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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第12章 再会のもたらすもの
179/320

12-8.試練

(こんな惨めになることって早々ない……)

 フィルは肩を落とし、幽鬼さながらの気分で、大きく息を吐き出した。視界が白に覆いつくされる。


 年が明けてもう少ししたら春という今は、曇りがちで、カザレナの一年で一番冷え込む季節らしい。天には分厚い雪雲がかかり、寒風が吹き荒ぶ。街行く人々は外套の襟を立ててそこに顔を埋め、足早に歩んでいく。

 夕刻ではあるけれど、そんな天気だから辺りは既に真っ暗だ。そんな中、お先も真っ暗という空気を背負って、フィルは通りを商業区画に向かって歩く。


 フィルが騎士団に入団して早一年半近くになろうとしている。

 あまり人見知りしない性格ということもあってか、顔見知りもそれなりにできたし、剣技大会など人々の口の端に乗る機会に恵まれたこと、国民に大人気のフェルドリック王太子を暗殺から庇ったという噂が流れたことなどがあって、フィルは若手騎士の割に名前が知られているようだ。

 加えてこの前、女性と明らかにしてからは、知り合いでない人からも良くも悪くも声をかけられるようになった。

 それゆえ街を歩けば、誰彼となく話しかけられるのが常なのだが……今日は誰もが顔を引きつらせて、通り過ぎるフィルを見守っている。

(痛い……痛すぎる……)

 いつもなら気にならない「なんなんだ、あいつ……」という視線が、今日は格別に突き刺さった。


「フィル?」

「……メアリー」

 そんなフィルを呼ぶ人がいた。振り返れば、自分より頭一つ低い、小柄な少女。ふわふわの赤茶けた髪に、茶色の勝気そうな目が印象的だ。

「ど、どうしたの?」

「……」

 フィルは先ほどまでの情けない顔を引っ込めて、じっと彼女を見つめた。少女の顔が引きつる。

「な、なに?」

 最近髪が伸びてきたせいだろう、風が吹いて、前髪が目にかかった。煩わしさに目を眇めると、フィルはざっとかき上げ、改めて少女を見つめる。常にないほどの熱心さと憂いをもって真剣に――。

「……」

「……」

 普段おしゃべりなメアリーが口を噤み、徐々に頬が赤く染まっていく。


「最高に美形で高身長、気持ちはわかる、わかるわ……」

「おう、そんなふうに見られちゃ仕方ないってもんだ……」

「そうよ、たとえ同性だってわかってても、相手がフィル・ディランなら誰だってそうなる……」

 ――通行人がそんなことを呟いていると当の二人は露知らず。


 フィルは長い足を数回動かしてあっという間にメアリーの前に立つと、その細い顎に右手をかけた。

 そのまま彼女を真剣に見つめて、左手で彼女の右頬にそっと触れ、うっとりとため息をつく。そして、よく見ようと、顎をそっと上向け、顔を寄せた。

 メアリーがピキリと音を立てるかのように固まった。

「かわいい」

 フィルは予告なくメアリーをぎゅっと抱きしめる。

「……っ!!」

 メアリーの口から悲鳴――歓喜のようにも聞こえなくない――のようなものが漏れた瞬間、バコっという鈍い音と共に、フィルの頭に騎士団のブーツが当たった。

「人の彼女に何してんのさ、フィルっ」

「……」

 嫌気を顔の全面に出して振り返れば、息を切らしたヘンリックがドレスを片手にフィルを睨んでいた。

「だ、誰が誰の彼女よっ」

 メアリーの台詞に、打って変わって親友は一際情けない顔をする。だが、この二人のこんなやり取りはいつもだ。気にする必要はない。

 フィルは今度はそのヘンリックに無表情に近づき、やはり真剣に見つめる。そして……その顎に手をかけて上向けた。

「!!」

「!!」

「……かわいい」

「っ、フィルっ、なにしてんのよっ」

 メアリー同様ヘンリックをぎゅっと抱きしめようとするも、間に割り入ったメアリーその人に阻まれた。

 一瞬にしてデレデレになったヘンリックと、はっとしたように真っ赤になるメアリー。

「……おお」

 閃いた――光明が見えたフィルは、顔に明るさを取り戻す。

「そうだ、ヘンリックだ。なんで気付かなかったんだろう。まだ十分可愛い。だからいける」

「っ、可愛いとか言うなっ、よりによってメアリーの前で!」

 じゃあ、そういうことで、と逃げ出そうとしたフィルの後ろ襟首を、ヘンリックが咄嗟に掴む。

「絶対にい・や・だっ、フィルの任務だろうっ? 俺は付き合ってやってるだけ」

「私だって嫌だっ。大体付き合ってやってるって、どうせメアリーに会いたかっただけだろうっ、恩着せがましく言うなっ」

「それもあるけど、俺は護衛。今のフィルはメアリーに何するかわかんない。この世で一番大事な相手なんだ、万が一だろうと危険は見逃さない」

 彼の真顔での台詞にメアリーが赤くなった。

「……ああ、そんなところも可愛い……」

(私もこれぐらい可愛かったらよかったのに。目の前で親友が壊れてなきゃ、絶対に私ももう一度彼女を抱きしめるのに……)

 ああ、でも火急の問題はそこじゃない――フィルは打算いっぱいに親友へと腕を伸ばし、肩を組む。

「ヘンリック、どうだろう? 私と代わったらこんなに可愛いメアリーとの一緒の時間がもっと増えるんじゃないか?」

「う」

「一緒の部屋で一緒に服を選んで、これはああした方がいいとか、こっちの方がいいかも、とか……楽しそうだと思わないか?」

 必死も必死。フィルはいつもは使わない頭を最大限に働かせて、親友の耳に誘惑を囁く。

「それはちょっと惹かれ……って、騙されるかっ、女装姿なんて誰が好きな相手に見せられるかっ…………げ」

「……だよね」

 止めを食らって、フィルは道端に蹲る。地面にめり込みそうな気分だ。

「……なんなの、一体」

 メアリーの呟きがむなしく冬風に舞った。



 * * *



 三人でメアリーの家である街の小さな仕立て屋さんに移動した。

「……」

 彼女の屋根裏部屋は、いつもと同じように可愛らしいキルトやカーテン、小洒落た小物で埋め尽くされている。今日のフィルの目には眩し過ぎて、泣きそうになる。

 フィルは出されたお茶のカップの液面に、どんよりと目を落としたまま、本題を切り出した。

「任務で女『装』する必要があるから、服を見繕ってほしくて……」

「じょ、女装? ……も気になるけど、そ、それより何より、フィル、なんでそんな壊れてるの……?」

 祖父母の言いつけを守って、いつもははきはきと話すようにしているからだろう、ぼそぼそと呟いたフィルに、メアリーが顔を引きつらせた。

「なんで……? ふ、ふふ、ふふふふふふ……」

 そのメアリーにフィルは、にこやかな笑みを向けた。

 滅多に使うことのない、しかも女性に使うことがあるなんて考えたことのなかったこれもやはり祖母仕込みだ。顔に笑みを浮かべて『黙って』とお願い――その実、目で威圧するという作り物の笑顔だ。

「……ヘヘヘンリック?」

「あー、その……」

 メアリーが涙目でヘンリックに助けを求める。事情を知る彼は、フィルの様子を横目でうかがいながら、小声で話し始めた。

(さすが親友、いい奴だ。見た目だけじゃなくて性格まで含めて全部可愛い……)

 出された茶を片手にフィルは小さな出窓に腰掛け、不機嫌そのものの顔で眼下の通りを眺める。


 王都で若い女性が行方不明になる事件が相次いでいる。

「知ってるわ、みんな怯えてるもの。向こう隣の街の子も一人帰ってこないって騒ぎになってるし」

「被害者じゃないかって騎士団に知らされた子たち、みんな知り合いが少ないんだ。だから手掛かりもあんまりなくて、情報を得るのに、というか手っ取り早く囮になればなおいいって話で、二、三名泳がせたらどうかって話になって……」

 ヘンリックが息をひそめるようにフィルを見ているのがわかる。つい手を握り締めてしまって手中のカップにひびが入った。良い子はもちろん、年頃の女の子も真似をしてはいけない。

「比較的腕が立って、でも騎士だとわからないようなのということで、ミック・マイセンが女装」

「ああ、新人の。可愛いって評判だものね。それこそ女の子みたいって」

「それで、その、フィルは女なんだし、格好がいつもと違って、カツラでもつけりゃばれないだろうって、小隊長たちが悪乗りして……」

「……不評だったのね」

 メアリーはレースとリボンでいっぱい飾られた、ヒラヒラふわふわのドレスを広げてため息をついた。

「不評、も何も誰も一言もしゃべらなかった……」

 居たたまれない沈黙だった、とヘンリックは胃を抑える。フィルはその後を受けた。

「……ところがミックはものすごく可愛かった、そう、可愛かったんだ……」

 我ながらどこから出ているのかと思うほど声が暗い。

 そのせいだろう、二人はビクっと身体をこわばらせて、手を取り合った。いつもなら可愛くて微笑ましいその光景も、今は笑う気分じゃない。

「……暗い、暗いわ、フィル」

「ずっとあんな感じなんだよー、マジで勘弁して欲しい……」

 ぼそぼそと身を寄せる二人から目を逸らし、フィルはひびの入ったコップを見つめる。

 メアリーより少し大きいくらいの背の、童顔で華奢なミックにその服は誰もが驚くほど似合った。同僚騎士たちから歓声が上がるほど。

 その後がフィルの番だったから余計やるせなかった。

「嫌だって、似合わないから嫌だって言ったのに……!」

「い、一応皆フォローしてたじゃない?」

「『()()なんてそんなもんだ』とか? 『ミックが可愛すぎるんだ』とか?」

「う」

「可愛いままのミックが『()()()()僕はフィルさんが好きです』って言ったこととか?」

「ぐ」

「じっと成り行きを見ていたポトマック副団長が『別の服を選んで()()()()()なるようにしろ』と言ってくださったこととか?」

「あー」

「とどめにアレックスが一度も目を合わせてくれなかったこととか?」

「え、あ、いや……」

「……」

 メアリーがヘンリックにジト目を送る。

「帰って」

「えっ!?」

「騎士がそんな無神経な奴らの集まりとは思わなかった。出てって」

「なんで俺!?」

「同罪よ、同罪っ。さいってー。アレックスにも最低って伝えといてっ」

「ちょっとメアリーっ」


 こうして王都の冬の一日は暮れていった。


 自分のために怒ってくれるメアリーは最高に可愛くてメロメロになったけど、それでもフィルの悲哀は止まらない。

「兄さま、今からでも性別交換できないかなあ……」

 やっぱり男に生まれれば良かった、久しぶりにそう考えた。



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