13-9.強さの理由
「な、心配することなかっただろう?」
「……そういやそういう奴ですよね」
闘技盤脇でウェズに話しかけられて、ヘンリックは口をへの字に曲げた。
続けて「心配したのに……」とぼやけば、ウェズがくくっと笑う。横ではミックやミレイヌたちが口を開けて、フィルと敵国の将軍の戦いを呆然と見つめていた。
「!」
観衆が固唾をのんで見守る中、これまでほぼ一方的に攻撃を仕掛けていたフィルが突如後方に飛び後退さった。
その頬をイラー・デンの一撃が掠める。
「っ」
続いて振り下ろされた一撃を真っ向から受け止めると、フィルは剣を押し合う間に、左目を袖で拭った。
「……唾かけやがった」
ウェズが呆れたような声で、「ありゃあ、元は流れの傭兵だな、一体どんな手段で将軍にまで上り詰めたんだか」と呟いた。
崩された体勢を一気に直させてくれるほど、甘い相手ではないようで、フィルは今や完全に守勢に回っていた。
イラー・デンの力に任せた横薙ぎの剣を、柄に両手を添えて受け止めたものの、直後に腹に蹴りを受けて後方へと吹き飛ぶ。
観客席からは鼓膜を劈くような罵声と悲鳴がとんだ。
「っ、避けろっ」
真横からヘンリックの声が聞こえて、フィルは苦痛に歪めていた目を見開いた。
蹴られて闘技盤に倒れているところに、追撃が迫ってくる。
「……っ」
胃液が逆流しそうになるのを堪えながら、振り下ろされる剣を身を捩って避けた。その勢いで跳ね上がり、なんとか間合いを取り直す。
「へへ、お上品なカザックの騎士にはまねできんだろうが」
場内が怒号に包まれるが、イラー・デンは少しも気にしていないようだ。
「勝ちゃあいいんだよ。そうすりゃ好き放題、何もかも正義になる」
先ほどの衝撃に内臓がぐらつく中、フィルは目を細めた。
(『勝てば官軍』が奴の信条か……ますます、気に入らない)
口内に酸を感じるのは、堪え切れなかった胃液がせり上がってきたせいだ。もう少しすれば、今は感じていない腹の痛みが四肢の動きを鈍らせるだろう。
(けど……こんな奴に負けるわけには絶対にいかない)
ぎりっと奥歯をかみ締め、ふとした弾みに咳き込みそうになる気管を押さえて、イラー・デンへと剣を構え直す。
「フィルっ!」
騒音を縫って耳に届いた声に瞠目する。直後に、口の両端が上がった。
見えなくたって、喚声にかき消されそうな程遠くたって、彼の声だけはわかる。振り返れないのが残念だけど、どこにいようと、彼はいつもフィルの背を押してくれる。前に進む勇気をくれる。
――守るための力を持つことを誇らせてくれる、大事な人。
体中に力が漲ってくる。なんだって平気な気分になって、力を込めて剣を握り直した。
「賛成しない」
フィルは鋭い目で、イラー・デンを睨み付ける。
目標は勝つことじゃない。その向こう、自分と大事な人たちの幸せだ。
「お前に二度と剣は握らせない」
そう言い捨てると、フィルは身を低め、イラー・デンへと突っ込む。
頭上から振り下ろされる彼の一撃を紙一重でかわし、フィルへと伸びてきた足の膝の皿を、模擬剣を薙いで砕く。
そして、重心を狂わされて下方へと傾いた相手の右肩へと、反す剣を内側から叩きつけた。
(刃は潰れているから当然血は出ない。が……ここだ)
骨と腱、筋肉のつなぎ目――利き腕の急所への攻撃にイラー・デンの顔が苦痛に歪み、くぐもった呻き声が口から漏れた。
屈辱と憎悪を含んだまなざしに笑うと、フィルはその刃をすばやく滑らせた。弧を描くようにわずかに手前に引き、剣尖を同じ場所に押し当てる。
そして、外側上方へと、体から腕を切り離すように切っ先を突き上げ……
「っ!」
驚愕に目を見開いたイラー・デンの関節を容赦なく押し砕いた。
骨と腱の断たれる鈍い音は、彼が上げた叫びにかき消された。
「……」
フィルは剣を鞘にしまい、対戦相手への最低限の礼として首を垂れる。
そして、再び顔を上げた後、立つことすら出来なくなったイラー・デンの青い顔と、目の前に落ちた彼の剣を見比べ、わざと凄惨な笑みを浮かべてみせた。
力に驕った報いだ。無くして後悔すればいい。
静まり返っていた場内は、フィルが片手を天に上げたのを合図に、怒涛のような歓声に沸き返った。首が痛くなるほどの高さにまで広がる観客席から、雪のように花びらが舞い落ちてくる。
「ええと、確かあっちの方から……」
視界を花弁が不規則に遮る中、フィルは頭をぐるりと巡らせた。
(あ、いた)
にっこり笑うとフィルは、その人の名を呼びながら、その一点を目指して駆け出す。
目的の場所の前に着くと、観衆と闘技場を隔てる、自分の身長ほどあろうかという段差の上へとひらりと跳び上がった。
(ねえ、見てた? 私のはちゃんと守るための力だよ、あなたがそう言ってくれたように、いつもそう言ってくれるように――)
驚きに青い目を丸くしていたその人は、それでもフィル目掛けて階段を駆け下りてきてくれる。それがひどく嬉しい。
衝動のまま、段差の上から彼の腕の中へと飛び込んだ。
そのフィルを彼は抱きとめて、声を立てて笑う。そして、さらに強まった喚声に構わず、そのままフィルを胸の内へと囲い込んだ。