顔のまま「人の話、聞く気ないだろう、ミレイヌ……」とぼやきつつ、律儀に応じた。
「仕事で会議室に篭ってる」
「別れたのか」
「いや、だから人の話……」
フィルは脱力感に肩をかくりと落とした。
「相変わらずだなあ、ミレイヌ」
「あ、フォトンさん、ボルト小隊長」
お久しぶりです、とミレイヌは先ほどまでの態度が嘘のように、礼儀正しく二人にお辞儀している。しかも二人には敬称付け……一体この差はなんなのだろう?
(まあ、それはともかく……)
フィルはスープの残りをさっさとかき込むと、面倒事を避けようとこっそりその場を後にした。
しかし、さすがは執念深いジュリアン・セント・ミレイヌ。なんと言うか、その気力は諦めが悪いと評判のミック・マイセンと張るものがあると思う。
敢えて食堂に置いてきたのに、入団式は明日だというのに、ウェズ小隊長を拝み倒して練習に参加してしまう押しの強さ。何度やられても絶対にめげないこの根性。何より負けん気の強いこの視線……。
(方向さえ間違えなければ、上達するだろうな)
のらりくらりと逃げていたのに、結局押し切られて、ミレイヌと対戦する羽目になっているフィルは、後輩となることが決まった二年越しの知己が振り下ろしてきた剣を難なく避けた。
(直情的で太刀筋があっさり読めてしまうのは、課題だな)
直後、その腹へと横薙ぎに模擬剣を入れる。もちろんあたった瞬間に剣を流して威力は殺した。こんなふうでも可愛い後輩だ。
ぐぅっと呻いたミレイヌはそのまま地面に倒れこんだ。
「ちぇ、汗一つかいてないもんな」
彼はぶつぶつ呟き、汗で張り付いた金色の髪を頭上へとかき上げると、恨めしそうにフィルを見上げた。
「おい、新人、フィルさんに色目を使うなっ」
(い、ろめ……って、色目?)
言葉の意味を理解して、遠い目をするフィルの傍らで、「いや、ミック、違うだろ」「どこをどう見たらそんな話になるんだ」と皆が突っ込んでいる。
「はあ? んなわけないだろっ、こいつは女じゃないっ」
(……まあ、確かに。いわゆる女の子らしいところって、ないもんなあ)
ミック相手に言い返すミレイヌに、フィルは微妙に眉尻を下げつつ同意する。皆もそこかしこで頷いたり、苦笑したりしていた。
やっぱり誰が見たってそうだよなあ、と改めて確認する。
「まだまだ元気そうだね」
鍛錬場の対方にいたヘンリックが、大股でミレイヌに近づいてきて、「ヘンリック・バードナーだ」とミレイヌに向かって名乗った。
「手合わせ願えないかな? フィルと君じゃあ、力量に差が有りすぎて話にならないだろう」
棘だらけのセリフを言って、ヘンリックは凄みのある笑いをみせた。
(ええと……不機嫌、なのかな、あれ)
彼には珍しい険のある空気に、フィルは眉を跳ね上げた。
「……どういう意味だ」
「どういうも何もそのままだ。実際君は剣技大会でフィルにぼろ負けしただろう」
「……お前だってそうじゃないか」
「だから誘っているんだ」
(なんか……ほんと変わったな。まあ、部分的に、ではあるんだけど)
顔色を変えるミレイヌに、余裕ある態度で対戦を促す親友を見つめる。
出会った時は女の子みたいな幼い顔だったのに、精悍になってきた。背も伸びて、口調も変わった。前はちょっとしたことで右往左往していたのに、今じゃ滅多なことでは動揺しない。そんなこんなで、こっそりファンも増えているみたいだ。本人相変わらずネジが飛んでるんじゃないかと思わずにいられないくらいのメアリー命だけど。付き合ってマシになるかと思ったら、余計ひどくなったし。
そのヘンリックに対してミレイヌは険悪な顔つきで、再び剣を構えた。
「あっ、いや、その、ちょっと待っ……あー……」
キンと高い金属音が響いた。
止めたほうがいい気がしていたのに、他事に気をとられている隙に試合が始まってしまって、フィルは片頬を引きつらせた。
ヘンリックの剣は守勢が強い。余裕のある体勢を保ちながら確実に相手の攻撃をかわし、一瞬の隙を逃がさずに攻めに転じる。少々保守的に動きをとって、自分の隙は絶対に作らない。よく相手を観察しているし、戦いの最中にも冷静だから、守備・守護を得意とする第三小隊は彼にとって理想的な場所だろう。
そうして剣を交えることしばし――ヘンリックは鮮やかにミレイヌの手から剣を叩き落した。
(まあ、そうなるよな)
順当なところだった。一年前ならいざ知らず、実践に実践を重ねている騎士団の中でも傑出した成長を見せたヘンリックだ。相手が悪い。
そうヘンリックを褒めると、メアリーとの愛の力だとか力説されて面倒くさいことになるから、本人には滅多に言わないけど。
「っ、まだだっ」
「いくらでも付き合うよ。現状じゃ、結果は変わらないと思うけど」
「っ」
むきになるミレイヌに、ヘンリックは淡々と応じる。そうして彼らは時間中、ずっと剣を突き合わせていた。
夕日に赤く染まる空に、訓練終了の鐘が鳴り響いた。
フィルの目の前では、ミレイヌが落ちた剣を拾い、悔しそうな顔で俯いている。
(相当凹んでるな)
珍しく落ち込んでいる様子の彼に声をかける方がいいのか、かけるならどうかけようか、どうしたらうまく……?
「……」
普段なら考えるまでもなくとりあえず口を開いていたような気がする、とふと気付いてフィルは苦笑を零した。
『こいつは女じゃない』
――まいった。タイミングがタイミングだっただけに、結構効いているらしい。
「フィル、飲みに行こう」
「っ。ヘンリック?」
「いいから」
沈み込むミレイヌに一歩近づいたところで、フィルはヘンリックに腕をがしっと握られ、引きずられるように鍛錬場を後にした。