表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして君は前を向く  作者: ユキノト
番外編【忘却】
171/320

3.決意

 ラーナックが気に入っている王立デラウェール図書館近くの古書店。

 時が何百年も前に止まってしまったような外観と、それに相応しい主人がいるその店の一角で、彼とスペリオスは月に二、三度出会うようになった。

 他愛無い世間話をすることもあれば、昔話をすることも、家族や政治について話すこともある。気負う必要も言葉の裏を取る必要もない彼との会話は、純粋に楽しかった。


「街中でお前の妹を見かけたぞ。アレックスと一緒だった。お前によく似てた」

 昔ラーナックがそうだったように、彼の妹は街の人たちに人懐っこく話しかけては会話して楽しそうに笑い、あのアレックスがつられてそれに笑っていた。外見もだが、一緒にいるとこっちまで明るい気分になる、温かみのある空気こそがそっくりだった。

「そう?」

 スペリオスの言葉に心底嬉しそうに微笑んだラーナックの気分は、もうずっと昔、弟を彼に紹介した時スペリオスが感じたものと同種だったのだろう。

 弟のアレックスは彼の妹を一生の相手として見定め、兄のスペリオスは兄の彼を親友として選んだ。

 そして――居心地のいい、優しい陽光のような彼ら兄妹とは似ても似つかない、方向さえ見失うような闇に惹き寄せられている。


 夏の終わりには、ラーナックにまでニステイス伯爵家をめぐる黒い噂が届いていた。

「スペリオス、ニステイス家の話を聞いたよ。かなりまずいようだね」

「……伯爵のあれは完全に作為的だしな。図に乗って強引にやり始めたんだ、気付く者も当然出てくる」

 古い本が放つ香りと湿度の中、書架にもたれて、スペリオスはため息をついた。最後の夏を懸命に生きる蝉の鳴き声が窓を隔ててなお伝わってくる。

 どうしようもない義理の伯父を思い浮かべて、「愚かなことだ」と吐き捨てるように呟いた後、顔を歪めて心痛を零した。

「余波が娘のアレクサンドラに出始めている。煽りを受けてうちの弟にも」

 嫌気に襲われて天井を仰ぎ、繰り言を吐く。

「お前の妹には悪いけど、そろそろ潮時かな。あの二人が運命の相手だという神託も現実味を帯びてきたし、僕もお前の妹もそろそろ別の相手を探した方がいいのかもしれない」

「そう? フィルが君の弟に取られないの、嬉しいと言えば嬉しいけど、フィルが泣くのもスペリオスが泣くのも嫌だなあ」

 親にすら零せない愚痴も彼の前では漏れてしまうというのに、彼はそんなスペリオスに引きもしなければ説教することもない。ただ、『自分は君を気にかけている』とわかる態度で、こちらが落ち着くまで一緒にいてくれる。その感覚が心底有難かった。


 それでも段々状況は差し迫ってくる。

 斎姫とその神託を信奉する者は、貴族の間では少なくない。伯爵の偽計に引っかかった連中は、『神託と称した詐欺だ』と訴えても取り合ってくれる者が少ないことで、さらに追い詰められていく。そして、『神託』の真偽を訴えるより手早い方法として、斎姫を亡き者にするという暴挙に出始めた。斎姫が殺されれば、今後『神託』に煩わされることはもちろんなくなるし、何よりそのこと自体が『神託』の権威を失墜させることになる。

 窮地に陥ったニステイス伯爵夫妻はこれまでの所業から公に訴えることも出来ず、夫人の妹の嫁ぎ先であるフォルデリーク公爵家の権力を笠に着ることを選択した。

 フォルデリーク公爵家の次男であるアレックスをサンドラの婿に迎えて代変わりし、後始末を彼とフォルデリーク公爵家に押し付ける。現王后の実家でもあるフォルデリーク家であれば、ニステイス家に対する不満をねじ伏せることができる――。

「サンドラはそれでいいのか?」

「……神託でそう出ているのだもの。いいも悪いもないわ」

 そんな事情を隠されたまま、ただ親の道具として使われているアレクサンドラの顔からは、徐々に表情が失われていく。比例して、我がままでは片付かない行動を躊躇なくとるようになっていった。


 子供にごく甘い父は、スペリオスが決断をしない限り、絡みついてくるニステイス家をどうすることもないだろう。だから、弟のためにもフォルデリーク家のためにもニステイス家ごと切り捨てる頃合だと思うのに――。

「……スペリオス……」

 切ろうとする度に、アレクサンドラに泣きそうになりながら見つめられて惑わされる。

 結局そんな彼女を見捨てることは出来なくて……スペリオスは自身のために、弟とラーナックの妹を犠牲にすることにしてしまった。

 そうと決めてからは、後ろ暗さのあまり古書店どころかデラウェール図書館の周囲に近づくことすら出来なくなる。ラーナックと出会えばおそらくすべて悟られるだろう。その後彼が自分に向けるだろう視線が、もう何もかもどうでもいいと思っているはずだったのに、なぜか恐ろしかった。



 * * *



 一体なぜそうなったのか、今でもよくわからない。

 弟を利用し、彼の大事な妹を散々傷付けたというのに、ラーナックの予言どおり最後はその彼女らに救われて、結局スペリオスはアレクサンドラを手に入れた。

 ニステイス家などというありがたくないものまでついてきてしまう羽目になったが、父は鷹揚に見逃してくれるつもりらしい。


 謝罪と感謝を伝えるために、とにかくもう一度彼に会わなくてはいけない、と気まずさを抱えたまま、古書店に赴く。

「……」

 傷の入った古いガラス越しの柔らかい冬の光を受け、神々しいまでの美貌を晒して本に視線を落としていた彼は、そんなスペリオスをみとめて本を閉じる。

 言葉を探して視線を彷徨わせたスペリオスに、彼は屈託なく笑い、「言った通りになっただろう?」と小さく笑った。それから「良かったね、スペリオス」と嬉しそうに、謝る時間すらくれずに――。

「……人が良すぎるだろう……」

「君の人が悪すぎるんだよ」

 泣きそうになるのを隠したくて叩いてしまった憎まれ口に、サンドラが「あの子に言い返されたの」と笑っていた言葉とそっくり同じものが返ってくる。

 本当に似ているらしい、と泣き笑いを零してしまったら、不思議そうに彼は首を傾げていたが、おそらく彼には一生頭が上がらないだろうと悟ってしまった。器が違い過ぎる。

「でもこうなると、フィルはいよいよアレックスのものになるかなあ。アレックス、いい子だったけど、嫌だなあ、フィルをとられるの」

 ……相変わらずのセリフを言っていたあたりに、密かにアレックスに同情しておこうとは思う。



 斎姫に相応しくないからと、気の強さを見せるのもおしゃべりも笑うこともすべてやめていたサンドラは、徐々に昔に戻りつつある。

 父親の所業を知り、さらには先代斎姫だった母親と意見を異にするようになった彼女は、彼女なりに何とかしようと頑張り始めているものの、まだ十六。斎姫という肩書きがあったところですぐに何かを変えられる訳はない。

 結果、昔のように癇癪を起こすようになっていて、それにつき合わされるのには閉口するが……まあ、人形みたいだった今までより遥かにましだろう。


「あの子、馬鹿なんじゃないかしら?」

「……誰?」

「フィリシア・フェーナ・ザルアナックよ」

 これまでのツケを自分で払うことすらできない伯爵を病気療養として称して僻地の別荘に閉じ込め、代わってニステイス家でのあれこれに勝手に手をつけるようになったスペリオスの元に、眉間に皺を寄せたアレクサンドラがやってきた。周囲の人間へのいつもの愚痴かと思いきや、思わぬ名が出てきて眉を跳ね上げる。

「昨日街で偶然あの子に会ったの。そしたらなんて言ったと思う? 『スペリオスさんとは上手くいきましたか?』って、にこって笑いながら」

「……」

「一緒にいた子だって、『フィル、こないだの、全部その人のせいじゃなかったっけ……?』って呆れていたわ」

 頬がぴくぴく動いているのは、緩みそうになるのを必死で抑えているからだろう。かなり妙な顔になっていた。

「本当、変な子」

 最後には観念したのだろう、彼女はそんなふうに言いながらも、結局嬉しそうに笑い始める。



「借りが出来た」

「つまり、僕は貸しが出来た?」

 後日、いつものように古書店の陽だまりの中のテーブルに彼を見かけ、向かいにどさりと腰掛けた。

「いつでも返すからな」

「へえ、じゃあ、お言葉に甘えて利子でもつけようかな?」

 しおりを手元の本に挟みながらくすくすと笑う彼は決して口にはしない。だが、彼の考えていることはわかる。

「お前の望みは妹のことだろう」

「…………本当、考えが読めるのも考えものだね」

 一瞬で表情を消し、ゆっくりと本をたたんだ後、諦めたかのような苦笑を向けてきた彼に確信する。

 おそらく彼は本当は人と関わりたくないのだろう、スペリオスも含めて。


 その証拠に彼の薬が手に入るようになったのは三年前だというのに、健康になっても彼は疎遠なままだった。再会の晩の夜会以外で彼を見かけたこともないし、両親も喜ぶからと散々誘ってもフォルデリーク家に遊びに来ることもない。

 では、なぜあの晩、彼はスペリオスと接触したのか? ――すべては、彼の妹を案じてのことなのではないかと推測をつけた。

 多くの者が婚約を望んでいる建国の英雄の孫娘。フェルドリック王太子と婚約しているなどという噂もあるし、実際昔はそんな話もあったらしいが、今となっては完全に事実無根で、事実上誰にでもチャンスがある状況――しかも、彼女はロンデール家に目をつけられている。

 出自を隠して騎士団に在籍していることも立場の不安定さに拍車をかけているというのに、父親であるザルアナック伯爵と仲の悪いらしい彼女には、庇護してくれる者がいない。

 だからラーナックは、彼女と一緒にいるアレックスに目をつけたのだろう。そしてその兄であるスペリオスに声をかけてきた。アレックスにはどの程度彼女への思い入れがあるのか、どの程度彼女を庇えるのか、その家族はそれにどれだけ協力してくれそうか――。


「わかっているんなら、それは借りでも何でもないよ、スペリオス」

「それでも僕は助かった」

「……人がいいよ」

「お前が言うな」

 そのくせ彼はこんなふうだから、アレクサンドラのことで少しずつ堕ちて行くスペリオスを見過ごせなかったのだろう。

 落ち込むスペリオスに根気よく付き合い、大事な妹を傷付けたというのにため息だけで見逃し、あまつさえ「大丈夫だから」と背を押した。

 そう、人のことだけだ。妹のこと、スペリオスのこと、ひいてはアレックスやサンドラ、時折穏やかな顔で話題に上げる伯爵やザルアナック家の者たち、ちょっとした知り合いだと言っていた第二王女……彼が気にかけている様子があるのはそれだけだ。

 昔と同じだと思っていたから、中々気付けなかったが、いい加減おかしいだろうと思う。彼は見事に彼自身のために何も望まない。

「絶対に借りは返す。妹のことだけじゃない。お前のことも、だ」

「…………本当、考えものだなあ」

 困ったように、悲しそうにラーナックが笑う。理由がわからないものの、彼の行動に見え隠れする彼自身への諦観がひどく気にかかる。

 それ以上話す気はないというように口を噤んだラーナックに、スペリオスは鼻を鳴らした。

(お前が僕の考えをわかるだけじゃない、僕だってお前の考えがわかるんだ)

「嬉しいだろう?」

「……っ」

 さっきまでの苦笑に嬉しさが隠れている事だって、今言葉に詰まった理由だってちゃんとわかっている。

 誰にも関わらない――それが楽しい時間であったはずがないんだ。


 一度、スペリオスは彼を忘れた。

 自らの病と母の死去、妹や祖父母との別離、そして父との孤独な関係。幸福の中にいたスペリオスは、彼がとった距離を言い訳に、そんな孤独の中にいた彼を薄情にも忘れてしまった。彼のおかれた状況を誰より知っていたのは、他でもないスペリオスだったのに――。


「赤い飴、いるか?」

「……やっぱり知っていたのか」

 直接差し込んできた日差しにかそれともスペリオスの言葉にか、顔をしかめた彼に、にやりと笑ってみせる。

 そう、幼い日、欲しかったのは本当は赤い飴じゃない。彼も赤い飴を好きだとスペリオスは知っていて、それなのに彼がいつもその飴を譲ってくれること――それを確かめては満たされていた。

「気付かないふりをしていただけだ。結局お前も許してくれていたし。僕の方が我が強くて実は要領がいいんだ、昔から」

と言うと、彼は女性のようにも見える眉を跳ね上げた。

「だから、お前の思惑なんてもう気にしない。どうせそれもすぐわかるだろうしな」

「……更に我がままになっていると思うよ?」

 光を反射する肌の白さゆえに、ため息を零した表情の細部は見られない。それでもなんとなくわかってしまう――こんな関係に恵まれたことは、自分のような者にとってはこの上ない祝福だ。

 だからこそ、今度こそ彼が自分にしてくれたように。彼が望まないならその代わりに――そう思わないではいられない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ