12-3.答え
久々に騎士団で迎えた朝――フィルと共に食堂に足を踏み入れて、向けられた視線のいくつかに苛立った。フィルを完全に女性と認識し、望むもの――一緒にいたアレックスと目があうなり彼らは視線を逸らしたが。
その後は第一小隊員たちのオモチャになってそれどころじゃなくなった。最初うかがうようだった周囲の目線が次第に呆れと笑いに変わっていったのがわかって、ひょっとしたらそんなところも彼らの計算かと思って感謝を覚える。
もっとも、その後の彼らを見ていて、そんな感謝は必要なかったと痛感した。絶対自分たちの楽しみのためだ……。
彼らから逃れて出た巡回でも、街中の視線に神経を逆撫でされた。特に男がフィルに向ける粗野な欲望が露骨に現れた目に殺気立つ。
「アレックス、どうかしましたか……?」
そういう気配には敏感なフィルが頻繁にそう聞いてくる。彼女が向けてくる表情も口調も以前と変わらないのに、騎士服の上からでさえうかがえるようになった身体の曲線ゆえに、彼女の空気は一変していて……。
「……いや、なんでもない」
フィルの問いに答えながら、アレックスはいかがわしい欲望を向けてくる連中に、目線で露骨な警告を送る。だが、内心で焦りは加速していっていた。
そこにきてのフィルのあの台詞――。
「私、アレックスと付き合ってましたっけ?」
「……」
(何を言っている……? 今更付き合っていないとでも? だが、昨日好きだと……。そうしてずっと抱き合っていたのに? 何を考えている? 何が足りない? 何が不満なんだ……?)
真っ直ぐ自分を見つめているフィルの瞳は何も変わっていないように見えるのに、近づいたはずの距離が一気にまた開いた気がした。
小隊の同僚たちと街に繰り出し、彼らに勧められるまま浴びるように酒を飲んで日が替わった。さっきまでなんだかんだと話しかけてきては謝罪とも同情ともつかない言葉を伝えてきた彼らがまた一人、また一人と沈んでいくのをどこか遠い出来事のように見ていた気がする。
それから、静まって久しい夜の街路を辿って、騎士団宿舎に向かった。今日は部屋に帰らない方がいいと思うのに、一方で彼女を確かめたいとも思ってしまう。
外から漏れ入る頼りない夜空の明かりに鈍く光る廊下の床を見つめながら、足は遅々と、それでも着実に自室へと向かい、結局扉を開いてしまい……。
「アレックス?」
ベッドの上で身を起こしたフィルに無防備に名を呼ばれた瞬間、体の芯に暗い火がついた。
メチャクチャニシタイ――そんなふうに思って生まれた衝動は、酔いで弱められた理性では止められなかった。
異常にフィルはすぐに気付いた。薄明かりの中で白く見える顔を強張らせ、ベッドの上を後方へとずりさがっていく。それが拒絶そのものに見えてさらに箍を失った。
(――逃がさない)
気まずげに彼女が顔を伏せているその隙にベッドの上に膝を落とした。マットがたわみ、身体がこちらへと傾ぐ。間近になった彼女の体温に身体の芯がさらに締め付けられる。息苦しさをどうにかしたいと思った瞬間、彼女の名が自然に口をついて出ていた。
「フィル……」
はっとしたように顔を上げたフィルの腰を押さえつけて、後頭部を捕らえる。そして強引に上を向かせると深く執拗に口内を蹂躙した。
「……ん」
合わせた唇の合間から漏れる吐息と水音。胸に手指を落とせば、その動きに感じて彼女は身を震わせ、声を漏らす。いつもなら嬉しいと思うそれらに皮肉を覚えた。
「フィル、付き合ってもいない男とこんなことするのか」
違うと知っているのに、そうではないと、なのに……。
唇から頬を啄ばみながら耳へと舌を這わせ、耳朶を食み、うなじに所有の証を刻む。
「アレック……」
返事を聞きたい気分ではなくて、そんな中でも生真面目に返事を返そうとするフィルが何も考えられなくなるよう胸の頂を刺激し、敏感な場所へと指を滑り込ませた。
「っ」
刺激を与えてはフィルの様子を見て止める。それを繰り返して理性の強い彼女を乱した。それゆえにフィルが零す涙を、自分の物にしようとその都度舌で拭う。そうして落ち着いてきたところで刺激を再開させる。
心が手に入らないならその身体に俺のものだとわからせてやる――そんな気分に駆られた。
「……っ」
潤んだ瞳で物言いたげに自分を見上げているフィルに表情には、羞恥と共に色が見え隠れする。無意識にだろうが、その間も身体は誘うように動き、こちらの本能を刺激し続ける。
「アレックス……」
「どうした?」
苦しげな息のまま縋るように俺へと伸ばされる腕が愛しい。
彼女の望みを知っているくせに知らない振りをして、その腕を取って彼女を抱きしめると、触れ合った刺激に彼女はまた全身を震わせる。
そして、ついに彼女は切なげな吐息と共に桜色の唇の合間から、「おね、がい、です……」と願いを紡ぎ出した。
「……っ」
(無垢だったフィルにこんな台詞を言わせるまでに快楽を覚えこませたのは俺なのに、なぜそれを受け入れない――)
「誰でもいいんじゃないのか……?」
(付き合っているのか、だと? 何を今更……)
苛立ちとフィルが俺の下で俺を望んでいることへの喜びとがせめぎあい、結果として皮肉な言葉が漏れ出た。
「あ、や……ちが……」
「付き合ってないんだろう?」
自分の発した言葉が音となって耳に跳ね返り、それに顔を歪めると今度は打って変わって彼女を攻め立てた。
* * *
「……」
差し込んできた日差しに目を開けると、腕の中でうかがうようにこちらを見ているフィルの顔が視界に入った。次いで彼女が露骨な動揺を見せたことに胸を軋ませる。
「ごめん。昨日、ひどくした……」
知っているのに。フィルが俺を好いていると……。それなのにそれ以上が欲しくて、傷付けたかもしれない――。
引き寄せ、きつく抱きしめると、フィルの首筋と髪から甘い香りが漂ってきて、それでさらに苦しくなった。
(嫌わないでほしい、俺から逃げていかないでくれ……)
やっと本当の意味で手にしたところだったのに、何をやっているのか――自分の愚かさへの後悔で腕に力が篭っていく。
「……っ」
怯えるアレックスを、フィルは無言で抱きしめ返してくれた。それで少し呼吸が楽になった。
「ごめんなさい」
「……フィル?」
今度はアレックスの背に回っているフィルの腕に力が入った。
「付き合ってるってどういうことなのかよくわからなくて、考えもしないで……」
「……つまり、『ただ』確認してみた……?」
「う……はい」
思わずフィルを離し、まじまじと見つめれば、彼女は居心地悪そうに緑の目を泳がせた。朝日を受けて白く輝く彼女の顔には『ごめんなさい、また何も考えてませんでしたっ』と書いてあって、思わず脱力する。
「そう、だよなあ、フィルだもんな……」
付き合っているかわからない。だから、ただ確認してみた。冷静に考えてみれば、フィルがそれ以上複雑なことを考えるわけはないのに……。
くすっと笑って、眉をひそめたままのフィルの額に口付ける。
(となると、理不尽極まりないな、俺のした事……)
「悪かった。話もしないまま怒ったりして」
謝ったのに、フィルはなぜか心外そうな顔をした。
(怒っているのか、やはり……)
無言でいるフィルに冷や汗を流し、どう機嫌をとろうか頭を悩ませた瞬間、
「あの、こういうことをする、のは……アレックスが好きだから、です」
顔を赤らめたフィルがそう口にした。
「っ」
アレックスは自分が昨晩言った言葉の数々を思い起こす。フィルはその度に答えようとしてくれて、なのに、聞きたい気分ではないからと快楽に絡めてそれを封じたのはアレックスだ。
(それなのにフィルは今もまたこうして……)
自責と、それでなおそんなことを言ってくれるフィルへの感謝に再び彼女を抱きしめようとする。
「?」
だが、本人の抵抗にあった。腕の中でフィルはアレックスの胸を押し返し、必死にもがいている。
(……なんなんだ、一体?)
一切の色気がないその仕草に、つい眉根を寄せる。
「は、話、話、ちゃんとしたいです……っ」
当然というべきか、不満はフィルの言葉でかき消された。
最初にちゃんと話をしてくれなかったのはフィルだが、その後の話を聞かなかったのはアレックスだ。
(しかも、状況やフィルの性格などを考えれば、圧倒的に俺が悪い。しかも手段が手段……)
「……」
気まずさのあまり視線を泳がせるアレックスに構わず、フィルは真っ赤になったまま、深呼吸をする。そして、真っ直ぐこちらを見つめてきた。その色と透明さに魅入られる。
「でも、好きなだけじゃなくて、その、特別、だから、するんです。一緒にいるって、いていいって、ええと、全部で感じられるのというか、確かめられるのというか、すごく嬉しいです」
そして、恥ずかしそうに俺を見上げて続けた。「それってアレックスだけで、昔も好きだったけど、今の方がずっと特別で、」と。
「……」
フィルを凝視するしか思いつかないアレックスを前に、彼女は顔を伏せ、居心地悪さと自信のなさを織り交ぜたような表情で続ける。
「その、アレックスもそう思ってくれてる……んです、よね? ええと、それが付き合ってるってこと、ですか……?」
言葉が出てくるわけはなかった。誰かに聞いたわけではなく、フィルが自分で俺に応じようと考えて出した結論――それがこれなら、これ以上嬉しいセリフなんてありえない。
「っ」
腕を伸ばして、今度こそ胸の中にフィルをかき抱く。
焦がれ続けてきた、愛しくて仕方のない人。欲しくて仕方がなくて、欲しがって欲しくて仕方のない人――。
「そう、特別――フィルなんだ、俺の好きな人、特別に大事な人は」
音が立つのではないかという勢いでフィルが全身を染め上げる。
「フィルは言ってくれないのか?」
本当は言ってくれなくたってかまわない。それ以上の言葉をもうもらったから。
一瞬目をみはったフィルが、翳りなく微笑んでくれてそれでまた幸福な気分になる。
本当にフィルは俺を乱し混乱させる天才だ。それがこんなに嬉しいと思える、それがどれだけ幸福なことか――。
「あの、結局いつから、つ、付き合い始めたことになるんでしょうか?」
「剣技大会の晩?」
ふわふわと乱れた金色の髪に朝日が乱反射している。そんな幻想的な光景の中でフィルはアレックスの答えにまた真っ赤になった。
「何考えた?」
「ななな何でもないです」
「あの時のキス?」
「うっ」
恥ずかしそうに俯くその様が可愛くてつい苛めてしまいたくなる。
「俺とセルナディア王女は付き合ってる」
「えっ!?」
「という噂、信じてただろう?」
「あ、噂……」
明らかにほっとした顔をするのが可愛くて仕方がない。
「ひどい誤解だよな、あんなに好きだって態度に出してたのに」
「……え、あ」
フィルを引き寄せて抱きしめ、その頬にキスを落とした。
鼻腔をくすぐる甘い香りと全身にあたる素肌、その柔らかい感触に誘惑される。そしてフィルの小さめの耳へと囁いた。
「もう一度したい」
「っ! だ、だだだだめです、もう起きなきゃ」
引きかけていた赤みをもう一度取り戻したフィルが慌てて距離をとろうとする、それは気に入らないが。
* * *
ある意味フィルと第一小隊員というのは、俺にとって最悪の組み合わせなのだろう――そう悟ってアレックスはとりあえず第一小隊員たちの思惑に乗るのを意識して止めることにした。
フィルの方には(可愛いが厄介なことに)思惑はないし、その彼女を予想することは(不可能でないとすれば)難しいだろうからとりあえずおいておく。
「おい、結局いつから付き合ってるんだ?」
「花祭り」
そう短く答えて返して、ふざけた賭けの件も終わり。
「よっしゃっ」
「……まじかよっ」
「だってそんな感じなかったじゃねえか」
「嘘って言え、こらっ」
ちなみに、勝者はウェズ、オッズ、ヘンリック。
だが、後者二名は賭けの対象であるアレックスとフィルから直接聞いていたのではないかというクレームがついた。
「え……ヘンリックにアレックスとのこと? は、話してないです」
「よしっ、メアリーっ、豪華デートだっ」
その問いに照れて即座に赤くなった(その辺も可愛い)ことでも明らかなように、フィルが嘘をつけるわけもなく、ヘンリックは疑惑を免れる。
「話した」
「嘘つくんじゃねえ、アレックスっ」
オッズは黒が確定して(実際には白だ)、配当金を逃した。
「てめえ、なんのつもりだっ」
「散々からかってくれたお返しだ」
昔フィルに女の子だと思われていたことが彼女本人のせいでオッズにばれ、結果奴は涙まで流して笑い転げてくれたのだから、それぐらいの仕返しは許される。少しだけ気が晴れた。
さらにちなみに、そのやり取りを見ていたフィルが「し、仕返し? アレク、ほんとに可愛くなくなったんだ……」と顔を引きつらせていたが、それこそよしとしよう。
好きな子に可愛いと言われ続けたのがどれだけコンプレックスになったと思っているんだ。フィルには今後きっちり認識を改めてもらうことにしよう。




