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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第13章 強さの理由
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13-1.誤解

 カザレナの春はたけなわを迎えようとしている。街は月末に控えた花祭りに陽気に沸き立ち、関連する行事がない王宮にすら、高揚した空気が伝わってきていた。老若男女も身分も問わず、みなどこか楽しそうだ。


 フィルとアレックスの今日の任務は第二王女ナシュアナの護衛で、その彼女を勉強場所である王宮付きの老博士の下にたった今送り届けたところだ。そこでは王宮図書館付きの近衛騎士が彼女の護衛に当たることになる。

 昨年の剣技大会から一年。あの時、名前すらほとんど知られていなかった彼女は、今やカザック王家でも指折りの人気者で、特に一般国民から熱狂的な支持を受けている。

 当然彼女の待遇は以前とは比較にならないくらい改善されていて、彼女付きの近衛騎士はアーサーの他に三名いる。実を言えば、フィルとアレックスは既に必要ないのだが、露骨に掌を返すようになった人々を最近不審がり始めたナシア本人たっての希望と、王室への国民の人気取りを狙うフェルドリックの思惑で、騎士団に所属する二人のナシア護衛は細々と続いている。

 ちなみに、ナシアは納得できるが、そんなフェルドリックが国民に人気だというのがフィルにとってのこの世の不思議、もっと率直に言えば、恐怖だと思っているのはここだけの話だ。


「フォルデリークさま、ディランさま、フェルドリック殿下がお呼びです」

 手持ち無沙汰になって、稽古でもしよう、せっかくだからミレイヌを探して誘ってみようか、と話していたところ、神経質そうな侍従から声がかかった。

「承知いたしました」

「……はい」

 二人で承諾を返し(フィルはもちろん内心で呻いてからだが)、彼の後に続いて歩き出したものの、疑問、いや緊張は募る。

 フェルドリックがナシアを訪ねてくる際に、彼が彼女の護衛として同席するフィルやアレックスにかまうことは今までにもあった。ちなみに、ナシアは逆だと言っていたが、そんな恐ろしい推測はやめて欲しいと思ってしまったのもここだけの話だ。……どうも彼が関わるとそんな話が増える。

(けど、こうして敢えて呼びつけられることは今までなかったような……)

 それが意味するのは、とフィルは緊張を高める。


 無言で目の前を歩く、フェルドリック付きの侍従は足音すら立てない。春の陽気が漂う王宮内を、フィルは同じく沈黙のまま歩く。

 等間隔で並ぶ重厚な石柱の向こう、中庭に射す日の光は明るくて、柔らかい。庭師のコッド爺さん自慢の花壇では、春を喜ぶように花が咲き乱れ、蜜を享受しようと色とりどりの蝶が舞っている。


 うららかな光景を横目に、フィルの気分は一歩踏み出すごとに暗く、暗く沈んでいく。

(あのフェルドリックの呼び出しだ。絶対にろくでもないことが起こる……少なくとも私には。確実に、絶対に、間違いなく……)

 嫌な確信に徐々に眉根が寄っていき、深い眉間の皺となった。唇をへの字に引き結ぶと、頬にも緊張が走る。おもむろに溜め息をついて肩を落とし、それから覚悟を決めて顔をあげて、意識してキッとした表情を作る。

(そうだ、今日こそやられっぱなしにはならない)

 決意の直後、ふと横のアレックスが震えていることに気付いた。

 まさか彼もフェルドリックに恐怖を!? ついに私の気持ちを理解してくれた!? と希望を持って見上げれば、目が合った瞬間、彼は吹き出した。

「わ、悪い、何を考えているか、手に取るようにわかってつい……」

(……切ない)

 身を折って笑う彼は、フィルの理解者ではあっても、フェルドリックへの恐怖を共感することはないらしい。

「どうかなさいましたか」

「楽しそうですね。ディラン殿、フォルデリーク殿」

 怪訝そうにふりむいた案内人の向こうから、声がかかった。アレックスの顔から笑いが消える。

 廊下の奥、フェルドリックの執務室の前に、アンドリュー・バロック・ロンデールが微笑を浮かべて立っていた。


「あ、お久しぶりです」

 彼の表情につられて、フィルもなんとなく笑って返したのだが、そのせいか、彼のほうの笑いが途切れた。それで緊張を思い出す。

 悪い人じゃないとは思うけれど、実のところフィルはこの人がかなり苦手だ。何がしたいのか、はっきり伝わってこなくて、いつもひどく混乱させられる。

 彼についてフィルが知っていることは多くない。近衛の副騎士団長で相当な剣の使い手だということ、古くからある公爵家の跡継ぎということ、そしてアレックスに好意を持っていて、それゆえフィルに対して含みを持っていそうだということ――。


「ええと、ロンデールさん、は、今日フェ……王太子殿下の護衛ですか」

(気まずい……)

 世間話っぽい話題を一生懸命探してロンデールに話しかけつつ、フィルは顔を固くしていく。

 グリフィス退治のためのタンタールの道中、この人はいつもアレックスと一緒にいて、よく彼を見ていた。そう感じていたのはフィルだけではない。フェルドリックも彼はアレックスを気にしていると言っていた。

 しかも、あの時と違って、フィルはアレックスと恋人と言われるような間柄になったわけで、なんとなく後ろめたい。

「アンドリューで構いませんよ」

「え……ええと、でも、近衛騎士団の副団長を務めていらっしゃる方にそれは……」

「私もあなたをフィルとお呼びしますので」

 こちらの内心の混乱を宥めようとするかのような、穏やかな話し方は変わらない。

(私のことなんて嫌いだろうに寛容な人だ、大人だ……あ、でも、もしかしたら私とアレックスのことを勘付いていないだけという可能性もあるのかも)

 じっとロンデールの薄い緑色の瞳を見つめれば、その目は苦しげに歪み、逸らされた。罪悪感を覚える。

 恋人だと知ろうと知るまいと、フィルがアレックスと一緒にいることは事実だ。アレクサンドラとアレックスが一緒にいるのを見ただけで動揺して逃げ出したフィルが、もし今の彼の立場にいたら、きっとこんなふうには振るまえない。


「失礼。フェルドリック殿下をお待たせしているので」

 にわかに居心地が悪くなったところで、アレックスの硬い声が響いた。

 ロンデールの顔に苦々しいものがよぎって、フィルは二重の意味で顔を曇らせる。

(最低かも……)

 アレックスのそっけない態度を、きっとロンデールは悲しんでいる。同情する気持ちも確かにあるのに、安堵もしてしまっている。



 * * *



「お二人だけで、と申し付けられておりますので」

 案内をしてくれた侍従もロンデール副騎士団長も、フェルドリックの部屋には入らなかった。

 ね、猫が、頼みの綱が……と泣きそうになりながら、フィルは慣れた様子のアレックスについて自国王太子の部屋に足を踏み入れる。

 だが、彼の背の向こうに見えた室内の様子に、フィルは怯えを一瞬忘れるほど驚いた。置いてある物はとんでもなく上質に見えるけれど、ナシアの部屋が比較にならないほど、殺風景だった。

 フィルたちの部屋の四倍はある広い部屋の奥に広大な机、そこに並べられたすごい量の書類の山と、その山さえなければ座り心地のよさそうな椅子。

 手前にはシンプルなソファと、足の短いテーブルの応接セット。あとはそこかしこの壁にちょっとした絵画とコンソール……それだけ。


「やあ、元気だった?」

「ああ」

 窓辺には当然といえば当然、ありがたくないといえば至極ありがたくないことに、この部屋の主がいた。今日も絶好調に胡散臭い笑みを顔に浮かべている。

「相変わらず愛想がないよね。昔は女の子み――」

「聞き飽きた」

 彼はこちらに歩いてくるなり、アレックスにちょっかいをかけ始める。アレックスはアレックスでそれに溜め息混じりに、でもどこか楽しげに応じている。

(フェルドリックはアレックスがものすごく好きなんだろうなあ。アレックスのほうも多分かなり……)

 自分にフェルドリックの注意が向かないよう、息を殺しつつ、フィルは二人を観察する。

「フィルも元気そうだね」

「う……はい。ついでに元気で帰りたいので、ど、どうかおかまいなく」

「……うふふふ、相変わらずいい度胸じゃない?」

 一方、彼は今日も真っ黒艶々だ、フィルに対しては。


 その彼は相変わらず外見だけはひどく美人だ。太陽光のような金色の髪は、前髪は無造作に、横髪は軽く後ろに流されていて、彼の顔形の秀麗さを彩っている。同色の睫毛は密で、肌も抜けるように白い。

 でも、兄のように女性と見間違えるような中性的な美しさではなく、男っぽい感じがする。

 なんせ現実感のない美貌だと思う。アレックスと並ぶと、神話の神さまたちのようだ。……だからこそなんか嫌だって毎回思うのだけれど。


「っ」

 隠れるように近寄ってくる気配に、顔を引きつらせていたフィルは音を立てて背後を振り返った。ほんのわずかな遅れでアレックスが続く。

 剣の柄に手をかけつつ、彼が気配の方向へと足を踏み出し、フィルはフェルドリックの前へと移動した。

 一切反応しないフェルドリックを左腕で後ろに押しやりつつ、フィルは彼と自分を取り巻く空気の動きに全神経を尖らせる。


 が、緊張は一瞬で緩んだ。


「ふ、わははははは、なんだ、おどかしてやろうと思ったのに」

「……お人の悪い……」

 気を緩めて、苦笑交じりの声を漏らしたアレックスの背の向こうに見えたのは、上背はあるけれど、線の細い、白い髪とひげの老人。

 皺だらけの顔を緩ませてにこやかに笑い、こちらへと視線を投げてきたその人は……――。

「っ、アド爺さま!」

 フィルは腕を広げてくれた彼に走り寄った。


「っと、おお、元気にしていたか、フィル」

 勢いそのまま、驚きと満面の笑みとともにぎゅうっと彼に抱きついて、ぎゅうっと抱き返してもらって、笑い声を漏らした。彼も声を上げて笑い、よしよし、と頭を撫でてくれる。

 それでもっとにっこりして、いつもするように頬にキスをして、し返してもらって、今度は首に腕を回して、頬をすり合わせてもう一度ぎゅうっとして、そして……、

「あ」

 すぐ後ろで固まっているロンデールに気付いた。アド爺さまを案内したのだろう……。


「……」

 無言のまま、まん丸の目でこちらを見つめているロンデールの視線と、自分の後頭部に突き刺さる二つの視線――既に頭は真っ白だったけれど、まずいことをした、ということだけはわかった。

「……え、ええと」

 なるべく自然にアド爺さまから離れてみたものの。

 つっとロンデールが目だけを動かして爺さまを見たのがわかって、自分のせいで乱れてしまった爺さまの髪を、さささっと整えてみたものの。

 横に並んだアレックスの、なんとも言えない微妙な顔――現実を直視するなら、溜め息一杯に『……馬鹿』と言っているように見えなくもない視線に、多大なる精神的ダメージを受けたものの。

 今更、とも思うものの。

「わ、我がカザック王国、誉れ高き建国王陛下におかれましては、ご壮健――」

「今更遅いよ」

 せっかく騎士の最敬の礼に則って挨拶をしてみようとしたのに、フェルドリックの呆れを含んだ、冷たい声に語尾が涙声になった。

「ぶっ、ふはははは、相変わらずだな、フィル」

 たった一人、アド爺さまだけが楽しそうだった。



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