15-2.相方
「いや、どうせ異動するなら第九に。イェールズが抜けてからうちの戦力はがた落ちだ」
「待った、それならうちが優先だ。去年からオーウェンの分の補充を頼んでいるのに」
「うちのほうがバランスがいい。この間のソーバー邸の事件で容疑者を取り逃がしそうになっ――」
「がちゃがちゃうるせえな。フォルデリークは第二十。決定」
喧々諤々と言い合う声を濁声が遮った。
「レンセムっ、お前、横暴にもほどがあるだろうが!」
「そうだ、普通ならお前が小隊長に繰り上がるべきじゃないかっ。その上で、ボールドウィンでもシャムロックでも入れればいいだろう」
「……まあ、いいけど。その場合、『俺』がお前らの隊に仕事割り当てることになるなあ?」
現第二十小隊長補佐であるレンセムが、ニタリという形容がぴったりの笑いを顔に浮かべた瞬間、小隊長たちは一斉に口を噤んだ。
「……フォルデリークの方が絶対に人使い、荒くないな」
「……だな」
そんな囁きで場が決するあたり、レンセムの日頃の行いが知れるというものだ。
「……では、アレクサンダー・エル・フォルデリークについては第二十小隊への異動と小隊長への昇進ということで決定」
ポトマックは『実質、昇進ではないな。今度はまた別の苦労をするらしい……』と愛弟子を思って長息を吐き出しつつ、アレックスの異動についての議論を締めくくった。
恒例の幹部会議。本館の最上階にある会議室の円卓では、もう直やってくる新入団員の受け入れも視野に入れて、人事が議題となっている。
仕切っているのは副騎士団長のポトマックだ。参加者はコレクト団長と各小隊長及び補佐約四十名。
うだるような夏の午後、開け放した窓から時折吹きこんでくる風が、開けた襟元に心地よい。
「次は、その相方であったフィル・ディランだ。詳細な情報は今配布している資料にあらかた記してある」
「……」
フィルについてまとめられた紙を前に、普段くだらない軽口で賑やかな幹部たちの間に沈黙が降りた。
彼らの気持ちがわかる第一小隊のウェズは、隣に座ったイオニアと顔を見合わせて、人の悪く笑う。
「なんと言うか……厄介、だな」
困惑を含んだ第十小隊長の呟きを皮切りに、そこかしこからうめくような声が上がり始めた。
「まあ、見ていればわかるが、こうして改めて見ると……」と返したのは、グリフィス退治でフィルと任務を共にし、今は第五小隊長となったボルトだ。
「普通じゃありえないほどの頻度で事件に関わっているように思うんだが……?」
そう呆れ声を発したのは第三小隊長のカーラン。
「なんでだかトラブルに好かれるんだよなあ」
「いつの間にか巻き込まれてるから」
だからこそ面白いんじゃねえか、とぼそりと漏らしたウェズのすぐ横、第七小隊長が顔を引きつらせた。
「剣、槍、弓、ナイフ、短刀……武器を扱わせれば、どれも一流。確か馬も得意だったな。あとは尾行もお手の物、か」
「どんな環境で生きてきたんだかなあ」
露骨な呆れが漂う室内で、比較的癖の強い小隊の長が名乗りを上げた。
「うちに回してもらえませんか?」
「それならうちの方がいい」
そう言ったのは、遠撃・遊撃を得意とする第二小隊の補佐と、諜報を手掛ける第十七小隊長アイザック。ここ最近人材不足で悩んでいる二人だ。
「駄目だろ。そりゃあ、弓やナイフもいいかもしれんが、あいつ、『動いてない的を狙うのは不得意』なんて物騒なこと言ってたぞ」
「それに、あれだけ目立っていて今更諜報なんてのも無理だ」
「「考えなしだし、常識もないし」」
だが、ウェズとイオニアは間髪を容れず声を揃えて返す。本心はアレックスを取られた上に、フィルまで持っていかれて堪るか、というところだ。
「将校としても扱い難いタイプだな」
用兵の実践訓練での成績を示す紙をめくりながら呟いたのは、メッセンの後を継いで第四小隊長となった、これまた名将と呼ばれるニゼット。
「……かなり偏っていますよね。ある時は大勝、ある時は惨敗も惨敗」
「対ロデルセンなどの戦績が悪いのは……」
「直感だよりだから、基本に忠実な戦略に弱い」
「……逆に遊撃や奇襲などの時の戦績は圧倒的」
「勢いと勘で攻めるのが得意だから」
我が意を得たりとばかりに、それぞれ断言したウェズとイオニアに、ほとんどの幹部たちは微妙な顔で口を噤んだ。
「く、くくく、そっくりだな」
「ああ、生き写しだ」
「一体どんな教育をなさったのだか」
そんな中、年長の幹部たちが小声でなにやら囁き、ポトマックがその鉄面皮を緩める。
が、彼はすぐにもとの表情を取り戻して、低い声でその話題を閉めた。
「まあ、そういうことだ。フィル・ディランの第一小隊からの異動は、見合わせることとする」
つまり第一小隊はそういうところだと言われたわけだが、当の責任者たちにとってそれは不名誉な判断ではないらしい。ウェズは机の下で「よしっ」とばかりに、イオニアと手を叩き合わせた。
「いいのかそれで……」
「お前ら、相変わらずだな……」
他の幹部たちのぼやきを気にも留めない、それこそが第一小隊を第一小隊にしているものの正体だ。
* * *
「けど、一任するって言われてもなあ」
「まあ、確かにうちが一番よく知ってるけど、」
「「フィルの扱いにくさ」」
他の幹部たちと一緒に会議室から出、ウェズはイオニアと共に盛大にため息をつく。窓越しの赤い光を受け、元々の赤毛が今は朱金に輝いていた。
「使えない奴ってわけじゃ間違ってもないんだけどなあ、扱い方のポイントが人とずれまくってんだよな、あいつ」
「で、基本の能力が低くない分だけ、扱い方を間違えた時の被害も大きくなる、と」
「いっそ外から引っ張るか?」というウェズの提案に、イオニアは一瞬考えた後、顔を明るくした。ウェズはウェズで、その顔に思いあたるところがあったらしい。二人は「「ヘンリック・バードナー」」と仲良く声を揃えた。
「あれはいける。うちの面子にもひかないし。大体フィルの親友って時点で素質は十分だ。あの突っ込みのキレは捨てがたい」
横を歩く他の幹部達の「能力の話じゃないのか……?」とのぼやきを気にも留めない、それこそがウェズが第一小隊長たる所以。
「剣の守勢が強いのも魅力的だし、成長著しいし、何より世慣れている。フィルと組ませれば、更に化けるかも」
ウェズより幾分常識的なイオニアはそのフォローに走る、それこそが彼が補佐たる所以。
「駄目だぞ。三年前にザルクを持っていっただろう? 獲るなら今度は他から獲れ」
ヘンリックの所属する第三小隊のカーランが、背後から慌てて寄ってきて厳しい顔をした。
「ちっ」
「駄目か」
そこに夕刻の就業時間の終了を知らせる鐘が鳴り、幹部たちはおのおのの事情に合わせて散らばっていった。
「アレックスを持っていかれたのは……きついなあ」
人気の途絶えた夕刻の廊下で愚痴を零すウェズに、イオニアが苦笑した。
「納得ずくだろう? アレックス、成長……ってか安定したもんなあ、精神的にさ」
イオニアの感慨を含んだ呟きに、ウェズは複雑な顔で呻く。
「優秀な奴だから、こうして落ち着いてくるとどこだって欲しがるだろうとは思ってたけどな。なんせフィルは余計なことをしてくれた……」
「ちょっと寂しいよなあ、うちの看板の一人だったのに。第二十小隊なんてアレックスの行き先としてはまさにうってつけだとも思うんだが……」
「お、問題の奴だ。あいっかわらず人の気も知らずに能天気な……」
「おーおー、楽しそうに」
日の暮れていく鍛錬場に目をやれば、時間を過ぎたというのに、観戦する周囲を気にも止めず、アレックスとフィルが剣を突き合わせている。
毎回のことながら、普段の柔らかい空気はどこへやら。真剣を使用した、一歩間違えば大怪我という激しい剣戟を目にして、ウェズは息を吐き出す。
入団当初は、実践はいわずもがな、稽古においてもフィルのほうが圧倒的に強かった。だが、元々筋力と体格は桁違いにアレックスが有利、そこに加えて、彼の技量が飛躍的に増してきたことで、最近ではフィルが追い詰められることも少なくない。だが、それすらも当のフィルは嬉しくて仕方がないらしい。好戦的に笑っている。
「問題は突出した強さ」
「それからあのおかしな性格、というよりむしろ性質」
本人が聞けば、「獣ですか、私は……」と呻くこと請け合いのセリフを二人は真面目な顔で呟く。
「ふらふらと危ない臭いのする方へ引き寄せられて行くからなあ」
「あのアレックスでも苦労してた奴をどうするかなあ。そりゃあ前に比べりゃまだ世慣れてきたけど」
珍しく途方にくれたという顔をしたウェズに、イオニアは吹き出す。それを睨んでから、ウェズは人悪げに笑った。
「お前やれ」
「無理」
「即答かよ。お前ならあいつの強さにも伸びにも付いていける。アレックスにでもお前付き合えたじゃねえか」
「アレックスは予測可能な動きをするけど、俺にフィルはさっぱりわからん。見てる分には笑えるけど、相方は無理」
「……」
「な?」
二人でため息をつく。
「強さ、技量のバランスでいけば、ザルク、ヘルセン、オッズ、ミルト……いつもの面子だな」
「ザルクは多分俺と同じだな」
「ヘルセンも駄目だろう。オッズでさえきつそうなのに胃に穴を開けるぞ、きっと」
「あいつ、結構繊細だからな。てか、そのオッズならいけるんじゃねえ?」
「……いける、とは思うが、あいつ、年くって世慣れてるだけで、深く考えないとことか、基本的な部分はフィルにそっくりじゃねえ? だからアレックスが気を許すんだ」
束の間口を噤んだ後、ウェズは首を捻った。
「……つまり、どっちもフォロー役にならないって?」
「フォローがないだけならともかく、何かの時に歯止めをかける奴がいないってこと」
肩を竦めたウェズに、イオニアは眉をしかめる。
「だが、花祭りでイラー・デンと会った時は、オッズがフィルを諌めたと聞いた」
「あー、そんな話になってるらしいな。けど、オッズがしたのは、フィルがイラー・デンと直接衝突するのを止めただけ」
「……は?」
「あいつ、フィルがもめてる横で、奴らの懐、すってたんだよ」
「すったあ?」
イオニアはぱっくりと口を開けた。「あいつ、一応騎士だろう……」という呻き声が続く。
「フィルも気付いてたみてえだけど、終始知らん顔してたぞ。イラー・デンたちがいなくなった後、オッズが財布の現金を抜いて、店主の釣り銭箱の中に滑り込ませてた時も」
「フィルとイラー・デンだろ? イラー・デンに怒ってて、それどころの気分じゃなかっただけじゃねえの」
「どうだかな。フィルはフィルで、空になった財布を『迷惑料回収終了』ってオッズから渡された瞬間、躊躇なく運河に投げ捨ててたし、その後、『よし、これで証拠はなくなった。あんな奴ら、せいぜい苦労すればいい』とか言ってたし」
「……お前、全部見てたんだな。で、止めなかったんだな?」
「おう」
イオニアは「お前も同類じゃねえか……」と脱力した後、笑い始めたウェズにつられて苦笑を零した。
「責任がなきゃ、楽しく見てられるコンビになるんだがなあ」
「嫌だなあ、損だなあ」
二人そろって愚痴をこぼした。あれが毎日になったら、責任を取る立場にいる自分たちは流石にまずい。
「となると……ミルトだな」
「まあ、大人だからな。大らかで柔軟、気性も穏やか」
「何より既婚者で超のつく愛妻家だ」
「独身の男なんかを下手にフィルにあてがったら、毎日真冬になるからな……」
二人は再びため息をついた。視線の先から響いてくる金属のかち合う音は徐々に激しさを増していき、止まりそうな気配はない。
「――待て、案外目下を任せたら、フィルもしっかりするんじゃないか?」
「それはまた大っ胆なギャンブルを……」
「他の小隊で、フィルより目下でめぼしい奴……」
二人は、剣を振るうフィルを顔を紅潮させて見入っている少年に目を留めた。
「「ミック・マイセン」」
だが、その名が出た瞬間、これまで論調をあわせていた二人の間に溝が出来た。
「それ……実行する気なら、お前の一存だって公言してからにしろよ? 俺は嫌だ。妻も子もいるんだ、凍死したくはない」
「イオニア、てめえ、補佐だろうっ、裏切る気かっ」
「便宜的に、だ。そんな危ない橋まで渡れるかっ」
「それでも勇敢なる騎士の一員かっ、危険を前に逃げ出すとは」
「結果がわかっている危険につっこむ事は勇気じゃない、無謀というんだっ」
「それでも第一小隊の一員かっ、こんな面白そうな話をみすみす見逃すなんてっ」
「……っ」
「毎日オモチャでいっぱいになるぞ」
「……」
「フィルとミックだ。あのアレックスがどう反応するか……?」
「それは……見たい」
「では、この場で」
「「!!」」
二人の会話を遮ったのは冷たいことこの上ない声――時は爽やかに夏。そんな季節を一切無視してそこだけ真冬。
声の方向に恐る恐る顔を向ければ、いつの間にか稽古を終えたらしいアレックスが、凍れる冷気とともに無表情に立っている。その背後では事態をつかんでいないらしいフィルが、ぎょっとした顔でアレックスを見上げていた。
「ア、レックス……」
「ご、誤解だ、俺はウェズをちゃんと諌めようと……」
「き、きたねえっ。最後にはおまえだって、『見たい』って言ったじゃね――」
「どちらでも構いませんが、」
底冷えのする声でアレックスはあからさまに上司を遮った。
向こうで顔を青ざめさせているフィルの強張った表情は、きっと今の自分達と瓜二つ……。
そう実感して、ウェズとイオニアは無意識のまま音を立てて口内に溜まった唾液を飲み込む。
「面白半分に相方を決定して、フィルを危険に晒すようなマネは……」
「「ないっ、ないないない絶対ないっ」」
「……」
「いや、まじで。言ってみただけだよなあ、イオニア」
「あ、当たり前だろう、アレックス」
「「俺たちがそんな不埒な真似をするわけがないだろう?」」
声をぴったり揃えた二人に、『するだろう』とアレックスが白い目だけで返事をした気がしたのは気のせいではない。
* * *
――その一週間後。
(確かに、面白半分にフィルの相方を決定するなとは言った。だが……)
「フィルさんっ、これでずっと一緒にいられますねっ。しかもフォルデリークさん抜きでっ」
「ミック……ここに異動になったの?」
フィルに駆け寄るミックを見て、アレックスはウェズたちを睨む。
「だって相方はなあ、手堅くミルトだし」
「その他の危険までは知らないよなあ」
そう言ってニヤニヤ笑う小隊の仲間とも今日で最後。
「まあ、所属が変わったって会えなくなる訳じゃなし」
「おう、まだまだ遊ぼうな、アレックス」
「いつでも来い、訓練の相手だっていつでもしてやるから」
「お前なら二十でもやってけるだろうけどさあ、つまんねえなあ、お前が抜けんの」
「俺らこき使うなよ、なんかの時は助けてやるけど」
「……」
ワイワイと声をかけられて、複雑な気分になる。
入団して既に六年、周囲から浮きまくっている間も彼らだけはアレックスを気にかけ続けてくれた。あんなふうだったし、未だにこんなふうだが、そこに心配が入っていることも知っている。
(惜しむべきか、せいせいすべきか……)
結局半々ということで決着させた。
ちなみに、
「本当にアレックスと離れてしまうんですね……」
異動や昇級などを知らせる通知を手に、自室でどん底まで落ち込むフィルを抱きしめて、アレックスが幸福に浸ったのはここだけの秘密。