12-11.見込み違い
「うー、疲れた……」
運河に面し、かつて港湾業で栄えた王都の西区は、今は運河の水位の低下に伴って寂れ気味になっている。そこの古い集合住宅の一室、殺風景な仮住まいに戻ったフィルは、愚痴りながらベッドに身を投げ出した。静まり返った室内にその音が大きく反響して、露骨に顔をしかめる。
(ドレスが皺になるって言うけど、構うもんか)
ごろりと仰向けに転がれば、カツラの長い黒髪が顔にかかる。嫌気と共にそれを払いのけて、大きく溜め息を吐き出した。
ドレスは嫌いだ。動きにくいし、防御力も低いし、剣も持てない。
『せいぜい着飾り、結婚相手を探す努力でもしろ』
それより何より、そうやって不満を覚えるたびに父のあの顔が頭をよぎる。
(昔、あの人からドレスがザルアに届けられたことがあったな……西大陸産の絹とかって話だった)
そう思い出して、フィルはきつく眉を寄せた。天井についた染みがひどく疎ましい。
丁寧に包装された箱の中から出てきた綺麗なドレスに驚いて、でも父から贈られたことが嬉しくて、祖母やターニャに勧められるまま着てみて……結局すぐに破ってしまった。ドレスというものを意識できなくて、いつもと同じように動いてしまって。
せっかくもらったものを台無しにしてしまったことも悲しかったけれど、それが父との距離そのものに思えて、それこそが悲しかった。
「貴族令嬢とかそんな話ですらないんだよな……」
女の子が普通にこなす、皆が当然だと考えるともなしに思っている、当たり前の格好にすら馴染めないのが私――自嘲が口を突いて出た。
気にしていることをどんぴしゃで指摘されるようで、ドレスやワンピース姿を似合わないと笑われるのも切ないけれど、逆に似合うと言われて、いつもと違う視線で見られるのも居心地が悪い。
(仕事だから仕方なくしているだけで、父に見放された時から私の中身は変わってない……)
だから変わった外見を捉えて褒められても喜べない。違和感だけが募っていく。
「……」
視界をふさぐように腕を置き、浅くなってしまった呼吸を整えようと、今度は大きく息を吸った。
(気を使ってくれてでもなんでも、アレックスが似合うって言ってくれるのだけは、なんとか救われるんだけどな……)
「そういえば、アレックス、いたな。今日当番なのか……」
帰り道のことだ。大分遠くだったし、目立たない格好をしていたけれど、自分が彼を間違える訳がない。
見ててくれるんだ、と思って嬉しくなりはしたけれど、
(……つまらない。側にいるってわかってても近づいて話すこともできないし)
それはつまり彼が笑うのを見られないということで、あの綺麗な色の瞳が自分を見たりも優しく頭を撫でたりも笑いながら抱きしめたりもないということ――。
禁断症状が出そうだ、と、フィルは腕の下で口をへの字に曲げる。
(そりゃあ、毎日会うけど、仕事だし、当然といえば当然、なんか楽しいことがあっても話せないし、抱きつくこともできないし、キスだってないし、それに……)
「…………そ、れに? ……っ」
(なななな何を考えた、今!? も、ものすっごく邪だった……!?)
「……」
……なんせ一人で赤くなって、のた打ち回っている私はきっと危ない人だ、そう思った。
もう一度ごろりと寝返りを打って、視界に入ったシーツの上には、また黒くて長い髪。酒場で歌うのなら、それなりに色っぽく見える必要があると用意されたカツラだ。ベッドに肘をついて頭を持ち上げれば、それは動きに応じて、すべるような流れを作った。
「……重い」
人生でこんな長い髪をしていたことなんて一度だってない。頭が重いせいか、気分までさらに沈む。
祖母が教えてくれたことの中でも、歌うのは特に好きなことの一つだ。明るいお日さまの下で、明るい歌を歌うのがいい。それで自分が楽しくなるのも、道行く人が笑ってくれるのも好き。でもああいう場所で歌うのは苦手だ。色っぽい恋の歌とか、悲恋の歌とかも好きじゃない。感情も上手く入れられない。
薄暗い中で向けられる視線も笑みの種類も、率直に言ってしまえば、大嫌いだ。
「ああ、もういい加減、勘弁して欲しい……」
最終的には自分で決めて引き受けたことだから、情けないとは思うけれど、結構真剣に泣きたくなってきている。
そうして、しばらく何もしないまま、ベッドに転がっていたフィルは、ふと窓の外にいつもとは違う気配を感じ、身を起こした。
(……いる?)
梢の囁きも虫の音もなく、冬の静寂に満ちた外。眉をひそめながら、そちらへと意識を向ける。
(――……いる。勘違いじゃない)
目を細めて、そう結論付けると、フィルは不自然にならないようにベッド脇の明かりを灯した。窓辺に寄り、月を眺めるようなそぶりで、少しだけ窓を開ける。冷気が肌を刺す。
(被害者たちはこんな感じで一人暮らしの自宅を突き止められて攫われていた……というのはないか。なんか素人くさい)
鍵のかかった部屋に侵入するのも、集合住宅から他人に気取られず連れ出すことも難しい連中なのではないか、と考えながら、フィルは開け放した窓の側に椅子を引き寄せる。
そこに腰掛け、自分が引き続き見られていることを感じつつ、戯れにクッションを抱えた。
(となると、こうやって生活をしばらく観察された後で、どこかに行く途中、じゃないな、帰り道に待ち伏せされて、攫われたと考えるべきかな)
「……嫌な手口だなあ。慣れない暮らしに疲れて、でもほっとして少し気を抜いたところをって、最低の中でも最低だ」
と嫌悪を隠さずに呟く。
(ウェズ小隊長も気付いているだろうな……)
周囲には常に騎士が張っていて、今晩はその中にウェズもいるはずだ。山間の少数民族の出だという彼も、フィルには劣るが相当気配に敏感だ。
つまりは、あとちょっとでけりがつくということだろう、とフィルは作戦が上手く行っていることへの安堵に胸を撫で下ろし、
「……む」
でも、そのちょっとってどれくらいだろう? と抱えたクッションに顔を埋めた。
「待てよ……?」
それから、顔を上げて目を瞬かせた――アレックスが見ていれば、何も聞かないままに「頼むからやめておいてくれ……」と口にするだろう顔で。
「どうしよう、すっごく素敵なことを思いついた……」
(けど、やっていいんだろうか……? ……いや、待て、逆に考えよう。駄目とは言われていなかったじゃないか)
駄目と言われていなければ何をしてもいいということでは絶対にない、と祖父が何度も嘆いていたことは、もちろんとうに忘れている。
「……よし、いい加減限界だ」
フィルは抱えていたクッションを脇に退けて立ち上がり、窓辺の明かりを消すと、一人にこりと笑った。
「私がこんな性格だって知っているはずなのに、こんなことをさせようと思いついた人たちだって悪い。嫌ならちゃんと釘を刺しておけばいいんだ。し忘れたのは私の責任じゃない」
ポトマック副団長が聞けば、きっと恐ろしい顔をするだろうこと請け合いの台詞を呟いて、自分を励ましてみる。おそらくフィル以外の誰もそんな励ましを評価しないだろうが。
「うふふふ、もうやってられない……」
攫われた、身内もいない子たち、彼女らが気になる。さっさと見つけてあげたい――それだけでも動機は十分。
加えて個人的にも、こんな生活や動きづらいドレスとさっさとおさらばしたい。物心付いた時には既に持っていた愛剣を腰にさせない、そんな生活がフィルにとってどれだけ不自然で苦痛なことか、理解できる人間はきっとこの世にいないのだから。
フィルは戸口の前まで歩を進め、ドレスの内、太ももに巻いた専用の皮ベルトに仕込んだナイフを確認する。それから、横の壁に掛けてある外套の内に短刀を二本ほど仕込み、先ほど脱いだばかりのそれを再び身に纏った。
「……」
目の前の扉を押し開けば、冷たい外気が流れ込んでくる。高揚も手伝って、フィルは首と頬を撫でていくその感触に、にっと笑いを零した。
そのまま集合集宅の外に出た。先ほどまで歌っていた酒場に向かって、忘れ物をしたとでも見えるように、早足で歩き始める。
闇の中から複数の意識が向けられていることを感じる。アレックスやウェズを始めとする馴染んだ人たちのものと、悪意を含んだもの。共通しているのは、そのどれもが戸惑いを含んでいるということか。
その中で徐々に悪意を含むものの気配だけが突出してくる。戸惑いから、逡巡、そして……功に焦る者特有の逸り。
(本当に素人だ)
かき寄せた外套の襟に顎をうずめてフィルは、人悪げに小さく笑う。
――ほら、引っかかった。
明かりの少ない、酒場すぐの路地裏。遠く、路地向こうからの光に照らされて、二つの長い影が自分の足元に落ちる。
「……あの、何か?」
行く手に立ち塞がって、無言のまま近寄ってくる彼らの表情は、陰になって見えないけれど、きっと笑っているのだろう。罠に落ちたのは自分たちの方とも知らずに。
彼らに怯えたような顔を向け、後退る。そして背後から近づいてくる、もう一名の気配を捉えてフィルは内心で笑った。
「っ」
背後から口元に寄せられる布の臭いは、睡眠効果のある薬草のもの。すばやくそう認識すると、それを吸入したようなふりをして、膝を地面へと崩し落とす。
そうして、その数十秒後――フィルは首尾よく、一番背の高い男の肩に担ぎあげられた。




