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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第2章 浸透
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2-7.好き?

 宿屋兼食堂リアニ亭の常連、花屋のリンと飲み屋ジェットは六つ年違いの幼馴染だ。

「デートしよう、ジェット、明日店、休みなの」

「ガキは相手にしない」

「ちょっとっ、私のどこがガキなのよ、もう20よ? この出るとこ出た色っぽい体に向かって、よくそんなこと言えるわね!?」

「……出るとこ、ねえ。単に食いすぎたんじゃね?」

「っ、さいってーっ!!」

 なんだかんだ言って仲良しに見えたし、好き合っているようにも見えたのに、こんなやり取りをいつも繰り返していた彼ら。怪訝に思うフィルに、リアニ亭の女将さんは言ったものだった。『好きな子ほど素直になれないって典型なんだろうけどね……』と。


 ――翻って考えるに。


「さっさと出てけよ、高貴なお貴族さまが、わざわざこんなやばい場所にいるこたねえだろうが」

 今日も飽きもせず、馬鹿の一つ覚え(注:オッズ語録)のように、アレックスに絡んでいるスワットソン、あれもひょっとして同じなのではなかろうか? 

 だって、スワットソンは多分そんなに悪い人ではないと思うのだ。彼は今なお、『世間知らずで横暴な貴族』とフィルにも絡んでくるけれど、それにしたって解けない疑問を日々増やしていってくれるだけで、取り立てた害は無い。

 害が無いのはお前が鈍いからだ、とウェズ小隊長は言っていたけれど、練習に誘えば、なんか良くわからないことを言っても結局付き合ってくれるし。


「……そうか、実は好きなんだ」

 誰が聞いても違うだろうと言うこと――そんなことを思いついてフィルが1人納得してしまった、今年最初の霜の降りた、寒い冬の朝。



「統制経済の弊害は、生産性を損なうことにも顕著に現れ……」

 試験を考えれば後で泣く羽目になるのだろうけれど、苦手な経済学の講義は今日もフィルの耳を右から左に抜けていく。抑揚のない講師の声を背景に、逃避を兼ねてフィルは自分の相方であるアレックスに思いを馳せる。

 飛びっきりいい人なアレックス。迷子になった時見つけてくれるのはいつも彼で、皆の会話がわからない時に最初に気付いて教えてくれるのも彼だ。フィルが誰かに聞かれたくないことを訊かれて困っていると、別の方向に話題を変えてくれたりもする。何かを失敗した時は助けてくれるし、落ち込んでいると慰めてくれて、何がどうして悪かったのかちゃんと説明もしてくれる。一緒にいてほっとして、目が合うと嬉しくなる、そんな大好きな人だ。あのアレク似の顔で笑ってくれると本当に嬉しいし、めちゃくちゃ幸せな気分になれるし、何とか少しでもお返しをしたいと思う。


「となると次の目標はやっぱりスワットソン……」

 立てた教科書の陰で、フィルは目を鋭く眇める。

 目標を決めるだけ決めて、やはり計画は立てられない。それがトラブルの元に、そして、アレックスの頭痛の種になることにフィルは未だ気付かない。



 そうして、退屈な講義を終えての昼休み。昨日の講義で居眠りをしていた同期に頼まれて、ノートを取りに部屋に戻ってから食堂に向かう途中、フィルは黒色の制服が宿舎の裏でかがみこんでいるのを見つけた。

「あれは……目標じゃないか」

(やっぱり悪い人じゃないよね? ほら、今だって小さな女の子を前に困った顔をしている)


「ふむ。決意の直後の遭遇。こんな偶然はきっと亡くなった爺さまが頑張れと言っているに違いない」

 本人が聞いても、きっと首を勢いよく横に振るであろうこと――そんなことを思いついてフィルが1人納得してしまった、少しだけ寒さの緩んだお昼時。



* * *



「おいっ、お前っ」

 そう怒鳴りながら、昼食時の食堂に駆け込んできたのはスワットソンだった。

 その様子にアレックスは両眉を跳ね上げる。いつも皮肉な感じで、どこか冷めている物腰の彼には珍しい様相だったし、自分に向かって声をかけてきたように見えたから。もちろん瞬時に気のせいだと悟り、後ろを振り返ったのだが誰もいない。

「なんだあ、スワットソン?」

 眉を顰めたアレックスに代わって返事をしたのは、共に食事を取ろうと横に座っていたオッズだ。

「お前だ、フォルデリークっ」

「はあ?」

「……」

(……俺、か?)

 思わず唖然としてしまったが、彼はアレックスのそんな隙すら、今は気にならないらしい。

「あいつ、フィル・ディランっ、あの馬鹿止めてくれっ。本館の外壁、自分なら登れるからって、聞きゃしねえ」

 フィルと聞いた瞬間に立ち上がっていたアレックスだったが、そこで静止した。色々な衝撃に見舞われている気がするが、とりあえず当面の問題は、

「……がいへき?」

(って……外壁、か……?)

 オッズの呆気にとられた顔もスワットソンの慌てた顔もそうそう見れるものじゃないな、などと思っているこの思考はきっと現実逃避だろう。

「……っ」

 そして、アレックスはコンマ数秒の後に「何をやってるんだ」と呻きながら、駆け出した。


(――いた)

 スワットソンと共に駆けつけた先で、アレックスはフィルの姿を認めて蒼褪める。

「お兄ちゃん、もうちょっと左ーっ」

「このへんー?」

「行き過ぎー」

「ここはー?」

 5階建ての騎士団本館の西端には塔がそびえていて、その頂きには時刻を知らせる鐘楼がある。銅製の巨大な鐘が覗いている部分、当然普段は立ち入り禁止の場所になぜか人の姿があるのだが、それがどう見ても自分の大事な、大事な相方兼想い人に見える。

「フィル……」

 その光景にアレックスは顔を盛大に引き攣らせた。


 フィルに向かって叫んでいた年の頃六、七つの少女がスワットソンに興奮気味に話しかけてきた。

「あ、おっきなお兄ちゃん、見て、あと少しなの」

「ほんとにやりやがった……しかも、もうあんなところまで……何考えてるんだ……」

 青い顔をしながらフィルを見上げ、スワットソンが呆然と呻く。

「一体どうなってるんだ?」

 追いかけてきたらしいオッズが、アレックスが聞きたくて聞けない質問を彼にしてくれたが、答えたのは目の前の小さな少女だった。

「帽子を取ってくれるって」

「っ!!」

 フィルが柵部分に足をかけて、塔の屋根の上に身を乗り上げようとしているのを見、アレックスは再び走り出した。




 塔の鐘が吊るされた場所からさらに上方、屋根に上がろうと柵の上に身を乗り出して、フィルは手をかける場所を見定める。強めの冷たい風が髪を乱して、不規則に視界を阻むのが鬱陶しい。ブーツを脱ぐと、風が治まったのを合図にフィルは柵に足をかけた。

「よっ」

 柵の上でジャンプして、庇に両手で捕まると、屋根へと身を躍らせる。

(……あった。“白地にピンクのリボンの付いた、ふわふわの可愛い”帽子、これだ)

 あの子は騎士団の敷地に入り込んだところをスワットソンに見つかって、姉だけがもらったそれが羨ましくて持ち出してしまった、被って少しだけ友達に自慢したら返すつもりだったのに、風に飛ばされてしまった、と彼に泣きついたらしい。

「新しいの、買ってやるから」

「だって外国のお土産だって……」

「うー……」

 そんなスワットソンと少女のやり取りを思い出して、フィルは笑った。困っている女の子と、その子ゆえに困っているスワットソン。やはり彼は悪人というわけではない。

 なら、彼の役に立てば、フィルはスワットソンともっと仲良しになれて、そうすれば、彼はアレックスとも仲良くなるのではないか。


「爺さま、巡り合せって素敵です」

 本人が聞けば、「そ、そうか?」と顔を引き攣らせるだろうこと。

「ふふ、アレックス、喜ぶかなあ……」

 本人が聞けば、空でも見上げて現実から逃避を図るであろうこと。

 そんなことを思いついて、フィルが1人にこにこ笑ってしまった、ちょっと風の強くなってきた昼下がり。


 フィルは足の裏で傾斜の強いスレート屋根を慎重に捉え、さらに片手で身を支える手助けをする。それからもう片方の腕をその帽子に伸ばして掴み、あらかじめ開けておいた上着の胸元に突っ込んだ。下から少女の歓声が聞こえた。

 そうして、その手を足元に戻すと、再び両手で庇部分を握った。両手に力を入れて体を支えながら慎重に片足を抜いて空中に落とし、さらにもう片足。

(うわ、まずい……)

 手のひらから汗が滲み出てきた。足はまだ柵に着かない。

(このまま手が外れてしまえば、落下するしかない。反動をつけて、一気に鐘の方へと飛び降りるか)

 そう考えた瞬間、ずるっと右手が滑った。


(――落ちる……っ)

「……っ、!?」

だが、重力のまま落下するはずだった体は、途中で方向を変えた。

「……え、あ、あれ……あ、アレックス」

 冷や汗と混乱、安堵でごちゃごちゃのフィルの身は、背を対方の柵に預ける体勢になった彼の体にすっぽり包まれている。

「……あ」

 またやってしまった、どうやら自分はアレックスにまた助けられたらしい。そう悟って、謝らなくては、と思うのに、声が出てこなかった。

 鼻腔に届くのは、知っているのに知らない匂い。自分が顔を押し付けているのは、自分とは違う堅い胸板。そこから響いてくる若干速い呼吸の音と、微かな汗の香り。

「怪我はないか」

「っ」

 それらと共にぎゅっと抱きしめられて、心臓がきつく収縮した。

「……フィル」

「あ、はい」

 なぜか声が上擦ってしまっている。それに心臓が痛い。

「……危ないだろうっ」

「うっ」

 なるほど、怒られる直前のドキドキだった。そう理解してフィルは顔を引きつらせる。


「ああああの、ぼ、帽子を……」

「聞いた。だが、やめてくれ、心臓に悪い」

「あ……ご、ごめんなさい」

 さらに強く抱きしめられて、微かにあった自分と彼の距離が限りなくゼロに近づいた。

 自分の耳に明らかに異常な心音が響いてくる。アレックスの声から怒りは既に消えたと言うのに、心臓の鼓動が元に戻らない。

(どうしよう、怒られてるからじゃないかも、心臓がおかしい……)

 「フィル」ともう一度、耳元で名を呼ばれて、体が震えた。直後にアレックスの体がわずかに離れる。

「っ」

 ひどく真剣なアレックスの青い目に顔を覗き込まれた瞬間、止まるかと思うほど強く心臓が収縮した。

(医者に行った方がいいかも……)

 働きを失っていく思考の中でそんなことを思う。

「……」

 アレックスの顔が近づいてくる気がする。それを瞬きすら忘れたまま見つめ……、

「――ディラン、ちょっと来い」

「う゛」

 塔内部へと続く階段から響いた低い声に、フィルは別の意味で硬直した。


 慌ててアレックスから離れてフィルは青くなる。そう、そこにいらしたのは、かの鬼の副団長こと、ポトマック。

「か、鍵、開いてたんですか?」

 激怒していると肌で感じた瞬間、フィルの口は小言を回避しようと関係のないことを紡ぎ出した。我ながら姑息だ。

「普段は閉まっている。アレ……フォルデリークが先ほど取りに来た」

 ――失敗。余計怒気の強度が増した。

 フィルはガクリと頭を垂れると、ポトマックに承諾の返事を発して立ち上がる。

 これで晴れて呼び出し7回目、新人記録更新中らしい。つまりは、今日も小隊の皆を喜ばせることになるのだろう。


「?」

 アレックスへと視線を移したポトマック副団長が、怪訝そうな顔をした。

 フィルもつられてアレックスを見、副団長の表情の意味を理解した。アレックスは形容し難い表情をしていて、なんだか元気がない……?

「アレックス、どうかしましたか」

「……」

 無言のまま自分を見た彼に、フィルは「はっ」と悟った。

「だ、大丈夫です、今回はご迷惑にはなりません! アレックスは助けてくださっただけです、何の責任もありません、悪いのは完全無欠に私ですっ」

と勢いよく副団長に告げれば、珍しく副団長は溜め息をついた。

「……苦労するな」

 それにアレックスが顔を一瞬引き攣らせてから、赤くなった。……なんだろう、なんだか仲良しな空気だ。


「とにかく、ディラン、来い」

「う……はい。あー、アレックス、これあの子に返しておいてくれませんか」

 帽子をアレックスに渡すついでに思いついて、いつもポケットに入れている飴を取り出し、そこに忍ばせた。

(うん、お姉ちゃんと仲直りするといい。ついでにアレックス、スワットソンとも話さないかな。飴、あげてみても……意味ないだろうな。相変わらず世の中は難しいよ、アレク……)


「ありがとうございました、アレックス」

「……いや」

 彼の目を見てそうお礼を告げると、アレックスは苦笑してくれて、それからやっぱりちゃんと笑ってくれる。その笑い顔が優しくて好き。

(……好き? ……うん、好き。ポンポンと頭を叩かれるのも、目の端だけで笑ってくれるのも、瞳の色も、全部好き)

「……よし」

 なんだか元気になって、これで小言にも耐えられる、と思いながら、フィルは副団長の後を追った。

 刺すように北風が頬を撫でていくというのに顔が熱い気がするのも、やっぱり怒られる前の緊張なのかな、とちょっと不思議に思いながら。 


 ちなみに――、

「助かった、ありがとう」

「っ、……別に。お前に礼を言われる筋合いなんてねえ」

 そんなやり取りが塔の下でなされていることを、ポトマック副団長の圧倒的な怒気を前に固まっているフィルは知らない。

 もう一つ、ポトマック副団長の説教が終わった後、結構常識のあるらしいスワットソンにまで怒られることも、それを見てアレックスがこっそり笑うことも、フィルはまだ知らない。



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