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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第2章 浸透
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2-5.危険

 その日の訓練は既に終了していて、フィルは同期たちと共に鍛錬場でわいわいと居残り練習をしているところだった。


 王都に来て初めて知ったことだが、騎士の仕事には外国との戦争や内乱の対応だけではなく、王都の治安維持も含まれるらしい。が、そのいずれにも見習い中の見習いのフィルはまだ関われない。

 見習い期間は半年。最初の3ヶ月で、“騎士として世間に携わるのに必要最低限の教養”(ポトマック副騎士団長談)を身につけるべく勉強して、その試験に受かったら、“見習い”として王都の治安維持に関われるようになるらしい。そして、半年後には制服が今の青から黒に変わり、他国との紛争などがあれば、それにも参加することになるそうだ。

 それゆえフィルたち新人は、このところ毎日毎日学業に追われているのだが、こんな日々は街に巡回に出られるようになるまで続くらしい。


 正直なところ、体を動かすのが得意で、机の前にじっと座っていることが苦手なフィルとしては、かなりうんざりしているのだが、それは同期たちも同じなようだ。

「勉強ばっかだと息は詰まるけど、訓練は訓練で厳しいよな」

「俺、絶対、明日打ち身と筋肉痛で動けなくなってる気がする」

 だからだろう、午後の訓練で先輩達にボロボロにされたというのにみんな顔は爽やか。こうして居残りまでしている。

 もっとも出ている課題からの逃避という説もあるけれど――そう、剣士らしく潔く認めよう、少なくともフィルの場合ははっきりきっぱり逃避だ。


(アレックス、早く来ないかな……)

 ちなみに、フィルの企みは課題などものともせずに進行中だ。この間はヘンリックにアレックスを知ってもらうことに成功した。私って案外すごいんじゃないかと感動している。

 調子に乗ったフィルが決めた次のターゲットが他の同期たち――すなわち、居残り稽古にアレックスをつき合わせ、その過程で彼を皆に知ってもらおう、と。

(いけると思うんだよね、みんななんだかんだ言って、アレックスに興味はあるようだし。リアニ亭の皆と同じように、『苛められてないか』って私を心配してくれているけれど)


 頬に触れる風には、冷たい筋が含まれていた。フィルと同期たちの間を通り抜けた後、鍛錬場の隅にある色づき始めた木の葉を揺らす。フィルからすると、驚くほど遅いが、カザレナにも本格的な秋がやってきたらしい。


「……?」

 企みを抱えてアレックスを待つフィルは、その爽やかな秋風に突如割り込んだ、嫌な空気に首をひねった。

(……見られている。でも殺気じゃない。でも、なんだろう、妙な感じだ)

 頭のどこかが警戒しろと言っている――仲間の喧騒を横目に、フィルが思わず眉を顰めれば、隣に居たヘンリックが怪訝そうな顔をした。

「どうしたの、フィル?」

「……あの人」

 フィルが視線を向けた先、こちらをじぃっと見ている細身の男からその気配は発せられている。


「? 知り合い?」

「見るな、見るな、2人とも」

 2人でその人をよく観察しようと頭を廻らせたところで、カイトがそう言いながら、ヘンリックとフィルの頭を別方向へと向けた。

 同期のカイトとは、入団式前の一件を面白がった彼がフィルに話しかけてきたことで仲良くなった。面倒見のいい性格のようで、非常識なフィルや、押しに弱いところのあるヘンリックに丁寧に付き合ってくれる上、結構腕もいい。その彼はまた自分たちの面倒を見てくれる気らしい。

「お前ら特にやばい」

 げっ、他の数名もそんな風に呟いて、視線を遮るように、2人とその男の間に移動した。

「46期生のゲイザーだよ。しょっちゅう宿舎に女、連れ込んでる」

「飲み会のある日は禁止されているのに、去年の剣技大会の打ち上げの夜も、“女友達”を呼んで謹慎受けたって」

「いくら騎士本人の同伴があれば、彼女の訪問ありって言っても、毎回違う子を平気で連れ込む神経ってのもなあ」

「しかも、複数同時、仲間の恋人に手を出したこともあったらしいし、あいつのせいで彼女連れて来にくいんだよなあ」

などと、同期たちが小声で話し出す。

「……」

(女の人を連れ込む。で、“お前らやばい”……? って、それ、まさか、私が女だとばれてるってこと……?)

 瞬きを数度繰り返した後、フィルは蒼褪めた。

「でも、なんで僕、ら、がやばいのさ?」

「っ」

 ヘンリックの一言に、心臓が止まりそうになった。

「両方いけるんだと」

「……へ?」

「え、それって……」

「お前ら特に可愛い顔してるからなあ」

「うんうん、例年新人の誰かが付きまとわれたり、襲われたりするんだって」

 頷く同期達に、ばれた訳ではなさそうだと判断して脱力するフィルとは対照的に、今度はヘンリックが顔色をなくした。

「ディラン、稽古相手をしてあげよう」

 その声に一気に緊張したのは、気の緩んだフィル以外の全員だった。


「稽古……」

「そう。君は時間内はいつも第一小隊に囲まれているから。バードナーはどう?」

「あ、いや、遠慮します、あと、フィルも……って、フィル?」

 緊張から逃れたところにやってきた、いつもなら嬉しいそんなお誘い。でもアレックスと同期を近づけようと目論んでいる今はあまり嬉しくない。

(だって私が稽古している間にアレックスが来てしまったら……)

「おお、いいじゃないか」

(きっとその間に、私以外誰かがアレックスと稽古をする。下手に私が何かするよりいいかも)

 そんなことを考えてフィルは剣を構えると、「よろしくお願いします」とゲイザーへとにっこり笑った。


「え? いや、ちょ、ちょっと、フィル……」

「おい、待て。って、ああ……」

 必死の合図空しく、高く響き始めてしまった剣の交わる音に、同期たちはみな蒼褪める。

「あいつ、さっきの会話の意味、絶対理解してない……」

「どうする、誰か上の人、呼びに行く?」

「稽古だって言い張られたら、上の人だって止めようがないんじゃ……」

「ああ、無事に終わってくんないかな」



* * *



(やれやれ、やっと終わった)

 いつも延長する経済学の講義を終え、アレックスは窓外からの剣を交える音に意識を向けつつ立ち上がった。

 フィルはおそらく鍛錬場に居残っている。全然進まない課題に、大分嫌気がさしているようだったから。

 昨晩の彼女のしかめっ面を思い出して小さく笑うと、アレックスは一緒に稽古をしようと決め、さらに頬を緩めた。


 フィルと剣を交えるようになってから、はや一月が過ぎた。師や仲間たちと手合わせするのもおもしろいが、それとはまた違う楽しさがある。彼女の剣はしなやかで美しく、しかも訓練のためか、意識している訳でもなさそうなのに、稽古相手に上手く合わせて動く。だから、彼女の動きを注視すれば、自分の何がいけないのか明確にわかる。


「……結構、成長したつもりだったんだがな」

 ふと苦笑と共にぼやいた。

 そう、フィルは相変わらず強い。昔おぼろげにしか知らなかった彼女の強さは、自分が剣を握るようになった今、はっきりとわかるようになった。

 最初に彼女が剣を振るう様を見た時、見惚れてしまった。一分の隙も無駄もない動きは美しいとしか言いようがないもので、まだまったく追いつけていないと気付いて、悔しさに歯軋りした。

 なのに、剣を下ろした彼女は、嬉しそうにこちらに微笑みかけてきた。その顔がひどくあどけなく見えてギャップに戸惑い、それでも、結局ひどく幸せな気分になってしまった。


 彼女に会いたい、その為に強くなりたい――何年もそう思い続けて、期せずして彼女と過ごす時を得た。思い描いていたのは全く違う形になったが、彼女が今自分の傍らにいることを純粋に嬉しいと思う。

 あとは一刻も早く彼女に追いつくことだけ。そう、今度こそ彼女を守れるように――。


「おい、アレックス、あれ、フィルと……」

 廊下へと足を踏み出したアレックスの耳に、オッズの硬い声が響いた。

 同期の中で完全に浮いているアレックスに唯一話しかけてくる彼は、変人ぞろいと評判の第一小隊員の例に漏れず、好き嫌いのはっきりした攻撃的な気性の持ち主だ。だが一旦気に入ってしまえば、その許容範囲は深い。

 四年前、四つ年下のアレックスを彼は何をどうしたことか気に入ってくれたらしく、以来彼に構われる日々が続いているのだが、その彼はフィルのことも気に入ったらしい。弟にでもするかのようにフィルをからかい、面倒を見てくれているのだが……。

「ゲイザー、じゃねえ?」

「っ」

 アレックスは息をのむと窓へと駆け寄った。毎年毎年気に入った新人に、ああして付きまとうあの男だ。アレックス自身もからまれた覚えがある。

「あいつ、うちの後輩にまで何しやがる気だ」と呻いたオッズと共に、アレックスは瞬時に踵を返した。

(フィル……っ)

 気ばかりが急いて、足が遅くなったような気がする。すれ違う者たちが唖然と自分たちを見ているが、気にする気には全くなれなかった。


「えーと……すみません、まさかそんな簡単に入るとは思わなくて……」

 だが、焦燥と汗とともに駆けつけた先で待っていたのは、あんぐり口を開けた新人達と、何気に失礼な台詞を言ってのけたくせに戸惑ったような顔をしているフィル。そして、膝を突いて額に脂汗を流している、腕は悪くないはずのゲイザーだった。

「……」

 彼らの向こう側、アレックスとオッズの対面には他の第一小隊員の顔もある。助け、に来たのだろう、彼らも……。


「フィル」

「ああ、アレックス、やってしまいました……」

 フィルの顔に怯えや怒りがないことを確かめつつ、足早に近寄れば、彼女は情けない顔を見せ、口をへの字に曲げた。

「ごめんなさい、せっかくの機会だったのに……」

(機会?)

 そう一瞬頭を掠めたものの、そんなことよりも気にかかるのはフィルの無事だ。

「大丈夫か?」

「……多分だめです」

 アレックスの問いに、彼女は「うー」と呻きながら、足元のゲイザーを見つめる。被害はないらしいと判断して、アレックスはようやく息を吐き出した。


「変な音した、よな、肋骨……?」

「お、折れてるのかな」

「あの勢いならそうかも……」

「やっぱフィルって……」


 新人たちのそんな戸惑った声を背景に、「ぶっ、わはははははっ」とオッズが笑い声をあげた。

 ぎょっとするフィルと新人たちをおいて、やはり笑い出した向こう側の第一小隊員たちが「さいっこう!」などと言いながら、そのオッズと意気投合していく。


 アレックスは目の前の光景から無言で目を離すと、赤く染まりつつある空へと目を向けた。

「……」

 現実逃避だ。が、常識ある人はきっと誰も自分を責めないと信じることにする。


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