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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第16章 天使の息吹
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16-5.得体

「失礼」

 フィルが返事をする間もなく、扉が開いた。白い仮面が顔を覗かせる。

 体格から昨晩廃倉庫で見た男と同じと認識するが、仮面の種類は違っていた。道化師の模様はなく、目の部分に釣り上がり気味のアーモンド形の孔が二つ開いているだけ。覆われているのは鼻の中ほどまでで、日に焼けていない肌とそこに映える真っ赤な唇が露出している。

 痩身の長躯を包んでいるのは白の上下に白い靴、白い手袋――全身を覆う白の中で、唇の赤が妙に目についた。

 仮面の二つ孔から見える瞳ははしばみ色。昨日暗さと煙でよく見えなかった髪の色は濃い茶色だった。

 彼は音少なにこちらへと近寄ってくる。まったく乱れのない足さばきと隙のない重心移動、規則的な呼吸――フィルは警戒と共に一歩後退った。

(この人、剣術、そうじゃなくても何かしらの訓練、しかもかなり高度なものを受けてる……)


「気分はどうかな?」

「……頭、が少し痛い、です」

 男の得体の知れなさに、フィルは知らぬ間に溜まっていた唾液を飲み込んだ。それから訊かれたことだけをとりあえず正直に答えた。

 今のところ危害を加えてきそうな気配も殺気も感じられない。ナイフも取り上げられていないことだし、下手に警戒されない方がきっと賢明だと自分に言い聞かせる。

「ああ、ウィチルの花によくあることだ。もう少しすれば消える」

「ウィチルの花、って……」

(精製したオイルを麻酔として使うってあれ? 確かものすごく高いものだったような……というか、それを使って誘拐したと認めたようなものじゃないか)

 フィルは眉をひそめて男を見つめるが、仮面のせいで表情がよくわからない。


「……」

 相変わらず彼に殺気はない。だが、仮面越しに向けられる不躾な視線に、フィルは居心地が悪さとも不安ともつかない奇妙な感覚に駆られた。太ももに隠したナイフに無意識に触れる。

「ふむ、思ったとおりだ。君にはあんな安物より本物の白が似つかわしい」

 安物ってメアリーのドレスを、と顔を引きつらせたフィルに、男は小さく音を立てて笑った。喉の奥が引きつれたような音で、鼓膜に不快感が残る。

「ああ、着替えさせたのは私ではないから安心するといい。レディにそんな無礼なふるまいは無論しないとも」

「……はあ」

 自分の困惑とは大きく外れた回答をよこされて、フィルはさらに強く眉根を寄せた。


 室内に再びノックの音が響いた。

「お入り」

「失礼いたします。お食事の準備ができました」

 細い声とともに現れたアリスに、男は微笑みかける。

「君も疲れているだろうから、今日は君の部屋で朝食としよう」

 そして、欠片の戸惑いも乱れもないまま、作法通りにフィルの手をとり、隣室へとフィルを誘った。

 その手に自分の右手にあるものと同じタコを感じてフィルは顔をしかめる。彼も剣士だ。

(しかも、騎士と言っても十分通用する程度の……)

 どうやら状況はかなり悪いらしい。


「ありがとござ……?」

(あれ? アリス? ……じゃない)

 誘われるまま、隣の部屋の中央に据えられた小さめのダイニングテーブルに腰かけたフィルは、すぐ横で朝食を甲斐甲斐しく整えていく彼女を見上げて、目をみはった。

 茶色の髪に水色の瞳……だが、歳は先ほど見たアリスより十は下だろう。髪に癖はなく、目は一重で顔もアリスより面長だ。

 髪と瞳の色以外まったく違う顔形なのに同じ人に見えたのは、彼女の微笑が先ほど見たアリスとそっくり同じに見えたから――。

「あの、あなたはマリーベルさん?」

「いいえ。私はレイチェルです」

「あ……と、ごめんなさい」

 困惑したフィルに構わず、レイチェルは同じ顔で笑っている。

「……」

 その顔に不意に背筋が冷えた。

 そうか、他の感情が一切見えないのだ、二人とも。怪訝な顔をしたり、なぜそんな事を訊くのかと疑問を返してきたりしてもいいところなのに、それが一切ない。

(……なんだ、この人たち? なんなんだ、ここ……)

 その女性はフィルの凝視を気にも留めないで、やはり微笑んだまま給仕を開始する。


「君もあの女の子同様、マリーベルの知り合い?」

「……っ」

 うかつな質問をしてしまったことにようやく気付いて固まったフィルを、けれど仮面の男も気にしなかった。彼はテーブルの対方で既に食事を開始している。

 答えて大丈夫なのかどうか、咄嗟に判断できず、フィルは冷や汗を流す。

 なぜ自分がここに連れてこられたのか、男が何を思ってフィルにこんなふうに接しているのか、彼がフィルのことをどこまで知っているのか、特に騎士だと気付いているのか――とにかく色々なことがまったくわからない。

「えと、し、知り合い、というか、あの子に頼まれて、その、ちょっと一緒に探していたのです。直接の知己ではありません」

 嘘ではない。だが、急速に喉の奥が乾いていく気がした。

「じゃあ、あの勇ましい子の姉か何か?」

 フィルは全力で平静を装って、水の注がれたグラスに手を伸ばした。それで喉を潤してから、首を横に振る。同時に動揺を見破られないよう、食事を開始した。

 手元の食器類はすべて透光性のある白――そういえば骨灰の混ぜられた磁器はメーベルド公国の特産だった。そんなことを考えて、気を落ち着けようと試みる。

 距離と仮面のせいで、対面に座る男の表情がとても読みづらい。


「あの、なぜ私はここに?」

「では、あの子とは他人?」

「え、あ、はい」

 考えに考えてのフィルの質問は、ごく自然に無視された。戸惑いつつも頷く。

「あの、マリーベルは」

「なぜあの子をかばった?」

 再度フィルの質問は、またも彼に届かなかった。逆に問い返されて面食らう。

「え、ええと、子供をかばうのはごく当たり前のことで……」

 それはフィルにとって反射の一部と言ってかまわないものだ。

 だからなんの気なしに答えたのだが、仮面の男は動きを止めた。

(な、なんなんだ……何も変なことは言ってない、はず、だけど……)

 しばらくその態勢のままでいた男は、おもむろに手にしていた銀製のナイフとフォークを皿に置いた。カチャリという音が微かに響く。


「……」

 仮面の男はフィルを凝視している。孔からのぞく瞳に奇妙な……そう、狂喜とも形容すべきものを見つけて、フィルは息を止めた。

 胃を内側から逆向きに撫でられているような感覚が、彼が沈黙する時間に比例して大きくなっていく。

(なん、だろう、なにか、おかしい……)

 緊張に耐えかねて、フィルは身に仕込んだナイフへと手をやる。


「――マリーベルは美しい」

 そんなフィルに気付いているのかいないのか。仮面の男は脈絡の一切ないセリフを唐突に吐き、手元に目を移した。

 食事を再開する。皿の上の瑞々しい青菜をフォークで口に運び、ゆっくりと咀嚼していく。

「あの豊かな茶色の髪。波打って光を反射して、そこだけ秋の小麦畑のように黄金色に輝くんだ。残念なことに少しだけ瞳の青が薄いのだけれど――今までで一番似ている」

 仮面の男は皿に目線を落としたまま、口の両端をあげてにいっと笑った。

 赤い唇が昨日の道化師の仮面そっくりに不自然な弧を描く。陽光の下で不気味さが際立って、フィルは思わず体を震わせた。


「君はここに、僕の側に居ることに決まった」

 その顔のまま、男は仮面の孔越し、上目遣いにフィルを見た。

(……おかしい、この人、何かが……)

 内容もさることながら、脈絡なく飛ぶ会話と漂ってくる空気、奇妙な目つきにフィルは蒼褪め、椅子の上で可能な限り身を引いた。

 逃げたいが、おそらくかなり厳しい――せめて何か助けになるものがないかと視線を周囲に走らせる。

 男の傍らに立ち、葡萄酒を男の空いたグラスに注いでいるレイチェルに目がいく。彼女は、先ほど見せた笑顔を崩していない。

(……同じ、だ)

 笑顔だけじゃない。髪は茶、瞳は水色だ。アリスもそうだった。

(マリーベルの髪と目も……)

 そう気付いた瞬間、背に冷たい汗が流れた。

 人や魔物、どんな敵に出会っても一度も感じたことない類の恐怖が、足元から体に絡みつくように立ち上ってくる。


「わた、しは、茶色の髪でもなければ、水色の瞳でもな――」

「彼女たちは僕を守らない」

 命令されればするけれど、と仮面の男は不機嫌そうに口元をナプキンで拭った。仕草は洗練されきっているのに、印象がひどく幼い。

「だが、君は違う……他人の子を身を挺してかばう君なら、僕を自分の意思で守れるはずだ」

 そう笑う顔はひどく無邪気で、それがフィルに更なる戦慄を運んでくる。


 男は「君にはだから薬は使わないけれど、」と何でもないことのように続けた。

「逃げようなどと思わないように。おかしな真似をすればレイチェルもアリスもマリーベルも――殺す」

 くすっと笑って「君はそんなことさせないだろう?」と口にし、男はフィルとの間、飾りを兼ねて積まれたと思しきフルーツの山へとナイフを投げ刺した――笑顔のまま。

「……」

 フィルは身じろぎ一つできず、額から一筋、汗を滴らせる。


 やり取りをすべて見聞きしている男の傍らのレイチェルは、変わらず微笑んでいる。


 男が静かに席を立った。隙のない物腰でフィルへ寄ってくる。

 途中、テーブルの中央に飾ってあった白い小さな花を手にとって匂いを嗅ぎ、何かを呟いた。

「そう、いい子にしているんだ、フィル……」

 男はフィルの横に膝を落とし、手にした花を丁寧な仕草でフィルの髪に差し込む。それから、硬直しているフィルを椅子ごと自分へと向き合わせた。

「……っ」

 フィルの膝へと頬を寄せた男は、赤い唇を歪ませ、ひどく満足気に微笑んだ。


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