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そして君は前を向く  作者: ユキノト
番外編【お買い物】
217/289

4.割高

 そしてもう一つ、知っているだろうか?

『タダより高いものはないんだよ、フィル』

 フィルがカザレナに出てきたばかりの頃、そう教えてくれたリアニ亭の女将さんの名言(についさっき認定された)を。


 騎士団の団長室で、フィルは今本当にその通りだとひしひし実感している。


 目の前にいるのは、今日も禍々しいほど麗しい姿の悪魔、もとい王太子フェルドリックと、なんとかそれとお近づきになろうとしている様子の、悪趣味も悪趣味、物好きこの上ない上に、命が惜しくないらしい中年貴族男性その一。

 何が嫌って、フェルドリックが微妙に面白そうな顔をしていることだ。彼がああいう顔をしている時はろくなことが起きない。

 なお、フィルはその一の名前を知らない。

 ポトマック副騎士団長に経緯を報告して、事が事だけにレメントたちを連れて彼と一緒に団長室に行ったら、顔を真っ赤にしたその一がフェルドリックを連れて乗り込んできた。そして、名乗りもしないままわめき出したからだ。もっとも知らないのはフィルだけのようだけれど。


 フェルドリックを挟んでその貴族の反対側には、戸惑った顔をしているコレクト騎士団長と、いつもながら無表情なポトマック副騎士団長。

 フィルの横にはお馴染みアレックスと、檻入りの子レメントと本物の銀豹の子。

(あの子……めちゃくちゃ機嫌が悪い。空気が寒い。あれだろうか、やはりご飯がお預けになったせいだろうか?)

 フィルは「そりゃご飯は大事だけど」と呻きつつ、無意識に胃を抑える。あの子の空気に気付かず、擦り寄ったまま寝ている本物の子豹の神経が羨ましい。


「私が買い取る約束を取りつけていたのだ。渡してもらおう。それは殿下への献上品となるのだ」

「魔物の取引は禁じられている」

 真っ赤になって唾を飛ばして言い募るその貴族に対し、ポトマック副団長は表情一つ変えず淡々としている。

 自分が怒られている時は嫌だけど、こういう時は頼もしい。


「お前はそれが何か知っているのか!?」

 フィルは思わず眉をひそめた。

 ポトマック副騎士団長をお前呼ばわりしたことももちろん腹立たしい。だが、それより何より……。

(この人、この子がそういう魔物だと知って、こんなことを言ってきているのか……)

 アレックスが『そんな生き物がいるとしたら、血眼になって欲しがる連中が山のようにいるはずだ』と言っていたことと、ロギア爺がネルとメルも小さい頃は狙われたと話していたことを思い出した。

 どっちの時も聞いた時は「も、物好きな……」としか思わなかったけど、なぜだろう、ものすごく嫌な気分になってくる。

「危険生物一種指定の魔物だ」

「馬鹿め、それは一国をも滅ぼせるという最強の魔物、太古の神レメントだ……!」

「それが? 危険生物一種指定の魔物であることに変わりはない」

 息をのんだコレクト団長に対して、ポトマック副団長の表情に変化はないし、声も平坦そのもの。取り付く島が見事にない。

 レメントについて詳しく知っていてそうなのか、知らなくてもそうなのか……どの道アレックスと師弟であることに間違いはないと思う。

「国を思えっ、それをわた……殿下へと引き渡せば、カザックはますます発展するっ」


「……どんな発展だ」

 対照的にヒステリックに叫んだ貴族の男。その言葉のあまりの空々しさについぼそりと呟いてしまった。聞こえたのか、フェルドリックが一瞬皮肉に笑った気がする。

 ついでに言うと、子レメントから上手くやれという脅迫の圧力が飛んできていることにも気づいている。

(あれで生後四ヶ月……なんて恐ろしい生物なんだ……)

 そうぼやかずにはいられない。


「……アレックス、あの人、あの子欲しがってるんですかね?」

 ぎゃあぎゃあとポトマック副団長を罵り続ける貴族の声に紛れて、フィルはアレックスに顔を寄せ、フェルドリックをこっそり指差す。

 ちなみに言うと、子レメントとフェルドリックの性格の悪さなら、きっと上手くやっていけるとも思っているのだが、それは一応内緒。

「いや、リック自身が欲しいと思っているなら、もっと確実にやっている。虎の威を借るために、ジェイスラン子爵があいつを連れ出そうとしたのに、物見遊山を兼ねて乗ったんだろう」

「やりそうなことですね……。うーん」

「フィル、今、リックにあの子を渡してみても面白いかも、とか思っているだろう……?」

「う……ちょ、ちょっとだけ苦労させてみたいなあ、とか思いません? どっちも我がままの塊が歩いているようなものですよ? お互いで我がままし合ってくれたら、世界は平和になると思うんです」

「気持ちはわからなくもないが……ほら、睨んでるぞ」

 アレックスが指さした方を見るまでもなかった。殺気が真横から吹雪いてくる。

「し、しない、しないっ、いや、ほんとにっ、いいいい言ってみただけだってば」

 ああ、前門のフェルドリック、後門のレメント――虎と狼よりもっと恐ろしい。

(爺さま、孫の周りは今日も悪魔で一杯です、相変わらずピンチです、頑張ります……)

 脂汗を流しながら、悲壮な気分で覚悟を決めたフィルの横で、

「大体、平和になるどころか、災難がさらに増えるだけだろうに……」

とアレックスが遠い場所を見つめ、ボソリと呟いた。


「彼らは我々と相容れないとの見解が今では定説です。諦めていただいた方が」

 指定生物だから渡せないとの一点を張っていたポトマック副団長に、コレクト団長が助け舟を出した。

「そうとは限らんだろうがっ。第一あれはまだ子どもだ、現にあのウィル・ロギアはレメントを懐かせることに成功したというではないかっ」

「へ?」

 ちょっとびっくりした。こんな場所でロギア爺の名が出るなんて、と。それはメルとネルのことだろうか。

「あれはロギア爺だからだと思うけど」

「……フィル・ディラン?」

 思わずつぶやけば、目をみはったフェルドリックと目が合った。団長と子爵はぽかんと口を開け、気のせいでなければ副団長の眉も少し上がった気がする。

 その中でいち早く気を取り直したのはフェルドリックだった。「続けなさい」とにこりと笑う彼に反射で顔を引きつらせつつ、フィルは言葉を探し出す。

「ええと、ロギア爺……じゃないや、ウィル・ロギア老が、メルとネル、じゃなくて、レメントの子供たちを拾ったのは、生後数日の時だったはずです。親が死んでのことで、そうでなかったら殺されていただろうと言っていました」

「な、何を……」

「あ。私、彼と知り合いだったんです。だから、そこにいたレメントのことも知ってます」

 信じられないくらい性格が悪かった、というのは、この際内緒にしておいていいだろう。

「ええと、レメントの幼体に保護がいるのは、生後数ヶ月程度かと。その後、その二匹がロギア爺と一緒にいたのは、単純に彼を好いていたからだと思います」

 本当はそもそも人間と一緒にいてはいけなかったのかもしれない。なぜかはわからないけれど、ロギア爺もそんなことを言っていたし、メルとネルとの最後のお別れもおそらくはそういうことだったんだろうと今は思う。

 多分メルとネルはダメだというのを承知の上で、それでもロギア爺と一緒にいたのだろう。自分たちの面倒を見てくれた彼を一人にしておきたくなかった――あの二匹はフィルで遊んでばかりだったし、からかうために手段も選ばなかったけれど、本当はすごく優しかったから。

「断言しますが、あの子、絶対にあなたのことを好きになりません」

 だって、今だってひどく嫌っている。ヒシヒシ伝わってくる。

「大体逆はともかく、ロギア爺に出来たことがあなたに出来る保証なんて一切ないと思うのですが」

 というか、無理だ、絶対。あの子を道具扱いして、「殿下のため、国のため」って言いながら、結局自分のことしか考えていないような人なんだから。


 フィルを見つめ、しばし唖然としていたその男は、次第に怒りで顔を赤く染めていった。そして怒鳴るつもりなのだろう、勢いよく口を開いた。

「つまり、あなたを快く思っていないようだから、このレメントは成長の暁にあなたの命を奪いにかかるだろう、そうディランは申し上げているのです」

 だが、同じ瞬間、アレックスの淡々とした声が彼を遮った。

「それを防ぐことは不可能だとご存知なのでは。レメントについてよく調べておいでのようですし」

「そ、そんなことがあるわけがない……」

 アレックスの冷たい目線のせいか、それとも言葉のせいなのか、とにかく子爵の顔から赤みが消えた。

「……」

 彼は部屋の端に置かれた檻へと動揺を露わに視線を向け、ごくりと喉を鳴らす。その音が静まった室内に鮮明に響いた。

「……そ、そうか、面白くないのだろう、殿下の寵愛がフォルデリーク家から私に移るのがっ。そうはいかんぞ、そんな卑劣な脅しに屈したりは、」

 彼の言葉を再度止めたのは、やはりアレックスだった。


「ならば、今檻から出してみましょう」


 フィルは見た、はっきり見た―――アレックスとあの子は目線で会話した。

(一気にご機嫌になった……あの子、めちゃくちゃ乗り気だ。し、しかも気のせいじゃなきゃアレックスも、ちょ、ちょっとだけ楽しそう……?)

「ジェイスラン、君はそんな危険な生き物を私に寄越す気だったのか……」

 とは、本来団長の場所である椅子に優雅に腰掛けているフェルドリックのセリフだ。

 裏切られて悲しい、信じられないというふうに首を横に振っているあたり、実に芝居がかっている。

「い、いえ、そんなことがあるはずが……。で、殿下はあのような身分低き者を信じるのですか? ウィル・ロギアと面識があるなど、大法螺に決まっているの――」

「ふむ、では安全だと?」

「……あ……は、はい」

 フィルは見た、はっきり見た―――アレックスはフェルドリックとも目線で会話した。

(フェルドリック、一気にご機嫌になった……し、しかも気のせいじゃなきゃアレックス、やややややっぱりちょっとだけ笑った……!)


「フィル・ディラン」

「……はい」

 嫌な予感にフィルは情けない声で返事をして、ゴクリと生唾を飲む。

「君は魔物全般詳しいよね? その君から見てあれはどの程度危険?」

「い、今の時点で、訓練していない人間であれば、確実に殺せる、程度には……」

「だが、ジェイスランは安全だと言うんだ」

 今にも歌い出しそうに朗らかな声と無邪気さを装ったかわいい笑顔で、そう口にするフェルドリック――。

(く、黒い、黒すぎる……)

「コレクト、ポトマック、フォルデリーク、『万が一』に備えて『私を』護衛するように。ジェイスランのほうには護衛は必要ない、安全と言っているからね」

「で、殿下?」

(顔、真っ青ですよ、子爵。いえ、気持ちは理解できますけど……)

「ディラン、檻を開けて」

「……本物の悪魔がいる」

 ご機嫌そのものというフェルドリックのキラキラとした顔に、フィルはついに呻き声を上げた。

「なにか言った?」

「い、いいえ」

(ああ、あっちもこっちもそっちも真っ黒だ……)

 余計なことを言ってないでさっさとやれ――笑顔のままのフェルドリックから言外の脅迫を感じ取って、フィルはよろよろと檻に近づいた。


「ええと、さすがに殺すのはちょっと……」

 心底楽しそうな顔をしている子レメントに、無駄かもと思いつつ、フィルは一応声をかけてみた。

「えー……まずいと思うよ。あの体型だと絶対脂ばっかりだと思うし、あの性格だし、おなか壊すと思う。あー、そうだね、腕や足の一本ぐらいならいいかも。失くしても生きていられないこともないって言うし……。止血帯、急いでとってこなくちゃなあ」

 案の定無駄だった。

 ちなみに、レメントに気をとられ、フィルのそのセリフにこそ子爵が青ざめたことにも、フェルドリックが身を震わせて笑ったことにも、アレックスと副団長がさすがにちょっと気の毒なそうな顔をしたことにも気付けなかった。


「あ、そうだ、あっちの人たちには手出ししないでね。うん、そう、この国の王太子、ええと偉い人? でわかる? ……と私たちの仲間なの。真っ黒いのもいるけど、命の危険はないし……多分」

 ガチャリと音を立て、フィルは檻を開ける。子レメントは欠伸と伸びをしてから、悠々と室内に前足を踏み出した。

 体格は決して大きくないのに、一歩踏み出すごとに空気が重くなっていく――背筋が凍る。見れば、団長も盛大に顔を引きつらせていた。

(い、やあもう恐るべき生後四ヶ月児……メルもネルも本当に私で遊んでただけだったんだ)

 思わず現実逃避を図った。

 もう一人、現実から切実に逃避したそうな子爵は、素人ながら生命の危機を感じているのだろう、なんとか体を動かして後退りしていっている。

 その根性は褒めてあげたい。ついでに冥福も祈る。

 だから止血がうまく行かなかった場合は……

「迷わずあの世に行ってください……」

 欲の皮を張った報いだと思って諦めて。



 結局――。

「ぎゃぃあああっ」

 しばらく子爵を眺めていた(威圧していたとも言う)その子は、それからありえない跳躍力とスピードで、子爵の顔面に襲い掛かった。

 ……正確には飛び掛っただけなのだけど。

「……本当、性格悪……」

 フィルの呻きを聞いて、子レメントは失神した子爵の顔の上で、楽しそうに、満足そうに笑った。彼の顔をべしべしと容赦なく踏みつけながら。

 それを見て、人生でもう何度目かわからないけれど、「本当にどうしよう……」と泣きたくなってしまった。


 そんなフィルの目の前で、

「噂どおりの生き物だな。おかげでこいつを片付けることができる」

などと言いながら、身を屈めてレメントに礼を口にしているのは、同じくらい楽しそうなフェルドリックだ。

 やはりというべきか、彼はレメントを知っていたらしい。それで知らない振りをして、って、こっちはこっちで今日も最悪な性格だ。今更だけど。

「ディ、ディラン、それ、なんとかしろ……」

 その奥、引きつった顔で怯え声を上げているのは、コレクト騎士団長。

 背後から聞こえてきた溜め息二つの主は、ポトマック、アレックス師弟。


(やっぱりタダだったせいなんだろうか、私がこんな目に遭っているのは……?)

 散々蹴り飛ばしてようやく気が済んだのだろう、今度はフィルの頭の上によじ登ってきた子レメントの柔らかい毛皮の感触に、フィルは涙目になる。

「……」

(女将さん、本当だったよ、やっぱりただより怖いものってないんだね……)



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