12-14.惚れた強み
「歌、姫……?」
誘拐事件の囮捜査に協力をしてもらっていた酒場。開店準備中の時間帯にそこに立ち寄ったフィルは、店主に「あの歌姫を紹介して欲しい」と言われて、顔を引きつらせた。
「ええと、それって歌ってた子ってこと、ですか?」
横から空気の振動が伝わってくるのは、そんな自分から顔を背けてアレックスが肩を震わせているからだ。
「すごい人気で、問い合わせがひっきりなしなんです。実際彼女が来てくれていた間、うちの客はうなぎのぼり。騎士団のどなたに訊いても無理だと仰るし、じゃあ、どこの子か教えてくれと言っても秘密だと」
「……」
目の前にいる――そう言ってどうなるだろう?
そうか、そんなに違うか、やっぱり化粧って怖い、と思わず天を仰ぐ。そのついでに、アレックスを横目で睨んだ。案の定笑いをかみ殺していたからだ。
「歌が上手いだけじゃなくて、声も澄んでいて綺麗で、しかも目の覚めるような美人。抜群のスタイルに長髪が映えて色っぽい――そんな子、他にいないでしょう?」
「び、じん……? いろっぽ、い……?」
恐ろしいのは化粧だけではなく、ドレスや長い髪もだった。
(世の中の女性は何だってそんな恐ろしい物共に惹かれるんだ……)
フィルは恐怖すら覚えて、小さく首を振る。
「もの静かで、口数が少ないあたりもひどくミステリアスな雰囲気で、まさに高嶺の花」
(静かだったのは口を開いたら叫び出すという確信があっただけ……)
うんうんと一人納得したように頷く主人に、フィルは片頬がぴくぴくと痙攣し始めたのを自覚する。
「大きな商家の主や貴族の方からも問い合わせがあるくらいなんです。愛人にしようとでも考えてるんでしょうけど、それよりはうちで……」
――寒い。
覚えのある冷気を感じて、思わず身震いすれば、目の前の主人も異変に気付いたらしい。上機嫌な語りが止んだ。
「う、ち……で……」
「……」
フィルは恐る恐る冷気、正確には殺気の源へと目を向ける。ちなみに、顔も体も正面を向けたままだ。向き合ったが最後、氷漬け決定。そんな暴挙は剣士として回避すべきだ。
「う、あ……いいいいいや、わわわ忘れます、いい今すぐ、そして永久に……!」
「――その方が身のためだ」
そうと知らない主人は、悪魔を見たかのように真っ青になりつつ、アレックスへと何度も頷いた。
少しだけ気の毒になったけど、正直助かった。が、最近アレックスは時々怖い。
* * *
店を出て、いつもの巡回のコースに戻った。アレックスとフィル、二人分のブーツが石畳を踏む音が、夕刻を迎えようとする通りの喧騒の中に紛れ込む。
「うーん、そんなに違うかなあ」
脇に並ぶ商店の大きなガラスに映った自分の姿を見た瞬間、フィルは思わず疑問を漏らした。
アレクサンドラの一件で女だとばらした後、仕事でも日常でもやっていることは前と同じなのに、周りの反応が変わった。
まず性別に関する言葉が付け加わるようになった。例えば、今までは『強い』と言われるだけだったのに、それに『女のくせに』『男でもないのに』『女でも』『男より』が加わるようになった。
正直不思議だ。ばらして二ヶ月ほど――フィルの強さは同じか、ちょっと強くなった程度のはずなのだが。
「俺にとっては――」
「あの、フォルデリークさま」
アレックスが苦笑と共に口を開いたところで、高い声が続きをかき消した。
「……」
嫌な既視感を抱きつつ振り返れば、そこに、やはりというか、頬を染めて潤んだ瞳でアレックスを見上げる可愛らしい少女の姿がある。
(これも変わったことかも)
そう、以前と違う反応その二は、こういう彼女たちが次にチラッとフィルを見る視線だ。今までは『席を外して欲しい』だったのに、今や……『邪魔』。
(……きつい、きつすぎる)
肌がピリピリする、独特の気配は嫉妬というやつで、『虫も殺せません』みたいな、可愛い少女にそんな目を向けられると、フィルはすごく悲しい。誘拐犯に殺気を向けられるよりよほど辛い。しかも自分がアレックスの側にいることで、可愛い子にこんな顔をさせているのだと思うと、なおさら居たたまれない。
だからといって、アレックスの彼女(ちょ、ちょっと恥ずかしい)をやめるかと言えば、それは絶対に嫌なのだが……。
「……」
目と顔を思いっきり二人から逸らし、フィルは彼らから距離をとった。そして、ため息をつきながら木陰の塀へともたれかかる。完全に『逃げ』だ。
「剣士失格かなあ、爺さま。でも……う」
祖父が怒るかも、と思いつつ、アレックスに目を向けた直後、彼の目の前にいる彼女と目が合ってしまって、フィルは背筋を凍らせる。怖い、魔物などとはまったく違う意味で。
「どうしたらいいんだろう、婆さま……」
これは完全な泣き言……かなり情けない。
ちなみに、変わった反応その三――。
「アレクサンダーさまとお付き合いなさっているんですか」
アレックスがいない時にそんなふうに訊かれることも増えた。
「……はい」
確認もとったし、答えは一つしかないのだけれど、その後の反応がまた厳しい。
『不釣合いだと思う』
婉曲だったり明確だったりするけれど、要約するとこれ。女らしくなくて、貴族でなくて、家庭的な温かみのないフィルでは彼に釣り合わない、駄目だ、と皆が口を揃えて言う。
女らしくない、それはそう。貴族でない。これもそうだし、しかも、実の親に貴族でなくさせられたという駄目押しつき。家庭的な温かみはどんな温かさなのかいまいちわからない。家庭の温かみはわかるけど。
それだけじゃない。頭だってアレックスよりかなり悪いし、常識がないし、考えなしだし、いつも迷惑かけてるし、しかも、運命神から『混沌をもたらす』なんてお墨付きまである。 ……考えれば考えるほど凹む。ざくざく棘が刺さって、もう棘まみれだ。
つまり、『不釣合い』だとフィル自身思っているから、余計痛いわけだ。
「それでも私がアレックスの側にいたいから一緒にいます。今駄目なら釣り合うように頑張ります」
だからこそ毎回痛みを堪えつつ、決意を込めてそう言い返しているのだが、その後泣いたりされると本当にきつい。はっきり言って勘弁して欲しい。
「フィル、一人かい?」
「あ、……ううん」
「? あー、相変わらず彼はもてるね」
物思いに(逃避とも言う)沈んでいたフィルに話しかけてきたのは、この界隈の粉屋の跡継ぎ息子だ。彼はフィルの視線を辿ると、アレックスと女の子を見て奇妙な笑いを見せた。
「だけどさあ、彼も無神経だよね、フィルの前でさ」
「彼、ってアレックス? 無神経?」
フィルは首を傾げる。不思議と言えば言葉もそうだが、フィルの横に並んで、同様に塀に背を預け、人懐っこく話しかけてくる彼の様子も。
「健気だなあ、フィルは」
(……健気?)
フィルは眉をひそめる。彼の言葉も空気もだが、何より顔を必要以上に寄せられたことに引っかかりを覚えた。
「なあ、フィル、あっちはあっちで楽しそうなんだし、フィルも遊んでみたくなったりしない?」
「遊ぶ……?」
「そう、アレックス以外とどこかに出かけたり食事したり、とか。せっかくそんなに綺麗なんだし、経験だと思ってさ。なんなら俺、付き合うよ?」
「……」
夕日を受けた彼の顔をまじまじと見つめると、彼はどこかで見たような表情をみせた。
(……これ、酒場で歌い終わった時に、花束やプレゼントなんかをくれる人たちと同じ顔、だ……)
「……しないし、いらない」
そして、なんとなく理解した。
『はは、また迷ったのかい? 配達があるから途中まで案内してやるよ』
『剣技大会、見たよ。すごかったな』
そう言いながら笑ってくれていた彼の顔は、友達の顔だ。でも今のは多分違う。そう悟って微妙に悲しくなった。
「フィルっ」
アレックスに名を呼ばれて、息を吐き出す。
「じゃあね」
顔をもう一度見ても切なくなるだけという気がしたから、フィルは目を合わせないまま、横の彼に別れを告げた。アレックスへと駆け出す。
「アレックス」
気をつけて見ていないとわからない程度、目と眉の動きだけで驚いたような顔をしたアレックスが、こちらに足早にやってくる。なんだか無性に抱きつきたくなるのを我慢して、フィルは伸びてきた彼の手を両手で握り、顔を綻ばせた。
「何があった」
「特には」
握った手をにこにこと見つめたまま首を振ったフィルの耳に、息をのむ音が届いた。思わず後ろを振り向けば、そそくさと去っていく粉屋の彼の背。
「アレックス?」
アレックスは険しい顔つきでその彼を見ている。
「……彼に何を言われた?」
(な、なんかまた怖い……?)
微妙に引きつつも、訊かれたことにはきっちり答えるのがフィルの習性だ。
「え、えと、よくわからないんですけど……なんかアレックス以外と遊びに行ったりしたくならないかって」
「は?」
「ならないって答えましたけど」
「……油断も隙もない」
唖然としていたアレックスが顔をしかめた。
「そりゃあ、剣士ですし、油断も隙もないようにしていますけど……」
同じ顔をしたフィルに、彼は「フィルの話じゃない」と苦笑を返してきた。
「……あー、と、その、一応、言っておくが、」
握ったままにしていた彼の手に再び視線を落とし、もう一度顔を綻ばせたフィルに、アレックスが逡巡を含んだ声をかけてきた。
(あれ、ちょっと赤くなった……?)
見慣れない様子につい目を丸くすれば、彼の頬の赤みが増していく。
「俺の方も断ったし、この先も断るからな。その、好きな人……フィルがいるからって」
「え……はい」
言葉の意味を理解した瞬間、フィルも顔を赤らめた。
二人で真っ赤になって、気まずさいっぱいに見つめ合った後、そろって笑い声を零し、再び歩き始める。
西から降り注ぐ光に濃い赤みが入った。雑踏の中、路面に自分たちの長い二つの影が落ちている。その影の手が重なっていることに気付いて、ちょっとだけ嬉しくなってしまう。
「そんなに変わったかなあ……」
けれど、身じろいだ自分の影の胸に膨らみを見つけた瞬間、眉根が寄った。本日二回目の独り言を呟く。
「俺にとっては一緒」
何の気なしに発した言葉に応じる静かな声に、フィルは目を見開いた。
「フィルはフィルだ」
「……」
思わず立ち止まり、数歩分先にいったアレックスの背を見つめる。
「私は、私……」
(そう、だよね、別に『私』は変わっていない……)
「ヘンリックやメアリー、オッズに小隊長たち――そういう人たちは結構いる。フィルにもわかるだろう?」
振り返った彼は、青い目に弧を含ませた。
「そう、ですね……」
(その通りだ。アレックスだけじゃない、変わらなかった人たちもいた……――)
「……」
目の前の彼を見つめる。
背が高くなった。鋭利な顎のラインや、西日を受けて影を生む、彫りの深い顔はもうすっかり男の人のもので、全身は無駄のない筋肉に覆われている。
フィルよりはるかに力が強くなっていて、華奢さはもうどこにもない。
なのに、夕日の下で顔全体を柔らかく綻ばせてフィルを見つめる笑い方が、十年前と変わっていないことに不意に気付く。
アレックスは、アレクは昔から不思議だ。魔法みたいにフィルのことをよく知っていて、フィル自身が欲しいと気付いていないものもくれる。そうしてフィルの心を何度も守ってくれた。その彼と今度こそずっと一緒にいたくて、その為にもっと強くなろうと思った。
「どんな格好をしていようと、何をしていようと、フィルは俺のたった一人だから」
彼がくれる言葉の数々に何度救われただろう? 彼の存在そのものに、この先何度救われるのだろう……?
答えははっきりとはわからない。もしかしたら数えられないくらいなのかもしれない。
けれど、最近確信しつつあることがある。
「……うん。ありがとう、アレックス」
――私は彼のためなら、きっとなんだってできる。どこまでも強くなれる。




