5.潜在
気後れしたのか、こっそりいなくなろうとしていたジェシーを、フィルが不思議そうに「行くところ、同じでしょう?」と引き止め、ナシュアナはただいまそのジェシーとフィル、アレクサンダー、兄フェルドリック、ロンデール、ミレイヌで、ナシュアナの居棟へとぞろぞろと移動中だ。
(お礼にお茶を、と思ったのだけれど……)
周囲から恐ろしいほどの注目を浴びて、ナシュアナは身を小さく、小さくする。
王太子のお兄さまは言わずもがな、三大公爵家の出のアンドリュー・バロック・ロンデールとアレクサンダー・エル・フォルデリーク、そして時の人となったフィル。もう一人のミレイヌだって侯爵家の出身で、見た目はいい方だし、最近では性格も丸くなって人あたりが良くなったと城の皆の間で評判になっているらしい。
(私、完全に浮いてる……)
「……つらいわ」
「私はもっとです……」
背後にいるジェシーと密やかに泣き言を交わす。
つらいと言えば、アレクサンダーとロンデールの間に流れる空気も。どう言ったらいいのか、一見普通に見えるのに寒々しさと空々しさと刺々しさが混ざっている。
(さっきお姉さまからフィルを庇おうとしていたようだし、ひょっとしてロンデールもフィルのこと好きなのかしら? 前、私とフィルが踊っている時、何度か目が合ったけど、じゃあ、あれ、フィルを見ていたってこと? そういえば、フィルが王宮に来ている時はよく姿を見かけていた気がしなくもない……)
となると、と思いながら、ナシュアナはアレクサンダーに目を向ける。
(アレクサンダー、フィルを彼の視界から遮っているの、わざとね……? フィルは絶対気付いてない……)
ミレイヌはミレイヌで、フィルの前では別人のようだし、ひょっとして彼もフィルが好きだからあんな態度なのかしら、と邪推する。
「馬鹿だと知っていたけど、本当に真正だ。煽ってどうするのさ」
「煽った……? つもりはないです」
そんな周囲全部を無視して、フィルはお兄さまといつもの異様な空気の中で会話?中だ。
(お兄さま相手に露骨に嫌な顔をできる人って中々いないわよね。お兄さまもフィルが相手だと全然態度が違うし……はっ、ひょ、ひょっとして……)
「それすらわからないわけ? 大体、セルナディアが何を言いたかったのか、いまだに理解していないだろう?」
顔を引きつらせたフィルが歩調を乱した。
(あ、絶対「なんで知ってるんだろう」って考えてる。フィルがわかっていないのなんて、多分みんな知っているのに……。ああ、フィル、本当に嘘がつけないのね。ラーナックの言っていたとおりだわ)
「ありがとう、フィル」
困っている彼女を助けようと、ナシュアナは握り合っている手を自分へと引き寄せて、口を開いた。
「フィルは自分のことには怒らないのに、私のためには怒ってくれたのよね」
「ナシア……」
「良く解釈するとそうなるね。けれど、理解できていなかっただけ、だから怒るに怒れなかっただけというのが正解だよ」
にっこり笑ってのお兄さまの発言に、フィルはまたお兄さまと睨み合っていたけれど、ナシュアナにはそれ以上に気にかかることがあった。
「でも、フィル……本当に何かされたらどうしよう?」
彼女の手を握る手に力が籠った。
フィルは平気そうに『どうぞ』と言ったけど、アレクサンダーもフィルを庇うと言ったけど、フィルに何かあったらどうしよう、とナシュアナは顔を曇らせる。
どう考えても自分の責任──私がもっとうまくできていたら、と思わずにはいられない。
「フィル、私に何かできることはある? 頼りにならないかもしれないけど、私でできることならなんでもするわ」
目を見開いてナシュアナの言葉を聞いていた彼女は次の瞬間に破顔し、「ナシア、可愛いっ」と言いながら、ぎゅうっと抱きしめてきた。
「っ」
最近悟った。フィルには抱きつき癖がある。ラーナックそっくりの顔でされると、かなり心臓に悪い……。
「大丈夫、ナシア」
「どこからそんな自信が生まれるんだ」
お兄さまの横槍に、フィルは再度彼と睨み合っていたけれど、すぐに気を取り直して、ナシュアナへと胸を張った。
「だって狙われたって、私がやられるとは欠片も思えない」
「え……」
(そ、そういう問題?)
目を白黒させて周囲を見れば、皆が呆気に取られている。
「ええと、そうかもしれないけど、命じゃなくったって、騎士団とか……」
「騎士を首になったって、生きていけなくなるわけじゃないし」
心配で言い募ったナシュアナに、フィルはあっけらかんと口にした。
「騎士団は好きだけど、大事なものを守るためにそこにいるんだから、本末転倒になることはしない」
全員が沈黙する中、アレクサンダーだけが口元に笑いを浮かべた。
「で、でも、そうしたら、どうやって生きていくの」
フィルは勘当されたと聞いた。彼女の保護者だったというアル・ド・ザルアナックももういない。
(あ、ひょっとしてアレクサンダーと結婚するとか?)
そう思いついて彼を見れば、彼は悪戯を乗せて目の端だけで笑う。
(……い、色っぽいってこういうことをいうのかしら? 乙女には刺激が強い……って、移り気じゃないの、ラーナックっ)
一人焦るナシュアナに、フィルは素で「大丈夫」と繰り返した。
「食べるのに困ったら、賞金稼ぎでもする」
「食べ……賞金、かせぎ……」
「知らない? 盗賊を退治したり、魔物を片付けたりするの。昔、祖父とやっていたから経験もあるし、お金にならなくても大抵ご飯ぐらいはご馳走してもらえるよ」
「……え、ええと」
(そ、それ、当たり前なの……? 祖父って、アル・ド・ザルアナック……うちの国の英雄よね……?)
「一体何やってんだ、アル……」
片頬を痙攣させながらお兄さまがぼそりと呟いた。ミレイヌは絶句していて、ロンデール副団長の顔は、そう、目が点というもの……。ジェシーは遠い場所を見て、多分現実から逃避している。
なんせナシュアナに向かって笑いかけるフィルの向こうで、アレクサンダーの肩がまた震え出した。
「その祖父と逸れて財布を落とした時は、街中で歌って路銀を稼いだこともあるよ。結構いいお金になるし、やっぱり色々ご馳走してもらえる」
形容しがたい静けさの中、アレクサンダーが身を折った。
(そう、おなか、痛いぐらいおかしいのね……)
「それに狩りだって釣りだってできるし、きのこの見分け方だっておかげさまでばっちりだし、木にだって登れるから林檎もメツナも木の実も採り放題。しかもどこでだって寝られる」
指折り数えるフィルにアレクサンダーはついに耐え切れなくなったらしい。声を立てて笑い出した。フィルも彼と一緒になって笑う。
「だから大丈夫、どこでだって生きていけるように躾けられてるんだ」
「見ればわかる。ゴキブリも真っ青の生命力だ」
お兄さまの発言に、またフィルはお兄さまと睨み合っていたけれど。
「でも家族は……?」
――ラーナックは……?
思わず訊ねてしまったナシュアナに、フィルは笑いを止めると本当に困った時の顔をした。
「あ……ごめんなさい」
それに後悔する。訊いてはいけないことだった、と。
「ぅわ、ナシア」
「大丈夫です。彼女にも彼女の大事な者にも手出しはさせませんから」
しゅんとしたナシュアナにフィルが慌てた瞬間、アレクサンダーが彼女の頭をぽんと叩いた。そして、ナシュアナへと言い含めるように告げる。
一瞬目を丸くしたフィルが、続いて照れたように笑った。
(ああ、その顔、本当に可愛い。私より五つも年上だけど……)
「……随分な自信ですね」
「出来ないことは言いません」
が、後を受けたロンデールとアレクサンダーの会話のせいで、ほんわかした気分はすぐ台無しになった。二人とも笑っているのに空気が冷たい。
(これ、噂に聞く鞘当てというものかしら? フィル、すごいわ、アレクサンダーだけじゃなくてロンデールもよ。彼だってすごい人気者よ、性格も良いのよ。さすがだわ)
思わず尊敬する。なのに……
「な、仲良し、仲良しなのか、やっぱり? ああ、こんなところにも敵が……」
なぜ当のフィルが顔を引きつらせて二人の会話を聞いているのか、さっぱりわからない。自分をめぐる男性の間に立って心配しているふうにも、困っているふうにも見えない。
大きな手が頭に落ちた。視線を上げれば、目の合ったお兄さまが「大丈夫」と微笑んでいる。
「ナシュアナが気にしてやる必要なんてない。放っておいていいよ。子は親の鏡って言うし、殺したって死なないから」
お兄さまの発言に、またフィルはお兄さまと睨み合う。
「……」
(色々理解できないことはあるけれど、あれね、お兄さまとフィルの「ひょっとして」だけは、絶対に私の勘違いだわ)
そう結論づけた。
悪意と共に待ち構えていた、他にもたくさんの視線を、フィルはなんでもないことのようにかわして行く。
お茶の後には中庭で、「女だとばらしたし、ナシア、聞きたがっていたでしょう?」と剣技大会の時のような透き通った声で、聞いているとうきうきしてくるような軽快な調子の歌を次々に歌ってくれた。
元々フィルに馴染んでいたものの、彼女が女性だと知って驚いていた使用人たちは、その光景を見て「フィルさまはフィルさまでしたね」と口々に苦笑し、彼女を受け入れてくれた。
フォルデリーク公爵家の次男と彼と恋仲の女性騎士が登城したという噂を聞きつけて、貴族たちもやってきたけれど、アレクサンダーの揺るがないフィルへの思慕と、お兄さまが二人にごく普通に接しているのを見て、皆フィルに直接接触することを諦める。
そして、フィルの楽しそうな空気に釣られてか、胡乱なものを見る目や苦々しい顔つきを彼女に向けていた彼らのうち、少なくない者たちが次第に表情を和らげていった。
フィルは本当に不思議だ。
ラーナックが以前言っていた、『あの子の側にいると生きているって気がしてくる』というセリフに、ナシュアナは実は少し嫉妬していた。彼にとってものすごく特別な存在ということだったから。
でも、彼の言うとおりだ。あの日、フィルにデラウェール図書館で出会ってからだ、ナシュアナが『明日が楽しみ』と思えるようになったのは。
(悔しいけれど、今はまだまったく追いついていないけれど、それでもいつか私も彼にそんなふうに思ってもらえる存在になりたい――)
だって、そのフィルが『綺麗』と褒めてくれたのだ。きっと可能性は十分――そう信じて努力することにする。




