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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第12章 再会のもたらすもの
176/320

12-5.天使か悪魔か

「ああ、しまった……」

「残念、気付くのが遅かったな」

 窓越しに差し込んでくる明るい午前の光を受けながら、にっと笑うアレックスにフィルは肩を落とす。

「一角獣と天馬、どっちか捨てるなら……うー」

 考え込む自分を、頬杖をつきながら楽しそうに見ている彼が少し恨めしい。


 最近アレックスの感じが少し変わった気がする。

 嫌な意味じゃなくて、冗談とかちょっとした意地悪とかをよく口にするようになったし、しょっちゅうからかわれてもいる。第一印象は別にして、元々よく笑ってくれる人だと思っていたけれど、今みたいに子供のような顔で、心底楽しそうに笑ってくれることも増えた。

 今まで知らなかった面を見せてくれているようで、正直嬉しい。が、

(今はちょっと嬉しくない……)

 フィルは唇を尖らせる。


 休みの日の朝食を終えたフィルとアレックスが、窓辺のテーブルを囲んで遊んでいるのは、この大陸に古くからある盤上ゲームのオテレットだ。

 ルールが複雑で先の先のそのまたずっと先まで考えなくては勝てないゲームで、同期のロデルセンが持っていたのを借りてきた。フィルにオテレットを教えてくれたのはアレク、つまりアレックスだ。彼が彼女だと(……ややこしい)判明した今、一緒に遊ばない訳にはいかないだろうと思ったのだ。


 ちなみに、昔フィルの実家に『父母の親友』という人たちから贈られてきた綺麗なオテレットのセット、あれはアレックスの選択によるものらしい。

 そこで気付いた。

「ひょっとして……図鑑も、方位磁石も、ロープも、寝袋も、雪靴も、万能ナイフも?」

 そう訊ねたフィルに、アレックスは苦笑を返してきた。気付くかと思った、と。

「フィルを知らなきゃあり得ない選択だと思わないか?」

 からかうように言われて、どういう意味だ?とちょっと拗ねたのだが、それもこれもアレックスにオテレットで負けっぱなしの今の状況に比べれば数段ましだった。結構強いと思っていたのに、とフィルは密かにショックを受けている。



「へえ、オテレット?」

「っ!!」

「何の用だ?」

「……」

(え、えと、さ、さすがと言うべきなのか……?)

 反応までの時間はほぼゼロ。この部屋に王太子が突然湧いて出た、じゃなかった、現れたことを、アレックスはさらっと流して無表情に盤上の駒を動かした。

 文字通り飛び上がった(ついでに言うなら髪の毛も逆立った)フィルとは実に対照的だ。

「……」

 フィルは顔を引きつらせて二人を見、ごくりとつばを飲み込むと、目だけを動かして脱出経路を探る。これは剣士としての習慣じゃない。本能だ。


「っ」

 光を受けた木漏れ日のように煌く瞳が、目の端だけに笑いを湛えてフィルを見た。

『ぎゃっ』と声を上げそうになったが、フィルは慌ててのみ込む。やったが最後、どんな目に遭うかは嫌というほど、それこそ骨身に沁みて知っている。

(ああ、オテレットでアレックスに負けているなんて、なんでもない状況だった……爺さま、孫は今日も試練を迎えそうです)

 しかも先日のこともある――そう思いついてフィルはさらに蒼褪める。

(ぜ、絶対やられる、彼が私をただで助けてくれるわけがない……)


 だが、緊張しているフィルには一切構わず、天使のごとく奇麗な、でも中身は悪魔が裸足で逃げ出すくらい邪悪な王太子さまは、アレックスに体を向け直した。

「冷たいなあ、アレックス」

 そう言いながら、椅子に座っているアレックスに上体を圧し掛からせる。同時に彼の前髪がさらりと乱れて、アレックスの黒髪にかかった。

(じゃ、じゃれ合ってる……?)

 どっちも美人だし本当に絵になる。けど、いや、だからこそなんか嫌。

 アレックスが「重い」と呟いてフェルドリックの頭を押し返して、その反応にフェルドリックが笑うのが、また……。

 フィルが固まっていることに気付いた様子のフェルドリックが、こっちを見て勝ち誇ったような顔をするのがこれまた……。

(……ああ、うん、私、あの時やっぱりおかしかったんだ)

 この間落ちこんでいた時、慰めてもらったような気がして、ちょっとだけ『私にだって彼は本当は良い人なのかも……』と思っていた自分は、やはりどうかしていたのだろう。そうに違いない。


 それから、目が眩むような美貌と『慈悲深さ』で、約一名を除く国民に大人気の王太子さまは、フィルとアレックスが座るテーブルに優雅に勝手に腰掛け、人差し指で盤上の太陽の精霊(もちろんフィルのだ、遠い方にあるのにわざわざ……)の頭を押さえて、ぐらぐらと揺らして遊ぶ。

「フィルなんか相手にしたって面白くないもなんともないだろうに。ドラゴンも天馬も一角獣も月の女神もなくてもアレックスなら勝てるんじゃない?」

(それだけ取ったら、残るのは数だけある騎馬と勝敗を決する太陽の精霊だけ……。そりゃあ、私はアレックスより弱いけれど、そこまでひどくはない……)

 王太子相手に不遜だとは思う。が、率直に言えば「こいつ……!」という気分だ。

「つまり用はないんだな?」

「あるよ。お茶」

「はい?」

「フィルのお茶飲みに来た。これだけは上手いから」

「お茶、だけ……」

 光栄に思えと言われても絶対無理だ。むしろ貶すためだ。絶対そうだ。

「……そんなことで来られるなら、お茶なんてもう一生飲まなくてもいいかも」

 思わず本音を漏らせば、フェルドリックは顔をこちらに向け、フィル以外に向けていることを見たことがない独特の微笑を見せた。

「っ」

 全身の毛を逆立て、椅子の上に飛び上がる。

「ふふふふふふ、もちろん『光栄』だよね? この『僕』にお茶を淹れられるんだよ?」

「……っ」

 一段と黒みを増した笑顔に、フィルは椅子の背もたれ越しに跳躍して床の上に飛び降り、ざざざっと壁際まで後退する。まるっきり魔物に遭遇している気分だ。

「ひどいなあ、そんな『魔物』でも見るみたいに」

「う゛」

 ま、また読まれた、本気で悪魔なんじゃ……と真っ青になるフィルを、フェルドリックは笑顔で見つめる。もちろん目は欠片も笑ってない。

 アレックスがついた頬杖越しにそんな彼を見、呆れたような溜め息を吐き出した。

 次に彼はフィルへと視線を向ける。

「…………お茶、淹れてきます」

 魔物、もとい王太子の存在もつらいけれど、哀れみの視線こそが剣士には突き刺さった。



 * * *



「嘘だろ……」

「現実だ」

「あり得ない……」

「それは不幸だったな」

「油断したんだ」

「したほうが悪い」

「アレックス、入れ知恵したんだろう」

「してない」

「だってフィルだよ」

「普通に対戦しても俺の勝率は八割だぞ」

「先に言え……」

 呆然とするフェルドリックの目の前には、彼の太陽の精霊を手にしたフィル。その横に声を立てて笑うアレックス。


「……」

 自分との対戦で勝率が二割――それをフィルへの褒め言葉として使うアレックスもかなりいい性格をしているのではないかと思うが、何よりフェルドリックだ。

(そんなに私に負けたことがいけないことなのか? しかも天馬と月の女神なし。ハンデ付きの勝負だったのに?)

 人生の終わりみたいな顔をしているフェルドリックを前に、フィルは思わず遠い目になった。

 勝ったのにまったく嬉しくないのは、私とフェルドリックの相性が決定的に悪いからに違いない。ああ、関われば関わるほど本当にろくなことにならない、と頭を掻き毟りたい衝動に駆られる。


「もう一回」

「……嫌です」

 苦々しい顔をこちらに向けてきたフェルドリックを睨み、フィルはそう言ってみる。

 どうせしようがしまいが、勝とうが負けようが、ろくなことが待っていないのだ。

「……」

 片眉をピクリと動かした彼をそのまま睨み続ける。心臓はバクバク言っているけれど、そう、私だって成長しているんだ、いつまでも好き勝手に遊ばれたりはしない、と決意を固める。


 が、その決意の継続時間は、惨めこの上なく短かった。

「……ふ、ふふふふふふふふ」

 艶やかに朗らかに笑い始めたフェルドリックの顔にフィルは蒼褪めた。横ではアレックスも笑いを止める。

 千人中九百九十八人が騙されてもフィルは騙されないその笑顔――頭の中で生存の危機を知らせる警鐘が鳴り響いた。

「そう、そっちがその気ならこっちも容赦しないよ……?」

「っ」

(オ、オテレットぐらい何千回でもするって言えばよかったーっっ)

 金と緑の目と視線が交わってフィルは内心でひぃっと叫ぶ。ちなみに声に出さなかったんじゃない、出せなかっただけだ。


「フィル、自分がザルアナック家の娘だってアレックスに話したんだろう?」

「……ザルア、ナック、話した……って……」

(や、やっぱり来た……!)

 椅子の背もたれに優雅に身を預け直した彼が発した言葉。その意味を理解した瞬間、フィルは顔を引き攣らせた。『この間の、なかったことにしてくれるのかな……』とかちょっと思い始めていた自分の甘さを思い知る。

「ついでに、アレックスがザルアに昔遊びに来たことのある『彼女』だって、ようやく気が付いた――違う?」

「な、なななななななんで知って……」

(い、いつものことながら、ほんとになんでそんなことまで知ってるんだ!)

 はっとしてアレックスを見れば、彼は彼で眉を顰めて首を横に振った。それで恐ろしさが倍増する。

「知ってたよ、フィルの勘違い。だってザルアから帰って来てから、アレックスは女装させられるのも髪を伸ばすのも嫌がり出したから。それまでどうでも良さそうだったのに、女の子扱いされるといちいち訂正し始めたし」

 嫣然と「そう、つまりフィルはアレックスを女の子だと思ってたんでしょう?」と微笑むフェルドリックを横目に、今度はアレックスが目を細めた。

 けれどフィルはある単語に全神経を奪われた――それがフェルドリックの罠の序章だと気付けないのがフィルの悲哀。

「女装……」

(……ああ、どうしよう。ちょっと、いやかなり見てみたかった……。だってあのアレクだ、ドレスなんて着せたら、絶対にむちゃくちゃかわいかった……)

 遠い場所へと視線を彷徨わせながら妄想する。「おい、フィル」と呟いたアレックスが顔を思いっきり引きつらせているのは、この際無視でいい。


 だが、天敵の前で空白を晒すのは剣士としてまずい――気付いて気を引き締め直し、フィルはフェルドリックに向き直った。

(今の問題はそこじゃない。いや、アレクの女装はもちろん見てみたいけれど、今気にすべきは……ええと、なんだっけ?)

 疑問が形になるまで、もちろんと言うべきなのだろう、奴は待ってくれない。

「アレックスの性格からして、騎士団で会ってもフィルにその時の『彼女』が自分だとは絶対に言わないだろう。それもわかっていた」

「いい格好しいだからね、彼は」とのフェルドリックの呟きに、アレックスがやはり「ちょっと待て」と言っているが、フェルドリックも彼を無視する気らしい。


「君の性格なら、どうせ貴族同士の話なんて頭に残ってない。となると、アルとエレンのことだから敢えて話したりはしないだろう。つまり君もアレックスをその『彼女』だと気付かない――実際に王宮で話をしていて、その辺は確信を持った」

「……え、ええと、」

(アレクはアレックスで、でも彼はそう私に言えない、私も気づかない……って、ちょっと待て――)

 ようやく浮かんできたその疑問こそがフェルドリックの罠と気づかないのが、フィルの不幸。

「それ、知ってたのに、どうして教えてくれなかったんです……?」

 そうすれば、焦がれていた『アレク』にもっと早くに会えていた訳だし、アレクサンドラに騙されてあんなに落ち込むことも考え込むこともなかったはずだ。

 兄やアレックスとはまた系統の違う、フェルドリックの秀麗な顔を思わず凝視すれば、その主は「そりゃあ」と言ってニコリと微笑んだ。

「その方が面白かったから」

「!!」

「だってあっさりくっつかれたらつまらないじゃない、アレックスをただで渡すのも癪だったし」

 絶句するフィルに向かって、フェルドリックは蹴ってやりたいと思うほどの爽やかさで笑う。


「……」

(ああ、いやな予感……聞かないほうがいいのかも。でも、聞いて知っておくほうが怯えなくてすむとかいう諺があったようななかったような……)

 浮かんでしまった次の疑問もフェルドリックの術中だと気付かないのが、フィルの災難。

「あの、では剣技大会後に王宮で会った時に、『アレックスに厄介に思われたくないなら、君が『元』ザルアナックと知られないほうがいい』というあれは……」


「厄介に思う……俺が、フィルを……? しかも、知られない方がいい……?」

 アレックスの剣呑な声は、互いの存在に気を取られるフェルドリックとフィルの耳に、幸か不幸か届かない。


(アレックスは『アレク』で、私とは違って私がザルアナック家の出だと知っていたのだから、そして、そのことをフェルドリックは知っていたのだから……それなのに私は一人それがばれていないと思って、ばれて彼に嫌われないようにと悩んで……それってひょっとして……)

「い・や・が・ら・せ」

「!!」

 語尾にハートでも付いていそうな感じでフェルドリックは可愛らしく楽しげに言い切った。

「今頃気が付いたの? いくらオテレットで勝ててもねえ」

「って、言いたいのはそれかっ!!」

 悪魔の笑みを湛えたフェルドリックの顔面に、手元のクッションを思わず投げつけたことは許されると思う。

 それがその美しい顔に直撃したのはフィルの責任じゃない、避けられない粗末な反射神経しか持ち合わせていないフェルドリックが悪いのだ。


 その後、露骨にむっとした顔でそのクッションを掴んで反撃して来ようとしたフェルドリックに、フィルも負けじと別のクッションを掴む。

 今日こそ勝ってやる!と怒りに任せて思ったところで、

「――ちょっと来い、リック」

「「っ」」

 けれど、フェルドリックは見たこともないくらい冷たい空気を放つアレックスに首根っこをつかまれて、部屋の外へと引き摺り出されていった。

「……」

 お、お化けに遭遇した顔というのはああいう感じかな、と思った。


「……フィル、さっきの情報、頭から速やかに消しておいてくれると嬉しいんだが」

「!?」

(女装!? 後で肖像画とかないか聞こうと思ってたのに!?)

と思ったけれど、部屋の出口で振り返ったアレックスに、これまた輝かしいまでに綺麗に微笑みながら告げられて、フィルは生命の危機を感じ取ると、こくこくと頷いた。


「……」

 パタンと音を立てて閉まった彼方のドアを見つめながら、フィルはゴクリと唾を飲み込む。

(あのフェルドリックが青を通り越して真っ白になっていた……余波を食らわなくて良かった……)

 鳥肌をさすりながら、『本当に怖いのは誰だろう?』などと一瞬思ってしまった。

 それからアドリオット爺さまの手前、天敵の冥福を、ほんの少し、ちょっとだけ、小指の先の先ぐらい祈った。

 でも、本当のことを言うと、

「……天罰覿面?」

 ここだけの話、思いっきりひどい目に遭ってるといいなあとも思っている。


 少し開けている窓から、冷たさを含んだ風が入り込んできて、フィルの頬を微かに撫でた。それに促されて、フィルが視線を外へと向けると、冬の少し弱めの日差しが照葉樹の葉に散って踊っている。

 その光景を見ていると先ほどまでこの部屋に漂っていた緊張が緩んでいく気がして、フィルは知らず自省の言葉を口から漏らす。

「……爺さま、ごめんなさい、奴が関わると孫はもう姑息決定です……」

 他力本願で人の不幸を祈るなんて剣士どころか人間失格レベルじゃないか。真っ黒なあれを人と認めて良いのかは迷うところだけど。

「あいつ、本っ当にろくでもない……」

 逃避気味に見上げた窓越しの空――爽やかに透き通った青が我が身につまされてちょっと涙目になった。



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