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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第13章 強さの理由
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13-8.狂将軍

 下げた頭を戻し、フィルはカザック国王とフェルドリックの傍でこちらを見下している隣国の大男を改めて見据えた。

(願ったり叶ったり、だ)

 昨日見たあの男を最賓席に見つけた瞬間、フィルは自分から頼めないかと思っていたのだから。


 控え室に引き返すべく踵を返せば、ヘンリックが後を追ってきた。

「フィルっ、何してるかわかってんの!? あいつ、残虐と殺戮の狂信徒だよ、ドムスクスの、あの悪名高い将軍!」

「うん」

「断るべきです!」

 再び口を開こうとしたヘンリックを遮ったのは、闘技場と控え室を繋ぐ通路の入り口にいたミック。他の仲間たちも青い顔で頷いている。

「無理だと思う」

 彼らの前で立ち止まり、フィルは背後の観客席を顎で示した。

 予期せぬ出来事に、観衆の熱気はいまや恐ろしいまでに膨れ上がっている。大会の比ではない。

 こんな状況で彼らの期待を裏切れば、それこそどんな目に遭うか――おそらくあの男はそれを見越して敢えてあんなやり方をとったのだろう。粗野で馬鹿なだけの男ではないらしい。

「もっとも断れるとしても絶対断らないけれど」

 呻き声を上げるヘンリックと並んで通路を歩き、フィルは控え室の扉を開けた。


 そこには出場者の監督を務めるウェズ第一小隊長に加えて、ポトマック副騎士団長がいた。なぜか先ほど準決勝で戦った近衛のミレイヌまでいる。

「イラー・デンは知っているか?」

 仲間同様、青い顔で話しかけてこようとしたミレイヌの頭越しに、前置きなくポトマックから声がかかった。

「いい噂を聞いたことはありません」


 ドムスクスで異例の速さで将軍職についた人物だ。音に聞こえた好戦派で、疲弊しているはずの国庫に不釣合いな近年の軍拡は彼の影響だろうと、近隣国に大規模な侵略を開始するのではと、もっぱら噂だ。

 さらには、自身かなり名の知れた剣士のはずだ。技量だけでなく、三年前にとある山間民族を大量に虐殺したという残虐性もあわせてというあたり、個人的には絶対認めたくない相手だが。


 昨日目の当たりにしたあの男は、祖父曰くの『力に狂った人間』に見えた。

 被害者どころか、部下の命にすら気を払わない山賊の頭、権力を振りかざして横暴を極めていた地方の警護隊長、私兵を率いて謂れのない税を民に課し、暴利をむさぼる領主――フィルが祖父と旅する間に何度となく見た人々と同類だ。

 祖父はいつも悲しそうに、『剣は力。そして、あらゆる力は人の心を狂わせる』と言っていたけれど、昨日のあの男が最賓席の一角に座るのを見、噂の将軍なのかと認識した瞬間、すべてが腑に落ちた。

 そんな男だから、今持ち上がっているカザックとの講和条約にも反対しているのだろう。


 無言のまましばらくフィルを眺めていたポトマックは、無表情に再び口を開いた。

「圧勝して来い」

「ただ勝つだけでは足りない」と静かに、けれど有無を言わせない強さで彼は続けた。

「この国の平和の多くは、他国が我ら騎士団に対して抱いている畏怖で維持されている。その騎士たるお前に欠片でも隙があれば、そんなカザックを恐れて講和条約を結ぶ必要などないとイラー・デンは主張するだろう」

 そして、「それは戦争を意味する」と締めくくって口を閉ざした。

 彼の言にか、空気にか、とにかく周囲の仲間たちが息を飲んだのがわかった。

「おお、負けたら宿舎に入れてやらんからな」

 沈黙を破ったのは、後方で壁にもたれて自分たちのやりとりを見ていたウェズ小隊長の陽気な声だ。

 信じられないものを見るように彼を振り返ったヘンリックたちが、次の瞬間、非難を含む目で彼を睨みつけた。

 ミレイヌにいたっては直情家の彼らしいことに、「それはいくらなんでもあんまりだっ」とはっきり声を上げる。

 そのすべてに彼は肩を竦めて返すと、「大丈夫だ。フィルなんだから」と理由にならない理由を付け足し、にやりとこちらへと笑いかけてきた。

「……ですね」

 なるほど、色んな形で心配されてるんだ、と不意に悟ったら、なんだか笑いがこみ上げてきた。「笑ってる場合じゃありませんっ」とミックに叫ばれてしまったけれど。


 それから、フィルは剣を膝に瞼を閉じた。

 大事な人たちの姿が浮かび上がっては消えていき、最後にアレックスが残った。

 彼は今日この会場にいない。今頃は王都の東地区で、派遣されてきた地方の警護隊員たちと騎士たちをまとめ、忙しくしているのだろう。

 いつもそうであるように、街の人たちの温かいけれどちょっと乱暴な丁々発止のやりとりを、時々困ったように笑って、でも優しく見ているに違いない。

 気後れして近寄りがたく見える人なのに、実はああいう空気がすごく好きなんだって気付いたのはいつだっただろう?

 街中で知らない人たちの日常を見つめ、優しく笑っている彼の横顔を脳裏に思い描き、フィルも微笑む。


 ここは祖父の愛した国で、あの人たちが彼が幸せを願った人たちだ。そして、アレックスやポトマック副団長、他にもたくさんの仲間たちが愛している国で、フィル自身もここで暮らす人たちに幸せでいてほしいと願う。

 だから、その為に、私は私のなすべきことを――。


『心を水鏡のように平らに』

 祖父が教えてくれたまじないを心に思い浮かべれば、精神が再び高揚し始める。

『体に気力を、髪の先々まで、指の端々にまで行き渡らせる』

 体中が闘志に沸き、全身の毛が逆立った。

 血管という血管が拡張し、勢い良く血液がそこを流れ出すのがわかる。


 全身の感覚が冴え、部屋にいる者たちの心臓が脈打つ音が聞こえ始める。

 控室前の通路をやってくる人の姿形が、鮮明に脳裏に浮かんだ。

「準備が整ったとのことです」

 その者が扉を開き、フィルに再入場を促した。



 * * *



 地を割るような喚声の中、フィルは目の前に立つイラー・デンを見据える。

 アレックスよりさらに頭半分大きいのではないだろうか? 横にいたっては彼の倍はあって、やたらと威圧感がある。

 ニヤついた顔つきには、相変わらず品性を感じない。だが、身体つきといい、身のこなしや空気といい、噂どおり結構な使い手だともわかった。

 ポトマック副団長が念を押した理由を理解する。好き嫌いや人品はともかく、舐めてかかれば逆にやられるだろう。

 

 開始を前にした礼を終えた瞬間、男は好感の持てない笑みを殊更に深めた。

「なあ、これが終わったら、一晩付き合え。可愛がってやるぜ」

「あなたがその時立っていられるとは思えませんが」

 思ったままを返せば、目に凶悪な光が灯った。人というより肉食の獣に近い印象の男だが、その気配が増す。

「女は男にケツふって、ご機嫌取りしてりゃいいんだよ」

(……想像以上に下品だった。こいつが将軍ね……大丈夫なのかな、ドムスクス)

 フィルは呆れ半分に片眉を顰めた。


 観客からの喚声が、場内を揺るがし続けている。先ほどまでは罵声も多かったが、今回はフィルへの声援がほとんどのようだった。直接の衝突は三十年前とはいえ、フィルの性別に対する反感は、いまだ戦争状態にある国の将軍への反感よりは幾分優しいらしい。


 審判が頭上に腕を振り上げた瞬間、場内は打って変わって静まった。耳鳴りがするのは騒と静の落差のせいだろう。

「始め」

 開始の声が響くなり、イラー・デンがその巨躯からは想像できない速さで踏み込んできた。喉元へと剣が突き出される。

 それを下方から柔らかく弾くと、そのまま踏み込んでイラー・デンの胴へと切りつけた。彼は一歩退いて、すんでのところで刃を避けた。

 彼の顔からニヤツキが消える。


 今度はフィルから仕掛けた。

 上段、下段、中段、下段……、持ち前の素早さを生かして、追い詰める。

 関節や筋肉、自分の体の限界を弁えて、自らの体勢を決して崩さぬよう、剣を繰り出す。

 剣を引く際には相手に付け入る隙を与えないために、寸前の手で必ず相手の重心を崩す。当たらない場合でもあっても、最低そう持ち込むことで、格段に次の一手が有利に運ぶ。

「ぐっ」

 運動のためか、侮っている女に翻弄されている怒りのためか、イラー・デンの顔が上気していく。フィルはかすかに唇の端をあげた。

 踏み込む時は大胆に、退く時は最小限に――祖父の教えに忠実に敵を追い込んでいく。

 金属の塊が空気を割いて生まれる音、相手の呼吸、心臓の拍動、収縮する筋肉の動き、限界に達する寸前の腱が悲鳴を上げる音、攻撃の意思を込めて見つめられる、憎しみにごく近い色を湛えた視線――五感を強烈に刺激してくるそれらの情報に、全身を精密に支配するべく、自分の神経がさらに研ぎ澄まされていくのを感じる。


「っ、ちょろちょろふわふわとっ、羽毛かよっ」

 イラー・デンの渾身の一撃の数々は、それなりにフィルの剣に当たっている。だが、目論見と違って、フィルが剣を落とすことも、握力を失くすこともないせいだろう、彼は目に見えて苛立ち始めた。


「っ」

 思わず出てしまったという感のあるイラー・デンの大振りの隙を逃さず、フィルは相手の胸部へと模擬剣を叩き込む。

 鈍い音が本人とフィル、審判の耳にのみ届き、直後にイラー・デンの顔が赤黒く染まった。

 だが、さすがに肋骨が一本折れただけで棄権するほど、落ちぶれてはいないらしい。

「このアマ、殺してやる……っ」

「下品なだけじゃなかったか。随分と身の程知らずだな」

 その言葉にフィルは口角を吊り上げると、剣を構え直した。



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