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そして君は前を向く  作者: ユキノト
番外編【木の上から】
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6.気配

「本当にアル小父さまが……?」

「ああ、五日ほど前にザルアの別邸でお亡くなりになったそうだ。今遺体がザルアからこちらに向かっているらしい」

 まだ花祭りの余韻の残るある春の日、王宮から急遽帰宅した夫がもたらした知らせは、悲しいものだった。彼の顔もひどく沈んでいる。

「ステファンは」

「準備に奔走しているよ」

「フィルは……一人で?」

「いや、容態が思わしくなさそうだというので、ラーナックが三ヶ月ほど前にザルアに行っていたらしい。一緒に看取ったようだ」

 夫の最後の言葉に、少し息を吐き出した。

 生まれたばかりの時に一度見た限りの子。親友のシンディの娘で、大事な彼女が命と引き換えにこの世に誕生させた子。そしてアレクサンダーとセフィアを救い、今なお彼が慕っている子。

 その子がそんなつらい時を一人で過ごした訳でなかったことに、本当に感謝した。


 アル小父さまの国葬の日は、悲しいくらいに美しく澄んだ青空が広がっていた。

 式典の行われる神殿には、身分の貴賎を問わず人が溢れていた。大抵の者は黒い礼装に身を包み、美しい花を手にしている。

 けれど、印象的だったのはそうでない人々――おそらくは礼装などを持つ余裕のない彼らが、思い思いの黒っぽい服を身につけ、野に咲く花を摘んできていることだった。

 神殿を警護する近衛騎士が彼らを追い出そうとするのを、「アル・ド・ザルアナック、私の親友はああいう人々の気持ちこそを喜ぶ男だった」と建国王さまがお止めになった。


 一連の儀式が終わって、無数の啜り泣きが響く中、セフィアは夫に促されて小父さまの棺に近寄った。

 小父さまは少し痩せておられたものの、やわらかい春の日差しを受け、穏やかな顔で眠られている。彼の頬にキスを落として、その顔をしばらく見つめ、夫と共に泣いた。

 飾り気のないお人柄とはまるで対照的な小父さまの死に装束が、ひどく寂しかった。

 フィルの養育をめぐって、結局小父さまと和解しないままだったというステファンの硬い横顔は、相変わらず人を拒絶していて、それがまた悲しい。二人ともいい人なのに、なぜ、と思わずにはいられなかった。


「ステファン」

 ただ夫が声をかけた時、ひたすらに黙って棺の前に立っていた彼は、一瞬だけ厳しい顔を緩め――率直に言えば、泣きそうな顔をしたように見えた。

 それでセフィアはその場から離れた。幼馴染である夫にならば話すこともあるかもしれない、と。

 同じように考えたのだろう。ステファンの横にいたラーナックと思しき金髪の青年も、静かにその場を離れていった。


「アレックス……?」

 そうして一人ふらふらと神殿の外へと出た先。

 遠くに見えたのは、葬儀に集まったものの神殿に入りきれなかった人々の警備に携わっている下の息子だった。

 喪章をつけて、黒と金と銀の騎士団の正装に身を包んだ彼は、周囲からじろじろと視線を受けている。だが、それを気にも留めず、落ちつかなげに周囲に視線を走らせ、必死に何か――いや、フィルを探しているのだとわかった。

「母さんっ」

 セフィアに目を留めるなり、冷静な彼に似つかわしくない様子で慌てて走ってくる。けれど、その時はそれをからかう気にはなれなかった。

「……来ていないらしいわ」

 息子の苦しそうな顔に、自分の顔も歪むのがわかった。

(アル小父さま、親である私は何をどこまでしてやればよいのでしょう? 何をしてはいけないのでしょう……?)


「フィル、は今どうしていると……」

「ごめんなさい、何も聞いていないの。ただ……アル小父さまが亡くなった時は、兄のラーナックが一緒にいたと」

 そう告げれば、彼は苦しげな顔の中に微かな安堵を浮かべた。

「アレックス、どうした?」

「……いや、今行く」

 スペリオスと同じ年頃の、黄褐色の髪の青年がアレクサンダーを呼んだ。それに応じて息子は目の前から去っていく。

 その背中が広くなっていて、大人になっているのだ、と実感して焦燥した。きっとフィルもそうなのに……。



 それから一月ほどして、小父さまの葬儀やそれに関連する諸事が落ち着いた頃、ステファンと少し話をした、と夫が私に告げた。

「では、フィルは結局ザルアから戻ってこないことになったの? 小母さまも小父さまもいらっしゃらないのに?」

「よくはわからないのだが、そういうことらしい」

 あれのことなどどうでもいい、好きに生きればいい、とステファンが言ったと、帰宅した夫は眉をひそめた。彼は上着を脱いで執事のホーランに渡すと、セフィアの背を押し、家族で使っている居間に入る。

「ロンデール家との婚姻の話はじゃあ……」

「話はあるようだが、ステファンはまったく興味なさそうだった」

 セフィアは数日前の茶会で、知り合いの侯爵夫人から、ロンデール公爵家の嫡男とザルアナック伯爵家の一人娘に婚約話が持ち上がっていると聞かされた。

 心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けて、その後どうやって場をやり過ごしたか、どうやって帰ったか覚えていない。

 登城していた夫が家に戻るなり、半泣きで事情を話して確認を頼んで、今の今までずっと何も手につかない状態だった。

 疲れたようにソファに身を沈めた夫がその話を否定してくれて、やっと胸を撫で下ろす。

(でも、問題は何も解決してない……)

 同じように脱力しながら横に並んで座って、セフィアはため息とともに顔を覆った。

 アレクサンダーはあんな顔をしてフィルを探していたくせに、いくらつついても相変わらずで、『まだ資格がない』と言うばかり。フィルもおそらくアレクサンダーのことを未だ知らないままなのだろう。


「どうしたらいいの……? 小父さまは信じて見守れと仰ったけれど、フィルがどこかへ行ってしまったら、誰かのものになってしまったら、どうなるのかしら、あの子……」

「ステファンのことだから、どうでもいいと言っても、言葉どおりの意味ではないと思うが……実際、彼自身ロンデールを好いてはいないはずだし」

「それはそうだけれど、ステファンはフィルを……」

 ――嫌って、いや、憎んでいる可能性がある。

 そういう人ではないとも思うけれど、セフィアはもう彼とずっと話していない。疑念が生じて眉根が寄った。

 ステファンもシンディも気のいい人たちだった。会ったことこそないものの、フィルも間違いなくいい子だと確信している。それなのになぜ上手くいかないのだろう――。


「まだ十六歳……」

(そんな子がただ一人の庇護者となった父親に、『どうでもいい』『勝手にすればいい』なんて言われて、今どうしているのかしら……? 一人で泣いていないかしら……? アレクサンダーだってあんなにフィルを望んでいるのに、それがこんな形で上手く行かなくなるなんて……)

 頭に『運命』という言葉が思い浮かんできて、セフィアは必死に首を横に振った。

「大丈夫だ」

 夫が身を起こし、セフィアを抱き寄せた。乱れてしまった髪を梳いてくれる優しい手つきに泣きそうになる。

 そのセフィアの顔を覗き込みながら、彼は穏やかに笑った。

「それならうちに嫁にくれと言ってきた。今後もしつこく言い続けるから」

 だから心配しなくていい、と言う夫に泣き笑いを返した。



 * * *



 人の心配をよそに、アレクサンダーはそのうち休みの日にすら、顔を見せなくなった。

 フィルとロンデールの嫡男との婚約話をしなくてすむことを幸いと思う一方、セフィアは息子の悠長さに歯噛みしていた。本当にフィルを失ったらどうするのか、と。


 だから翌年四月、花祭りに沸き立つ最後の日に、ほぼ半年ぶりに帰ってきたアレクサンダーを詰ろうとした。けれど、本人を前にして言葉は出てこず、代わりに首を傾げる羽目になる。

「……母さん?」

 こちらを見下ろす青い瞳は、夫とまったく同じ色で、セフィアはそれがかなり嬉しい。だが、問題はそこじゃない。

(ますますいい男になった……)

 ――我が子ながらそれはそう。

(ますます色気が出てきた……)

 ――以下同文。

(ますます愛想が無くなった……)

 ――以下同文。

(でも……何かしら、この違和感は?)

 眉をひそめるセフィアに、アレクサンダーは負けずに眉をひそめ返してくる。そして、「父さんは?」とセフィアの背後へと視線をやった。

「用事が出来て、ついさっき出て行……何よ、その顔。私だけでは不満だと言うの?」

 顔をしかめた息子を思いっきり睨んだというのに、彼は不機嫌になったまま、居間にいる兄のスペリオスのもとへとさっさと歩いていった。


「……愛想がなくなったというのとも、違うわね、あれ。本当にどこか変わった気がする……」

 一体あの子に何が起きているのだろう?


 首を傾げつつも、久しぶりに帰ってきた彼の好物を用意しようと、調理場に下りていったまでは良かったのだけれど……。

「なあに? どうしたの……?」

「何が?」

「……別に」

 居間に戻ってきたセフィアは、息子二人を取り巻く空気にさらに困惑する羽目になった。

 親のセフィアが言うのもなんだけれど、息子たちは昔からひどく仲がいい。なのに、この時はなぜかお互いに無言で、目を合わせようともしない。

 特にアレクサンダーに落ち着きがなくなっていて……そこで、そうだわ、と思い至った。

 さっきの彼に見えたのは『余裕』――いつも何かに取り憑かれたかのように『強くなること』に執着していた彼にこの九年間一切なかったもの。


(男の余裕の理由、といえば、定番は仕事と恋人。仕事は今更だから……)

 息子二人と共に早めの夕飯をとりながら、嫌な想像に行き着いて脂汗を流した。

(フィルはもういいのかしら……? 他に好きな子、彼女ができて、フィルを諦めた……?)

 またも『運命』が頭にちらついて、ついにその話が出来ないまま、どことなく考え込んでいる様子でアレクサンダーが騎士団に戻っていくのをただ見送った。


「どうしよう、どうしたらいいの、ヒルディス。アレクサンダーは本当にもうフィルに興味はなくなったのかしら? そうしたら、ひょっとして本当にサンドラと? そうしたらスペリオスは……」

「落ち着きなさい、セフィア」

 寝室で寝巻きに着替え、うろうろと歩き回っているセフィアに、夫は穏やかに苦笑している。

「落ち着いてなんていられる訳が無いわ!」

 それが気に入らなくて、八つ当たりだと知ってはいたけれど、思わず彼に噛み付いた。

 幸せになって欲しいと心から願っている大事な大事な子供たちだ。本人たちの努力以外の部分で彼らの想いが妨げられる状況を、どうしても危惧してしまう。できる限りその障害を取り除いてやりたいと思ってしまう。


 そのままいらいらと部屋の中を歩き続けるセフィアを見ていた夫は、視線を床に落とした。

 それから片方の眉をひそめて、しばし考え込んだ後、唐突に呟いた。

「アレックスは何か変わっていたか?」

「え? ……そう、いえば、以前より少し雰囲気が緩んできていたような……」

「……そうか」

「なあに、ヒルディス?」

「いや……」

 視線を微妙に揺らす夫のその顔は、隠し事をしている時のものだった。

 三十年近く一緒に過ごしていればわからないはずが無い――思わず睨めば、彼は顔を引きつらせた。

「いや、その、フィルのことなんだが……」

「まさか、誰かと……」

「いや、そうじゃないんだが……その、どうやら王都にいるのではないか、という噂を……」

「え? え? なあにその話? あの子、ザルアから帰ってこないのではなかった? 嘘、今カザレナにいるの?」

 夫に慌てて詰め寄った。もし王都にいるのなら、なんとしてもアレクサンダーに会わせてやりたい。

 けれど、彼は彼で当惑を顔いっぱいに浮かべ、「いや……ちゃんと確認してから話すよ」と言うばかりで、結局逃げ切られてしまった。

 三十年経っても母になっても、そこはそれ。夫の方がやはり一枚上手で、セフィアはまたやきもきとした日々を過ごす羽目になった。


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