15-1.異動
「異動の話ごと辞退いたします」
「……フォルデリーク、それは認められん」
アレックスは眉間に深く皺を寄せ、硬い声で断りを口にすれば、同じ顔と声でポトマック副騎士団長が却下を告げる。
騎士団副団長であり、しかも大恩ある師でもある彼の言葉と承知していてなお、舌打ちを零しそうになった。
呼び出されてカザック王国騎士団長の執務室を訪れれば、そこにいたのは部屋の主の団長と副団長、アレックスの上官であるウェズ第一小隊長、そしてついに引退を決めたという第二十小隊長と、レンセム・ゴードルック補佐だった。
前置きもそこそこに、その場でアレックスは現所属から第二十小隊への異動を告げられた。しかも小隊長という最悪の処遇で。
第二十小隊――騎士団の頭脳と言われる集団だ。集められた情報をもとに作戦を立て、他の小隊に割りあて指揮する。当然仕事内容は過酷で責任も重大――というだけで騎士ならば皆顔を引きつらせるというのに、その上小隊長――国王と並んで、この世で最悪の仕事のひとつだと思っているのに、誰が唯々諾々と引き受けるか、とアレックスは視線を尖らせる。
「フォルデリーク、お前、出世を望んでいたのではなかったか?」
中心の机に座している騎士団長が戸惑いを露わにする。
アル・ド・ザルアナックに憧れ、騎士団に入団した最初の貴族でもある彼は、他の面子と比較すれば明らかに癖のない人物――この話の首謀者では絶対にない。
「……」
だから、彼の質問には沈黙を通した。不遜は承知だ。
確かにアレックスは出世を望んでいた、昔は。自分には継ぐべき家も爵位もないから、さっさと出世でもしてそれなりの地位と影響力を騎士団内で手にしなければ、フィル、つまりはザルアナック伯爵家の一人娘を妻にすることなど出来ないと考えていた。
そもそも騎士団を選んだのは、自分が強くなるために最善の場所だったからだけではない。ザルアナック伯爵家の政治力は既に十分なほど高いから、フィルの父親である伯爵は他の貴族と縁付くことより、騎士団、即ち軍への影響力を維持できる選択により魅力を感じるだろうと踏んだからだ。
だが、蓋を開けてみればどうだろう。
その騎士団で思わぬ形で再会した、成長したフィルは、それこそ相変わらずというべきなのかもしれない、アレックスの予想を軽く超えていた。
貴族たちがこだわる爵位はおろか、大抵の人間が価値を見出す金銭にすら興味はない。ただでさえ逞しかった彼女はさらに逞しくなっていて、今やどこででも生きていけるまでになっている。
勘当されたというのを差し引いたって、彼女が今更伯爵の庇護を必要とするとは思えない。
正直な話、『彼女に婚姻を申し込むのに伯爵の許可を得る。そのために……』などと考えていたアレックスは、まだまだフィルをわかっていなかったと思う。
その彼女がアレックスに『地位』と呼ばれる類のものを望むだろうか?
答えは否。そんなことを訊こうものなら、きっと思いっきり眉を寄せて首を傾げるのだろう。
大体幸せなことに、彼女は既にアレックスの腕の中に身を寄せてくれているのだ。彼女が特に望まないものを、彼女との時間を失ってまで望む理由はアレックスには欠片もない。
「承服しかねます。私ではなくレンセム補佐が適任かと」
その場に立つ、エラの張った顔の四十前後の大柄な男を見る。いや、正確には睨んだ。階級的にも役職的にも上、さらに先輩にもあたる彼に対しての態度としては無礼極まりないが、彼の顔を見た瞬間、こいつが元凶だとわかったのだから、それもやむを得ないというものだ。
「いやあ、俺はそんな柄じゃなくってなあ」
「レンセム補佐が向かないと仰るものが、私に可能だとは思いません」
「謙遜するな。お前なら誰も文句は言わんって。俺はほら、最近、左手の神経痛に悩まされるようになっててな」
「知り合いに神経に詳しい医師がいますから、紹介しましょう」
いざとなれば、王宮付きの典医を紹介してやる、リックを脅してでも。
「……最近子供がよく体調を崩して付いていてやんなきゃならなくてなあ」
「何をしんみりした顔でもっともらしく仰ってるんです? 子供どころかそもそも独身でしょう」
「……小隊長だぞ、その年で」
「この年だからこそ嫌なんです」
「責任もやりがいもある仕事だ」
「そうお思いならご自分でどうぞ」
「馬鹿、第二十小隊の隊長なんて仕事は多いし、神経使うし、給料はさほどかわんねえし、ろくなもんじゃねえ」
「それが本音か……?」
「ちっ、やっぱりかわいくねえ」
「当たり前だ」
最後には敬語も忘れて、睨み合うことしばし。
横には、「私はそんな仕事を二十年もしてきたんだがなあ」と嘆く第二十小隊長。
その傍らでポトマック師が溜め息をつき、コレクト団長が呻き声を上げる。ウェズ小隊長だけは笑っていたが。
「お前の本音はフィル・ディランだろう? あれと離れるのが嫌。違うか?」
「……」
ふっと息を吐き出した後、身を寄せてきて小声で囁いたレンセムを睨みつける。
当たり前だ。本音を言えば、フィルが自分以外の男と組んで一緒に街中を歩くなんて、想像するだけで腹立たしい。
(大体、目を離したらフィルのことだ、何をするかわからない。おいそれと側を離れたりなどできるか)
彼女の安全のためにも、やはりどうしてもこの話に乗るわけにはいかない、とアレックスは決意を新たにする。
そのアレックスへと、目の前のレンセムが目を眇めた。
「お前が二十小隊に来ない気なら、代わりに第四小隊のボールドウィンが来る」
「……それが?」
「そうなると戦力の落ちる第四に異動になるのはフィル・ディラン、だな」
「っ」
別所から響いた声に振り返れば、視界に入ったのは引退目前の白髪の現第二十小隊長。さっきまで余裕の顔をしていたウェズが、傍らで慌てたように「はあ?」と声をあげている。
「いいか、フォルデリーク。どの道おまえとディランとのコンビは解消」
「ちょ、ちょっと待った。そんな話は聞いてな――」
「「今決めた」」
あのウェズの抗議を堂々と無視する辺り、第一小隊以上に傍若無人と評判の第二十小隊に相応しい。
「ディランを新しい環境に移すのがいいか、それともお前が動くのがいいか」
「すべてはお前次第だ、フォルデリーク」
狸と評判の第二十の二人は十五年以上のコンビに相応しい、嫌な息の合いようを見せる。
「第四といえば、カイト・エルデート。それからエマーニル・デンホニ、後はミシェット・クーロウズ……」
「っ」
(全部フィルに気のある奴らばかり……)
顔を引き攣らせたアレックスに、「さあ、どうする?」と二人は悪魔のような笑いを見せた。
その背後では、師が呆れたように息を吐き出している。
* * *
結局――アレックスは白旗を揚げる羽目になった。
(フィルが今の時点で、第一以外でやっていくのはおそらくひどく厳しい……)
他の小隊にはフィルの性格もだが、あの能力についていける者が少ない。一人突出した強さは集団のバランスを崩してしまうし、そうなれば集団だけでなく、フィル自身にも危険が及びかねない。
(まあ、第一であれば気心も知れているし、フィルに他心があるような奴もいない。ウェズもいるし、オッズもいるし、イオニアだっている……)
そう自分で自分を慰めて、アレックスは自室へと戻る足が止まりそうになるのを叱咤した。
夕刻の闇に染まった廊下は、自分の気分と同じくらい薄暗い。
「あ、お帰りなさい、アレックス。お話、なんでした?」
「……ただいま」
自室の扉を開いた直後、フィルが奥から駆け出てきた。目が合った瞬間、綻ぶかのように笑った彼女につられて微笑む。沈んでいた気持ちが少し上向く。
「アレックスだから、怒られるようなことはないだろうし……って、ア、アレックス?」
近づいてきた彼女の腕を引き、抱きしめた。
顔を埋めた彼女の髪から甘い香りが香ってきて、それに促されるまま、彼女の淡く色づいた唇へとキスを落とす。
啄ばむようなそれを幾度も繰り返し、そして、もう一度ぎゅっと抱きしめ、息を吐いた。
視界に入る金の髪、柔らかい体の感触、甘い香り、伝わってくる熱――相方を解消することになったって、フィルが自分のもとから去る訳じゃないし、この空間が失われる訳じゃない。そうわかってはいるのだが……。
「ええと、アレックス?」
好きで好きでどうしようもなくて、ほんのわずかな時間でもフィルが自分の目の届かないところに行くのが嫌――そんな子供のような独占欲に自嘲を漏らした。本当に重症だ、と。
(だが、実際のところこれまでが例外だっただけで、この先、四六時中一緒にいられる保証はない――)
そう思いついた瞬間、フィルの背に回した腕に力が篭った。
「……夕飯は食べたか?」
「? いいえ、一緒にと思って」
腕の中で自分を見上げ、怪訝そうな顔を見せたフィルをじっと見つめる。
アレックスにとっては相変わらずのことだが、かわいくて仕方がない。
彼女に焦がれて、欲しくて欲しくて仕方がなくて、強くなろうと、大人になろうと必死だった。幸運にも望み叶って彼女を手に入れることができたわけだが、それに甘んじてその努力を放棄する訳にはいかない。
そんなことをフィルはきっと望まないから。そして、二人でもっと強くなろうと誓ったから――。
額にキスを落とし、改めて目を合わせれば、フィルが照れたように笑った。
(少しぐらい離れていても大丈夫だと思える、そういう関係にしていく時が来ているのかもしれない。そうして見えてくる事だって、成長する事だってきっとあるのだろうから)
「……なるほどな」
「? 何がなるほどなんです?」
「悪い、こっちのことだ」
師やウェズ小隊長が、今になってフィルとの相方の解消を言い出した理由がわかった気がして、アレックスは苦笑した。
「今日は外に食べに行かないか?」
アレックスの誘いに、不思議そうな顔をしていたフィルが途端に目を輝かせた。
「「ケーキ!」は食事の後だ」
アレックスに被せ気味に言われて一瞬むっとしたくせに、フィルは剣を取りにいそいそと部屋に戻っていく。そして急いでブーツを履き始める彼女に、やっぱり笑ってしまった。
「きっと大丈夫」
戸を開いてフィルを先に部屋から出したアレックスは、その背を見つつ、確かめるように独り言を呟いた。
(離れている間もお互いを想える、信頼できるように……そうして二人でもっと強くなっていこう)