2.鑑定
なんとか気を取り直したアレックスがフィルに案内された先は、貴族や裕福な商人たちを見かけることも少なくない界隈の一角、珍しい愛玩動物を扱うことで一部に知られる動物商の店だった。
「……」
それはそれとして、とアレックスは隣に並んだフィルを横目で見る。
衝撃を受けて、気を取り直すまでに必要な時間が段々短くなってきている気がする。
(俺も相当彼女に馴染んできたというべきか……)
毒されてきた、ではないと真剣に信じていたい。
「あの子です」
その店頭、通りに向かって据えられた大きな一枚ガラスの向こうをフィルは指さした。
そこに置かれた鉄製の檻の中で寝ているのは、白地に銀の斑点を持つ豹の子ども、二匹。
そのうちの一匹が目を開けて静かに立ち上がり、伸びをした。ガラス越しに差し込む明るい午後の光に毛皮が輝く。
フィルがリアニ亭から戻る最中に見かけたというその存在を、アレックスは彼女とともに人込みに紛れ、遠目にうかがう。
「……銀豹だろう? 裕福な商人や貴族の間で人気のある……」
数が減っているらしいが、取引自体は禁止されていない。個人的にそういう行為は好きではないが。
「うーん、そう表示されているんですけど……今立ち上がった方、話ができましたよ。多分メルやネルと同じです」
「……は?」
あまりにさらりと言われて、思わず声が大きくなった。
(話? ができた? メルとネル……って、あれか、ウィル・ロギアの所にいた……)
「フィル、意味をわかって言っているのか。つまりあれはレメントだと言っているんだぞ……?」
慌てて声を落とす。
「レメント……? が、メルとネルの種名?」
アレックスに合わせたのか、やはり声を落として顔を寄せてきたフィルの反応に、アレックスは顔を引きつらせた。声を落とした意味をフィルはわかっていない気がする。
「へえ、やっぱりすごいですね、アレックス。そんなことまで知ってるんですね」
やっぱりわかっていない――案の定の彼女の暢気さに、思わず唸り声を漏らした。
「数が少ないだけで、最強の生物だと言われている。レメントの怒りに触れて、たった一体に一国の軍隊が壊滅させられたという記録が残っているぐらいだ」
「む。じゃあ、やっぱりものすごく手加減されてたってことか……」
フィルは眉を顰めて悔しそうに呟くが、問題ははっきりきっぱりそこじゃない。
「そんな物騒な存在がここにいる訳がないだろう。そうだとしたら血眼になって欲しがる連中が山のようにいるはずだ」
「も、物好きな……」
口をぱっくり開けたフィルは、すぐに「って、そうじゃなかった、いや、そうだけど」と気を取り直す。
「だって、お金持ってきて買えって。普通の豹はそんなことを言わないでしょう?」
「は?」
「そう言ったんです。まだ子どもで、あそこから出られないんですって。ついでに、本物の豹の子も一緒にって。だから1,800,000キムリ」
「……それで持ち金を確認していた……」
「はい。だって、あのままにしていたら、とんでもないことになると思うんです」
「……」
(フィル、が言う、とんでもないこと……)
知らず悪寒を覚える。
「そんなお金ないかもって言ったんですけど、そしたらいくらあるんだって訊くからわからないって答えて、じゃあ確認し行けって」
「……買え、に、確認しに行け……?」
(そういうのを世間では使いっ走りと言うんじゃ……)
衝撃も突っ込みどころも多すぎて、咄嗟に優先順位をつけられない。
落ち着こうと息を吐き出しつつ、アレックスは天を仰いだ。
ザルア山脈のウィル・ロギアの山小屋で、フィルは二匹のレメントと『会話』していた。
言葉は聞こえないのだが、考えていることがわかるのだとフィルは真面目な顔で言っていたし、実際に傍で見ていてもそんな感じはしたのだが……。
「あ、ほら、こっち見た」
「……わ、らった……」
「ね? 絶対に普通の豹じゃないでしょう?」
『銀豹』の視線を受けた瞬間、背筋が凍った。本能に促され、全身に警戒が満ちていく――本当にレメントなのだと悟って、アレックスは口内に溜まった唾を音を立てて飲み込んだ。
似たところでイセリトという魔物がいたはずだが、あれの知能が高いと言う話は聞いたことがない……。
そんな存在がいるとなれば、非常にまずい――アレックスはついに呻き声を漏らした。
人以上に知恵が回る、人嫌いの生き物。そもそも人嫌いになった理由が、レメントの幼体を人間が騙し、自分たちのいいように使役しようとしたからだと言う。
レメントはドラゴンのように攻撃的でこそ無いものの、その怒りに触れた者には容赦が無いと言われている。身体能力が著しく高く、一説ではドラゴンと相対できたとも、その姿を完全に消すことが出来たとも言われている。
よしんば、レメントの怒りに触れることがなかったとしても、そんな存在がここにいると邪な連中が聞きつければ、間違いなく政争の種になる。
「うーん、どうしようかな」
「ど、うしようって……」
――どうにかできるとして、何する気だ?
そう訊くべきなのだろうが、答えを聞きたくない。嫌な予感しかしない。
だが、それ以上に確かなのは……――聞かないとさらにまずいことになるということ。
人の気も知らないで首を傾げたまま店へと歩いていくフィルを、アレックスは顔を引きつらせつつ追う。
「これはこれは、ディランさま。朝にもおいでいただいたそうで、なんでも銀豹の子がお気に入りとか」
豪華だが少しばかり品のない装いの店主がもみ手をしながら中から出てきて、二人へと寄ってきた。
「おお、フォルデリークさまもご一緒で! いかがです? 優雅で気高いディランさまに、またとなく似合いの生き物だとお思いになりませんか?」
自分を見てわざとらしく驚いたふりをする店主の目に計算を見てとって、アレックスは内心で溜め息をついた。そして、仕方なく当たり障りのない会話を始める。
その間もフィルの目線は、『銀豹』に釘付けだ。
(……好きなんだよな、ああいうの)
メルやネルにだってからかわれ倒されていたくせに、彼らの姿が見える度に懲りずにいそいそと近寄っていっていた。「強い、カッコいい、性格悪い」が口癖だったが。
対するメルとネルもフィルのことが可愛くて仕方がないように見えた。知らない人が見れば、殺す気だろうかと思うような可愛がり方だったが、実際のところフィルは構われて喜んでいた(と思う)し、あれだけ体格と力の差があったにもかかわらず怪我一つしないようだったから、問題はなかったのだろう。
同じように彼らを思い出しているのだろう、彼女の緑の瞳はあの頃のようにキラキラしている。
店主もそう気付いたらしい。顔に笑みが広がっていく。
「ですが、ジェイスラン子爵家や貿易商のコラーナ家から問い合わせも来ておりまして、お値段が今よりも上がりそうなのです」
ちらちらとアレックスを見ながら、いかにも残念そうに、店主はフィルに話しかける。
フィルがアレックスにねだって買ってくれとでも言うと期待しているのだろうが、生憎と彼女にそういった思考はいっそ悲しくなるくらいにない。
「ですが、あのように美しい生き物はディランさまにこそ相応しいことですし、何よりフォルデリーク公爵さまのご贔屓に勝るものはなく――どうでしょう、2,500,000キムリぐらいであればこちらも……」
フィルが欲しがるなら、その後の面倒も含めてその程度は問題ない。だが、魔物、しかもレメント――。
(……買っていいのか?)
フィルとこの生き物の組み合わせは、倫理とか、街や騎士団の平穏とか、アレックスの精神安定とか、色々な意味でおそらくまずい、そう直感で思ってしまうのだが。
「……」
段々フィルに毒されて勘頼りになっていっている気がして、少し落ち込んだ。
「うん、確認してきたけど、やっぱり足りなかった。しかも、値上がりしたって今そう言ってたの、聞いたでしょう?」
だが、話しかけられている当のフィルは、きっぱり店主を無視した。
そして独り言(に見える。事情を知らなければ)を呟いて、それを目にした店主がわずかに顔を引き攣らせた。
……ごく普通の反応だ。むしろ、わずかで済んだあたり、さすが商売人というべきかも知れない。
「うん。話したから知ってる。……そう? 確かにそうだと思うけど、それ、何気にひどいこと言ってない?」
檻の中に向かって顔をしかめると、フィルはアレックスへと向き直った。
綺麗な金の髪がその拍子にふわりと揺れ、陽光に反射してキラキラと輝く。もちろん可愛い。
――が。
「アレックス、呼んでます」
「……」
――一体どんな生き物なのだろう?
ちなみに、フィルのことじゃない。……多分。……時々自信が無くなるが。
ドン引きしながら自分とフィルを見比べている動物商店主から離れ、アレックスは緊張と共にその檻へと近づいた。