12-1.おもちゃ
騎士団の朝の食堂――。
「フィル」
呼ばれて振り返ったフィルの視界に入ったのは、窓から差し込んでくる爽やかな日差しを受けてニヤニヤ笑う自隊の長ウェズと、同僚の第一小隊員たちだった。来い来いと自分に向かって手招きしている。
「おはようございます」
ああやって笑っている時は大抵ろくでもないことなのだけれど、身についた習性というのは恐ろしい。フィルは挨拶と共に、反射でそちらに歩いていこうとして、横にいたアレックスに阻まれた。
「アレックス?」
妙な緊張感に包まれている気がするが、腕で押しやられて彼の背後に廻されてしまったので、生憎と表情がうかがえない。
「フィル、可能な限り彼らを避けろ」
「……はい?」
彼の空気も尋常じゃないなら、緊張を隠さずに命令形で告げてきた声音にも逆らえる気がしなくて、フィルは首を傾げながらそこから逃げ出した。
なんだかよくわからないが、アレックスが言うのだ、やはりろくでもないことなのだろう。
なんせ朝ごはんを食べ損ねた、それが本気で痛かった。
午前は期生別の講義だったが、おなかがすいて倒れそうな気がした他、特に問題はなかった。ちなみに、空腹はいつもポケットに入れている飴で誤魔化した。
ただ、終了後の廊下に小隊の同僚のザルクが、いつもの紳士『そう』な表情のまま待ち構えていたので、よくわからないながら三階の窓から脱出、壁伝いに逃げた。
顔を引きつらせた同期たちがそんな自分を見送りながら、「男性だろうと女性だろうとフィルの個性の前には大した問題じゃないよな……」と頷きあっていたのを喜ぶべきか悲しむべきか、これはこれで問題な気がした。
そうして昼の食堂入り口近くで小隊の皆をこっそりうかがったところ、やはり邪な空気を感じたので、回れ右してそのまま外に出ることにした。どうせ午後は巡回だ。
「っ、って、アアアアレックス?」
だが、相方のアレックスを探そうと鍛錬場へ足を向けた瞬間に、廊下の影からその彼に引っ張られて抱きすくめられた。
「しぃ」
「……」
耳朶に触れる吐息と、視界の端に入る首の筋肉と喉仏、背に回った強い腕の感触と、少しの汗の香り――アレックスに属するすべてに一瞬で意識を埋め尽くされ、顔が赤らんでくる。
「っ」
だが、こっちに慌ただしく向かってくる複数の足音で我に返った。
(――気配がおかしい)
漂ってくる不穏さに目を眇め、神経を研ぎ澄ます。
「察したか……相変わらず切れるというか、動じないというか、なんせ可愛げがねえな」
「午前中も見事にシカトしやがった上に……ちっ、フィルが講義でさえなきゃつついてやれたのに」
「こうなったらまずはアレックスを狙え。フィルの気配はあいつが消す気になったら追えん」
臨戦態勢になったところに響いてきた、覚えのある仲間たちの声とその内容にフィルは目を見開く。
(狙う? 追う? まさか……やる気?)
「あんの、恩知らずめ」
「何のために協力してやったと」
フィルが驚きに動きを停止した刹那、目の前のアレックスが顔を盛大に歪めた。思わずというように「からかうためだろう」と呻いた彼の口をフィルは慌ててふさぐ。
(なんてことをするんだ、アレックス。それは小声でも多分――)
「居たぞっ」
「追えっ」
(く、やっぱりばれた……っ)
「こっちから逃げましょう、アレックス。それから西門に行くと見せかけて、北の通用口から脱出します」
「脱出……なんというか、理解してなくても動けるんだな……」
形容しがたい顔を向けてきたアレックスの手を引いて、フィルはとりあえず走り出す。
「ええ、こういうことは珍しくないので」
何がなんだかよくわからなくてもそこはそれ。危機を脱出してから考えればいいことなので、もちろんきっちり逃げおおせた。
「逃げる時は逃げることだけ考える! 難しいことは後回し!」
「……そうか、それはフィルにとって自慢すべきことなのか……」
得意になってネルとメルにさんざんやられて培った黄金の経験則を話すフィルの横で、なぜかアレックスは空を見上げていたけれど。
午後の巡回を前にようやく食事にありつけることになって、二人ではよく行くけれど騎士団の人はあまり使わない、デラウェール図書館裏の軽食屋に入った。レンガ造りのこぢんまりしたその場所は、内部も落ち着いた感じの古い家具や装飾品で整えられていて居心地がいい。
朝ごはんを食べ損ねたフィルは、ほくほくしながら日替わりのサンドイッチと同じくピザと同じくパスタを頼み、もちろん食後にはケーキとお茶も頼んだ。なんだか知らないが、追われているっぽいので、ケーキは四つ程度にして、代わりに携帯用の焼き菓子を買う。
いざという時に備えて食べすぎは控えつつ、携行食も確保しておく――自分にも先を見据えた分別というものが出てきた。我ながら大人になった。
「それにしてもアレックス、今日は一体なんなんですかね? さっきのといい……」
ちゃんと話をするなら、おなかが満たされている時が理想的だ。
最後まで取っておいたチョコレートケーキを大事に口に運びつつ、フィルは向かいに座ったアレックスに声をかけた。
「……」
お茶を前にしたまま片肘をテーブルにつき、窓の外の人通りを眺めていた彼は、その態勢のまま青色の瞳だけをゆっくりこちらに向けてくる。
「?」
アレックスには珍しい表情に、驚きのあまり味わいもしないでケーキを飲み込む。もったいない、と思ったが後の祭りだ。だが、問題はそこではない。
「……」
苦虫を噛み潰したような、情けなさそうな、うんざりしたような、投げやりなような……とにかく複雑な彼の顔を見るに、ろくな予感がしない。
続いてごくりと唾を飲み込むと、直感が浮かんできた――これは「聞かないですむなら聞かない方が幸せ」というやつだ。
「……その、」
「や、やっぱり、知らないなら知らないままで!」
その言葉に、いつも「ちゃんと知るべきことを知って、その上で考えろ」と言うアレックスは珍しく頷いた。
「……」
余計怖くなった。
その後はいつものように街を巡回したが、大きな問題はなかった。敢えて言うなら、自分が意識しているせいか、押さえるのをやめた胸に視線が集中しているような気がして少し居たたまれなかったこと、そして、時間が経つにつれてアレックスの空気が冷えていったことぐらいだ。
特にアレックスが謎で仕方がない。「なんか……怒ってません?」と訊くたびに否定していたけど、多分嘘な気がする。フィルに怒っているわけではなさそうなのだが、今日の彼は本当によくわからない。
そうして迎えた夕方、巡回が終わって騎士団に戻ることになったわけだが……。
「いいか、フィル、何を聞かれても答えるなよ」
「はあ」
報告のためにアレックスと共に騎士団本営のウェズ小隊長の部屋に向かうフィルは、彼からこれまたよくわからない念押しを受けている。
(いつもは特に問題なければ直帰していいのに、なんで今日はダメなんだろ)
わからないと言えば、これもわからない。
「……どれだけ暇なんだ」
「うわ……」
目的の部屋の前に小隊全員がたむろしているのを見て、アレックスだけじゃない、フィルも引きに引いた。
四角四面ののっぺりした狭い通路に、名うての剣の使い手たちが二十人近く集まっているのは、フィル的にすごく嫌な光景だ。ちらりと横をうかがえば、アレックスはもうどこか遠いところを見ている。
「よーう、アレックス、フィル、そろそろ話を――」
「――港湾地区の巡回について報告に上がりました」
だが、さすがアレックスというべきだろう、ウェズがにこやかに口を開くなり、彼はしっかりと我を取り戻した。
「……?」
感心したのも束の間、皆が自分を見ている気がして、フィルは眉をひそめる。
「リトクファー商会の倉庫跡ですが、どうやら路上生活者が既に数名入り込んでいるようです。現在のところ、犯罪等の取引に利用される気配はありませんが……」
アレックスの硬い声を背景に、フィルは仲間たちがじりじりと周囲を取り囲んでいくのを横目で捉えた。
「へ?」
おかしな緊張感に耐えかね、ウェズに向けていた顔を動かしたフィルの右手をオッズが引いた。
「お?」
それでよろけたところを、ウェズへの事務的な報告を続けつつ、アレックスが支えてくれる。
だが、にやっと笑ったオッズが、そのアレックスの耳元で何事かを囁く。
「!?」
直後に彼の顔に朱が走って、フィルの腕を捉えていた手が緩んだ。
「え、ええと……」
囲い込まれて半ば引きずられるように拉致されるフィルの背後から響いたのは、「フィルっ」というアレックスの呼び声と、「フォルデリーク、報告がまだすんでいないようだが?」という、普段なら絶対に有り得ない、ウェズ小隊長のまともな言葉と真面目な声。
(しかも、名前じゃなくて名字でちゃんと呼んでた……)
初体験に感慨を覚えつつ、フィルは自分の腕をつかんでいるオッズをはじめとする者たちを眺め、『いや、逃げられるんだけど……ほら、一応先輩だし、仲間だし』とか不遜なことを考えた。まさか殴るわけにも投げるわけにもいかないだろう、と。
ちなみに、この後、先輩だろうと仲間だろうと、殴って投げて逃げればよかったとその不遜なことを考える羽目になる。ついでに骨の一本ぐらいはありだったかも、とも。
* * *
騎士団宿舎の一階にある談話室。普段騎士たちが課題を持ち寄ったり、話に興じたりするその空間は、今日も例外ではなかった。が、第一小隊員たちが集団で入っていった瞬間、誰もがそそくさと部屋を出て行ってしまう。
「……」
なんだか色んな意味で、切なくなってくる。
「で?」
その部屋で、一対一でやっとなんとかなるという使い手たちに囲まれ、有り得ないほど真剣な(だって第一小隊だ!)顔を向けられたフィルは本能的に凍りついた。
「え、ええと……で……で? って、な、なんでしょう?」
「いつアレックスとくっついた?」
「……」
(くっつく? アレックスと……そ、それはつまり……)
「……っ、わははははは、ほら言っただろ、絶対真っ赤になって絶句するって」
「ぶははっ、おもしれえ、完璧予想通り!」
「お前、ひょっとしてマジでばれてないとでも思ってたのか!?」
信じらんねえと笑い転げる仲間たちを前にフィルの思考は停止する。さっきの真剣な顔が嘘だったことだけはわかったが。
「まあ、それより何より。で、いつから付き合ってるんだ?」
「付き合い始めはハフトリー遠征の前か後か?」
「最中でもいいぞ」
「前だって言え。俺それに千キムリかけてんだよ」
「てめっ、誘導すんな」
わいわいと賑やかで楽しそうな皆の中で、自分だけが浮いているのも良くわかる。
「え、ええと……」
既に正常な判断が損なわれていることに気付かないのがフィルの不幸、そして、誠意を持って人と話をしなさいという祖母の言葉に常に忠実たろうとするのがフィルの悲哀――何かが引っかかって、フィルは首を傾げつつも口を開いた。
「多分……前?」
オッズが「多分?」と片眉を跳ね上げる中で、「おっしゃ」という叫び声と「まじかよっ」という悲鳴が響いた。
「タンタールに行く前か後か?」
「……?」
逆方向に首を捻った。
(なんだろ、確かに何かが引っかかったんだけど……ええと、なんだっけ?)
顔全体をしかめる。
「……おい、フィル」
「おおい、フィルー」
「……聞こえてねえな、これ……」
「なんか……やなスイッチが入ってる気がする。なあ、こういう時って経験上ろくなことが……」
「……こっち見んなよ」
こそこそ話し始める仲間たちを放って考えて込んでいたフィルは、「おお」と呟くなり顔を輝かせた。
何が謎なのかわかった、と小隊の仲間たちに向き直る。
「私とアレックスは付き合っているのでしょうか?」
(そうだ、わからないのはそれだ。だって、アレックスに好きだとは言ったし、言ってもらったけど、)
「そんな話、したことがないのですが」
イオニア補佐を見つめ、ついでミルト、ヘルセン、ザルク、オッズ……他の小隊の一人一人を見、今度は眉根を寄せた。
「あの、そもそもどうなったら付き合っていることになるのですか? 街中で『付き合ってる』という人たちはみんなそんな話をしてるんですか? オッズは?」
人の顔を引きつらせることはあっても、自分がそうなることは滅多にない仲間たちの顔が一様に痙攣した。
「……アレックスが気の毒になってきた」
ヘルセンがボソリと呟き、あちこちで無言のまま縦に首が振られる。
イオニア補佐が「あー、フィル」と声を出す。
フィル以外の全員に『さすが最年長』『頑張ってやって、補佐!』『このままじゃ不憫すぎる……』と真剣な顔で見つめられて、イオニアは背をプレッシャーの汗で濡らす。生憎と「そんな話、したっけ?」と記憶を辿っているフィルは気付かないが。
「いいか、フィル、付き合ってるというのは、『付き合って』という会話だけで成立するものじゃない」
諭すような補佐の声に、「そうなんですね」とフィルは顔を上げて頷いた。
「直接そんなを話をしなくても、好きだと言ったり言われたり、」
「じゃあ、昨日から」
なぜか皆との間合いが広がった。
「い、や……色々言いたいことはあるが……そこは違う……」
「? 違うんですか?」
目を瞬かせるフィルの前で、イオニア補佐が顔を覆ってしゃがみ込んだ。
オッズが「あいつ何やってるんだ……」と呻いたのを皮切りに、あちこちで「……信じらんねえ、どこまで不器用なんだ……」「いや、これはアレックスだけの問題じゃ……」「今更『ません』とでも言う気か……」とかいう掠れ声が上がる。
(な、なんなんだろう、そんなに変なこと訊いた……?)
何かがおかしいらしいとだけは気付いて、フィルも顔を引きつらせる。
「フィルっ」
そうして異様に静まった談話室に駆け込んできたアレックスを迎えたのは、仲間たちからのなんとも言えない同情の視線と、「アレックス……」とほっとしたような声音で自分の名を呼ぶフィルの、『教えてください』と書いてある顔だった。
そのすべてにアレックスが嫌な予感を覚えて片頬を痙攣させた瞬間――。
「私、アレックスと付き合ってましたっけ?」
「……」
そう聞いてきたフィルに絶句してアレックスは立ち尽くした。
ちなみに、その彼に周囲全員から注がれたのは、哀れみと謝罪の視線だった。
オッズがそんなアレックスの肩を叩く。
「賭けはとりあえずおいておこう。奢るから飲みに行こうぜ」
「俺も乗った。ほんと、大変だよな……同情する」
「そりゃ一年近く禁欲する羽目になるわな、これが相手じゃ」
「俺はお前の忍耐を改めて尊敬する」
「俺たちが悪かった、ただでさえ苦労してんだろうに……」
「……な、なんなんだ……」
そうしてフィルは疑問の山と共に一人ぽつんと談話室に残された。
「……」
ただ一つはっきり言えるのは、やはりろくでもない結果になったということだろう。
ついでに――……なにか嫌な予感がするのは気のせいだろうか?




