表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして君は前を向く  作者: ユキノト
第2章 浸透
23/320

2-8.信頼

「いやあ、おもしろいですよ、彼。敢えてアレックスにつけるとか言うから、一体どんな奴かと思ってましたが、ただ腕がいいってだけじゃなかったんですね」

 青年と言うには貫禄があり、壮年と言うには瑞々しさの漂う、頬に傷のある赤髪の男が、副騎士団長ポトマックを前にくつくつと笑う。

「アレックスが団から浮いているのを気にしていたのは、お前だけじゃないという事だ、ウェズ」

 そのグラスを手に取り、ポトマックが苦笑をもらすと、天井から注ぐ照明の光が手中のガラスに反射して鈍く光った。


 先の入団試験で彼を見た瞬間、ポトマックは先日亡くなった自分の師、アル・ド・ザルアナックを思い出した。剣を片手に立つ近寄りがたい空気、凛とした佇まい、髪の色、目の色、何より実技試験で見せた一瞬の動きが驚くほど師と同じだった。

 開始とほぼ同時に模擬剣を叩き落されて呆然としている彼の対戦相手に、ポトマックは相手を変えて再度チャンスを与える旨を告げると、次に自ら彼の相手を名乗り出た。怪訝な顔をしていた彼は、ポトマックが剣を構えると一瞬で気を引き締める。

 その後は実技試験終了の合図まで、ポトマックは我を忘れて剣を振り続けていた。少年の頃、師相手にいつもそうしていたように。


「しかし、どこで誰に師事したんですかねえ。明らかに我流じゃないのに、本人に聞いても祖父だとしか言わないし、有名な剣士かと思ったら言葉を濁すし」

 ポトマックは視線を自宅の居間の窓に向け、そこに映る自分の顔を見つめる。外の暗さと中の明るさのせいで今は見えない、窓向こうの小さな庭で、四十年ほど前、ポトマックは師から手ほどきを受けた。その頃、師の顔にあり、自分の顔になかった皺が今はっきりとガラスに映っている。

「……まあ、彼の世間知らず振りでは、師の名声だの流派だのを知らなくても不思議はないがな」


 亡くなる数年前、久しぶりに会った師は、記憶の中より随分老けていてひどく驚いた。だが、その瞳は若い頃となんら変わらず少年のように輝いていて、自分の全てを託せそうな者が見つかった、と楽しそうに笑っていたのを覚えている。


「あー、確かに。フォルデリーク公爵家の人間、それも本人を目の前にして、見た目だけはちゃんと貴族だ、なんて普通言わないですよね。しかも、本人はあれ、フォローのつもりだったらしいし」

 楽しげにウェズが笑う。団内有数の使い手であると同時に、人柄のいいウェズは上下に信頼が厚く、現在第一小隊長を務めると同時に、次世代の有力な団長候補でもある。ちなみに、陽気で人好きのする性格だが、個性は強烈。その彼に付き合える面子を集めた結果、彼の小隊も同じく独特な個性で固まってしまった。

 それゆえ四年前、ポトマックはアレックスをそこに配属した。あの連中の間であれば、何とかやっていくだろうと。

 結果は予想通りだった。そこでアレックスは“上手く”やっている。頭がよく、人を観察することに長けているので、元々人並み以上に物事をこなせるのだが、結局それだけで、アレックスはやはり必要以上に人に近寄ろうとはしなかった。面倒見のいいウェズも、そしてその部下たちも、なんだかんだとそんな彼に心を砕いているのだが……。


 もう八年も前のことになる。十歳の、見るからにひ弱な貴族の子供が、師の紹介状を持って現れた時、ポトマックは師の正気を疑った。

『大事な子を守る力が欲しい』

 思わずその子供に動機を訊ねた時、だが彼は類まれな意志の強さを見せた。それにポトマックは動かされた。

 ひ弱さゆえに訓練に耐えられず、死んでしまうかもしれないというポトマックの恐れをはねのけて、その子供、アレックスは意志を貫き続けた。そして強さへの凄まじいまでの執念と明らかになった才能とで、ポトマックが舌を巻くような成長を遂げる。

 その過程で彼の中身も知っていった。冷たい見た目とは裏腹にとても優しい子で、子供のいないポトマック夫妻にとって、彼はいつの間にか我が子同然になった。多くの親がそうするようにその成長を喜び、その人生に幸多かれと祈った。そしてそれは今でも変わらない。


 そのアレックスに欠けていたもの、それが他者との交わりだった。贔屓目でなくても中身はいい子だと思うのに、生まれついた家柄、見た目、強さへの執着、生真面目な性格、そのどれもが異質で周囲は彼に寄っていかない。病弱だった幼少時代の影響もあるのだろうが、彼自身も他者に寄っていく方法を知らない。

 一人に慣れ切っているせいで、周りに誤解されても気にせず、それがさらなる誤解を招く。そうなると、何でも自分で何とかできて人を特に必要としない、彼の優秀さも問題だった。

 そうして、入団以降、アレックスは第一小隊員以外から悪感情を向けられ、完全に孤立していく。


 だが、最近、風向きが変わってきた。

 笑うことすら稀だったアレックスが、よく表情を崩すようになった。柔らかい空気で微笑み、声を上げて笑う、その横に居るのは“彼”。絶句した後に呻き声を上げ、真っ青になって走り出す、その先にいるのも“彼”。

 周囲もそれに気付き始めている。


「彼のお陰でしょうね、アレックスもですが、周りの目がちょっと変わってきています」

 同じ感想を漏らしたウェズが、空になった自分のグラスに自ら酒を注ぐ。

「今日なんて、彼と話すアレックスの後ろで、五十一期生たちがあんま俺らと変わらないんだなってボソボソ噂していましたし、一昨日はオッズ以外の同期とも話していました」

 ここだけの話、このままうまくいくと見てます、そうにやっと笑うウェズの顔は結構赤い。つられてポトマックも微かに笑い、頷いた。あのアレックスが、と思うこの感情を世間では親心と言うのだろうか、と。


 ふと居間に掲げた師の肖像画が目に入った。師がこれを見て、『恥ずかしいからやめてくれ』と呻いていたことを思い出し、笑いを深める。

 そして、数年前のあの時、師が自らの後継者についてなんと語っていたか、改めて反芻する――『女子だが素質は十二分だ。万が一長じて剣に厭いた暁には息子にでも技術を授ければそれでよい。あれなら厭くとも思えんがな』


 そう、“女子”だ。アレックスに今影響を与えている“彼”は、師が笑いながらその才能を讃えた彼の孫、フィリシア・フェーナ・ザルアナック――つまり“彼女”だ。そして恐らく自分をアレックスに引き合わせるきっかけになった人物であろう。入団の合否を決める会議の場で、ポトマックはそう確信していた。

 だが、“彼女”だと、そして“彼女”が“そう”だと、その場で言い出さなかったのはなぜだったのだろう? 一人団規を読み返して、女子の入団を禁じる旨の規定がないことに胸を撫で下ろしたのは、なぜだったのだろう?

「……」

 自問して、ポトマックは口の両端を小さく上げる。


 ポトマックとの討ち合いが佳境に入った時――彼女は冴え冴えとした笑みを顔に浮かべた。師と全く同じその笑みを目にして、ゾクリと肌があわ立ち、そして……見てみたいと思った。あの師が面白がっていた“彼女”が何をするのか。

 それから、賭けてみたいと思ったのだ。 “彼女”に自分の愛弟子の未来を、自分の愛弟子に“彼女”の未来を。


「中々楽しくなってきましたねえ」

 既に出来上がりつつあるウェズはいつにも増して陽気。その彼につられるようにポトマックは微笑んだ。


 ――さて、何が起きるのだろう? 


 この年になって、毎日がこんなに落ち着かなくなるなんて思いもしなかった。師はいつだって、『信じてやれ、なんとかするってな』と仰っていたが、それが結構難しい。


「……」

 ポトマックはもう一度肖像画を見上げる。

 こうして、あの偉大で茶目っ気のある師は、死してなお私に課題を与え続けるのだ。そして、それこそが彼からの信頼の証なのだろう。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ