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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第2章 浸透
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2-3.手がかり

 迎えた入団から最初の休み。

「……ふふふ」

 朝、まだ日も昇りきらないうちに目覚めて、フィルはベッドの中でくすくす笑う。


 そう、働き出してフィルが知ったのは、“休み”という言葉の神々しさだ。田舎の田舎で、祖父母や管理人夫妻に勉強を教えられて育ったフィルは、国営学校などに行くこともなかったから、決まったスケジュールの中の自由時間がとっても素敵なものに見える。

 どうせなら何かしようと、“休み”を知っている人はどう過ごすのかと昨日色んな人に聞いてみた。まとめると、ベッドでだらだら過ごす、街をあてもなくフラフラする、彼女とデート、家族と一緒に過ごすという感じらしい。

 後者二つは無理だけど、前者二つはせっかくなのでしてみようと、まずは目が覚めているのにも関わらず、ベッドの中でごろごろ転がる――なるほど、目新しくて中々楽しい。

 ちなみに、毛布でミノムシのようになって転がりつつ、一人笑っているフィルにアレックスが気づき、「今度はなんだ……」と全身で警戒していることをフィルは知る由もない。

 

 そうこうするうちに、時刻は八時。いつもより大分遅いが、退屈さに耐えられなくなったフィルは、入団まで一ヵ月ほどお世話になっていた宿屋リアニ亭に顔を出そうと、身支度を終えた。

「道はわかるか?」

「大丈夫、誰かに聞きます」

「迷子前提なのはどうかと」

 アレックスは苦笑すると、簡単な地図を書いて手渡してくれた。彼は今日も親切だ。

「じゃあ、昼過ぎにデラウェール図書館前で。本でも読みながら待っているから、時間は気にしなくていい」

 それからお昼の約束を口にしたアレックスは、柔らかく微笑んだ。


 ――じゃあ、お昼に納屋の前で。本とか読みながらのんびり待ってるから、急がないで。


「? フィル、どうした?」

「……え? あ、なんでもない、です。ええと、お昼にまた。行ってきます」

 その顔を凝視していたことに気付くと、フィルは瞬きを繰り返しながら、部屋の外へと踏み出した。



* * *



 正午すぎ。休みをもらったら会いに行くというリアニ亭の娘メイとの約束を果たしたフィルは、地図を片手にデラウェール図書館に向かう。中空に昇った日が足元に短い影を作っていた。

「うーん……」

 この後、休みの醍醐味二つ目をアレックスと満喫する予定なのだが、リアニ亭の女将やその食堂の常連達との先ほどのやりとりを思い出して、フィルは顔を顰める。


「アレックスって、も、もしかして、アレクサンダー・エル・フォルデリーク、か……?」

「お前、そいつ、貴族だぞ、しかも大貴族……」

「フィル、ひどい目にあってるんじゃないかい、顎でこき使われてたり、いじめられたり」

「貴族だろ? 嫌がらせ、受けてるんじゃないか、ペア変えてもらえないのか?」

「はあ、しかも同じ部屋!? お前っ、そんな奴と一緒で大丈夫なのか? 貴族の生活になんか馴染めんのかよ!?」

「フィル、いいかい、もし嫌なことがあったら、いつでも騎士団なんて辞めておしまい。ああ、違うよ、騎士団を悪く言う気はないんだ。ただ、あんた、抜けてるからさ、心配でねえ」

「そうよ、フィル、嫌になったらいつだって帰ってらっしゃい」

「リンの店でもなかろうに、また勝手な事を言っておるのう」

「細かいこと言わないの、マックス爺。何だったら一緒にうちの花屋を手伝ったらいいんだし」

「ジェットが妬くぞ、リン」

「あら、大歓迎よ。そうね、一石二鳥だわ、そうしなさい、フィル」

「だめっ、フィルはうちの子なんだからっ」

「そうだぞ、フィルは俺とメイのなんだからっ」


 祖父が亡くなり、ここカザレナでの彼の国葬が終わった後、父との諍いの末にフィルは一人ザルアに戻って、祖父の剣をザルア湖畔の祖母の墓に埋めた。そして、祖父たちが作った騎士団に入ろうと再びカザレナを目指した。

 慌しくザルアに別れを告げて、黙々と王都に向かう途中、妹さんの嫁ぎ先から王都への帰途にあったリアニ亭の親子――女将と幼い娘のメイと息子のラルク――と出会ったのは、森の中で盗賊に襲われている彼らを助けた夜だった。

 それが縁でフィルは彼らと一緒に王都に行くことになって、その上、入団が決まるまでの一ヶ月強、リアニ亭の食堂で給仕をしながら、彼らの世話になった。

 知らないことばかりだったフィルに、リアニ亭の女将は笑いながらも優しく付き合ってくれて、本当に救われた。沈みがちになる夜にはメイとラルクがやってきて、おしゃべりをしながら自分の傍らで眠りにつく。それに何度癒されただろう。食堂にやってくる客のみんなが自分を笑わせてくれて、それで何度助けられただろう。祖父を亡くした悲しみ、父から向けられた蔑み、家と名を失い、誰にも頼れないという孤独感、自分の先が見えない不安……彼らがいなければ、フィルは押しつぶされていたかもしれない。

 先ほど自分を迎えてくれたのは、そうして知り合った人たちで、変わらずに優しくて親切でみんなとても温かい。

 ……のだが、問題はみんなアレックスを誤解しているということ。

 

「いい人なんだけどなあ」

 騎士団でも彼は避けられまくっているが、まさか街でもそうだなんて、とフィルは眉を寄せた。

 フィルはアレックスを既に大好きになっている。常識のない自分の行動(自分で言っていて突き刺さる……)に、周りがドン引きすることはしょっちゅうだし、田舎者だからなのか、迷子だって日常茶飯事だ。それにいちいち付き合って、助けてくれる彼が悪い人な訳がない。

 フィルが抱えている不安や怯えに寄り添いつつ宥めてくれる話し方も、切羽詰った時に焦らなくていいと頭を柔らかく叩いてくれる仕草も、アレクそっくりでほっとする。何よりあの深い青色の目だ。視線が合うたびに、優しく笑ってくれる。

 

「見た目かな。私も最初はぎょっとしたし」

 長身で顔立ちが整っている上に、空気が精錬されているのは確かだ。でも、ちょっと笑うだけで、それが嘘みたいに柔らかい空気になるのに。

「最初がとっつき難いだけなのに――って、あれか」

 そうぶつぶつ呟きながら歩いていたフィルは、古い図書館前の石柱にもたれているアレックスを見つけて、眉を下げた。

 長い手足を優雅に組んで、手元の本に目を落としている彼は、道行く人々の注目の的。でもみな遠巻きにするだけで、声を掛けたりはしない。

 整うのもかっこいいのもあそこまでいくと誤解されてしまうらしいと発見して、フィルはため息を吐いた。


「あ」

(見られてる、見られてる、じぃっと皆から見られてる……)

 そのアレックスがこっちに気付いて手を振ってくれた。とばっちりを受けて集まってきた周囲の視線に頬をピクつかせつつ、フィルも手を振り返す。

「お昼まだだろう、フィル? 美味しい店があるから一緒に行こう」

「っ、はい!」

(ご飯! 一緒に!)

 アレクに似た、これまた大好きな彼と王都で一緒にご飯――これに勝る幸せは、アレクが見つかる以外にはない。

 そうして、すべての悩みを忘れると、フィルはにこにこと笑いながら、アレックスと並んで歩き始めた。

 

 王都を流れる九月の終わりの風は、やはりフィルの育ったザルアより暖かい。

 

「?」

 彼に連れられて入った落ち着いた雰囲気の飲食店で、フィルは大きなガラスケースに目を留めて、立ち止まった。

(食べ物、だよね。でも、カラフルだし、作りがめちゃくちゃ細かいし、芸術品みたい。ああ、でも、中に一つだけ真っ黒で艶々なおかしな物体があるから、あれは食べ物ではないのかも)

 中に所狭しと並べられた、色とりどりの丸だったり、四角だったり、三角だったりする可愛い物体を見、フィルは首を捻る。

「アレックス、これ、なんですか?」

「……ケーキ、だが」

 わからない時は、とりあえずアレックスに聞いてみる――入団以来の習慣を実行したら、アレックスはやはり答えてくれて、でも奇妙な顔をした。

「けーき……」

 頷く間も目はケーキなる物体に釘付け。

(あの赤いのは苺。あっちは木苺。白いのは……なんだろう? 牛乳? クリーム? でも、どっちも液体だからあんな風に形にならないはずだ。これは、多分チーズ。焼いたらあんな色になる。あの下にあるのはクッキー。その上の黄色いのはわからないけれど、その上は色々な果物。あれはわかる。パイだ。よく婆さまが鱒を入れたのを焼いてくれた。アレクが教えてくれたから、木苺や林檎の入った奴もあることだって知っているし、自分でも作れる)

「ここにあるもの、一種類ずつお願いします」

「……おお」

 アレックスが注文するのを聞いて、フィルは目を輝かせた。知らないことを知るのはいつだってわくわくして楽しい。

 

「お昼ご飯なしになってしまいました」

「まあ、偶にはいいんじゃないか」

 お茶と十種類ちょっとのケーキを口にしながら、フィルは顔を綻ばせる。

 学習の結果、ケーキとは甘くて美しい、持ち運びに気をつけるべき食べ物のことだ。白いのは生クリーム。固まるのは『泡立てて』あるから。チーズだと思ったのはあたり。クッキーっぽいものの上に果物が色々載ったのは、タルトというもので、間にあった黄色いのは卵と牛乳で出来たクリーム。繊細な飾りは飴でできている。同じ食材でも、調理方法によって姿形も性質も変わるらしい。


「嬉しそうだな」

「はい。美味しいです」

 お茶を手にしたアレックスが自分を見て笑ってくれるのも、上機嫌の理由のひとつだ。彼の笑顔は優しくてほっとして好き。

「……」

(だけど、問題はあの黒物体……いや、微妙に茶色も入っている?)

 次々と片付けられていくケーキの中で、それだけはなんとなく手を付けられない。

「? チョコレート、嫌いなのか?」

(なるほど、このおかしな物体は“ちょこれーと”という名……聞いたことがない。ますます怪しい)

「食べ物、なんですよね? 黒いけど」

 正直に言えば不気味だ。あの艶々さ加減が特に怪しい。目を眇めつつ、そう伝えれば、アレックスは眉を跳ね上げた。そして、皿を引き寄せると、フォークでそれを少し取り、フィルに差し出してきた。

(……食べろ、と? これを?)

 フィルは盛大に顔を引きつらせる。

 ま、まさか殺意が、と戦慄して彼を見上げれば、目があって微笑まれてしまい、逆に追い詰められた。散々お世話になっている人からの善意の勧め――断れない。

「……」

 フィルはごくりとつばを飲み込むと、覚悟を決め、目を瞑ってそれを口にした。

「……照れない、か。やっぱりそういう感覚がないんだな」

 アレックスが何か呟いたが、吐き気と戦うのに必死で、言葉が意味をなさない。フィルは全身を硬くしながら、数度咀嚼し……、

「……美味しい」

 ぱっと目を開いた。

(めちゃくちゃ美味しい。甘いだけじゃなくってちょっと苦味もあるけど、すごく美味しい。これはあれだ、とっておきの時にターニャがいれてくれたココアに似ている)

「アレックス、これ、すっごく美味しいです、一人だったら絶対食べてなかった、教えてくださってありがとうございます」

 満面の笑みで礼を言いつつ、アレックスの顔を見上げれば、彼は片手で顔の下半分を抑えて、目を逸らした。見れば隣の席の人たちもこっちを見ている。

「……あー」

(そっか、“常識”なのか……) 

 田舎者さ加減? 非常識さ加減?をまた露呈したらしいと悟って、フィルは情けない顔で肩を落とす。

「気に入ったならよかった」

 もう一度こっちを見たアレックスが笑ってくれて、すぐに忘れてしまったが。


「甘いもの、好きなんだな」

「はい、クッキーとか焼き菓子も好きですけど、一番好きなのは木苺のパイです」

「……そうか」

 フィルの返事にアレックスは柔らかく顔全体を緩ませた。

「……」

 そこに日差しがあたって、フィルは手にしていたフォークをカタリと皿に落とす。

(やっぱり、そっくり、だ……。だって、アレクもよくそうやって笑った。明るい光の中でこっちを見る瞳の青さも本当に同じ――)

「フィル?」

「……あの、妹さん、いらっしゃいますか?」

(確かアレクはお兄さんがいると……ひょっとして……)

 そんな淡い希望が湧いて来て、つい訊ねてしまった。

「っ……いや、兄、はいる、が」

「そう、ですか……」

(違うのか……)

「……なぜ?」

「あ、いえ、何でもない、えと、なんとなくです」

 アレックスの顔が急に固くなって、同時にフィルは正気に戻る。駄目だ、自分の素性を知られるような話をしては、と頭が警鐘を鳴らす。


『出て行け』

『以後ザルアナックの名を名乗ることも、周囲に関係を疑われることも慎んでもらおう』

 ――ばれたら、ここにはいられなくなる。


「と、ところで……」

 ぎこちなくなった空気を何とかしようと慌てて、目に付いたのは目の前の物体。

「ケ、ケーキの持ち帰りってできるんですか?」

「……まだ食べるのか」

 アレックスの呆れ顔はちょっと痛かったけど、空気が元に戻って、フィルは安堵の息を吐き出した。



 簡単に崩れてしまうというケーキを買うのは帰り道ということになって、アレックスと共に店の外に出る。

「もう大分涼しくなってきましたね」

「そうだな。だが、冬もザルアより大分暖かいと思うぞ」

 穏やかな声で話しながら横を歩くその人を掠め見てフィルは思う。

(兄妹でなくても、親戚とかあるよね……?)


 そうして、フィルは人に溢れた通りに目を向けた。ここはカザレナ。自分の大事な、大事な親友の住む街。

「……」

 見あげた空の色は、ザルアで彼女と別れた日と同じ色――フィルは大事な彼女を想い、頬を緩める。

(ねえ、アレク、私、結構アレクに近い所にまで来てるかもしれないよ……?)

「フィル、はぐれるなよ」

「あ、はい」

 慌ててアレックスの後を追いながら、フィルはもう一度、空を見上げた。

(だから、アレク、ちゃんと見つけたら、「フィル」って呼んで、昔みたいに笑ってね?)


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