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そして君は前を向く  作者: ユキノト
番外編【木の上から】
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5.遠近

 アレクサンダーが騎士団に入団した年の冬。アル小父さまがふらりと我がフォルデリーク家にやっていらした。

「やあ、セフィア、ヒルディス、元気そうだな」

 お年こそ召されたものの、昔と変わらず少年のような空気をなさっていた。でも、内面からにじみ出る覇気ゆえか、存在感に溢れている。

 夫婦で大喜びしつつ、なぜ前もって来訪を知らせてくれなかったのかと詰ると、「大げさなのは嫌いなんだ……」と子供のように顔をひそめる。

「行く先々でやれ英雄だの、やれ老伯爵さまだの、おもてなしだの言われて大騒ぎになるんだ……割を食うのは、実際に手を動かして働く人たちだぞ? 失礼のないようにとか言われて縮こまってるのを見るの、もううんざりなんだ。あ、先触れもなしに公爵を訪ねるなんて無礼な! とか罵られる覚悟ならちゃんとあるぞ?」

 飾り気のないお人柄も、一緒にいるだけで楽しくなってしまう空気も相変わらずで、一緒に居ると本当に楽しかった。

 アレクサンダーは当然騎士団の本営に居て、スペリオスも生憎と外出中。それが惜しくてならなかった。


 客間にお通しして、暖炉の火で体を温めていただく。そこで、一緒にお茶を囲み、ひとしきり互いの近況について交換した後、夫が「お礼が遅れて申し訳ない」と口を開いた。

「アレクサンダーを“生かして”いただいて、本当にありがとうございました」

 そうして夫婦で一緒に深々と頭を下げた。

 アル小父さまは目をみはると、茶目っ気を見せてお笑いになった。

「私は何もしていないんだがなあ。フィルが彼を独占していて、『爺さまと婆さまにとられたら嫌だから』と、ほとんど会わせてもらえなかったんだ」

 彼女もアレクサンダーを好いてくれていたのだと知って、夫と二人顔を綻ばせた。

「騎士団に入ったというのは本当かい?」

 夫が誇らしげな顔で頷いたのを、アル小父さまは本当に幸せそうにご覧になっていた。


「ところで、フィル、フィリシア嬢は?」

「こちらに一緒に戻ってきてはいないのですか?」

 実はセフィアとヒルディスは、アレクサンダーと彼女をいい加減会わせてやって、婚約させられないか、と考えていた。フィルもそろそろ婚約話が出てもおかしくない歳になっていたし、現にアレクサンダーの方はそんな話はひっきりなしだ。

(もし、彼女が今カザレナにいるのなら、すぐにでもアレクサンダーを呼びに人をやろう)

 夫もセフィアと同じことを考えているに違いなかった。彼には珍しく、どこかそわそわしている。

 そんなセフィアたちに小さく首を傾げた後、アル小父さまは「セフィア、ヒルディス、親心はわかるがな」と、ニヤリとお笑いになった。

「あの子はフィルに自分のことをまだ知られたくないと思っているのでは?」

 思わず夫と顔を見合わせた。なぜご存知なのだろう?

 私たちの疑問にお気づきになっているのかいないのか、お答えにならないまま小父さまは笑って仰った。

「フィルはあの子がどこの誰か、つまり、ここの子だと知らないんだ」

「え……」

「どういうことでしょうか」

「フィルにとって、あの子はあの夏一緒に遊んだ『アレク』でしかない。ザルアナック家もフォルデリーク家も何も関係ないんだ」

 絶句した私たちに、小父さまは「この先も言うつもりはない」と追い討ちのような言葉を静かに付け加え、目の前のお茶を口に含まれた。


「そんな……」

(アレクサンダーはあんなにフィルを慕っているのに、フィルは彼について知らない。その上、家同士のやり取りも許さないとなったら……ずっと彼女に会っていないアレクサンダーはものすごく不利なのではない……?)

 困惑を露わに夫を見れば、彼は彼で眉をひそめている。

「それは……この先もアレクサンダーと彼女の縁はない、と暗に仰っているのですか」

 夫の緊張をはらんだ声にセフィアは息をのみ、対照的に目の前の小父さまは目を丸くなさる。

 直後に、「ヒルディス、お前、『お貴族さま』ってやり方に染まりすぎだ」と声を立ててお笑いになった。

「私は家だかなんだかの名のもとに、子供たちの未来を勝手に決める気はないし、誰かの勝手にさせる気もない。大体、そんなことをすれば、エレンに腕の一、二本折られかねないしなあ」

 屈託なくお笑いになるご様子に、『ああ、本当に小父さまだ』と思ったけれど……。

(それってつまり、すべては本人たち、フィルとアレクサンダー次第、親は口出し無用、ということだわ……)

 セフィアは不安に顔を曇らせた。

「まあ、焦るな。きっとなんとかする、そう信じてやれ。愛しているからこそというのはわかるが、子供たちの行く先すべてに道をつけてやるのは、彼らの為にはならん」

「……っ」

 身に覚えのあることを指摘されて、顔を強張らせる。


(でも、でも、アレクサンダーはあんなに……)

 半泣きになってしまったからだろう。アル小父さまはセフィアを見て苦笑した後、「内緒の話だが、」と仰った。

「フィルは彼のことを何も知らなくたって、未だにいつか会えると信じている。アレクとそう約束したのだそうだ。そして、その時までにちゃんとアレクを守れるようになって、その先ずっと一緒に居る、と」

 幸福そうに「フィルの口癖なんだ」と仰って、小父さまは片目を瞑った。「な、大丈夫そうだろう?」と。


 帰り際。

 小父さまは思い出したように、見送りに出たセフィアたちを振り返った。白銀となった髪が、その拍子に寒風に小さく揺れる。

「あの子に、私からだとは言わなくていいから、伝えてくれるかい?」

 美しい緑の瞳の収まる目を柔らかく緩ませ、クスクスと笑いながら。

「おかげで毒キノコで舌を痺れさせることも、迷子になって帰れなくなることもなくなった。方位磁石と寝袋とロープ、冬には雪靴を抱えて、よく行方不明にはなるようになったが、ひどく楽しそうにしている、と」

 オテレットに付き合えと言われるのはかなわんけどなあ、と付け加えて小父さまは雪の舞い散る中、再び街の雑踏へと紛れていかれた。


「……女心を知っているかどうかは知らないが」

「フィルのことは知っている、ということかしら」

「……聞いたら喜ぶかな?」

「口元を左手で覆ってね」

 そうして夫と二人で笑い合った。雪風の中だったけれど、ひどく温かくなった。


 それがセフィアたちがアル小父さまにお会いした最後だ。


 その半年後にエレン小母さまがお亡くなりになって、フィルは小父さまと共にあちこち旅をしているらしいと聞いた。

 アレクサンダーは相変わらずで、ますます男っぽくなって愛想がなくなっていく以外に、取り立てて変化はなかった。

 さらに寄ってくるようになった女性たちにも、やはり見向きもしない。

 スペリオスが出られない時に、家の付き合いの関係で夜会などに出るよう、彼を騎士団から呼び戻すこともあったけれど、そんな場所で群がってくる女の子たちにも礼儀を失しないだけで本当にそっけない。


「今日そばにいたあの子なんてすごい美人なのに、くらっと来たりしないの?」

「シンディの娘だし、よほどの美人なんじゃないか?」

 ある日家に帰ってから、赤くなることを期待して、からかい半分にフィリシアの容貌を尋ねてみた。けれど、その時のアレックスは赤くなることも睨んでくることもなかった。

「……よく覚えていない」

 無表情にぼそりと呟き、着替えるためにか、すぐに自室へと引き上げてしまう。

「……顔も覚えてないのに好きなんですって」

「……いい加減会わせてやりたいなあ」

 呆気に取られたままその後ろ姿を見送った後、夫と顔を見合わせて、二人同時に肩を落とした。


 他に何かで遊んでいるらしいという話も一切聞かないし、ストイックすぎて逆に心配になるくらいだった。

 セフィアも夫も剣のことなど詳しく知らないけれど、アレクサンダーの腕はかなりいいようで、休みの日に顔を見せるだけの様子ではわからないけれど、騎士団でもそんな感じで周囲から少し浮いているらしい。

 休みの日はうちに帰ってきて本を読んだり、ヒルディスやスペリオスと政治や経済の話をしたり、でおしまい。女の子どころか、人と関わる気すらなさそうだった。

「社会性がなさすぎない……?」

「ないわけではない、と思うんだが……」

「フィルに会えても、すぐに呆れられてふられたり……」

「あー、あれだけ不器用だと……」

「嫌な想像しないで」

「……したのはセフィアだろう」

 そんなこんなだったから、無理やりにでも花街に顔を出す程度の付き合いはこなせたらしいと聞いて、少し胸を撫で下ろした。アル小父さまはああ仰っていたけれど、やはり息子が意中の子に嫌われたり呆れられたりしそうな要因は少ない方がいいから、もう少し世慣れて欲しい、と思ってしまう。そんな妙な心配をすることになるなんて思ってもみなかった、と我ながら少し呆れるけれど。


 そのまま、また二年ほど過ぎる。


「結婚? ……アレクサンダー、と?」

 アレクサンダーが十八になってすぐのことだった。アレクサンドラを伴い、久しぶりに我が家にやってきた姉がいきなりそう切り出した。

「そう、そろそろ気が済んだかと思って」

 どうせ運命には逆らえないのだから、と微笑む姉の神経が本気で理解できなかった。


 彼女の横に座るサンドラは人形のように無表情。彼女は数ヵ月後に次代の斎姫となることが決まったらしい。

 アレクサンダーとの婚約を解消した時、サンドラは気にした様子などなかった。叔母であるセフィアの目から見ても、彼女が慕うのはスペリオスだと思っていたのに。

「アレクサンドラは?」

 やはり能面のようになったまま、会話に参加するでもなく、窓辺で外を眺めているスペリオスを気配だけで窺いながら、夫が彼女に訊ねる。

「……神託で運命だと」

 二十年以上前にセフィアが厭うた『運命』なる言葉が彼女の口から出てきて、衝撃を受ける。


「ねえ、もういい頃合でしょう?」

 重苦しい空気に気付かない姉だけが上機嫌で、歌うように一人色々語っている。

「ニステイスは伯爵家でもあるし、悪い家系じゃないはずよ、気心も知れているし、アレックスとサンドラの子ならいい斎姫を産むのにうってつけだわ」

 アレックストアレクサンドラナラ……? ウッテツケ? ――何それ?

「出ていって」

 気付いた時にはそう言っていた。

「セフィア? なによ、いきな――」

「いいから、今すぐにここから出て行って。私の子供たちもサンドラも物じゃない、家や斎姫のための道具じゃないっ」

 姉が慌てて口を開いたけれど、それを遮り、声を荒らげた。

(『運命』だかなんだか知らないけれど、アレクサンダーの思いも、スペリオスの思いも、サンドラの思いも無視する気なの? フィリシアだって……)

 ――そんな真似はさせない。絶対にさせない。

 眉を逆立てて姉に近寄り、腕を握って立たせる。そして、その背を乱暴に押しやって、屋敷から追い出した。


 けれど、今度もやはりセフィアの願い通りには行かなくて、少しずつスペリオスもサンドラも様子を狂わせていく。


 もし、本当にあるとするのであれば――そうして『運命』は再び動き始めていたのだろう。


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