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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第13章 強さの理由
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13-3.氷解

(あ……)

 フェルドリックの部屋を出たところで、フィルは近づいてくるロンデール副近衛団長に気付き、立ち止まった。笑っているのに内心が見えない表情に、一瞬で緊張を取り戻す。


(話さなくてはいけない)

 ぎゅっとこぶしを握り締める。

 父はフィルにザルアナック家との関わりを他人に知られるなと言った。兄のラーナックもその方がいいと言うし、さっきアド爺さまも同じことを言っていたから、フィルが実家に勘当された身だということは、きっと世間に知られない方がいい情報なのだろう。父や兄だけでなく、フィル自身にも、そして多分アレックスにもよくは働かない。

(私がやらかしたんだ、アド爺さまに頼るだけじゃなくて、私からもロンデールに頼まなくては――)


「ロンデール副近衛団長」

 呼びかけた声は、緊張のせいだろう、我ながらひどく硬かった。彼の顔に陰りが生じる。

「……少し彼女と二人だけで話をさせてください」

 そのせいか、呼びかけに対するロンデールの返事は、フィルにではなくアレックスへと向けられた。

「どのような用件で?」

 応ずるアレックスの声も空気もひどく硬い。

「あなたにお話しする義務があるとは思えません」

(……な、なんか、険悪?)

 ただならぬ二人の空気にたじろぐ。

 ひょっとして、フィルの出身を黙っていてやる代わりにアレックスから離れろと言われるのだろうか。それをアレックスは予見している……?

「あなたの義務でなくとも、生憎とこちらの権利ならば。ご存知でしょうに」

「……正式なものでない以上、気にかける必要があるとは思えませんので」

「“正式”に本質がいくばく付随するかという点について、あなたが気を払わない方だとは思っておりません」

 アレックスの皮肉めいた話し方に驚く。彼がこういう話し方をするのを聞いたことはなかった。ロンデールの緑灰の瞳に剣呑な光が宿る。

(え、ええと、何を言ってるんだろう……)

 アレックスがロンデールとフィルが二人で話すことを嫌がっているのは確かな気がするけれど、その理由も二人の会話の意味もいまいちわからず、フィルは顔を引きつらせる。


「その“本質”を得る機会をこの機に、と思いまして」

「……そこまで堂々と宣言されて引くとでも?」

「否やはないと信じております。あなたが“状況”をおわかりになっていらっしゃらないとは思っておりませんから」

 アレックスの空気が冷え込んだ……と言うより、もはや殺気と言っていい気がする。それはわかるのに、異国の言葉を話しているとしか思えない。


(私をアレックスのそばから排除するため……? なのに当のアレックスを怒らせてどうする気なんだろう。本当にわからない人だ……)

 変な物を見る気分でロンデール副団長の横顔を見つめていたフィルは、我に返って長く息を吐き出した。

 彼ら二人はこの会話でちゃんと意思疎通ができているようなのに、フィルにはさっぱり理解できない。自分だけがまたもやつりあっていない、と思い知らされる。

「恥という言葉をご存知か」

「私はあなたほど若くないのでね、場合によってはいくらでも忘れられる」

 アレックスが固い顔で発した痛烈な皮肉と思しき言葉に、ロンデールは無表情に返した。

 誰も入り込めない空気で見つめ合っている二人を、ひたすら見比べているだけの自分がひどく情けなくなる。


(まさか、わざと私にわからないように話しているとか……)

 そこまで邪魔者扱い……と愕然とした後、だからこそアレックス頼みでいつまでも逃げている訳にはいかない、とフィルは決意を固めた。

「お話、承ります」

 見つめ合ったまま黙り込んだ二人の間に割り入ると、フィルはようやくそう口にした。

「フィル?」

 驚いた顔を向けてきたアレックスを真っ直ぐ見つめて、大丈夫だと伝えようと微笑む。

「……」

 アレックスの顔に心配と苦味を混ぜた色が乗ったことに気付いて、フィルは彼の手を握りしめる。本当は抱きしめたかったのだけれど、さすがにロンデールの前でそれはひどい、と思いとどまる。

「話をするだけですし……私が行かないとまずいことになるのでしょう?」

 でなければ、アレックスはこんなに必死にならない――。

 眉根をぐっと寄せたアレックスに、本当にそうなんだ、と悟って、フィルは「すぐ戻りますから、ここでしばらく待っていてください」とにっこり笑ってみせた。

「自分の蒔いた種ですから。自分でなんとかします」


「――行きましょう、フィル」

「え、あ……はい」

 急かすようなロンデールに眉をひそめつつ、フィルはアレックスの手を離し、彼の後について歩き出した。



 * * *



 ロンデールが導くまま、複雑な王宮内をぐるぐると回ってたどり着いた先は、フィルの知らない小さな庭だった。人気が一切なく、春だというのに寂しいほど静まり返っている。

「……そんなに緊張しないで」

「え、あ、はい」

 口でそう返事をしつつ、無理です、と心の内で呻く。


 それに気付いたのかもしれない、ロンデールは溜め息をついた。思わず身を強張らせる。

「知っていましたよ。あなたがザルアナック伯爵令嬢だということ」

「……はい?」

「タンタールへ向かう途中に、アル・ド・ザルアナック老伯爵について話した際のあなたの反応、そうだと仰っているようなものだったでしょう」

 うまく隠したつもりだったのに、と頬を痙攣させるフィルに、「大丈夫です、あなた――フィル、が知られたくないのなら、絶対に言いませんから」とロンデールは優しく微笑んだ。

「あ、りがとうございます……」

 安堵の吐息と共に礼が口から出て、フィルも顔を綻ばせた。これで、父にも兄にも、そしてアレックスにも迷惑がかからない。


「代わりと言ってはなんですが、少しお話ししてもよろしいでしょうか? あなたは今まで私を避けていらしたようですし」

 年上の彼に微妙に悲しそうに言われて、それもバレていた、と慌てる。

「ご、ごめんなさい。ええと、はい、私でよければ」

 否定することもなく、そのまま認めて謝罪したフィルに、一瞬目をみはったロンデールはくすっと笑うと、口を開いた。


 濃い茶色の髪は長く、その間から覗く緑灰色の目、すらっとした体格、柔らかい物腰、そして剣の腕。すごい家の嫡男という身の上に加えて、副近衛騎士団長という地位。フィルが返答に困ると即座に話題を変えてくる機転、嫉妬で人に当たらない高潔さ。

 ロンデールと話しながら、フィルはそれとなく彼を観察する。

 リアニ亭の娘のメイは、かつてフィルを理想の王子さまだと言ったが、彼こそそんな人なのではないだろうか。フェルドリックは本物の王子さまだが、理想などではなかろう。外面はともかく、実体が邪悪すぎる。


 そんなふうにしてどれほどの時間が過ぎただろう。長く感じたが、実際にはそれほどでもなかったのかもしれない。あまりにうまく繋がらない会話に、よく自分相手にここまで話がもつなあ、とフィルは半ば逃避気味にロンデールに感心を覚えていた。

 話したいという言葉通り、彼は様々な話題をふってくれる。だが、ドレスも宝石も香水も観賞用の花も観劇も何もかもフィルには未知の領域だ。「はあ」とか「そういうものですか」とか「ああ、そうかもしれません」としか返せないのに、話をしていて何が楽しいのか、さっぱりわからない。

 ついに耐えかねて、フィルは「すみません、話をするの、あまり得意ではなくて」と謝った。


「では、普段はどんな話をしているのですか? 例えば……アレックス、と?」

 ああ、知りたかったのはアレックスのことだったのか、と知って再び緊張した。

 けれど、彼が自分を見ている視線に、好きな相手のことを知ろうと一生懸命な人たちの様子を思い出す。

 塩を送ることになってしまうんだろうか、と思ったものの、自分の知っていることを彼に教えないのも卑怯な気がして、フィルは口を開いた。

「そう、ですね……仕事に剣術、魔物、本、お茶とケーキ、他には、ええと、私、国外も含めてあちこちに行ったことがあるので、そんな話もします。あ、アレックスの実家は公爵家だから、陛下の許可なしに国外に出られないらしくて……って、ロンデールさんもそうですね」

「……ええ。他には?」

 続きを促され、フィルは自分と話して笑ってくれる青い瞳を脳裏に思い浮かべる。知らず微笑んで地面へと視線を落とした。それに横の彼の顔が歪んだことに気付かずに。

「あとは小さい時の話とか。その関係で私の故郷の話もよく」

 故郷のザルア。祖父母が愛し、フィルが育った、アレックスと出会った大事な、大事な場所だ。

 もう春だ。あの美しい場所ではきっと雪が融け出していて、草原に花々が咲き始めている。冬眠から目覚めた獣たちできっと山も森も賑わっているのだろう。

 オットーやターニャは元気だろうか? ネルやメルはまだあの山のどこかにいるのだろうか? 楽しくやっているだろうか?

(そうだ、いつかアレックスと一緒にザルアに行こう。それで色んなところを巡って、色んな話をしよう。きっととても楽しい)

 フィルは一人微笑む。なんて素敵な計画だろう。


「……」

「?」

 ロンデールが黙り込んだ。沈黙の長さに空想から引き戻されて、フィルは彼を見上げる。

 だが、傾き始めた午後の強い日差しが目に入って、表情がよく見えない。


 前触れなく距離が近づいた。ロンデールは無言のまま、フィルの貴族の娘としてはひどく短い金の髪を指ですくう。

「……え」

 そして、彼はそこに唇を押し付けた。


(ナ、ニ……)

 目の前の事態に頭がついていかない。

「嫉妬してしまうな、そんな風に何かを想って微笑まれると。それとも……想ったのは、誰か、でしょうか」

 自分の髪から離れた赤みの強い唇。小さく笑みを形作ったそれの合間から、そんな小声が漏れた。

「……」

 何かを狙っているとわかる、強い目線から瞳を逸らせない。

 ひどく暗い声音が耳にこびりついたまま離れていかない。


(――オカシイ)

「……っ」

 脳がやっと機能を再開させた。警鐘が頭の中で鳴り響く。

「っ」

 ロンデールから距離をとろうと身を引く。だが、ロンデールの手が素早くそのフィルの腕を捕まえ、すさまじい力で引き寄せた。

 あり得ないはずの事態に再び体が強張り、フィルはなすすべなくロンデールの胸へと倒れ込んだ。

「フィル」

「っ」

 ぐっと抱きしめられて名を呼ばれ、全身の肌があわ立った。

 アレックスではない人の香りが、心臓の音が、腕のきつい締め付けがフィルの五感を刺激する。

(チガウ)

 鳴り響く警鐘が強さを増して、それがめまいを引き起こす。


「フィル、私を、」

 耳元に響いた、静かなのに破裂しそうな何かを含んだ声に総毛立つ。その声音に覚えがあった。

(ああ、なんて……)

「私を見てほしい」

(なんて、なんて馬鹿な、勘違い、を……)

「フォルデリークではなく、私を選んでほしい」

(アレックス、じゃなかったんだ……)


「フィル?」

「っ」

 中々戻ってこないフィルを探しに来てくれたのだろう。遠くから聞こえたアレックスの声に正気を取り戻すと、フィルはロンデールから離れようと両腕を思い切り突っ張った。

 予想に反してロンデールの腕からはあっさり力が抜け、彼はざっとフィルから距離を取る。フィルはいつでも反撃に転じられるよう、体を低く落とした。ギッと睨みつけるも、真正面から向けられる視線に鳥肌が立つ。

「今はまだ。けれど――いずれ」

 含みのある言葉はいつもと変わらず優しい声音だった。なのに、先ほどと同様に暗い色を含んでいて、胃の腑を裏から撫でられたような気がする。

(……コワ、イ……)

 理屈以外の部分でそう感じさせられて、フィルは去っていく彼を、冷や汗を流したままただ見送った。

「……」

 アレックスが呼んでいるのに、細かく震え出した体はまったく動いてくれなかった。



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