14-5.難題
「おい、メアリー。フィル・ディランはどうした?」
「来ないわよ。なんであんたなんかのために、わざわざフィルが来なきゃいけないのよ」
「俺のためっていうよりお前のためだろ」
(想像以上にごつい)
王都カザレナの下町、裏路地の一角。フィルは積み上げられた材木の陰から、メアリーとマシューという男のやり取りをこっそりうかがっている。
彼の上背はアレックスよりさらに拳一つ分上。腕なんて、王宮で見る貴族令嬢たちの腰の太さぐらいあるように思う。
良心を疼かせ、祖母の恐ろしげな微笑の記憶に苛まれながら、勤務の都合で約束していた日は無理になったとメアリーに嘘の連絡を入れたのは五日前、フィルがヘンリックの胸中に気付いた翌日のことだった。
おそらく彼女は切羽つまるだろう(ごめん、メアリー。そして、婆さま……)から、その間にヘンリックを頼るなり、気持ちを伝えるなりしてくれないかなあ、などと思っていたが、 やはり甘かったらしい。
下手の考え休むに似たりとはまさにこういうことだ、と落ち込んでいる。
物影に隠れて気配を消し、人さまを尾行した挙げ句、こうして覗き見までしている私は完全な不審者だ、と思う。
事実メアリーをつけていたところを、巡回中のスワットソンさんに見つかって、すごい顔をされた。「……てめえはまたなに妙なことしてんだ。保護者はどこだ?」と呻くように訊いてきた彼に、必死にしぃっっと合図を送ったら、今度は思いっきり不審な顔をされたし。
後で言い訳しなくてはならない。が、保護者ってやっぱりアレックスのことだろうか……? さらに落ち込む。
「なあ、あんな王都で一、二を争う人気騎士がお前の相手なんかするわけがないだろ? 大体あいつ、女って話もあるじゃねえか。そんなんより俺にしとけよ」
そんな場合じゃなかった、と慌てて意識を戻せば、マシューが猫撫で声を出している。
人を人とも思わないタイプの人間が、ああいう声――おそらく本人は優しい声のつもりだろうが――を出す時は大抵ろくなことが起きない、とフィルはため息を吐く。
「フィルがどうであろうと、どの道あんたには関係のない話だって言ってるの。それぐらいわからない?」
ぴしゃりと言い返したメアリーに、男は苛立ちを露わに顔を歪めた。あれが本性、化けの皮が剥がれるの、早すぎ、と冷めた目を向ける。
「……あるさ、なあ、自分で言うのもなんだけどよ、俺ぁかなりの優良物件だぜ。隣り合う街の家具屋の息子と仕立て屋の娘、似合いだって誰だって言うだろうし、望みのない恋に憧れるより現実的に手を打てって」
「……打たないわ」
先ほどまでの言葉の勢いが緩んだ。
「だって……まだ何も伝えていないもの。手が届かないってわかってたって、不釣合いだってわかってたって、それでも引けないもの。ずっと、ずっと好きだったもの」
微妙に震えた声は、それでも明瞭で、とても真剣な響きだった。彼女が誰のことを言っているのかすぐにわかって、その気持ちもよくわかって、フィルは胸を詰まらせる。
(よかった、本当によかった……)
きっと近いうちに親友の想いは報われる。
「御託はいいから俺の女になれって言ってるんだっ」
「御託がなくったって一緒、嫌だって言ってるのよ!」
(さて、当面の問題はあの大男だ)
再びきつい視線で言い返し始めたメアリーに、大男がにじり寄り始めたのを見て、フィルは目を眇めた。予想はあたったけれど、まったく嬉しくないどころか、気分は最悪だ。
そもそもこんな路地裏にメアリーみたいなかわいい子を連れ出すのがあやしい。その上、手が込んでいるというか、どうしようもなく情けないというか、卑しいというか、そこかしこの物陰に人の気配がする。
(……五、六、七人)
「腐ってる。世も末だ……」
フィルは嫌気を吐き出し、天を仰ぐ。気配をみるに素人に違いないとは思うが、それゆえにやりにくいことだってある。
「物のわかんねえ女にゃ、それなりの扱いってもんがあんだぜ……?」
一向に頷こうとしないメアリーに、男は唸るような脅しを口にした。瞳に凶暴な色が見えるのは、我慢が切れたからなのだろう。言い様がいちいち腹立たしい。
腕を捉えられた彼女が短い悲鳴を発する。フィルは二人の前へと飛び出した。
「っ、フィルっ」
勢いのままに大男の鳩尾に蹴りを入れ、メアリーを引き離す。
「……ってえな」
「へえ」
(結構強く入れたつもりだったのに。ただ大きいだけじゃないってことか)
一歩よろけたものの、そこで踏みとどまって、こちらを睨んできた男に、フィルは軽く目をみはった。
「ふん、騎士さまのご登場って訳か」
腐った性根に似つかわしい、人を馬鹿にした響きの声に、フィルはにこりと笑う。
「ええ。彼女の気持ちはお聞きになったでしょう? 勝負をする必要があるとは思いませんし、ここは仲間もろとも引き上げていただけませんか」
フィルの背に身を寄せているメアリーが、びくっと震えたのがわかった。「嘘……仲間って、なにそれ……」と呟いた彼女は、そのまま細かく震え出す。
一瞬目を見開いた男が、嫌な笑いを顔に浮かべた。
「お前と勝負する必要がねえってのは賛成だ。引き上げる気はねえけどな。代わりにあいつらがお前さんを歓迎してくれることになっててなあ」
「……ひ、卑怯じゃないっ」
青い顔をしながらも抗議の声を上げたメアリーに、「聞こえねえなあ」と笑う顔は、フィルがもっとも嫌悪する類のもの。
「なあ、横恋慕は良くねえだろ? 俺も好き好んで事を荒立てたいわけじゃないんだよ。怪我したくなかったらとっとと失せな」
「この場合、横恋慕はあなたでしょう」
「大体横恋慕も何も……お前、女じゃねえか」
いつもながら、鳥肌の立つ視線だ、とフィルは内心で溜め息をつく。
女だと公表したとたん、この類の視線にさらされるようになった。本当に不快だ。
「だったら何」
「女には女の待遇ってもんがあるからな」
その声を合図に、品の良くない笑いを浮かべた男たちが、そこかしこからゾロゾロと出てくる――見立てどおり七人。
「あ、あんたたち」
「ごめんなあ、メアリー」
「そんだけマシューはお前にいかれてるってことでさあ」
「そうそう、観念して嫁さんになってやんなよ」
こういった行為に加担することもだが、顔面蒼白になって、信じられないと言う響きの声を発しているメアリーに笑える感覚にも嫌悪を覚えた。
その男たちの視線がメアリーから自分へと移り、フィルは顔を歪める。
「なあ、マシュー。メアリーはともかく、さあ」
「こっちは別にいいんだろ?」
「ああ、そっちは好きにしたらいいさ、こっちはこっちでお楽しみだ、なあ、メアリー? 可愛がってやるからこっちへ来な」
背中に当てられた小さな手が、ぎゅっと上着を握り締めるのがわかる。
「へえ、噂以上にいい女だなあ」
「背はちぃっとばかし高けえが、一緒に並んで歩くわけじゃなし……」
「楽しめそうな体してんな……へへ」
「暴行の意図あり、と」
頭から足の爪先まで舐めるように眺められて、フィルは短く吐き捨てる。
「わかってるんじゃん。みんなでってのも楽しいもんだぜ?」
「俺ら優しいからよー、あの貴族の坊ちゃんには黙っといてやるしよお」
「あんただって知られたくないだろ」
へへっとだらしない顔で肯定を返され、フィルは半眼で「否定どころか誤魔化しもしないって……」と思わず漏らした。言い方はひどいが、考えが足りなさすぎる。
それから、この場合はだからこそ厄介なんだ、と気付いて、眉根を寄せた。
じわじわと包囲の円が狭まってくる。平行して、彼らの興奮と歪んだ愉悦を含んだ荒い息遣いが耳に届く。
背後から響くメアリーの呼吸は、それらとは対照的にひどく震えていた。それでも、うずくまって泣き出したりしないで、精一杯こちらの動きにあわせようとしてくれるところが、とても彼女らしいと思う。それだけに胸が痛い。
「っ」
左前にいた一人がその輪を乱した瞬間、フィルは意識を切り替える。そして、その男へと大きく踏み込んだ。