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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第15章 ベクトル
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15-5.血

「フィル、飯、付き合ってくれないか。二人で話したい」

 朝レミアが言ったとおり――夕方宿舎に戻ったフィルに、仕事終わりのカイトが声をかけてきた。

 彼の黒い瞳を見つめ、頷く。

「じゃあ、外に食べに出ようか」

 そういえばカイトと二人で外に出るのは初めてかも、そんなことを思いながら彼を誘えば、一瞬目をみはった彼はどこか寂しそうに笑った。


 皆でいつも行くような賑やかな店に入り、いつもするように試験がどうだとか、上官がどうだとか、仲間がどうしたとか他愛のない話をして笑い合う。

「あらあ、フィル。アレックスとついに別れたの?」

「ついにってなんですか」

「今度こそ私の出番かと思って」

 声をかけてきたのは、アレックスを事あるごとに口説くその店の看板娘だ。からかいを見せて笑う顔にはいつだって嫌みも悪意もない。フィルもつい一緒に笑ってしまう。

「ばーか、こいつらが別れる訳ねえだろ」

「あら、カイト。相変わらずいい男ね。そうね、アレックスだけが男って訳でもないものね、どう、この後一緒に遊ばない?」

 フィルに代わって言い返すカイトに、そう言って片目をつむってみせる様も陽気。

「おまえ、そうやってエドからかっただろう? 本気にしかねないからやめてやれっての」

「だって、あの人、からかうとおもしろいんだものー。あれでなんでモテないのかしらねえ……って、おもしろすぎるからね、きっと。男はおもしろさよりカッコよさなの! あ、でも私的にはかわいさも捨てがたいわ」

「いや、訊いてねえから」

「つめたーい」

 笑う彼女にやはり笑ってポンポンと言い返すカイトもいつも通り。陽気さも面倒見のよさも世慣れた感じも出会った時から変わらない。

 だが、この二年間で顔から少年の面影がほとんどなくなって、大人っぽくなった。

(そういえば、アレックスと同じ年だったっけ)

 彼と彼女の軽妙なやりとりを聞きながら、フィルはくすっと笑った。


 だが、そんなカイトの空気は会計を済ませて店を出る頃、にわかに重くなった。

 雨が近づいているのかもしれない。ベルの音とともに開いた店の扉の外では、昼の名残を残した風まで湿気を帯びていて少し重い。


『一発、カイトを殴って欲しいの』

 朝のカフェのテーブルで、レミアは笑いながらそう言った。軽い口調と笑顔とは裏腹に、目にどこか痛んでいるかのような色があって、ひどく戸惑った。

 なぜ、と訊ね返したフィルにレミアは視線を伏せた。高く上がった日差しに長い睫が、頬に影を落としていた。

『多分だけど……カイトは近々あなたに話をする。そうしたら、私が彼を殴ってって言った意味があなたならわかると思う』

 とても悲しそうに笑っていた。それでそれ以上訊けなかった。

 事情はよくわからない。でも、自分に関わりのあることだというのはわかった。彼女の表情もカイトの表情もそう告げている。

 あまりいい話ではないのだろうという予感もある。だが、それを見ないふりをすることは多分許されない、とも。

「……」

 店での様子が嘘のように無言になったカイトを、フィルは横目でうかがい、息苦しさに静かに息を吐き出した。



 * * *



 宿舎まであと少しという公園を歩いていた時、カイトが不意に立ち止まった。地面の小石がじゃりっと音を立てる。一歩半先に出ていたフィルは、気付いて彼を振り返った。

「好きだ、フィル」

 街灯の明かりを受けた彼は、まっすぐこちらを見つめていきなりそう口にした。

「……」

「色々、本当に色々考えたけど、結局それしかなくって……」

 困らせて悪いな、と照れたように、だが、苦く彼は笑った。


 二年近くを共に過ごしている同期のまるで知らない人のような顔――頭が真っ白になって立ち尽くす。

「お前にアレックスがいるっていうの、当然知ってる。だけど、中途半端にしてたらいつまでも吹っ切れない気がして……」

 微妙に顔を引きつらせつつも、彼は笑ってフィルを見据えている。

「いっそきっぱりふられてやろうと」

 人気のない公園に声が響く。既に日が落ちて久しい暗闇の中で周囲に灯る街灯の光が、ぼんやりと彼の表情を伝えてくる。


(……彼は今、なんと言った?)

 動きを再開したフィルの頭に最初に浮かんだのはそれだった。為す術を他に思いつかなくて、ただ黒い瞳を見つめ返す。

(好き、って……カイトが私を? 色々ってなに? アレックスのことも全部知ってて? きっぱりふられたいって? いつから? なんで? なんで私? 私、私は……)

 ――カイトに何をした?

「……っ」

 真っ白になっていた頭に、一気に色々な思考が湧き上がった。感情も疑問もごちゃごちゃになって、最後に自分のこれまでの行いへの恐怖に襲われた。

 大事な仲間なのになぜ気付かなかった? 気付けたはずなのに、私が馬鹿だったせいで見過ごしたのではないか? それだけじゃない、知らずにいたせいで何か余計なことをしたのかもしれない。知らずに余計傷つけていたかもしれない。すごくいい奴で色々気にかけてくれたのに、私はその彼に何をした……? 何をしてきた?

 動揺に指先が冷たくなっていく。


「っ」

 だが、不意にあることに気付いて、フィルは一瞬で全ての感情をぐっと飲み込んだ。

(泣くな、動揺するな、それだけはするな――泣けばきっとカイトはもっと困る。もっと居た堪れなくなる)

「……」

 引きつりそうになるのを全力で抑えて、口角を上げた。

 灯りはフィルの背後にある。自分の顔がその陰になっていて、彼にはっきりとは見えないだろうことを救いに思った。今の自分の笑顔の不自然さは、カイトのと同じだろうから。

「じゃ、望みどおりきっぱりふってやる」

 あっさりして聞こえるよう口にすれば、カイトは目を見開いた後、「ちぇっ」とおどけたように舌打ちした。

 それからどこか寂しそうに……笑った。笑ってくれた。

「……」

 その笑いの意味がわかって、目頭がじんとした。


 その後、どちらともなく傍らのベンチに腰を下ろし、しばらくボソボソと会話した。

 夏といえど、夜の公園は静かだった。時折恋人と思しき二人連れや、犬連れの人が無言で横を抜けていく。

 近くもなく、遠くもないカイトとの距離は昨日までと変わらない。内心で、それに泣きたくなるくらいほっとしている。


「大体、フィルが男のふりなんてしてたのが悪い」

「人のせいにするな。私は自分のことを男だなんて一言だって言ってなかった」

「そこは関係ねえ。お前が男以外の何かに見えるわけない」

「自覚はあるけど……それ、かなり失礼なこと、言ってるからな……?」

 思わず睨めば、カイトは小さく吹き出した。


 正面から吹いてくる夜風に前髪が煽られる。

「……まあ、もし女だって知ってたところで、アレックスには敵わなかっただろうけどな」

 その風に応じるように落ちた沈黙の後、「男の目から見たってむかつくぐらいいい男だし」とカイトは目線を遠くへ向けたまま呟いた。

「アレックスは最初からフィルだけしか見てなかったもんな」

(そう、なのか……)

「なんだよ、その意外そうな顔。おまえ、信っじらんねえっ、本っ当にあれに気付いてなかったのかよっ」

「……え、と」

「うわ、さすがにちょっと気の毒だ、アレックス。お前、鈍いにもほどがあるだろう、そこまで行くと犯罪だぞ、犯罪。前々から思ってたけど、その鈍さは女としてとかいう以前に、人としてどうかって話だ」

「犯罪、人として……」

 口をぱっくり開けた後、真剣にそう力説し始めたカイトに、フィルは頬を痙攣させる。

 それにしても、なんという扱い……『お前が私を好きというのは嘘だろう……』と少し思ってしまったのは仕方のないことだと思う。


「……ん?」

(待てよ。アレックス『は』? フィル『だけ』?)

 何かが引っかかってフィルは首を傾げた。そういえば、と眉根を寄せる。

「だけど、カイト。彼女、いつもいただろう?」

 レミアとだって、つい一ヶ月前まで付き合っていたと聞いた。

 フィルの問いに、横の彼は呻き声を上げた。

「そういうことを言うか、おまえは。この場面で……」

 言葉になっていない唸り声のようなものをあげたカイトに、フィルは怪訝な目を向ける。

 苦虫を噛み潰したかのような顔をしていたカイトは諦めたように脱力すると、搾り出すように声を出した。

「あきらめようって思ってたんだよ。他の子と付き合えば、それができると思ってた」

 苦しそうに呟き、彼は顔を俯けてしまう。再び重い沈黙が降りた。

「……カイト、」

 なんと返したらいいか、咄嗟に思いつかなかった。彼の横顔を凝視して、湧き上がってきた感情のまま、彼の名を呼ぶ。

 そして……、


「……ってえ!」


 ――思いっきり殴った。

 やたらと大きな音がしたのは、周りが静かだったせいだということにしておく。


「フィルっ! 何するん」

「――当然の報いだ」

 理解した。レミアが殴って欲しいと言った気持ち。

 カイトが殴られた場所を押さえる傍らで、殴った拳が痛んでいないか、確かめるように手を振る。

「おまえに苦しい恋心に対する共感ってもんはねえのかっ? しかも、平手じゃなくて拳かよっ」

 抗議の声を上げたカイトを、ぎろりと睨んで黙らせる。

「なくはないが、恋する女性の味方たれと祖母が言ったんだ――彼女たちの恋心はどうなる? どう考えてもおまえは女性の敵だ」

 断言すれば、カイトは顔を盛大に引き攣らせた。


「それに……」

 そこまで口にして、フィルは小さく息を吐き出した。

「大事な仲間がそんな馬鹿なことを繰り返していたと知ったら、怒りたくもなる」

(ああ、そうか、きっと私だけじゃない……)

 目を見開いて静止したカイトの顔を見て、そう気付いた。

 あんなふうに寂しそうに笑っていたレミアは、きっと全部知っていた。そして……理不尽さに怒ると同時にカイトを心配していたのだろう。彼女はそれぐらいカイトのことを大事に想っていた……――。

(一体どんな気持ちで、私に彼を殴れなんて言ったんだろう)

 そう思いついた瞬間、泣きそうになった。

 自分こそ辛かったはずなのに、詰っていいはずのカイトを同時に心配するって、どんな気持ちだった?

 どんな気持ちでフィルに向かってあんなふうに笑っていた? フィルのことなんて大嫌いだったはずなのに。

 何より……なぜ気付けなかったんだろう? 気付けていたら、こんなふうになってしまう前に、彼と彼女をこんなふうに傷つける前に、何とかできたかもしれないのに……――。


「……自業自得だ、思い知れ」

 なんでもないことのように聞こえて欲しくて、敢えてばっさりと言い捨てた。口にした瞬間に、自業自得は私のことでもある、と痛感して語尾が震えた。

 鈍いとは散々言われてきた。自分なりに一生懸命人のことを気にかけるようにしているのに、いつもうまくいかない。

 フィルの『普通』は、人の『普通』としょっちゅうずれる。アレックスやヘンリックのようにとまでは言わなくても、もう少し他の人の感覚や気持ちに敏ければ、それを使ってうまくやることができれば、こんなふうに人を傷つけることも減るはずなのに、と自己嫌悪が湧き上がってくる。

 情けなさのあまり震え始めた気管を意識して抑えつけた。動揺していることをカイトが知れば、多分もっと傷つける。


 ジト目を向けてみせるフィルを唖然として見ていたカイトが、くしゃりと顔を歪めた。

 それからその顔を隠すように、しゃがみこんで笑い出した。見えなくなる寸前の顔が泣き笑いだったことに気付かないふりをする。

「ほんと変なやつ。自分の趣味を疑っちまう」

「だから、それ、大概失礼だって言ってるだろ」

 むっとした顔を作ってぼやいた後、再び顔を上げた彼と視線を合わせて、一緒になってなんとか笑った。


 自然に笑えていたかどうかはわからない。レミアとカイト、それぞれの想いと思いやりが突き刺さって、吐きそうなぐらい自分の愚かさと無神経さが痛かった。



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