2-4.安全
(よし、そうしよう。それがいい。なんといっても私はアレックスの従騎士、見習いが無事に終わった暁には相方だ。助けられてばかりいないで、少しは彼の役に立たなくては……!)
小鳥の声とともに目を覚ましたフィルは、ムクリとベッドの上に起き上がると、素敵な思いつきに一人にっこりする。そして、横でまだ寝ているアレックスの顔を見て頷いた。
そう、たった今思いついた本日の目標――アレックスをみんなに知ってもらおう!
誤解しているリアニ亭のみんなだって、フィルの同期たちだって、いつも酷く彼に絡んでくるスワットソンだって、敬遠している他の騎士たちだって、彼を知ればきっと彼を好きになる!
「……ん?」
具体策は今のところ何もない。が、目標を掲げることは大切な事だと祖父はいつも言っていた。
ちなみに、それを実現するための計画も大事だと祖母が口を酸っぱくして言っていたことは、生憎とフィルの頭からは消え去っている。
(きっと今日も素敵な日になるに違いない)
そんなことを能天気に考え、フィルは朝のお茶を入れようと、うきうきでベッドから足を下ろした。
本日の空は曇天。
アレックスがフィルの決意を知っていれば、それがフィルの計画の行く先のようだと思っただろう。
「――いい人なんだ」
期生別講義の教室で講師の到着を待つ間、フィルは同期のヘンリックの机の前に肘を突き、彼の顔を間近で覗きこむ。
「い、いきなり何、フィル?」
ヘンリックの女の子のように端正な顔立ちが引きつった。可愛いと思ってしまったが、以前そう口に出して、激しく落ち込まれたのを思い出し、声には出さないことにする。
なんでも、『可愛くて可愛くて可愛くて(以下略)、大好きで大好きで大好き(以下略)』な幼馴染のメアリーにいつもそう言われているらしい。もっとはっきり言ってしまえば、そのせいで付き合おうと言っても相手にされないのだそうだ。
確かに同期の中で女の子と変わらないと評判、フィルも実は女である自分より遥かに可愛いと密かに思っている。もちろんアレクには敵わないが。
しかも、初日に会った時の印象の通りヘンリックはとても親切で、フィルの“奇怪な言動”(注:ヘンリック語録。ちょっとひどいと思った)に呆れつつも、いちいち付き合ってくれている。
これも予感があるのだ。自分はきっと彼のことも大好きになる。
「いい人なんだ、アレックスは」
「……フォルデリークさま?」
舌を噛みそうなアレックスの名を、事も無げに呼んでみせるヘンリックを少し尊敬。
「だから、この後のお昼ご飯、ヘンリックも一緒に食べよう?」
「え゛? いや、そんな恐れ多い……」
「多くない。だって、前、ヘンリック、アレックスのこと、すごい人なんだって言っていたじゃないか。話してみたくない?」
普段使わない頭を使って、精一杯ヘンリックに誘惑を囁く。
「で、でも、貴族、だよ。僕がご一緒したら、気を悪くされない?」
「されない」
「……なんで言い切れんのさ」
「なんとなく。でもそう」
「フィルって、結構いい加減だよね」
「うん」
「頷くなよ……」
困った顔をしたヘンリックを前に、もう一押しを必死で探して、彼の弱点に行きつく。
「それにアレックスぐらい格好よかったら、メアリーとのことだって、何か参考になる話が聞けるかもしれないよ?」
「!?」
おお、思った以上に効いた、とフィルは内心でにんまり。
「それに生まれで人を測ったらだめだと思わない? 貴族が平民だって貶めるのも、平民が貴族だからって敬遠するのも一緒だ」
そうだ、祖父だっていつもそう言っていた。
「う、うん」
そうして、フィルは思惑通りヘンリックをお昼の食堂に連れ出した。
* * *
(あの男また……)
アレックスの視線の先には、幼い顔をした茶髪の少年。アレックスが一緒にいない時は、大抵彼がフィルの横に居る。確か入寮日にも一緒にいたはずだ。今もフィルは彼と話をしてカラカラと笑い、その彼も笑い声を立てている。
「……」
その光景にアレックスは知らず眉を顰めた。
「お、今年の一番人気二人組みじゃねえか」
「嫌な人気だけどな」
「あっちの茶髪、ヘンリック・バードナーだっけ? 噂半分に聞いてたけど、マジで“美少女”だな」
「彼の所属している第三小隊も結構気を使っているみたいですよ、例の連中に目をつけられるんじゃないかって」
「けど、あいつははしっこくって要領いいって」
「へえ、うちのと対照的だな」
好き好きに二人を評している第一小隊員たちに気付いたのか、彼がこちらに目を向けた。アレックスと視線が交わるなり、露骨にぎょっとした顔をする。
(確かにかなり幼いが……)
彼の様子に気付いたのだろう、フィルがこちらへと視線を向け、ニコッと笑った。足取り軽くやってくる。
(……大丈夫、フィルは俺を見れば、誰といたって大抵こうして側に来る)
アレックスは小さく安堵の息を吐き出した。
「アレックス、ご飯一緒に食べましょう」
「ああ」
(……? なんだ?)
上機嫌で話しかけてきたフィルに応じた後、ちらりと彼を見れば、そのフィルではなく、奇妙な顔でアレックスを注視している。
「彼は?」
「ヘンリックです。ふふ」
そう言ってフィルはアレックスを得意そうに見上げた。その顔を可愛いと思ってしまってから、問題はそこではなかったと気を取り直す。
「なんと友達になったんです!」
「……友達?」
「はい」
少し照れながら頷いたフィルの顔は、昔彼女が『アレク』をザルアの山守ウィル・ロギアに紹介した時と同じものだった。つまり、フィルが彼を好いているという証明そのもの――。
「……よかったな」
口でそう言いつつも、離れた場所にいる彼を見る視線がついきつくなった。
先日の休みのカフェでのやり取りで気づかれるかと覚悟したが、フィルは、アレックスがあの『アレク』だとは未だに思っていない。
なのに、昔よくそうしていたように、何かある度にアレックスに嬉しそうに報告してくる。
「ヘンリックがそう教えてくれたんです」
「課題、ヘンリックとしてきます」
「次の休みにヘンリックと遊びに行く約束をしたんです」
そんなフィルの最近の話題が『ヘンリック』だ。彼の話をするフィルはいつだって幸せそうに笑っていて、今もアレックスの目の前でにこにこと彼に目配せを送っている。
その以心伝心な感じが酷く気に障った。信頼しきって無防備さをさらしている、フィルが『アレク』に見せていた顔――
(俺があの『アレク』だと名乗れば、フィルは自分にもまたそんな顔を見せる……)
「……」
どの面下げて?と思ってしまって自嘲した。それが出来ない以上、そんな風にいらつくのは理不尽だ。
「どうかしましたか?」
「……いや」
フィルと目があって、アレックスは密かに息を吐き出す。
(大丈夫、『アレク』だと知らなくても、フィルは俺のことも信頼してくれている。だが、もっと…………もっと? もっと、なんだ……?)
それだけじゃ不満だと思った自分に気付いて戸惑うと、目の前の美しい緑の瞳から咄嗟に目を逸らした。
「あの、お昼、ご一緒してもいいですか?」
動揺の最中に『ヘンリック』がフィルの背後から顔を覗かせた。
「……ああ」
アレックスの返事にニコニコと笑うフィルと、少し顔を赤くしながら、怯えた子犬のような目でこちらを見上げてくる彼――アレックスが自分の大人気なさを反省するには十分だった。
「……外に行くか?」
食堂に入った瞬間、アレックスは自分と一緒にいる彼に注がれた視線に顔をしかめた。フィルは全く気にしない、というより気付いていないと思うが、彼はわからない。
だが、一瞬目をみはった後、彼は「いいえ」と言って、アレックスへと人懐っこく笑った。それからフィルと顔を合わせ、にこにこと微笑み合う。
「本当だ」
「ね」
二人とも可愛いのだが、この以心伝心な感じはやはり少し……と思ってしまって、再度反省する。
「これ嫌い」
「む? 大きくなれないよ」
「それって僕がフィルより小さいって言ってるんだよね?」
「あー、そういうつもりはなかったけど、確かに小さい」
「む、気にしてるのに」
「じゃあ、食べたら?」
「……食べたら大きくなるなんて保証はない」
「私もアレックスも好き嫌いしなくて、好き嫌いするヘンリックより背が高いよ」
「む……遺伝」
「ヘンリックの家族もみんな背が高いから、もっと伸びるはずだって言ってなかったっけ?」
「フィル、やな奴だ」
「そう?」
「……」
子供のようなやりとりを前に、なんだろう、この雰囲気は?と考え込む。これまでアレックスが経験したことのない空気だ。
ヘンリックは最初こそ緊張していたものの、元々フィルと一緒で人懐っこいのだろう、今ではアレックスに対してもさほど身構えていない。
「あ、さっきの話、アレックスに聞いてみたら?」
「えっ……いや、でも」
「?」
真っ赤になった彼は、それから窺うようにアレックスを見た。やはり可愛い。
「そんな話、フォルデリークさまに」
「アレックスでいい」
それでさらに照れて彼が笑った瞬間、周囲からまたも凝視されるのを感じた。視線を辿れば、案の定、アレックスにも昔ちょっかいをかけてきた連中で、少し離れた場所には、彼らに気を払う第三小隊長補佐と相方の姿がある。
「幼馴染とのデートコースを考えてるんですって。せっかくだから、今までと違った風にしたいらしくて」
「幼馴染、デート……女性?」
思わず尋ねると、ヘンリックは両の拳を握り締めた。
「はい、メアリーって言うんです、めっちゃくちゃ可愛いんですっ」
「……そう、か」
その熱の入りように、アレックスは身を引いた。
「はいっ。僕が入団を決めた時メアリーがお手製のコートをくれて、もったいなくてそう何度も袖を通せてないんですけど、部屋には常に飾ってあるんです。それがすっごく僕に似合っていて、綺麗でかっこいい出来で、それに見合うお返しをデートで……」
「全部聞かなくていいですよ、アレックス。彼女のことになるといつもこんな感じなんです」
顔を近づけてこっそり囁いてくるフィルに、懐かれていても、全く意識されていないのは相変わらずだと小さく苦笑する。
「っ」
が、艶やかな金の髪がふわりと揺れた拍子に漂ってきた香りに、心臓がドクリと大きな音を立てた。
ハナレナイデホシイ――体を元の位置に戻すフィルに、無意識にそんな風に感じてまた動揺する。
「ちょっと聞いてんの、フィル?」
「聞いてる聞いてる」
熱弁をふるう彼を前に、フィルは黙々と匙を口へと運ぶ。
珍しくフィルが嘘をついた、と思う一方、彼の変人っぷりに、なるほどフィルの友人をやれるだけのことはあると思ってしまった。……じゃあ、昔の俺もか、と気づいて遠い目になったが。
「ちなみに、そのデートコースの件、私ならどんなところを回ったら嬉しいかって聞かれたんですけど」
再び身を寄せてきたフィルが、小声で「無理やり考えさせた挙句、全部却下されました」と恨めしそうに囁く。距離の近づいた彼女の桜色の唇から、吐息の熱が微かに伝わってくる。
それらに神経を奪われて、言葉の意味を理解するのが一瞬遅れた。
「……は?」
(ちょっと待て。彼女とのデートの参考にするのに、フィルの希望を聞いた? それは、つまり……フィルが女性だと気付いている?)
「……」
アレックスは、目の前で陶酔したまま、幼馴染の彼女を語っている彼を見つめる――正確には睨んだが、彼は今度は一切気付かなかった。
「……」
この初体験にもアレックスは目を丸くする。
「「ああ、メアリー、最高」――締めの言葉はいつもそれだよね、ヘンリック」
「フィル、友達がいがない」
「そう?」
「今度紹介してあげるから、そうしたらその認識は改まるよ?」
「うん。それより、ヘンリック、さっさと食べたら?」
「「大きくなれないよ」って言うんだろう、フィル、やな奴だっ」
そうして、ケラケラと一緒に笑い出して再び匙を動かし始める二人を前に、アレックスは悩む。ばれているのかもしれない。が、なぜだろう、深く考える気がなくなってしまった。
いつもいつも呼吸するのと同じぐらいに考えを回らせるアレックスにとって、これもまた初体験だった。
「あの二人、いつもなんかほのぼのしてるよな」
後ろから微かに響いてきたその声に納得した。なるほど、これがそういう空気か、確かに自分には無縁なものだった、と。
そしてなんとなく思う。きっと彼は大丈夫だろう。
それから、今日もう一つ確信したことがある。
自分の中のフィルへの感情、その中の何かが決定的に昔と違っている。それを確かめるために、フィルにどこにデートに行くと嬉しいと答えたのか、後で確認しておこう――二度目の休みに備えて。




