14-1.似た者
「とっ」
道向こうから駆け寄ってきた女の子に抱きつかれ、戸惑いつつも怪我をしないよう受け止めた。
赤茶色のふわふわした髪の小柄な女の子は、すっぽりフィルの腕の中に収まり、同時に背に回された細い腕にぎゅうっと力がこもる。
いつも元気で、笑顔のかわいい、
「フィルーっ!」
「……メアリー」
――に抱きつかれたまま叫ばれ、なぜかワンワン泣かれた。
ここはカザック王国の都カザレナ、花の都。初夏を迎えようという季節の明るい日差しの中、商いに賑わう本通り。
(ああ、視線が痛い……)
フィルは彼女の頭を撫でながら、目だけを動かし周囲をうかがう。
(そこのお爺さん、非難の目で私を見ないでください。私が泣かせているわけではありません。祖母に誓ってありえません。そこのお嬢さん、顔を赤くして目を背けないでください。私と彼女はそういう関係ではありません。よくある誤解ですが、やめてください。そこのアレックス、目を丸くしていないで助けてください……)
とほほ、と形容するしかない気分で息を吐き出すと、フィルはポケットからハンカチを取り出した。
「一体どうしたの、メアリー」
腰を屈めてメアリーの目元をそっと拭う。
彼女は少し緑がかった薄い茶色の瞳いっぱいに涙を溜め、眉根を寄せて、軽く唇を噛んでいた。
(……かわいい、と思ってしまう私はやっぱり少し変なんだろうか……?)
微妙に悩みつつ、乱れて彼女の顔にかかった髪を丁寧に耳の横へと直す。
その瞬間、メアリーははっとしたように顔をあげた。
目に涙の名残はあるものの……、
「フィル、なんで男の子じゃないのっ? ううん、この際女の子でもいい、アレックス、フィルを私にちょうだいっ」
――昼日中の街中でこの叫びはかなり恥ずかしい。
「論外。駄目に決まっている」
「っ」
(ああ、あのお爺さんが、どうしようもないものを見る目で首を振って立ち去っていく……!)
真顔でのアレックスの返答は、さらに恥ずかしかった。
「?」
人の気も知らないで、「うー、アレックスのけちー」と呻いていたメアリーの顔に、強い落ち込みが走った。傍らに立つアレックスを見上げれば、彼も片眉を上げ、驚いたようにメアリーを見つめている。
「……じゃあ、フィル。今晩付き合って。私の気の済むまで。アレックス抜きで」
渋い顔をしたアレックスを、「ね、それぐらいはいいでしょ?」で押し切ってしまうあたり、一見いつものメアリーなのだけど、何かが変な気がしなくもない。
その正体を掴み損ねたまま、結局フィルは一緒に晩御飯を食べることと、『お泊りセット』なるものを持ってメアリーのうちに行くことを約束させられた。
その後はいつもどおりだった。
予定の巡回を終えて騎士団に戻る途中、アレックスが笑いながら口を開いた。
「嬉しそうだな」
「そんなことはあ……るかもしれません」
思わずはにかむ。
「あ、メアリーの様子はもちろん気になっているんです。でも、友達の家に泊まりに行くなんてほとんどしたことがないので」
それから、視線を地面へと落とし、ふふっと笑った。
「二人目ですね。最初はザルアでアレクの所へ行った時」
「……夜更かししてずっと話をして、最後には同じベッドに入って?」
「そうでした」
「誰かさんは人の気も知らず寝惚け半分に抱きついてきて、挙げ句そのまま熟睡してしまって」
「う」
「完全に俺のことを女の子だと思っていたみたいだったから」
あれは傷ついた、と人悪く笑ってからかってきたアレックスに、フィルは目を泳がせる。
最近アレックスは少し意地悪だ。そりゃあ、色々わかって、今まで以上に距離が近づいてきた感じがして、嬉しいには嬉しいんだけど、と複雑になりながら、騎士団本営の門をくぐり、昼食を取りに食堂に向かう。
「アレックスだって、最初私を男の子だと思っていたって言ったじゃないですか」
「だな」
「そんな、あっさり……」
(結構ショックだったのに。間違われるのは珍しくないし、慣れているけど、アレクに間違われていたことだけはなんだか悲しかったのに)
思わずむくれれば、苦笑したアレックスの手が伸びてきて、頭に触れた。
「だが、それは問題にならないんだ」
「なんで?」
「……もし機会があればその時話すよ」
言い聞かせるような声と、優しいのにどこか強い色を宿した瞳に、また顔に血が集まるのがわかった。
そうして結局言いくるめられてしまった。
「メアリーと二人、食事と泊まり、ね……一応伝えておくが、気をつけて、その、他の男とか」
それからアレックスは眉を寄せ、そんなことを口にした。
その顔がなんだか可愛くて、思わず吹き出す。赤くなったアレックスに頭を小突かれてしまったけれど。
「大丈夫ですよ。私だけじゃなくて、メアリーだってちゃんと――」
「フィルーっ」
「「……」」
いきなり会話に割り込んできた声に、そろって音源を見やれば、今フィルがまさに言及しようとしていた、茶髪の彼だ。食堂前の廊下を走ってこっちにやってくる。
「……さすが、幼馴染っていうべき?」
「やっていることがメアリーにそっくりだな……」
そうか、泣きつかれるのか、もう少しで私と同じくらいになる身長の奴に、とフィルは遠い目で覚悟する。だが、その衝撃は結局来なかった。
「「アレックス……」」
呆れ顔のアレックスが、彼に比べればまだ大分小さいヘンリックの首根っこを捕まえて溜め息をついている。
――その後。
ヘンリックはそのアレックスにがばっと抱きついて、泣き出した。自分が相手じゃないだけで、本当にメアリーそっくりだった。あの時のアレックスの顔は形容しがたい。
思わず声を漏らして笑ってしまったら、そのヘンリックがばっと顔をあげて……
「フィル、勝負だっ」
「……へ?」
なんで? と問う間もなく、勢いに押されて頷いてしまった。
* * *
午後の訓練時間になって、フィルは刃をつぶした練習用の剣を握り、その具合を確かめていた。騒ぎを聞いたらしく周囲にはギャラリーも集まってきている。
「……」
そんな中、フィルは横目でヘンリックの様子をうかがう。
「アレックスを取り合ってるんだって」
「なるほどなあ」
「アレックスならありえそうだな」
なるほどって、アレックスならって、とフィルは漏れ聞こえてくる声に顔を引きつらせる。
(それにしても、一体何考えてるんだろう、ヘンリック。勢いにつられて勝負することになったけど、理由を聞くくらいの権利はあると思うんだけど)
フィルの視線に気がついたらしいヘンリックに涙目で睨まれた。
「……な、なんなんだ」
まさか本当にアレックスの取り合いではあるまい。というか、それだけは色んな意味で怖すぎる。
互いの間合いに一歩分を足した距離を間におき、フィルはあらためてヘンリックと正対した。
「……」
礼をし、頭を戻したところで、フィルは目の前の顔をじっと見つめた。
相変わらずかわいらしい顔立ちをしているけれど、幼さが大分抜けてきた。出会った時は同じ年だととても思えなかったのに。
この一年半で急激に体格も充実して、きっと将来はかなりの使い手になるだろうと予測できる。実際今年の剣技大会でも他の出場者とは桁違いだった。
ふと、馴染んだ彼の茶色の瞳に苦味のようなものが走った。目を見開いた瞬間に、けれど彼は目を逸らしてしまう。
(? 何、今の。あんな苦しそうな顔は初めて……いや、どこかで見た?)
記憶のどこかに引っかかってフィルが動揺したところに、審判役を務めるアレックスの低い声が響いた。
「はじめ」
――だからと言って、剣を握った以上、惑わされたり、手を抜いたりすることはないのだが。
* * *
「フィルの鬼」
「知るか」
べしっと音を立てて、ヘンリックの上腕に湿布を貼り付けてやる。
「痛いってっ」
「勝負を持ち掛けてきたのもあんな無茶をやったのもヘンリックだろ」
午後の医務室。
結局五本勝負は五本ともフィルの勝ちだった。妥当だ。いくらヘンリックの腕が伸びたと言っても、まだ相当な力量差がある。
当然手加減する予定だったのに、ヘンリックが医務室に来る羽目になったのは、守勢の強い彼には珍しく、無茶な手を出しまくってきたからだ。それに応じた結果、フィルは所々で加減し損ねて、彼の体のそこかしこに打ち身を作ってしまった。
今その手当てをしているわけだが、文句を言われ続けて、自然扱いが雑になる。
「あーあ」
手当てを終えた瞬間に急に落ち込んだヘンリックを見ながら、フィルは救急箱を片付けた。目が合うと彼は困ったように笑い、腰掛けていたベッドへと仰向けに倒れこむ。
「それで?」
傍らにあった椅子を引き寄せてまたいで座り、背もたれに顎を乗せた。
祖母が見たら絶対に怒るだろう行儀の悪い格好。でも結構好き。
「……言わなきゃだめ?」
「……出たな、末っ子。今更かわいい子ぶって誤魔化そうなんてどういう神経だ」
じろっと睨めば、ヘンリックは眉根を寄せて、溜め息を吐き出した。前腕で両目を覆う。
「だってさー…………情けない話なんだよ」
その声は自嘲に満ちていた。ヘンリックには珍しい沈んだ声に、フィルも眉根を寄せる。やっぱりメアリーがらみなのだろうか。彼女もとてもらしくなかった。
「……言いたくないなら、言わなくていい」
混乱している時は、私だってそっとしておいて欲しい、とフィルは息を吐き出す。
「フィルってほんと、いい奴だよね」
フィルから見える彼の口角が少し上がった。笑っているのに悲しい印象を受けて、フィルは一緒に気分が沈んでいくのを感じた。
開け放した窓から穏やかな午後の風が流れ込む。その温かみの中にわずかな熱気を感じて、フィルは近づきつつある命の盛りの季節を思う。ふと見た窓の外の木、その枝で小鳥の番が羽を繕い合っている。
(……番、か)
仲の良い二匹を見るうちに、ヘンリックの大事な人が想い浮かんできた。
「……あのさ、ヘンリック、今晩なんだけど、誘われてね、」
言うべきか言わざるべきか――原因がメアリーならどっちがいいのかな、と迷った末に声をかけると、腕の下の瞳が片方だけ開いた。
ヘンリックとメアリー――二人に何かが起きているのだとすれば、予めそう話しておくことで、もしかしたら何か手助けができるかもしれない、と思った。
「泊まりに行くよ、メアリーの家」
その瞬間、ヘンリックがバッと身を起こした。
いつもの気のいい、可愛い顔ではなく、大人の男性としか言えない顔に、思わず息を止める。
「……」
その上、その彼から露骨に向けられたのは、敵意、だった。