13-2.置き土産
アレックスは(フィルと違って)その後つつがなく挨拶を終えた。
次いで、アドリオットに「他言せぬよう」と告げられたロンデールが部屋から退出して行く。
ロンデールはアドリオットの視線が向いただけで、全身に緊張を漲らせ、言葉をかけられるに至っては、「は」と短く返答しながら、最大限の礼をとっていた。
彼の様子に、フィルは自分のしたことがいかに非常識だったかを改めて思い知らされ、さらに落ち込む羽目になった。
そうしてフィルは今、アドリオットとフェルドリック、アレックスの四人でお茶を囲んでいる。
会話は主にアドリオットとフェルドリックの間で、時々アレックスも加わって、和やかに進んでいく。
自己嫌悪に浸って一人落ち込んでいたフィルに、フェルドリックが目を向けた。目が合ってにっこり可愛らしく笑う。
「今更自分の馬鹿さ加減に気付いたわけでもないだろうに」
「――フェルドリック」
咎めてくれるらしい――孫の名を鋭く呼んだアドリオットを、フィルは希望を込めて見つめる。
「馬鹿じゃない。少し特殊な抜け方をしているだけだ」
彼が真顔だったのと、フェルドリックがそれで大笑いしたこと、何よりそれを聞いていた横のアレックスが『……どうフォローしろと?』という顔をしたのがとどめになった。
自業自得とはいえ、アド爺さま、久しぶりに会ったのにひどい、最近アレックス、さりげなく容赦がない、と涙目になった。
「それにしても、数年見ていなかっただけで随分と変わるものだなあ」
「昔は女の子みたいだったのに、と仰るおつもりですか?」
「いやいや、わしはそんなフェルドリックのような芸のないことは言わん」
(……あれ? 仲良し?)
どうやらアレックスもアドリオット爺さまとかなり親しいようだ。クスリと笑ったアレックスの受け答えに、アドリオットが目じりの皺を深めて笑って冗談で返したのを見てフィルはそう悟る。ちなみに、フェルドリックが顔をしかめたのが密かに嬉しい。
(おお、頭を撫でられた……)
一瞬子どもみたいに笑ったアレックスにフィルは目を丸くする。
「さて、フィル、よりにもよって騎士になるとは、年寄りを随分と驚かせてくれたものだなあ」
続いてそう話しかけられて、フィルはフィルで顔を綻ばせた。
「離宮におってもな、活躍は耳に挟んでおったよ。頑張っているそうじゃないか」
知っていてくれたのも褒めてもらえたのも嬉しかったけれど、元気そう、それがまず何より嬉しい。
彼をまじまじと見てフィルはもう一度微笑んで、
同時に彼より一つ年下だった祖父を思った。
彼が今ここにいれば、どんなに良かっただろう――そう思いついた瞬間、少しだけ鼻の奥がつんとした。
同じ事を考えているのかもしれない、アドリオットも自分と同じ表情をしている気がする。
「……フィル、騎士団の団規には入団にあたっての性別の規定がなかっただろう?」
唐突な言葉にフィルは目をみはり、頷いた。
「草案ではな、男性のみという規定があったんだ。だが、『どこであろうとそこで生きたいと願う者を、生まれついて持たざるを得なかったものだけを理由に拒絶してはならない』とアルが言って、敢えて削られた」
「爺さまが……」
生きる場所、生まれついて持たざるを得なかったもの、拒絶してはならない――。
(じゃあ、だから私は騎士団にいられるってことだ……)
入団してすぐの夜、こっそり団規を読んで、『大丈夫、駄目とはどこにも書いてない……』と確認して胸を撫で下ろしたことを思い出した。『大丈夫、私は私のままで、ここで頑張ってみよう』と思うことができた。
「全部、見えていたんでしょうか……」
フィルがそうしたいと願うだろうということ、そうしようとすること――脳裏に自分とそっくりだった緑の瞳が浮かんで、胸が震えた。
「……」
言葉がそれ以上見つからなくて、フィルはアドリオットにただ笑い返す。
きっと泣き笑いになっていたのだろう、同じような微笑みを浮かべた彼が大きな手で頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれて、前髪を下ろし、顔を隠してくれた。
『フィル、私はこの身が朽ちてなおお前の幸せを願い続ける。幸せになりなさい、幸せに生きなさい』
(ああ、別れ際の爺さまの言葉、あれは本当なんだ、死してなお彼は私を見守ってくれている……――)
自分の手の下で、唇をかみ締めた旧友たちの忘れ形見に、アドリオットは懐旧を含んだ笑みを漏らした。涙を零すまいと必死になるところが小さな頃から少しも変わっていない。
「それにしても、騎士団なんぞに娘の身で入ったと聞いてどんなことになるかと心配しておったが、ますます美しくなったなあ」
助けるために笑わせてやろうと軽い冗談を飛ばす――昔からしていたことをいつものように実行したのだが、それが思わぬ結果を招くこととなった。
「うつ、くし……」
かけられた言葉にフィルはしんみりを忘れたらしい。
赤面すると、思わずというように視線を横へと走らせた。そして、首筋まで赤く染めると慌てて手にしたカップへと顔を落とす。
(ほお……)
本音ではあったが、フィルが泣かないですむように、という以外の意図はさほどなかった。
それにフィルが以前にはなかった反応を返してきたことで、アドリオットは目を細める。
それから、フィルが見た方向――彼女と視線をあわせ、唇と目の端をひどく柔らかく緩ませた、ヴァルアスの孫である青年を見遣って、白に染まった眉を跳ね上げた。
(ということは……ヒルディスの言っていたアレクサンダーの想い人というのはフィリシアだった訳か)
しばし唖然とし、それから顔をしかめた。アルめ、黙っていたな、と。
(アルやヴァルアスが聞けば破顔するだろうが、それはそれとして……)
「……」
一抹の希望をかけて、ちらりと横のフェルドリックを見れば、彼は「見た目だけ。それ以外はどうしようもないところまで行っていますよ」とにこやかに悪態をついていて、それを耳にして顔を引き攣らせたフィルが「人のこと、一番言えないくせに」と呟き返している。
なぜ二人とも言わなくていい一言をいちいち口にするのだろう? 相変わらずそれが謎だ。
そうこうするうちに、テーブルの下では、フェルドリックとフィルの足の踏み合いが始まって、呆れを含んだ息を吐き出したアレクサンダーが慣れた調子で自分の足を引っ込めた。
(……そうか、もうこっちは決定的に駄目か……)
フィルをフェルドリックの妃にして、生まれてきた(間違いなく可愛い)ひ孫を舐めるように猫可愛がり――まだよちよち歩きだったフィルに初めて出会い、『あどじーさま?』と呼ばれた日以来のアドリオットの悲願。
アルに首を傾げられ、エレンには『何見てるのよ? その辺はアル以下ね』と容赦なく切り捨てられ、本人たちの凍るような空気にもめげずに持ち続けた希望もこれでついに潰えたらしい、とアドリオットは切ない息を吐く。
「……」
それから、まじまじとフェルドリックとフィルの顔を見比べて、それでも以前より遥かにましな空気だな、と首を捻った。
目線も交えないままに相手の動向をうかがう、刺すような空気はなくなったし、見えない壁のようなものもなくなっている気がした。
「……もうその辺にしておけ」
頃合を見計らったらしいアレクサンダーが、溜め息と共に子供そのもののフェルドリックとフィルのやり取りを諌めに入った。手際がいいというか、手慣れている辺り気の毒というべきか、と思わなくもないが、それに二人が二人とも同時に引く。
「……なるほどなあ」
賑やかな三人を前に、結局アドリオットは苦笑を顔に浮かべた。自分たちが当初思い描いていたより、いい関係になっているのかもしれない。
そして、次第にそれがいたずら心を含んだものに変わる。先ほどのロンデールは確かに気にかかるが、これはこれできっと面白いのだろう。
* * *
時間にして一時間程度の再会を終え、アドリオットは「退位したというのに、未だにこき使われておるのだ」と愚痴を零してフェルドリックの部屋から去っていった。
『やれるだけのことを、望む場所でやりなさい、フィル。私もずっと応援している』
フィルは彼が去り際に残してくれた、額へのキスの跡を手で触って微笑む。
祖父のプレゼントが、彼の死後二年経って届けられたような不思議な感覚だ。アドリオットの分と併せて、全身が温もりに包まれている気がした。
「……本当、可愛がられてるよね」
彼を見送って、こちらを振り返ったフェルドリックがぼそりと呟いた。
自分たちに対しては珍しい、ひどく淡々とした表情にだろう、アレックスが眉根を寄せた。フィルも首を傾げる。
気づいていないのか、気づいていて気にしないのか、フェルドリックはその顔のまま、別件を口にする。
「さて、と、ナシュアナの件で少し聞いておきたいことがあるんだけど」
いつもの真っ黒艶々で人の悪い、それでいて楽しそうな表情とは違う。でも、胡散臭く人を煙に巻こうという顔でもない。
(……ああ、そういうことだったんだ)
そこに子どもの頃、離宮で見ていた彼の表情が重なって、なんとなく悟った。
子供の時見ていた限りでも、フェルドリックの周囲の人たちを、フェルドリックとは別の意味でフィルは好きになれなかった。今、王宮でフェルドリックやナシアを見ていてもそう思う。本当の意味で彼らをちゃんと見ている人ってどれだけいるんだろう、と。
小さいフェルドリックにとって、彼をただの彼として扱い、ちゃんと向き合ってくれるアドリオットやフィルの祖父は、本当にかけがえのない存在だったのだろう。
(その大事な人たちを私に盗られたと思った……)
なるほど、結構可愛かったんだな、と悟って小さく笑った。もちろん気付かれないように。
当然だ、気付かれたが最後だ。その辺こそ昔から変わっていないのだから。
それぐらい知っているから、と、ちょっと頭を使ってみる。
「……私より三つ年上、金より豪華な金髪、金と緑のこの世に二つとないきれいな瞳の色」
「?」
訝しげな顔を向けてきたフェルドリックを無視して続ける。
「三つの時に樫の木から落ちて左腕を折った。でも、泣かなかった。五つの時にヴァルアスさんのところの下のお孫さんを気に入って、仲良しになった。とても気が合っているようで、あれはいい関係になる」
「……」
アドリオットが自慢していたのと同じ瞳が、丸くなるのをフィルは見つめ返す。
「八つで既に西大陸共通語が堪能で、どんな勉強をやらせても教師が舌を巻くぐらい優秀で、剣の才能はあまりないけれどオテレットで右に出る者はいなくて、だからとてもいい指揮官になるという話で」
「猫を被るのは、人の期待を裏切らないためでもあって、ひねくれているけれど実は優しい子で、面倒くさがりにみせているけれど、本当はかなり面倒見が良さそうで」
ザルアに遊びに来たアドリオットが、祖父母とフィルに聞かせた孫自慢の一端だ。
誰かが大事な誰かを話す時の温かい空気は好きだった。だから、それを聞きながらフィルはいつも、『ああ、アドリオット爺さまは本当にフェルドリックが好きなのだな』と子供心に思っていた。『なんでそれがあのフェルドリックなんだろう?』と真剣に悩むことも少なくなかったが、ということは、この際内緒にしておいていいだろう。
「まだお聞きになりますか? 他にもいっぱいありますよ」
そう言ってフィルはにっと口角を上げた。そして、呆けたようなフェルドリックの顔に少し、いいや、正直に言おう、かなり満足した。初めて勝てた。
「……本当、君ってどこまでもむかつく」
一瞬だけ彼に顔に朱が走った。それに気付いたのだろう、そ知らぬ顔をしようとしていた、アレックスがついに声を漏らした。
「アレックス、だまれ……」
「く、くくくく、悪い」
再び赤みの戻った顔でフェルドリックがアレックスを睨めば、彼はさらに笑い出す。
「……さっき、フィルが爺さんに抱きついてキスしてた時、顔引き攣らせてたくせに」
「……お前が引き攣らせていたことよりは遥かに健全だと思うが」
赤みと笑いをそれぞれ収め、そう言いながら顔を引き攣らせ合っている二人に、フィルもちょっと笑う。
(なるほど、こういうのはこういうので悪くないかもしれない)
ぽかぽかの春の陽気の中で、初めてそう思うことができた。
――その後、真冬が再来するだなんて夢にも思わずに。




