14-4.答え
あれから、黙ったままヘンリックと一緒に食堂に行って、黙ったまま夕飯を受け取って、黙ったまま器の載ったトレーを抱えて、黙ったまま中庭に出た。
それから小さな噴水の縁に腰掛け、ヘンリックと二人、黙々とご飯をつついている。
前後左右を建物に囲われたこの場所から見える空は四角い。
(入団したばかりの頃はそれがものすごく奇妙に思えたんだよな)
ふとそんなことを思い出した。そう口にしたフィルに、ヘンリックが「ほんとだ、四角だ」と言いながら、一緒に空を見上げてくれたことも。
風が吹いて、周囲の木々が揺れた。頭上の樹冠の合間から夕日が射し込み、ヘンリックの横顔を赤く照らす。あの時彼の顔にあった幼さはもう消えかけている。
「あの、さ…………ごめん」
「許さない」
「…………フィルぅ」
「嘘だけど」
横に座るヘンリックの肩から力が抜けたのがわかった。もしかしたら、フィルが内心でほっとしたのも、彼には伝わっているのかもしれない。
「それに仮にも女の子の顔に傷を……」
「仮って」
「仮だよ。俺、あの後胃の中の物、全部吐いたよ?」
「そのつもりで殴ったから」
「……ちょっとは手加減してよ……」
「何を情けないことを。大体最初に仕掛けてきたのはそっちじゃないか」
「……ひどい顔してるの、自分でもわかってたから、見られたくなかったんだよ」
「……なるほど」
再び落ち込んだヘンリックに、それは私も嫌かもしれない、とフィルは顔をしかめた。なんとなくばつが悪い。
二人でぽつぽつと話す間を、後ろから吹いてきた風が通り抜けていく。梢が同じ風に揺れ、さわさわと優しい歌を奏でる。
「アレックス、怒ってた?」
「すごくびっくりしてた。心配されて、ヘンリックに頭突きされたって話したら、顔をしかめてた。それで、お返しに殴り返したって言ったら……呆れてた。二人して何やってるんだって」
当たっていると自分でも思ったので、ちょっと落ち込んだ。
「俺のせいで、いい加減愛想尽かされたとか」
「謝りにきたのか、それともまた喧嘩しに来たのか」
「それもそうだね」
「それもそうだよ」
淡々と匙を動かして淡々とスープを口にしながら、淡々と会話する。
それから、なんとなく顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。まあ、いいや。こんなのも悪くない。
「ヘンリック、私も謝る」
「フィルが?」
それから彼は眉をひそめて、「メアリーのことなら、本当はフィルのせいじゃない」と苦しそうに言った。
その表情は妙に大人びて見えた。成長しているのは外見だけじゃないらしい。
「違うよ。ヘンリックのこと。色々考えたけど、なんでヘンリックがあんなに怒ったのかも、そんなに苦しそうなのかも、さっぱりわからない」
「……アレックスは何も言わなかった?」
「知っているみたいだったけど、考えてみろって」
「フィルに期待するのは無謀な気がするけどね……」
そうヘンリックは苦笑した。
思わず、そりゃあ、私はアレックスやヘンリックほど人の気持ちに敏くないけど、と口を尖らせた。
「そうかもしれないけど、それ、はっきり口にするか、普通」
「フィルが普通を語るのか」
半眼で睨めば、ヘンリックは吹き出した。こいつめ、と思う一方で笑ってくれたことで、ほっとした。
その瞬間、何かが引っかかった。
(敏い、人の気持ちに……)
「あ」
「フィル?」
(そうか、知ってるんだ)
フィルはヘンリックをマジマジと見つめた。
フィルにわかるくらいだ、ヘンリックはメアリーの気持ちを知っているんだ。
フィルを見て首を傾げた拍子に、彼のまっすぐな髪がさらりと流れた。
夕闇の中では、優しい茶のはずの瞳は黒にしか見えない。それを収める二重の目は、少し目尻が下がっていて相変わらず優しい感じだ。全体のパーツだって整っていて、バランスがいい。
出会った時は、日にもあまり焼けていなくて、小さくて、可愛くて女の子みたいに見えた。
でも、もうそうは見えない。日焼けして、背だって伸びてもうすぐフィルと変わらなくなる。華奢だった体も、フィルとは違って筋肉が飛躍的に増えた。顎のラインだって、今ではもうすっかり丸みが減ってしまっている。
何よりその表情だ。さっきも見せた、どこか苦味を持つような笑い方――あれは大人の男性のものだ。
(つまりヘンリックは、メアリーの気持ちを知っていて、知らないふりをしている。それでメアリーが自分で結論を出して伝えてくれるのを待っている……)
「ちょっと、フィル」
(でも、それ、きっとものすごく苦しいことだ)
「おーい、聞いてる?」
(その上、こんなふうに困った時にメアリーが頼ったのが自分ではない人だったら? いくらメアリーが自分を好きだとわかってても、きっと不安になる。そんなに自分は頼りないのだろうかって凹みもする。本当はそんなに好かれていないのかも、とまで考えてしまうかも)
フィルは眉間に皺を寄せた。
昨日彼が勝負を挑んできたのは、やきもちゆえにフィルをやり込めようと思ったわけじゃない。メアリーがこういう時に自分ではなく人を頼った情けなさからだ。
「あのねえ、会話の途中でいきなり考え込む癖、何とかしてよ」
むぅと顔を歪めるヘンリックをじっと見つめ、負けずにむぅと顔を歪める。
(なんてことだ、あの可愛いヘンリックがいつのまにか大人になっていて、そんなことまで考えるようになっていたとは……)
「……それで、今度は何をしている」
通りがかったアレックスが、顔をしかめてお互いを見つめ合うフィルとヘンリックへと、またもや呆れたような視線を向けてくる。
が、それどころじゃない。
(理由はわかった。気持ちもわかる。けど、ヘンリック、これ、私からすれば、とばっちりもいいところなんだけど)
フィルが半眼を向ければ、ヘンリックも目を細める。
「類友なのか……」
アレックスの溜め息を背景に、ヘンリックと見つめあったまま――なんだかんだ言ってヘンリックも理不尽だよなあ、と思ってしまったのは、仕方のないことだと主張したい。