13-7.期する所
翌日は剣技大会だった。
フィル以外は皆初出場なせいだろう、控え室の空気は落ち着かない。フィルの横ではヘンリックがとんとんと床を足先で叩き、出入り口の前ではミックがウェズ小隊長に熱心にアドバイスをねだっている。
(大変かもしれない、か……)
オッズが言っていた言葉を思い返しながら、フィルは膝の上においた自分の剣を見つめる。長く、長く付き合ってきた細剣だ。物心ついた時には持っていた……。
「……」
剣を鞘から少しだけ抜けば、金属の震え特有の硬質の音が耳に届く。覗いた剣身には自分の顔が映っている。
剣を持つこと、騎士であること、それから女であること――性別を知られてから向けられた様々な顔と言葉が頭をよぎる。
そういえば、最初はザルアの町だった。あの頃から、オンナノコが剣を持っているのはおかしいと言われて、仲間外れにされていた。
あの時向けられた視線――異質なものを見る目、蔑みと嘲笑を含んだ目。今カザレナの街で少なくない数の人たちから向けられる視線は、あれとそっくりだ。
(あんまりいい思い出じゃないし、今日もきっとそうなるんだろうな……)
剣に映っている自分の顔の眉根が寄り、同時に溜め息が零れた。
女だからって、こうもあれこれ言われることになるとは、正直思っていなかった。フィル自身がどうあるのか、何をするのかが、問題なんだとばかり思っていたのだ、祖父母はいつもそう言っていたから。
女だからどうだとか、こうしなさいとか、あれはダメとか、そんなことを言われたこともなかった。だから、余計戸惑ってしまうのかもしれない。
世間の人が当たり前のように意識するものが私の中にはない――こういう時に、本当に常識がないんだなあ、と実感する。
(……でも、それって悪いことなのかな?)
そう思いついた瞬間、手元の剣の中でぱちくりと目が瞬いた。
世間ではそういうものなのかもしれないけれど、フィルは女だからこうあるべきだとか言われるのは、なんだか居心地が悪い。
逆に誰か、例えばアレックスやヘンリックに、男だからこうあるべきだと言うのも違和感がある。
その理由を考えて、フィルは首をひねった。
「……そっか」
(爺さまが言っていたところの『生まれついて持たざるを得なかったもの』だ、性別は)
――じゃあ、それを理由にこうあるべき、こうするべきと思う必要は、別にないってことじゃないか?
剣を捨てろと言った父を思い出す。フェルドリックと再会した時のことも、アレクサンドラとの一件も。悩んで、その度に剣を持つ自分でいようと決めたのは自分だ。
フィルは生まれてくる性別を選べなかったけれど、剣を持っていようと自分で選んで、それゆえに望んで騎士になった――だったら、それに相応しくありたい。たとえそれが性別ゆえの『常識』から外れていたとしても。
街中で向けられた悪意や蔑み、異端を見る目や口さがない言葉は、きっと今日もあるだろう。居心地が悪くなるのは目に見えているし、情けないけど、正直怖いとも思う。
(じゃあ、努力しよう)
ぐっと剣の柄を握ると、金属の中の見慣れた顔がちょっと歪だったけれど不敵な笑みを湛えた気がした。
(周囲が認めないと言うなら、認めざるを得なくなるように、できるだけのことをやってやる)
愛用の剣を膝の上に置いたまま、深呼吸する。それから目を閉じ、手に触れている柄の感触を頼りに、集中を極限まで高めていく。
ある瞬間を境に、周囲の雑音や話し声が聞こえなくなる。
体内を流れる血液の音が耳に届き始める。空気に揺れる髪の一本一本が認識できるようになる。
ずっと黙っている横のヘンリックの心臓の音が聞こえてくる。初出場にかなり緊張しているらしい。
マイペースなミック・マイセンが、不意に口を噤み、こちらへと視線を向けた。
遠くから足音が近づいてきて、控え室の扉の前でとまった。
「フィル・ディラン」
開いた扉の向こうから名を呼ばれ、フィルは無言で立ち上がると、静かに会場へと向かった。
* * *
(圧勝だな。去年よりも段違いに強くなっている)
地響きのような喚声に沸く剣技大会場の貴賓席で、フェルドリックは闘技盤中央に立つフィルを見つめた。
歓声も声援も、去年より格段に増えた罵声も嘲弄も何もかも無視して、まるで雷光のように苛烈に、けれど静かに勝利を重ねていった彼女は、人の手には届かない世界の存在に見えた。
フィルが親友と言っていた、癖のない茶髪の騎士――確かヘンリックという名で、フィル同様にひどく人が良さそうだった――が、決勝の三本勝負のそれぞれで十数撃ほど応戦したのを、すさまじい健闘だったと讃えて構わないだろう。
視線の先では、礼を交わした二人がお互いの肩を叩いて、笑い合ったところだ。
開始時より多少ましになったものの、フィルへの非好意の視線と言葉は今なお多い。その中で笑って彼女の側に居られるあの神経は確かに得がたい、とフェルドリックはヘンリックを記憶に留め直す。
「女性騎士なる存在を私は初めて見ました……。本当に美しい人ですね……」
隣に座るフェルドリックの父でもあるカザック国王の向こうで、隣国ドムスクスの王太子が呆然とフィルを見つめている。
「街で見かけましたが、まさかあんな者に優勝まで許してしまうとは。この国の騎士の程度がうかがえますな」
明らかな嘲笑を含んだ声の主は、王太子の隣に佇む巨漢、ドムスクス国の将軍イラー・デンだ。
今回の講和条約の締結について横槍を入れ続けてきた男の言に、フェルドリックは無表情を保ったまま、内心で『またか、下衆が……』と吐き捨てる。
同じセリフを聞いていたドムスクスの者――ほとんどが奴の子飼いなのだろう――は笑いをかみ殺し、カザックの者が顔に薄く朱をのぼらせた。
「他意はないのです」
焦りを含んだ王太子の言に、フェルドリックは『確かに他意はないな。侮蔑そのものだ』と小さく息を吐き出す。自国の将軍を制することはおろか、フォローの言葉すら選べないらしい、と心の内で毒づいた後、微笑を顔に貼りつけた。
「女性で美しくもありますが、我が国の騎士に相応しく、剣の腕の他に知力、教養、品位、そのすべてを備えております。ああ、それから礼儀も当然に」
――外交の場で、礼儀も知らず、言葉も選べないお前を始めとするドムスクスの騎士とは違う。
艶やかに笑いながら、言外に滲ませたフェルドリックに、今度はカザックの者が笑いをかみ殺し、ドムスクスの者が顔を赤く染めた。
傍らにいるロンデール近衛副騎士団長とコレクト騎士団長、騎士団カーラン第三小隊長の空気が尖っていくのがわかる。
不穏な空気の中、殺気を含んだ目をフェルドリックへと向けていた将軍は、不意に下品な笑いを顔に浮かべ、口を開いた。
「では、余興を」
そして、品を失するまでに豪奢なマントを風に遊ばせて立ち上がった。
ざわついている闘技場へと、しゃがれただみ声を張り上げる。
「そこな女騎士、このドムスクスのイラー・デンと手合わせ願いたい」
一瞬の静寂のあと、観衆の熱狂的な声がそれに応じた。
「否やはありませんな?」
イラー・デンがにやにやと笑いながら、カザック国王に告げた。
無表情に闘技盤を見つめていた王が、ふと口角を上げた。静かに頷く。その横ではドムスクス王太子が蒼白になっていた。
「……」
目を眇めつつ、フェルドリックが視線を戻した先――闘技盤の上では、フィル・ディランが優雅に承諾の礼を返している。