16-1.変化
騎士団で配置換えや昇級があってから、既に二ヶ月近く。
フィルの所属は第一小隊のままで、階級は二つ上がっている。仕事は変わらないけれど、少し給料が増えた。相変わらず何に使うわけではないので、あまり感慨は湧かない。
アレックスは階級を三つあげて、ついでというか、第二十小隊長になっている。本人はまったく嬉しくなさそうだけれど、異例の出世らしい。
まあ、ハフトリー反乱でも斎姫暗殺未遂でも、事件を詰めるために必要な証拠を押さえたのは彼だったというし、花祭りの警護でも彼の担当地域は例年と違って何も起きなかったし、加えて飛びぬけて強くなってきたからか、文句を言う人もいない。
特定の事件や策謀など複雑な案件への対処を担う第二十小隊は、情報を収集・分析して作戦を立て、その実行の調整にもあたる。ロデルセンのように頭のいい人ばかりが集まっているところで、アレックスにこそ適任といえば適任なのだけれど……ますます差が開いた気がする。
フィルとアレックスの相方は解消。訓練も巡回も当然バラバラ。
何か案件が発生すると小隊の会議室に詰め込んだり、現場に出かけたりで、彼はほとんど部屋に戻れなくなる。
第一小隊には、第二十小隊が密接に関わるような難しい案件は滅多に回ってこない(被害が無駄に大きくなると副団長が言っていた)し、彼を見かけることがまったくない日もあった。
正直に言えば、この二ヶ月間、寂しくて仕方がない。でもアレックスに言えば困らせるだけだとわかっていたから、メアリーに少しだけ愚痴ったら贅沢だと怒られた。花屋のリンも毎日会うのが難しい恋人はまったく珍しくないと呆れていた。それで、これまでが特殊だっただけと知った。
二重に落ち込むフィルに、オッズの彼女のケーキ屋のジルさんが「それ、本人に言ってあげたらいいのに」と笑いながら、新作のチョコレートムースをくれた。迷惑になると思うのだけど、ジルさんがそう言うなら言ってみたほうがいいのかも、と悩んでいる。
ちなみに、ムースはとても美味しかった。「フィルはチョコレートが入っていればなんでもおいしいと言うから、参考にはならない」とまた笑われたけど。
フィルの新しい相方は、ミルト・ホルスンさんだ。ウェズ小隊長とイオニア補佐が「氷漬けを避けた結果」とかなんとかよくわからないことを言っていたけれど、とても強い人の一人なので、戦闘が起こった場合に彼と共に動くことを想定するとワクワクする。
大柄で筋肉質で、顔もいかめしくて、一見威圧感いっぱいな三十二歳。一つ年上の美人な奥さんと十一歳の娘さんと一緒に街外れの一軒家に暮らしている。
初めて家庭に招待された時、『噂に聞く美女と野獣ってこれ!』と思って、つい奥さんのアメリアさんに、なぜミルトさんと結婚したのかと訊いてしまった。ら、ミルトさんに頭をはたかれた。
そんなフィルたちを前に、アメリアさんは「怖い顔してるのに、楽しい人でしょう」と笑った。「あ、やっぱり顔じゃなかった」と言ってしまって、またミルトさんにはたかれたけれど、仲良しですごく素敵な夫婦だ。爺さまと婆さまを思い出す。
彼らの娘のリーナちゃんは、アメリアさん似。でも性格はおっとりした奥さんには似ていなくて、ここらで揉めごとがある時は必ず絡んでいると評判の活発な女の子だ。最近「フィルだって入ってるんだし、私も騎士団に入る」と言い出して、剣を教えるようミルトさんに交渉中だ。
ちなみに、彼女はアレックスが大好きで、フィルはライバル宣言されている。
フィルがミルトさんと街を歩いていると、老若男女様々な人たちが「アレックスはどうした?」と訊いてくる。別の小隊に異動したことを告げると、皆、特に女性が残念がる。
彼が好かれている証拠な気がして、昔彼に向けられていた敬遠を思うと、特に嬉しい。でもその後に「なんだ、別れたかと思ったのに」と続くコメントはいらない。
アレックスの抜けた後の第一小隊には、あのミック・マイセンが入ってきた。
悪い性格ではないし、むしろ華奢でかわいいし、あの執念深……粘り強さにも感服するけれど、微妙にやりにくい。
勤務時間中に何をするわけでもない(その辺のけじめはしっかりしている)が、気付けば側にいるし、時間外にはぐいぐい話しかけてくる。普通の内容である限りは問題ないのだけれど、いちいち「好きです」と言う、あれは本当に勘弁して欲しい。
それをうきうきと「五十九回」「いや、昨日二回言ったから六十」などといちいち数えているカイトとエドは暇人だ。
その彼らをいちいち諫めてくれるのはロデルセンだ。引き続き課題や試験で助けてもくれるし、新しい仕事についたアレックスの普段の様子も何気なくフィルに教えてくれる。やっぱりいい奴だと再確認する一方で、ずっとアレックスと一緒に過ごしている彼がちょっとうらやましいのは内緒の話。
ヘンリックはメアリーとの関係も含めて相変わらずだ。
念願叶ってようやく付き合うようになったというのに、二人はちょっとした諍いをして仲直りして、を繰り返していて、その度にヘンリックの愚痴に付き合わされたり、メアリーのやけ食いに付き合わされたりしている。
メアリーはものすごくかわいいから、ヘンリックは気が気じゃないようだ。「大丈夫だと思うんだけど」と言うと、「人事だと思って」と愚痴がひどくなるのでそれは禁句。
しかもヘンリックは、自分も結構な人気が出てきているというのに、それがいまいちわかっていないようだ。紳士なのはいいことだけど、誤解されそうな、中途半端に優しいことまで他の女の子にやってしまって、メアリーをよく怒らせている。
心配したメアリーに、「その辺はアレックスもあまり変わらないよ」と言ってみたら驚かれた。「一回ガツンと言ってやればいいのに!」とメアリーは言うが、アレックスにガツンと言う自分――どうも想像できない。
そのメアリーは最近自分でも仕立ての注文を受けるようになったそうだ。一人前になったみたいで嬉しいと仕事のことをよく話してくれる。ただ、フィルは強制的に『お得意』にさせられてしまって、部屋のクローゼットには一度も袖を通していない女性物の服が二、三着。
この間、機嫌を損ねてしまったので、明後日メアリーに会う時はいずれかの服を着ていかなくてはならない。
本音を言えば、スカートは剣を身に着けられないから苦手だ。足もスースーするし、動きにくいし、何より女『装』だ、悪夢の。ここだけの話、ものすごく憂鬱だ。
そんな感じで、時は残暑厳しい九月。
昨今なかなかに平和な、王都カザレナの一日が今日も始まる。アレックスは、昨日の晩も部屋に戻ってこなかったけれど。