13-11.ヘンリック観察記8
剣技大会終了後の晩の宴会は、今年もすごく賑やかだ。
「わっはっはっはっ、見たか、ドムスクスの連中の顔!!」
「ざまあみろってんだ、散々好き勝手しやがって」
「あの将軍、噂ほど大したことなかったなあ」
「ばーか。フィルが強いんだよ」
今から三十年ほど前に起きたカザックとドムスクスの戦争。停戦状態のままだったそれの講和条約締結のため、花祭りの少し前から彼の国の王太子殿下がカザレナを訪れていた。
問題は王太子その人ではなく、彼の護衛の将軍とその部下たち――彼らの素行の悪さは、花祭りの期間中騎士団員たちの悩みの種だった。力を振りかざして市井の人々にたかったり、嫌がる女の子を無理に連れ去ろうとしたり、暴力沙汰を起こしたり。特に、初日の被害は軒並みすごかったようだ。
ヘンリックも幾度となくそんな場面に出くわしたけれど、向こうも慣れたもので、騎士が駆けつける頃には被害者を脅して口を割らせないようにし、『ただ話をしていただけ』としらばっくれる。それでも追及しようとすれば、『外交』を持ち出してくる。
だから、フィルがあいつらの親玉をぶっ飛ばした時は、ヘンリックも歓喜のあまりこぶしを突き上げて叫んでしまった。
それだけじゃない。騎士だけでなく、町の人たちにまで迷惑をかけていたあいつを文字通り叩きのめしたことで、フィルは彼女を快く思っていなかった人たちをも黙らせた。これで喜ばなかったら何で喜ぶって言うんだ。
そんなフィルは当然宴の中心だ。「いっつもいっつも派手にやりやがって」「これ以上女の子に人気になってどうする気だよ」とか言われて、頭や肩をばしばし叩かれたり、首を抱え込まれてこめかみをグリグリされたり――うん、女の子の扱いじゃないよな――しながら、笑っている。
性別に関係なく、フィルが『仲間』として大切にされている感じがして、ヘンリック自身すごく嬉しい。
(でも……ちょっとだけ寂しそうではあるかな)
その理由は、多分この場にアレックスがいないからだ。
彼は今晩も担当地区にいて、この場には来られないらしい。夜の揉め事の多い場所だから仕方がないと言えば仕方ないし、第一小隊の補佐のフォローがあるとはいえ、そんな場所を任されて最終日まで問題なくこなしているあたりもやっぱりすごいんだけど、正直に言えば、ヘンリックも少し物足りない。アレックスがいたら、幸せそうに笑うフィルを見て、『かわいくて仕方がない』って顔でやっぱり幸せそうに笑うはずなのに。
そう、フィルは可愛い。メアリーほどじゃないけど。
しかもフィルは強い。ある意味メアリーほどじゃないけど。
だから、憧れる気持ちはわかるんだけど……。
「諦めません」
フィルを中心とする喧騒から少し離れた場所で、ウェズ小隊長に突付かれたミック・マイセンが憤然と言い返している。
「お前、あの空気を見てまだ言うか。やばくなればなるほど、あいつ楽しそうに笑うんだぞ。グリフィスを仕留めてた時なんて、俺ですら背筋が凍ったぜ。並の人間にゃ手に負えねえって」
ヘンリックの横で、同期のロデルセンが「フィルはただ綺麗なだけじゃないからなあ」と呟いた。頭は冴えているものの、剣の腕はいまいち上達しない彼にとって、フィルは憧れらしい。フィルは真逆の彼をいつも、特に試験前、真剣にうらやんでいるけれど。
「大体、あの大観衆の前でアレックスと抱き合ってただろうが。みんなそれ見て大喜びだ。今や王都中の公認だぞ。下手すりゃみんなお前の敵だ」
「それでもっ」
そんなミックに「根性あるって褒めていいのか悪いのか」とウェズ小隊長は大仰に溜め息をついてみせる。もちろん楽しそうに。
「じゃあ、まあ勝手に頑張れ。応援はしてやらんが」
「おう、そんなんしたらアレックスに殺されるからな」
今度はミックがもみくちゃにされ始めた。
その光景をカイトが、複雑そうに見つめていた。
「カイト」
話しかけたヘンリックに、彼は枯れた笑いを見せた。
「カイトは……どうする?」
視線を彼の顔から逸らし、ヘンリックは独り言のように呟いた。カイトが話したくないと思うなら、聞こえないものとしてくれればいい、そう願って。
ヘンリックたちの同期であるカイト・エルデート――彼は兄貴肌でとても面倒見がいい人だ。
背が高く、顔の造りも鋭い感じではあるけれど結構整っていて、でも中身は気さく。王都出身なのも手伝ってか、すごく人気がある。だから彼女がいない期間なんてないんだけど、見るたびに違う子がカイトの横にいた。
認めようとはしていなかったけど、カイトは大分早い時期からいつもフィルを見ていた。それが彼女たちと長続きしない理由だったと思う。
この間、フィルが自分は女だと宣言した時、彼がとても複雑な顔をしていたのも知っている。
互いに視線を合わせないまま、喧騒の狭間で静かに会話を紡ぐ。カイトの視線の焦点はどこか遠くを見るように、フィルを囲む人垣に合わされている。
「……はっきり気がついたのはさ、去年の反乱鎮圧の遠征だったんだ」
それまでももしかしたら、とは思ってたけど、願望だって決め付けてた、と彼は平坦に呟いた。
「そのくせアレックスは気に入らなくて、俺、絡んだんだよ。騒乱が終結して、カザレナに帰る途中、野営してた晩に」
手の中のグラスの中にある琥珀色の液体を揺らして、カイトはフィルを見つめ続ける。
「俺だってフィルと同室だったら、相方だったら、フィルが女だってもっと早く気付いてた。そうしたらもっと上手くやれてたってアレックスに」
視線を向けたヘンリックに彼は苦く笑い、「そしたら……」と掠れた声で続けた。
「『俺はフィルがフィルならそれでかまわないんだ』だと」
カイトはグラスを口元に運び、強い酒を一気にあおった。
「『男だと思っていた時からそれでも構わないと思っていた』って――狂ってると思わねえ?」
伏せた顔にかかった黒に近い茶色の前髪をかきあげ、カイトは息を吐き出す。
「身分の高いのもそうじゃないのも、すげえ美人もかわいいのも、体使って迫ろうとするのもいじらしいのも、山ほど女に言い寄られてるってのに、揺らぐ気配はまったくないし」
最初の印象ほど冷たくもないし、お高くとまってる訳でもない、と苦しそうに呟く。
「ナイトはありえないくらい強力で、その上、当のお姫さまはお姫さまでやっぱり強力で……」
そのナイト以外眼中にない。彼の唇がそう動いたように見えた。
視線の先では、フィルがミックの通算二十一回目の告白を、丁寧に、だけど欠片の希望の余地もなく打ち砕いている。あれはもう一種の騎士団名物だ。どこで聞きつけたか、メアリーが一回その様子を見てみたい、と目を輝かせて言っていた。
「押し倒しそうにも隙がないし、万が一押し倒せたところで、間違いなく巻き返されて瞬殺されるだろうし」
カイトが少し笑ったので、つられて少しだけ笑った。でも……彼が再びフィルに向けた視線には、やはり狂おしさが見え隠れしている。その意味がわかるだけに、ひどく切ない。
「でも、そろそろけりをつけるよ」
近々すっきり玉砕する――カイトは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
「そっか……」
フィルはきっとカイトを笑わない。誤魔化すことなく、けれど望みの余地なく、きっぱり断るだろう。
それで、フィルはきっとその後もカイトに対する態度を変えない。仲間の一人として、変わらずに大事にするのだろう。何か変わるとすれば、フィルは吹っ切れたカイトとなら一緒に街に遊びに出るようになるかもしれないということか……。
「玉砕、まあ間違いなくするだろうけど、したら慰めてやるよ」
「うるせえな、自分がちょっとうまくいってるからって」
「ちょっとじゃない」
余計むかつくんだよ、と笑いながらの小突き合いが始まって、ネタの臭いを嗅ぎつけたらしい他の連中が集まってくる。
「何の話だよ?」
「ヘンリックの幼馴染のことだよ、こいつ、のろ気やがって」
「おお、あの赤髪のちっちゃな娘。ありゃあかわいい」
「!!」
「仕立て屋の娘だろう? あの気の強そうなところがいいよなあ」
「おいっ!」
「明るくて愛想もいいし、笑顔も幼く見えてツボに入る」
「ニヤニヤと笑って人の彼女を語るな!」
「まだ彼女じゃないだろう?」
「っ、じ、時間の問題だっ」
「てことはまだチャンスが」
「なあ」
顔を引きつらせたヘンリックを前に、うんうん、と皆が頷き合う。
「まあ、相手がヘンリックだからなあ」
「そうだよな、こればっかりはな」
そうだよな、仲間だもんな、皆ちょっと言ってみただけだよな、と胸を撫で下ろした。それもこれもメアリーが可愛いのがいけない。
「「「「奪えないことはないよなあ」」」」
「渡すか!!」
ぎゃはははは、と笑いながら、皆が散っていく。
「ヘンリック、丸聞こえだったよ」
そんな彼らを横目で見ながら、フィルが笑って近寄ってきた。大分飲まされているはずなのに、酔ったそぶりはまったくない。
さっきまでフィルが囲まれていた先をちらりと見れば、酔いつぶれた人たちがそこかしこに転がっていた。本当に隙がない。
「フィルがあんなに派手なことしなきゃ、俺だって今日の準主役ぐらいだったのに」
メアリーのことで皆に損ねられた気分を、ついフィルに八つ当たって嫌みを言ってしまった。
「そうだな。随分上達していた」
「……っ」
なのに、にっこりと笑って肯定されて、顔に血が集まってきた。
メアリーに誓って言う。やましい気持ちじゃない。ただ、嬉しい。
フィルは親友で、変なところもいっぱいあるけど、騎士として剣士として憧れの存在ではあるから。
「元々筋は良かったけど、フォトンさんの指導もいいんだろうな」
「……」
さらに赤くなっていくヘンリックに、フィルは「そういえば、」と茶目っ気を見せて笑った。
「対戦していた時、赤毛でちっちゃくて気の強い、でも笑顔のかわいい仕立屋の娘が、必死にヘンリックを応援していたの、気付いていた?」
「え……」
(お、お店があるから、来れないって言ってなかったけ?)
「っ」
(う、わあ……やばい、めちゃくちゃ嬉しい……)
酒との相乗効果で全身を赤くしたヘンリックに、フィルはくすくす笑い出す。
「……ちぇ、やな奴」
八つ当たりだって知っててそういうことをする。
「そういえば、フィル、大衆の面前でアレックスに派手に抱きついてたね」
「ぐ」
で、今度はフィルが赤くなる番。
「ところでさ、フィル、明日、なんか予定ある?」
「ない」
「じゃ、遊ぼう」
「うん、遊ぼう」
顔を見合わせてにかっと笑えば、同じ笑いが返ってくる。
明日は花祭り最終日で、フィルもヘンリックも非番だ。
フィル好みの甘い物を探してお腹いっぱい食べて、その次にメアリーに似合う花束を買って、一緒にメアリーを訪ねよう。
もしメアリーがお店を抜けられるようなら、その後三人で、忙しくしているだろうアレックスの様子を見に東地区へ行こう。
アレックスへの差し入れはフィル――彼女を見て喜ぶのは絶対だけど、アレックスはヘンリックたちを見て、微かに、でも確実に笑ってくれるはずだ。
外形のカッコよさや頭のよさにももちろん憧れるけど、ヘンリックは彼のそういうところが実はものすごく好きだ。
(で、フィルはフィルで、そんなアレックスを見て、やっぱり幸せそうに笑うんだろうな)