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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第13章 強さの理由
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13-5.諍い

 花祭りこと聖ナシュアナシス降誕祭まで一月を切った。

 春の陽気と祭りを前にした高揚感で王都全体が活気づく中、剣技大会や王都の警備強化などで忙しい騎士たちも、非日常の空気に包まれて浮き立っていた。

 そんな周囲を横目に、どんよりと沈む人間が一人――。

(怒らないって言ったのに……)

 修練の終わった鍛錬場の片隅でフィルは眉根を寄せ、稽古用の剣を磨いている。

 周辺ではフィルの同期の五十二期生や一つ下の五十三期生二十人ほどが、フィルと同じように剣などの武具の手入れを行っていた。


 フィルがアレックスとまともに口をきかなくなって丸三日。部屋の中でも外でもその状態だ。

 アレックスは今年から、祭りの警備の応援にやってくる地方警護隊を統制・監督する任に加わることになった。既に指揮官としての優秀さを見せている彼に、その才能をさらに試させてみようという上の判断らしい。必然的に彼は忙しくなり、そもそもフィルと一緒にいる時間がほとんどない。延々と会議室に詰めていて、部屋にだって深夜にしか帰ってこない。

 すごいとは思うのだが、何もこんな時に限って、と思ってしまう。


「……」

 フィルは手元の布を剣身に走らせつつ、死んだような顔で考え込む。

 先日、王宮からの帰り道にアレックスに問い詰められて、ロンデールとのことを詳しく話してからだ。

 あんな公序良俗に反するやり方で白状させるのはずるいとも思うけれど、それを圧倒的に上回って自分が悪いと思う。

 まず、自分でなんとかすると言ったくせに、うまくできなかったこと。いや、素性を伏せておいてもらうという本来の目的は達したけれど、それはロンデールの自発的な申し出に乗っただけで、フィルは何もしていない。彼が誰にも言わないと言った時点で、「ありがとう! じゃ、これで!」とか言って全力で走り去っておけば、こんな余計な問題を抱えなくて済んだのに。


 それから、ロンデールが好きなのはアレックスだと思っていたこと。

 そう言った瞬間、アレックスは『真っ白』という以外に形容できない顔をした。恐ろしく長い時間だった。胃の痛くなる沈黙と凝視がセットだった。

 でも、言い訳するなら、あれはフェルドリックの陰謀だ。

『ロンデールに気をつけなよ、アレックスのこと気にしているでしょう?』

 あの悪魔(ごめんなさい、爺さま、アドリオット爺さま)は『フィル』じゃなくて、『アレックス』と言った。タンタールへの道中、ロンデールはアレックスとずっと話をしていたし、あんな状況でそう言われれば、彼の狙いはアレックスだと思うに決まって……

(ないのか、普通は……?)

 フィルは、ひょっとして私が非常識だからなのか、そこをあの悪魔につけ込まれたのか、と顔を引きつらせる。

「……悪霊退散、いや、もういっそ滅殺でもいいかもしれない……」

 ぼそりと本音が漏れる。

(ああ、あいつは一体何回私を引っ掛ければ、気が済むんだろう……? それより何より私は一体何回あいつに引っ掛けられれば、学習するんだろう……?)

 手に布を持ったまま「うう、考えようによってはお化けより嫌かも……」と頭を抱えるフィルを、周囲が遠巻きにする。


 あとは、そんなロンデールと迂闊に二人きりになったこと。

(アレックスは止めようとしてくれていたのに、思いっきり心配もしてくれていたのに、それを「大丈夫」と自信満々に言い切っておきながら……ああ、どうしてあんな根拠のない自信を持てたんだろう……?)

 私は馬鹿に違いない、とフィルは眉尻と口の端を限界まで落とす。

 だが、これまた言い訳になるかもしれないが、アレックスとロンデールを見つめあったままにしておくより、自分で決着をつけようと思ったのだ。

(いや、そうやって考えると、あれは見つめあってたんじゃなくて、睨みあってたんだ……)

 ――もう、ぐうの音も出ない。

 布と剣を握ったまま、フィルはがくりと首と肩を落とした。


 そんなフィルはどこからどう見ても不審なのだろう。引きつった顔をした後輩たちのみならず、同期たちも「またなんかしでかしたらしい」と首を横に振りながら、フィルから距離をとっていく。こんな時慰めたりフォローしてくれたりするヘンリックが巡回でいないのがとても寂しい。


 なんせ一番の問題は、抱きしめられてしまったことだ。

 不甲斐なかった。びっくりして硬直して動けなくなるなんて、本当に剣士失格だった。アレックスが決定的に怒ったと感じたのもそう話した瞬間だった。慌てて反省を述べてみたけれど、彼は無言のまま。

『……そういう問題じゃない』

 冷え冷えとした声で彼は静かに呟き、踵を返すと宿舎に向かって歩き出してしまった。そのまま事態は一向に好転していない。


「……」

 フィルは磨き終わった剣を足元に置き、ため息をつく。そして、元凶となったアンドリュー・バロック・ロンデールの緑灰の瞳を脳裏に思い出して、口をへの字に結んだ。

(あのまま離れるんじゃなくて、逆に踏み込んで肋骨の一本ぐらい折ってやればよかった。そうしていたら、少しは不名誉も気も晴れたのに……)

「……?」

 フィルはふと目を瞬かせる。

 そういう問題じゃないのかもしれない。だって、アレックスもそういう問題じゃないって言っていた。

 新しい剣に伸ばしていた腕が止まった。

 そういえば、同じようなことがあった。襲われて動揺するアレクサンドラにアレックスが抱きつかれていた時だ。

(あの時、すごくショックだった。悲しくなって、アレックスのことを恨みがましく思って、嫌だと……)

「嫌って……」

 その瞬間、ひとつの単語が頭に浮かんだ。

(き、らわれ、た……?)

 血がざっと顔から引いていくのがわかった。


(そう、なのだろうか? だから、目が合わない……?)

 アレックスがアレクだとわかって、無条件にこのままずっと一緒にいられるような気になっていた。でも、よく考えたら、そんな保証はどこにもない。

 指先が冷たくなっていく。

 相変わらずフィルはアレックスに迷惑をかけてばかりだ。今回の件だってすべてフィルの問題だ。実家とうまくいっていないことも、それを知られたくないのも、それがロンデールにばれてしまったことも……。おかしな勘違いをしていたのもフィルだし、その上、さらに下手なことをしてしまったのも……。

 呆れられてもまったくおかしくない――そう悟って、フィルは布を持った手で口元を覆う

 アレックスの空気は尋常ではなかった。前にも何度か怒らせたことがあったけれど、今回は謝っても全然だ。一瞬苦しそうな顔をして口を開いて、その後すぐに顔を逸らしてしまう。

 その際の彼の横顔を思い出して、フィルは愕然とした。

(じゃあ、あれは怒っているんじゃなくて、もう顔も見たくない、話したくない、そういうことなのかもしれない……)

 実際、話どころか、目を合わせることすらできないじゃないか……。

「どう、しよう、」

 ――本当に嫌われたのかも。



 すべての剣を磨き終わり、片付けのために武器庫に向かうべく、仲間たちが立ち上がった。彼らに倣って剣を抱えて後に続いたが、足が地についている感じがしない。

「げ」

 だが、その彼らもピタッと歩みを止めた。

 資料の束を手にしたアレックスが、他の警備監督者たちと共に渡り廊下を歩いてくる。

 距離が縮まる毎に彼の空気が強張っていくのは、きっと気のせいではない。


「春もたけなわ、祭りもすぐそこ、なのにここだけ暴風雪……」

「現実逃避してんじゃねえよ……って俺も逃げてぇ」

「今度は何したんだよ、フィル……」

 緊張に全身を強張らせつつ、前方のアレックスと後方のフィルを交互にうかがう同期たちから呟きが聞こえてきた。が、渦中のフィルのほうにこそ余裕はない。固まったまま蒼褪めていく。後輩たちに至っては「怖すぎる……」「何これ……」と言いながら顔を伏せてしまった。

 だが、世の中何事も例外はある。

「フィルさん」

「っ、ミックっ」

 硬直から一人抜け出したエドワードが、焦りながら後輩の名を叫んだ。

 気の良いエドのことだ、フィルとミックを思いやって彼の口を封じようしている――その場の誰にも通じるエドの善意は、生憎とミック本人には通じなかった。

 アレックスが微妙に目を眇め、気配がまた一段と尖った。彼の側にいたイオニア第一小隊長補佐が片頬を吊り上げ、手に持っていた書類を取り落とす。

「フォルデリークさんと最近空気悪いですよね? 今もそうですけど。別れたんですか?」

「ちょ、ミック、お前、黙れって」

「あ、あっち行こう、あっち!」

 真っ青になった後輩二人が、女の子のように可愛く微笑むミックの肩をつかんで、場を去ろうとする中、取り落とした書類を取りに身を屈めたイオニアが「今度はちゃんとさん付けした……けど、問題はそこじゃねえ」と胃を押えながら呟いた。


(別れた……)

 そんな周囲の様子も、有体に言えばミックの存在そのものも意識の外に置いたまま、フィルは言われた言葉を頭の中で繰り返した。

(そう見えるんだ、やっぱり……)

 白くなるまで唇を噛み締める。

「おい、フィル……?」

 無言のまま顔面蒼白となっていくフィルに、皆の表情が『まさか』から『本当に?』へと変わっていく。ちなみにアレックスの顔は怖くて誰も見られない。

(訊かれているんだから、答えなきゃ……)

 フィルは白い顔でミックを見つめ、祖母の躾に従って口を開く。

「そんなことは……」

 ――ないと答えていいのだろうか?

 だって、今まで一度もこんなことはなかったじゃないか、と思って泣きたくなった。

 自分が鈍くて気付かないだけで、本当は既に別れているのだろうか? アレックスはそのつもりなのだろうか? だから目も合わせてくれないのだろうか?


「じゃあ、やっぱり別れたんですね?」

 こっちに向かって歩いてくるアレックスのもはや殺気と言って差し支えない空気と、悲愴な表情で唇を引き結ぶフィルの重い空気。

 その中で一人うきうき出来るミックはやはり大物――現実逃避で皆そんなことを考えている。

(別れたら、もうアレックスの側にいられなくなる……)

 そう思った瞬間に、空気がひどく苦くなった。呼吸が苦しい。全身がひどく冷えていく。目の前が真っ暗になる。

「別れ……」

 怖くて、寂しくて、苦しくて、喘ぐように唇を開いた。

「――ない」

 その瞬間、本音が零れ落ちてしまった。そんなのは嫌だ、別れない、この先もずっと一緒にいたい――。


 立ち止まったままフィルと、立ち止まらないアレックス。

「っ」

 怯えて顔を伏せれば、視界にアレックスの足が入った。

(……え)

 俯いたままのフィルの頭に書類の束が軽く落ち、小さな乾いた音を立てる。

 目を見開いたフィルの横を「俺が悪かった」という声と共に、アレックスが通り過ぎていく。

 慌てて顔を上げ、アレックスを振り返った。それがわかったのかもしれない、右手に書類を掲げたままの彼が、肩越しに自分を振り返る。

 フィルに向けられた深い青の目元は、優しげな弧を描いていて――。

「……」

 それで許されたような気になるのは甘い、だろうか……?


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