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そして君は前を向く  作者: ユキノト
番外編【綺】
189/320

3.遭遇

 冬の朝の空は珍しく快晴。地平線の向こうから伸びてきた朝日によってオレンジに染まった細い雲が、明るみ始めた空にたなびいている。

「多分じゃなくて絶対ひと悶着ある……」

 いつもより早く目覚めたナシュアナは、寝巻き姿のまま窓辺に寄りかかり、そんな空を見上げてため息をついた。

 ついに、フィルがアレクサンダーと共に王宮に来る日を迎えてしまった。本来なら嬉しくて仕方がない日なのだけれど……。

「一番の問題はやっぱりお姉さま……」

 先日の夜会での異母姉の様子を思い出し、ナシュアナは眉をひそめた。皺になってしまいます、とまたジェシーが怒るだろうけれど、今日これからのことを思うとどうしようもない。


 以前、姉とアレクサンダーは恋人だという噂が出ていて、彼女はそれを否定していなかった。それどころか暗に肯定していたように思う。

 その辺の事情と誰より高いプライドとが相まってか、あの晩、姉はアレクサンダーと踊るフィルを、今にも引きずり倒しそうな顔で憎々しげに見ていた。

 アレクサンダーが周囲に見せ付けるかのように(あれは絶対意図的だったと思う)、恥らうフィルを抱き寄せ、今にも唇が触れそうな顔の近さで会話をしていたのも、姉との関係でいえば、悪い方向に働いたはずだ。

(本当にあれが乙女の前ですることかしら……。周りの女の子たちだって皆顔を真っ赤にしていたし……)

「って、問題はそうじゃなかったわ」

 ナシュアナは頭を手でトントンと叩いて、雑念を振り払う。


 ちなみに、姉だけじゃない。ラーナックに言われて思い返してみれば、あの日そんな顔をした女性たちは他にもいっぱいいた。

 それで慌てて周囲に耳を澄ませてみれば、あの二人は本当に恋仲なのかとか、フォルデリーク公爵は承知のことなのかとか、うるさいぐらいに噂されていたし、最近ではナシュアナにまでそんな話を持ち掛けてくる人が出てきている。適当に流してはいるけれど、はっきり言ってそんな時の彼女たちの目は血走っていて怖い。

 しかも最近頻繁にフィルの登城予定を訊かれるとジェシーが言っていたから、きっと嫌な歓迎があるのだろう。

(権勢のある家の出の割に次男で騎士だから、身分の別なく手が届きそうな気がするのでしょうけど、アレクサンダー、人気があるにしても限度があっていいのではないかしら? フィルが可哀想だわ……)

 しみじみと息を吐き出す。


「フィルはどうするのかしら」

 色々な意味で強い人だけれど、そういう方面に疎いのはよく知っている。姉や他の令嬢たちがアレクサンダーに付き纏っている時は、いつも困った顔をしている。

(まあ、私だってどうすればいいのか、まったくわからないんだけど。本にはそんな時の対処法なんて書いていないし……)

「でも! 絶対に他人事じゃなくなるのだもの!」

 アレクサンダーほどではないにしても、ラーナックも注目の的だった。彼自身が近寄り難いほどの美貌の主だから、よほど自信がないと近づいていけないのだろうけれど、彼は優しい。そのうちにハードルを乗り越える人が出てくるだろう。

「将来の予行演習にもなるし、何よりフィルとラーナックのためだもの、絶対にフィルを庇い通さなきゃ」

 ナシュアナは決意を固くすると、もたれかかっていた窓枠から勢いをつけて身を起こした。



 * * *



 とうとう決戦の時がやってきた。大げさだけど気分はまさにこれ。

「……っ」

 フィルを迎えに行こうと開いた扉の向こうには、緘口令を敷いたはずなのになぜか人がいた。そのうちの一人と目が合って、ナシュアナは回れ右すると、ばたんと音を立てて扉を閉める。

「……」

 第二夫人やその周囲の人たちに見られたら、またあれこれ言われるようなことをしてしまったけれど、笑っているのになぜか恐ろしい顔の女性たち――あれを見たら、誰でもそうなると声を大にして主張したい。

(あれ、フィルたちが来ると知って見張っているのよね……?)

「……ジェシー?」

「わ、私じゃないですよ」

 恨めしげに横のジェシーを見上げれば、ナシュアナ同様引きつった顔をしていた彼女は、慌てて首を横に振った。

「じゃ、アーサー?」

「アーサーさまはそんなことなさる方じゃありません」

 アレクサンダーに失恋した彼女は、再びアーサーファンに戻ったらしい。


 仕方なく、彼女らを撒くためにいったん王宮図書館に入った。そこで許可がないと入れない制限書庫に行き、さらにそこの通用口を老博士に開けてもらって外に出た。

 事情を話したら、老博士は口を大きく開けてお笑いになり、「そうですか、フィル殿も千人力ですな。頑張っていらっしゃい」とナシュアナの頭を撫でてくださった。買い被りすぎですとも思ったけれど、おかげで、じゃあもっと頑張らなきゃ、という気になる。


 図書館から裏門に行くと見せかけて、昔人目を忍んでいた時に使っていた裏道を辿り、フィルの来る時間とほぼ同時に通用門に出たのだけれど……そこには先客がいた。

「ジュリアン・セント・ミレイヌだわ」

「……ですね」

 近衛騎士の赤い制服に身を包んだ彼は、いつものように凛と背筋を正し、朝の明るい光に、綺麗と評判の金の髪を晒している。


 昔姉と一緒にナシュアナを馬鹿にしていた彼は、半年ほど前お兄さまとタンタールに行った後、一人でナシュアナのところに謝罪に来た。何も考えていなかった、周囲の言うまま生まれが人の尊さを決めるのだと信じていた、と。

 目の前で起こっていることに頭がついていかなくて、呆然としてしまったナシュアナの目の前で、彼は頭を深く下げ、脇に置いたこぶしを握り締めて、居心地悪そうに、けれど自分を恥じているとはっきりわかる顔で、謝罪の言葉を繰り返した。

「人として最低なことをしていました。謝罪して済むことでは絶対にないとも思っています。けれど、本当に、本当にごめんなさい」

 ジェシーは「何を今更」とひどく怒っていたけれど、不器用に、まるっきり子供がするように率直に謝られて、なんだか嬉しくなってしまった。

「ありがとう」

 内心のままそう口にすれば、彼は顔を跳ね上げて目をみはり、それから泣きそうな顔をした。

 以来彼はナシュアナと目が合うと照れたように笑うようになった。ジェシーはまだ彼を警戒しているから、今も横で眉をひそめているけれど。


 なんせその彼は門の向こうに向かって、普段はすごく礼儀正しい、貴族の少年の見本のような彼には有り得ない大声をあげる。

「フィルっ」

「あれ、ミレイヌ?」

 昔の記憶が蘇って、『ミレイヌはやはりフィルに何かするつもりなのかも』という疑いが首をもたげた。ジェシーにいたっては「やっぱり嘘だったのね!」と怒っている。

「お前が女って嘘だろ!?」

 が、続きの言葉に、二人で顔を見合わせた。

「……なんでしょう、以前と変わられたというのはたった今よく理解しましたけど、やっぱり最低だと思います」

「そうね、失礼にもほどがあるわね」

(でも、おかしいわね、ミレイヌってあんなだったかしら?)

「せめて、『本当か?』ぐらいにしておいてくれないか……」

 門をくぐったフィルも同じことを考えているのだろう。遠い目をしている。

「あ」

 ミレイヌがそんなフィルの胸に手を伸ばして、『失礼どころの話ではなくてよ、ミレイヌ!』と思った瞬間。

「触わるな」

「いだっ」

 フィルの斜め後ろにいたはずのアレクサンダーが、不機嫌そのものの顔でその手を叩き落とした。思わずジェシーと二人、胸を撫で下ろす。

「いや、だって、本物かどうか確かめよ、うと…………ごめんなさい」

(アレクサンダーに睨まれて、すぐに反省するあたりは確かに可愛いのだけれど……いえ、あれは怖いから誰だってそうなるかしら?)

「あれは別の意味で駄目でしょう。アーサーさまかアレクサンダーさま、いっそフィルさまの爪の垢、命令して飲ませたらいかがです?」

「そうね、駄目ね。その提案、考えておくわ」

 相変わらず『……最低』と書いてある顔をしているジェシーに、真剣に頷いた。


「ここまで疑われると虚しいを通り越して、いっそ清々しくすらなってくる……」

 ぼそっと呟いたフィルに、アレクサンダーは眉を跳ね上げ、苦笑を漏らした。

「気にするな、フィル」

「……でも」

 しゅんとするフィルの顔を、アレクサンダーは先ほどまでとは別人のような優しい表情でのぞき込み、頭をトンと叩いた。

「フィルより背が低くて、」

「う」

「フィルより弱くて、」

「ぐ」

「フィルより紳士的でなくて、」

「う゛」

「フィルより格好悪くて、」

「う……」

「フィルより女性にもてないから認めたくないだけなんだろう」

「……」

 フィルの頭を撫でつつ微笑むアレクサンダーの横で、ミレイヌが灰と化している。


「ざまあみろって思ってしまいました」

「そうね、あれは女性の敵ね。いい薬だわ」

 ちょっと胸がすっきりした。

「それにしても、アレクサンダーさまってあんな性格でしたっけ?」

「フィルが関わる時は別人だと思っておいたほうがショックが少ないと最近悟ったの」

 そんな会話をジェシーとしみじみ交わして、ふと我に返った。こんなことを悠長にやっている場合ではない。


 今更だったけれど、彼らのやり取りを見ていた柱の陰から慌てて飛び出して、フィルに駆け寄った。

「フィル、早く部屋へ行きましょうっ」

「ナシア!」

(……ああ、いつものフィルだわ)

 ナシュアナに気付いて嬉しそうに笑い、彼女もこっちに駆けてきた。抱き上げて「ごめんね、この間は心配かけて」と抱きしめてくれる。

 嬉しくなって「いいのよ、そんなの」と言いながら、やっぱり抱きしめ返して、微笑み合っているうちに。

「ナシュアナさま、フィルさま、そんな場合では……」

 ああ、そうだった、とジェシーの声にもう一度我に返った時には遅かった。


「卑しい生まれの者は行動までやはり卑しいのね」

 きらきらと光る朝の日差しの中から響いてきたのは、悪意と害意に満ちた恐ろしい声だった。


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