2-6.塞翁が馬
「で、何がどうなっている?」
事態を知ったらしいポトマック副騎士団長に呼び出され、フィルは騎士団本館の彼の部屋を訪れた。恐ろしいと評判の彼に厳しい顔で問われ、フィルは目を泳がせる。
「ええと、稽古の相手をしてやると言われて、途中までは「加減しなきゃいけないなあ」とか考えていて、なのになんだったんでしょう、途中で勝手に身体が動いて……」
「気付いたら、力いっぱい胸部に模擬剣を叩き込んでいた、と?」
「あ、加減はちゃんと。力いっぱいではないです」
「……アバラが2本」
「う。で、でも、これまでの経験だと、避けられるだろうと思った上でのことで、その、せいぜい間合いが取れればいいかな、と……」
「経験とは?」
「爺さ……私の師、とか?」
「う」
「お前の、師……?」
「う゛」
「それが一体何の基準になるんだ……」
地を這うような声で呟いた副団長がすさまじく顔を歪め、フィルは小さく小さく縮こまった。
「何があってそうなった。いつもそうなるようでは、おいそれと他の人間との稽古は許可できん」
「何と言われても……。敢えて言うなら、最初からちょっと妙だったような?」
ポトマックの疲れたような問いに、ふむ、とフィルは一人頷く。
「なんでしょう、最初から殺気に似た、何か嫌な感じがして、でもあの力量で私を殺せるはずもないから、まあいいかと思って、普通にしているつもりだったのですけど……だって、せっかくの機会だったから、なるべく長引かせた方がいいと思って」
(そうだ、彼と稽古している間にアレックスが来ないかな、と思っていたのに、それがなぜあんなことになった? ……ああ、そうだ)
「彼、ええと、ゲイザーさん?がこちらに剣を押し込んできたんです。意味のない動作なのにあの人なぜか笑って、その瞬間に体が……」
「……」
「って、やっぱり説明になってませんか……」
頭を抱え、「難しい」と呻いたフィルに、ポトマック副団長はため息を吐くと、「戻っていい」とあきらめたようにつぶやいた。
「失礼します?」
(なんかよくわからない。けど、とりあえず解放された、助かった……!)
とは思うものの、アレックスを皆に馴染ませようという計画は、結局失敗してしまった。
しかも、副団長に怒られる前、その彼に庇ってもらったのだ。「ゲイザーの例の素行の悪さゆえです」という謎の言葉で。
「……せっかく役に立とうと思ったのに」
どうやらまた迷惑をかけてしまったらしい、とフィルは首をカクリと垂れつつ、副団長室の扉を押し開いた。
* * *
「あ、アレックス」
頭と肩を落として副団長室を出てきたフィルは、そこで彼女を待っていたアレックスと目を合わせるなり、にこりと笑った。
「……お疲れ」
(本当に変わってないな)
八年前見ていたとおり、“怒られ慣れている”彼女の顔に、怯えは全く見えない。すべての騎士が恐れる副団長の呼び出しだったというのに、とアレックスは苦笑を零す。
「あ、ごめんなさい、また迷惑かけてしまって」
そう言ってしゅんとするあたりは、『人に迷惑をかけてはいけない』と言われて育ったという彼女らしいが。
部屋に戻ろうと、騎士団本館の最上階を二人で並んで歩き始める。
ここのところ曇りがちの空が続いているが、ついに雨が降り始めたようだ。夕刻ということもあって外は既に真っ暗で、事務の老人が廊下のランプに火を入れていた。
「こんばんは」
「おや、あんた、あの時の新人さんか。なるほど、ついにやらかして、呼び出されたわけかね」
「ついにって……」
「やらかしそうな顔してるなあと思ってたんだよ」
「えー、それ、ひどくないですか……」
情けない顔を見せた彼女に、「まあ、頑張んな」と老人は声を立てて笑うと、肩を叩いた。
「……」
(基本は穏やかなんだよな、相手に害意がない限り)
アレックスは会釈して彼とすれ違いながら、ため息を零した。
新人たちによれば、ゲイザーは稽古のどさくさに紛れて、フィルに触れようとしていたのではないかと言う。奴は四年前のアレックスにも同じことをしようとしたし、その後もこの手の騒動を起こし続けているから、彼らの見立てはおそらく正しい。
当時のアレックスは揉め事を起こさないよう、上手くかわし続けたが、その辺の考慮を一切しない?できない?のも、またフィルらしい気がした。
(理屈じゃなくて、多分勘だからな……)
ゲイザーと手合わせを始めたフィルは、しきりに首をひねってはいたが、余裕そのものだったそうだ。だが、彼が腕をフィルに伸ばそうとした瞬間、誰も認識できないような速さで動き、気がついた時にはゲイザーは鈍い音と共に吹っ飛んでいたらしい。
その直後のフィルは、ヘンリック曰く、『こ、怖かったです……』……。
「それで、副騎士団長はなんと?」
「色々聞かれましたけど、お咎めはないみたいです。謎」
眉を顰めつつ首を傾けたフィルに、アレックスは確信する。彼女はゲイザーの意図をやはり理解していない――ただ“害意”に体が反応しただけ。……これもフィルらしい。
「医務室にいらっしゃるのでしたっけ。お見舞い、行った方がいいですかね」
「必要ない。俺から一言言っておいた」
嘘ではない。言葉は一言だけだ。その他、奴が二度とフィルに近付く気を起こせなくなるだけのこともしたが、場所が医務室だったのだし、医師もいるのだし、何とかなっているだろう。
「ええと、いいんでしょうか」
「気にするな」
(なんせこれで馬鹿なことを企てる人間が減るといいが)
そう願いつつ、首を傾げるフィルの頭にポンと手を置けば、彼女は少し笑った。
これまで可能な限りそんな連中は排除してきたし、アレックスだけでなく小隊の皆も気を使ってくれているようだが、いい加減それにもこうして限界がある。
考えたくもないことだが、万が一フィルに何かが起これば、きっとアレックスはそいつを許せないだろう。そして、今度こそ自分が許せなくなる。
「ところで、私の同期たちと話、しました?」
「? ああ」
「おお、怪我の功名!」
そう顔を綻ばせるフィルの思考は、本当に謎。
「なんせ、おなかすきました。まだ食堂開いているかな、アレックスは夕飯もう済ませました?」
そうのんきに笑って歩いて行くフィルの姿に、アレックスは再度嘆息する。
もう一つ願わくは、アレックス自身がああならないこと――迂闊に近づいた場合の未来があれだとすれば、本当に、真面目に、他人事じゃない。




