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そして君は前を向く  作者: ユキノト
番外編【綺】
187/320

1.変わる

 カザック王国第二王女であるナシュアナの日常は、十二歳の聖ナシュアナシス降誕祭を境にがらりと変わった。

 変化のきっかけをもたらしたのは、ナシュアナの初恋の相手ラーナックの妹であり、騎士団の騎士でもあるフィルだ。

 

『さて、誓ってもらったからにはもう逃がしませんよ、一緒に頑張りましょうね』

 祭りの期間に実施された剣技大会の表彰式でナシュアナと約束した通り、彼女は努力して、どんどん自分の居場所を作っていった。

 小山のような魔物を一人で何匹倒したとか、お兄さまを刺客から守ったとか、反乱軍を壊滅させたとか、フィルに関する噂は王宮の片隅で暮らしているナシュアナに聞こえてくるだけでもいっぱい。

 それに比例するように彼女はどんどん有名に、人気者になっていった。


 そんな彼女が時々とはいえ、ナシュアナの護衛のために王宮にやってくるのだ。その時に情けない話はできない。そう思えば、ナシュアナ自身いくらでも頑張ることができた。

 もちろん今までが今までだったから失敗も上手くいかないこともたくさん、しかも怖いことも相変わらずいっぱい。

 でも「何があったってフィルは私の味方」と思えば、無敵な気分になれた。落ち込んでいてももうちょっとだけやってみようと思えて、誰が私を悪く言っていたってそんなの平気と思えるようになっていった。


 顔を上げて、人の目を見て話す。これはラーナックの教え。

 誰かが何かをしてくれた時は、ちゃんと目を見て丁寧にお礼を言う。これはフィルの真似。

 不当な扱いを受けた時は、相手の目の前に行って、その顔を見つめ、堂々とそう口にする。これは困っていたナシュアナを見つけたアレクサンダーが授けてくれた知恵。

 王女に皆が期待する人間像を必要な時に必要なだけ演じる。これは異母兄のフェルドリック兄さまが独り言のように下さったアドバイス。

 すると周りも変わっていった。

 異母姉のセルナディア姉さまとその母であらせれる第二夫人を取り巻く政情が変わったこともあってか、面と向かってナシュアナを嘲笑ったり嫌がらせをしたりする人は減ったし、親しく話せる貴族の知り合いも数人できた。城勤めの人たちの中にも笑って挨拶してくれる人たちが増えていく。

 中でもミレイヌ侯爵家のジュリアンは、お兄さまやフィルたちと一緒にタンタール地方に行った後、城に戻ってくるなり、一人で謝罪にやってきた。その後は見かけるたびに、恥ずかしそうにしながら頭を下げ、笑いかけてくれるようになった。

 街でも図書館でも王女だと知られるようになったけれど、人々は「あ、フィルの王女さま」などと言って、人懐っこく手を振ってくれる。

 お兄さまも見かけるたびに声をかけてくださるようになって、フィルとアレクサンダーが来ている時にはわざわざナシュアナの部屋にやってきて一緒にお茶をしていかれる。

 完全無欠で神のようだと思っていた彼が実はかなり黒い(注:フィル語録)ことと、アレクサンダーに懐いて(注:同)いらっしゃること、それからフィルと、なんというか張り合って? 不思議な空気をお作りになることに驚き、結構子供っぽくていらっしゃるのだと知って親近感を覚えた。


 ある日図書館で久しぶりに出会ったラーナックが、ナシュアナをじっと見て口を開いた。

「楽しそうに笑うようになったね」

 そう言って幸せそうに微笑みながら抱きしめてくれて、嬉しくて仕方がなくなった。あとで完全に子ども扱いだわ、と気付いて落ち込んでしまったけれど。

 それだけじゃない。先日の夜会では、憧れの王妃さまが皆の前で声をかけてくださった。

「最近とても頑張っているのですって、ナシュアナ。とても誇らしいわ。ミアンもきっと喜んでいると思う」

 その上頭を撫でてくださって、舞い上がりそうな気持ちになって、これでもっともっと頑張れます!と思った。


 情けなかった頃からナシュアナをずっと見守ってくれていた侍女のジェシーが、ある日の会話の途中、ふとした拍子に「本当によかった」と言って泣いた。

 これまでアーサーを笑わない人だと思っていたけれど、よく笑顔を見せてくれるようになった。それで気づいた。彼はナシュアナが害意に晒されないか、これまで全身で警戒してくれていたのだ、と。

 料理長のサジェスは、親しくなった貴族の令嬢の一人がナシュアナの下に遊びにやってくると聞いて、ナシュアナも彼女も呆気にとられるくらいの量と質のお菓子を用意してくれた。

 「最近リストを書ききれない日が増えてきました」と報告した手紙への乳母からの返信も、文字が雫で滲んでいる。


 そんなふうに過ごしながらしばらく経ち、久しぶりにフィルが護衛に来た時だった。

「?」

「ナシア? どうかした?」

 会うなり抱きしめて抱え上げてくれるのは同じなのだけれど、フィルの笑い方とか雰囲気とか少し変わって見えた。ラーナックの妹だし、美人なことには変わりないのだけれど、なんだかすごく柔らかくなっている気がした。

「フィル、本当に綺麗になったわ。ううん、昔から綺麗だったけど、女の人の感じがするようになった」

 思ったままのことを言ったら、不思議な事にフィルは真っ赤になって絶句していたけれど、横で笑っていたアレクサンダーの様子からしても、二人は上手くいっているようだった。


 それはそれで喜ばしいのだけれど、アレクサンダーのフィルに対する態度は時々目のやり場に困るようなもの。乙女の前でしないで、と思うことも少なくなかった。

 ふとした瞬間の距離が妙に近い気がするし、フィルに対する目線だって側にいるだけのナシュアナがドキドキしてしまうようなものだし、「絶対に放さない」なんてプロポーズみたいなことを人の前で平気で言うし。

 一度なんて人気のない場所ではあったけれど、彼はフィルを堂々と抱きしめていた。

 内心で「ひゃあああ」とか思いながらも、アレクサンダーがフィルの身に腕を絡めて抱き寄せて、何かを囁きながら耳にキスしているのをしっかり見てしまっているあたり……乙女失格かしら、私、と思わないでもない。ちょっと落ち込む。

 フィルは後ろ姿でもわかるぐらい硬直していたから、ナシュアナの存在に気付いてないようだったけれど、アレクサンダーは気付いて口に人差し指を当て、フィルの肩越しに笑っていた。意外、子供みたいなことするのね、と思ってなんだか嬉しくなって、結局一緒に笑ってしまった。


 そんな二人が恋仲だとすぐに気付いた勘のいいジェシーが、アレクサンダーに失恋したとしばらく嘆いていたのは気の毒だったけれど、フィルが好きで仕方がない、すごく大事というアレクサンダーの仕草が本当に嬉しくて、同時にこっそり憧れた。

 少し欲張りかなとも思うけれど、自分もフィルのように幸せになりたくて、ラーナックに振り向いてもらおうと密かに頑張り始めた。とはいえ、元の美貌の差に加えて、妹扱い。先が長そうで気が滅入るけれど、フィルだって頑張っているのだから、と日々自分を奮い立たせている。



 * * *



 けれど、先日、いつも元気でナシュアナに元気を分けてくれるそのフィルが、沈んだ様子で王宮へとやってきた。

「アレクサンダーは?」

 そう訊ねれば、フィルは一瞬痛そうな顔をして、「抜けられない任務があるので、今日は私一人で」と硬い声で答えた。

 彼女は確かに元気がないのに、詳しい事情は話してくれない。

(色々ある人だし、話せないのかもしれないわ……)

 そう思いついたけれど、いつも助けてもらうばかりだったから、こんな時ぐらい何かお返しがしたいと必死だった。だから人気のない温室で、一生懸命頭をひねって言葉を探した。

「フィル、私は味方だわ」

 フィルが一緒に強くなろう、頑張ろうと言ってくれて、いつだって私の味方をしてくれたように――。

「フィルは私の憧れなの。フィルは私に勇気をくれたわ。フィルがフィルとしてここに居てくれていることで私はいっぱい救われたの」

(ねえ、大好きなのよ。だからそんな顔していないで)

 泣きそうな顔のフィルを見ていると、一緒に泣きそうになる。そんな顔がおかしかったのかもしれない。

 フィルが小さく笑ってくれてほっとして、ナシュアナも一緒になってちょっとだけ笑った。


 その後、お兄さまが部屋にいらして、共にお茶をした。

 お兄さまはさすがと申し上げるべきなのだろう、事情をすべてご存知のようだった。そして、フィルからうまくいつもの調子をお引き出しになる。慰めや励ましとはとてもじゃないけれど言えない方法だったのに、不思議で仕方がない。

 お兄さまを見送ったフィルは、少し悔しそうで、でも少し嬉しそうで、その日の夕方には朝よりも元気になっていた気がする。

「じゃあ、ナシア、一週間後にね」

 笑顔を見せ、ナシュアナをラーナックそっくりの仕草でぎゅっと抱き締めて帰っていった。


「……元気になって、フィル」

 黄昏の街に消えていく彼女の後ろ姿を見つめ、ナシュアナはそう切実に願う。

 そうして感傷に浸って、ラーナックの言葉――『フィルはいつも想像にないことをするんだ』を忘れていたと気付いたのは、その一週間後、例の夜会でのことだった。



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