12-4.惚れた弱み
「最初から気づいてた……なら、なんで言ってくれなかったんですか……?」
そう訊ねてきたフィルに、しばらくアレックスは言葉を濁していた。
「アレックスは、アレクはまた会えて嬉しくなかったってこと?」
せめて怒ってくれれば白を切り通すこともできたのに、悲しそうに落ち込まれて……白状することになった。
あの時、フィルに守られるだけだったのが格好悪くて、と告げる羽目になり、そしてそれを説明するために、当時から彼女に抱いていた恋心を露呈することにもなって……。
「じゃあ、あの頃から……?」
「……」
「騎士団に入ったのも?」
「……」
「……真っ赤ですよ、アレックス」
「……フィルだってそうだろう」
顔を背けるしかなかったアレックスを見て、照れながらも嬉しそうにくすくす笑っていたフィルはこの上なく可愛くて、それで結局まあいいかと思ってしまった。
先に惚れた方が弱いとはよく聞く話だが、まさに事実だと思う。
* * *
「フィルさん、好きです」
夕飯時の騎士団宿舎の食堂。アレックスは唖然として、声の方向を振り向いた。
(あいつはあの時の新人……)
遅れて食堂にやってきて慌てて食事を取りに行ったフィルの前にいる、蜂蜜色の髪の小柄な少年――今年の新人の入団後しばらくして、彼らの前で模擬戦を行った日だ。彼は食い入るようにフィルを見ていた。
「おおー。ミック・マイセン、ついに言ったか。ずっと見てるなあとは思ってたが」
アレックスの傍らに居たウェズが、興味津々と言った顔で呟いた。
「根性あるよな。衆人の、しかもアレックスの目の前で」
「てか、宣戦布告だろう、アレックスへの」
「命知らずな」
同じ隊の面子が口々に好きなことを言っている。
先日のアレクサンドラの件以来、フィルのことでからかわれて彼らのおもちゃにされることにようやく慣れてきたところだったが、今は二重の意味で相手にする気分ではない。
フィルはというと、固まってしまっている。
彼女の前にいるマイセンが、ちらりとこちらに視線を向けてきた。どこまでも挑戦的な目つきに、アレックスは神経を苛立てる。周囲が興味津々といった具合にこちらをうかがっているのにも神経を逆撫でされた。
「直球で来られるとフィルは弱いよな」
「常時『下心のある奴は近付くな』オーラを出しているから、大抵の奴はそれで引き下がるんだが」
「……よく観察してらっしゃいますね。確かにその通りだとは思うけど」
側にいたヘンリックが、第一小隊員たちへの呆れを口にする。
「「「「「かわいがっていると言ってくれ」」」」」
「……物は言い様ってことですね」
「……」
フィルがこちらを振り向いた。困ってはいるようだが、顔には赤みも動揺もなく、アレックスは複雑な気分になる。
「おお、アレックス、フィルがお前の反応をうかがってるぞ」
(……多分、違う)
フィルの場合、嫉妬を期待しているとか、怒っていないか確認しているとか、こちらが止めに入るのを待っているとかではない。
「違うと思いますよ。そんな駆け引きの仕方、フィルは絶対考えつきませんって。単純に『好き』という単語で連想したものを見ただけです」
同じことを考えたらしいヘンリックが、アレックスに代わって笑って答えた。
「マジで仲いいな」「つーか、お前、ほんとに片思いじゃなくなったんだな「うん、ちゃんと惚れられてる」「よかったなあ、兄さんらは嬉しいぞ?」と冷やかす声がこのテーブルだけで小さく響く。
「くくく、アレックス。左手、口元にあるぞ」
「黙れ、オッズ」
いくら慣れてきた、無視するとは言っても、からかわれるというのは正直居心地のいいものではない。
「あの、好き、とはそういう好きのことですか」
あちらでは硬直状態から脱したフィルが律儀に聞き返している。
「そうです。だから僕が一番あなたの近くにいたい」
最後の台詞は確実にこちらに向けられた――そう悟ると同時に心が冷えていくのを感じた。
(そっちがその気なら容赦はしない)
「……こえーよ、アレックス」
「あーあ、あの馬鹿新人。怖いもの知らずを通り越して無鉄砲っつうんだ、ああいうのは」
さっさとあの場から、あの男の視線からフィルをさらい出す――そう決めて、周囲の呟きを無視して立ち上がろうとするも、響いてきたフィルの声に動きを止めた。
「無理です。私の特別はあなたではないし、あなたになることもない」
低めの透き通った声はとても落ち着いていた。
夕飯時の食堂にはあり得ない沈黙の帳が下りる。その元凶となったフィルを誰もが緊張の中で、露骨に見ないよう、だが明らかに注目している。が、フィルは気付いていない。
(ああ、そうだ、フィルはこうだった)
アレックスはそのすべてに思わず苦笑を零した。
彼女はもうこちらを見ようともしないで、ただ目の前のマイセンをじっと見ている。
彼女の視線が他の男に集中していることはもちろん面白くないが、先ほど冷えた心が急速に温かみを取り戻していくのを感じた。
「っ、すぐにあなたより、フォルデリークより強くなりますっ」
「……名指しの上に呼び捨てた」
「身の程知らずな……誰と誰より強くなるって?」
フィルは周囲の小声を一切無視して――というより多分マイセンとの会話に集中していて聞いていない――、目を眇めた。
「……」
問題は呼び捨てたことでもフィルや俺を上回れるかどうかでもないな、とアレックスは眉を跳ね上げる。
「ああ、彼、フィルをわかってませんね」
さすが親友と言うべきなのだろう、ヘンリックはフィルをよく理解している。彼が気の毒そうに漏らした呟きに、アレックスは同意する。
「強くなる……何のために?」
「私の方が彼より優れている、あなたに相応しいと証明するためです」
「……」
先ほどまで穏やかだったフィルの空気が怒気を含んだ。殺気に似た気配に、夕飯時の食堂が凍りつく。
「他者を貶めるために強くなるというのであれば、私はお前に剣を握ることを許さない――叩きのめしてやる」
フィルは傲然と言い放ち、一言のフォローも慰めもなく、食事を載せたトレーを持って歩き出した。
(あれは本気で怒っている……)
冷たい表情でこちらに向かってくるフィルを眺め、アレックスは苦笑する。
フィルの強さへの執着は半端なものではない。同時に、同じくらいの強さでその強さを何かを守るために使うと決めている。だから、彼女は他者の優位に立つために強さを利用することを真剣に嫌う。
「俺ならショックで立ち直れんな……」
「同じ真似する馬鹿はもう出て来ないだろうなあ」
「しかし告白してきた男に『叩きのめしてやる』はねえよなあ、さすがフィル、相変わらず色気がねえ」
「さて、飯だ」
そう言って膳に向き直った隊の連中は、今の出来事を即頭から追い出したようだ。
表情を消したフィルがトレーを持って席に着く頃には、ウェズ小隊長の新しい彼女に話題が移っていた。
「……」
隣に座ったフィルの頭をポンと叩く。目が合って微笑めば、無言のままではあったが、彼女はやっと表情を緩めた。
「食事にしよう。『食事は一緒に美味しく楽しく』――がいいんだろう?」
「……ですね」
彼女の昔からの口癖を真似て匙をとれば、クスっという笑い声が返ってきた。
視線を感じて後ろを振り向けば、悔しそうな顔を隠そうともせずマイセンがこちらを睨んでいる。
あれでも懲りないのか、と感嘆とも呆れともつかない感情を覚えた。
露骨に焦る同期らしき者たちに袖を引かれてなお視線を外さないあたりといい、その根性は認めるが……。
「……」
アレックスはその目を真っ直ぐ見つめ返すと、挑戦を受ける意図が明確に伝わるよう、彼に向かって微笑む。
「……っ」
マイセンが目を見開いた。徐々に顔を赤らめた後、露骨に歯軋りを上げながら、食堂を憤然と後にする。
その背を見送ってアレックスは人の悪い笑いを零した。もちろんフィルには気付かれないように、だ。
「……性質が悪いですからね、それ」
呆れ交じりに呟いた、いつもながら目敏いヘンリックを、アレックスは笑って振り返った。
「当たり前だろう、狙ってのことなんだ」
――フィルに近付く気なら、まず俺からの挑戦を受けてもらおう。
なぜ自分がアレクだとフィルに名乗れなかったのか――。
あの日、弱くて、ただ守られるだけだったことが格好悪くて知られたくなかったと白状したアレックスに、フィルは首を傾げた。よくわからないけれど、と。
「守られていたのは私のほうです」
それから、フィルは真っ直ぐアレックスを見上げて続けた。
「アレクは、アレックスは会った日からずっと温かくて、そうしてずっと私を守ってくれた。もう駄目かもしれないと思った時に、何度も何度も私を支える言葉をくれた、助けてくれた」
スープを口に運びながら不思議そうに俺とヘンリックのやり取りを見ていた隣のフィルに視線を戻せば、彼女はまた微笑む。
何年もの間、彼女を守れる強さが欲しいと、アレックスは取り憑かれたかのように強くなることに執着していた。それだけしか見えていなかった。
アレックスの中に常に存在し続けたそんな自縄は、だが、当の彼女によってあっさり断ち切られた。
「?」
今は成長したその顔を見つめ続けていると、小さく眉根が寄った。
「……」
その顔に『今度は何?』と書いてあるのが見てとれて、アレックスは知らず微笑を零す。
そう、剣の腕前がいくら上達しようと、いくら彼女の心を守ることに長けようと、毎晩彼女を抱いて、清廉な体を快楽へと引きずり落とすことに成功しようと……
最近決定的に確信してしまったことがある――俺は彼女にだけはきっと一生敵わない。




