2-2.温もり
歓迎会と冠した飲み会だったはずなのに、妙に静まった空間。その席の中央に座っているのは、ほんのり頬を染めたフィル。周囲に転がっているのは空の酒瓶と、意識を失ったように眠り込んでいる仲間たち(多数)だ。
フィルの横で、今も何とか粘っているのはウェズ小隊長だが、その彼も引き攣った顔となって久しい。彼がついさっき注いだばかりのグラスを空にしたフィルが、にこにこと笑いながら返杯に飛び切りきつい酒をなみなみと彼のグラスに注ぐ。その瞬間、彼はついに呻き声を上げた。
「……」
(本当にフィルだ。いつだって人の気なんてお構いなし……)
アレックスは自身の酒を口に含むと、長々と息を吐き出した。
フィルが入団してきてこの方、アレックスの気が休まる日はなかった。
何せフィルは目立つ。性別も素性も隠すつもりらしいのに、ひっきりなしに人から声をかけられ、ある時は絡まれている。早速、見た目の中性的なフィルに邪な思いを抱き始めた輩もいるようで、それを牽制しつつ、フィルの様子にも気を配る。
何が手ごわいかって、そのフィル本人だ。
アレックスの“常識”(というより世間一般の常識かもしれない……)は、八年経った今もフィルには通じないし、彼女が深く考えないで行動するのも相変わらずで、結果アレックスは振り回されまくっている。
失敗をするとしゅんとして謝ってくるのも、アレックスが何かする度に本当に嬉しそうにお礼を言ってくるのも、そりゃあ可愛い。だから、幸せと言えばこの上なく幸せなのだが、皮肉なことにそれゆえ心配は尽きなくなる。
夜は夜で、横にいる彼女の気配にあまりよく寝られない。ちなみにやましいことはない。……と思いたい。
そんな時に来た「歓迎会」の話には、はっきり言って胃が痛くなった。酒が入ってフィルに何かが起きたらと心配したのに、やはりフィルはどこまでも逞しかった……。
「ミルトに補佐、小隊長までもついにやられたか」
小隊長を沈ませた張本人であるフィルは、崩れるようにテーブルに突っ伏していく彼を、目を丸くして見ている。
「尋常じゃねえな。誰だよ、限界を知れなんて言ったの」
「……俺。“お子様です、すれてません”って感じなのに、まさかあんなだとは」
少し離れたところでそのフィルを観察しているのは、小隊の良心と呼ばれるヘルセンとザルク(彼らが良心と呼ばれる時点で、ここがどんな所かうかがえて少し悲しい)。そして、アレックスと同期のオッズだ。
さらに向こうでは、あまり酒に強くない連中が、酔いつぶれた人数を数えて、「一人につき一人……」と皆を連れて帰る方法を算段している。
「フィル、何ともないか?」
「はい、平気です、アレックス」
一人になったフィルの横に腰を下ろして話しかけたアレックスに、彼女はにっこり笑った。多少なりと酔った節がないかと探してみたが、見事に普通――あれだけ人を酔いつぶしておきながら。
「アレックスも飲みますか?」
そう言ってフィルが酒を差し出してきたが、アレックスは苦笑して首を横に振った。こちらの自制が利かなくなったら、色んな意味で洒落にならない。
「酒、強いんだな」
「初めて知りました。飲んだこと、なかったんです。祖母に安心できる場合以外は飲むなと言われていたので」
「安心? しているのか……」
思わず呆れ声になった。警戒しすぎたって足りないくらいの立場だろうに、と。
そんなアレックスに気付かず、フィルは倒れている者たちを見て、にこにこと笑う。
「だってみんないい人そうだし、アレックスもいるでしょう?」
「……」
無防備に微笑みかけられて、アレックスは言葉を詰まらせた。
(懐かれた、これではっきりした。けど、いいのか、これ……)
「……まったく」
それでも結局嬉しいと思ってしまった自分と、相変わらず上機嫌なフィルに、アレックスは苦笑を零し、内心のままわしわしとフィルの頭を撫でた。
髪をぼさぼさにされた彼女が情けない顔でこちらを見上げてきて……つい声を漏らして笑ってしまう。
信頼と異性に対する警戒、本当は両方欲しいけれど、今は前者があれば十分――そんな自分につられたのだろう、再び能天気に笑い出したフィルの顔にそんなことを思った。
「……声立てて笑った」
「俺、アレックスの笑い声、初めて聞いたかも」
「確かにフィルは尋常じゃなくおもしろい奴だが、あのアレックスまで……」
「まさにうってつけだな、うちに」
「我らの期待の新人に乾杯ー!」
残った者たちがそのアレックスとフィルを見ながら、ケラケラと笑い、杯を付き合わせる。
「期待? 乾杯? 私? ありがとうございます、でいいんですかね?」
「……あー」
ちなみに、顔を引きつらせたアレックスはちゃんと知っている。彼らがフィルに向けているその笑いと視線が、あまり名誉あるものではないことを。
「酔いつぶした責任でフィルはイオニアな。アレックス、相方の責務で、お前はミルトだ」
「せ、責任って私のせいじゃなくないですか……」
「……」
結局、フィルは小隊の中で二番目に大きいイオニアを、アレックスはそのとばっちりで一番大きいミルトを連れて、帰途に着くことになった。
「ぐ……ぉ、重い……」
「大丈夫か? 俺が往復するから、無理は――」
「だ、大丈夫です、アレックスは熊、違った、ミルトさんでも平気じゃないですか、私だって……!」
フィルの背は小隊の中でも高いほうだが、腕力はさすがに少ないのだろう。肩を貸しているだけとはいえ、イオニアを支え続けるのはさすがにきついらしく、時々よろけている。
「フィル、本当に」
「いえ、ただでさえ迷惑かけどおしですし、これ以上は……!」
意地を張るフィルを宥める方法を思いつけず、休みつつも何とかイオニア補佐とミルトをそれぞれの家に送り届けたのだが、それがまずかったらしい。
「……すみません、アレックス」
「かまわない」
「……重くありませんか?」
「全く」
「……」
運動したせいで酔いが回ったのだろう、急に足取りが怪しくなったフィルを背負って、アレックスは宿舎に向かう。
日が変わって静まり返った秋の街には、冷たい夜風が吹いている。
会話が途切れ、静寂が広がると、秋の虫の音が大きく響いてきた。ふと、フィルはこの沈黙を気にしないのだろうか、と思う。
「怖くないか」
「怖いって……夜? って言われてもこんなに明るいですし」
「いや俺」
第一小隊員以外には散々そう言われていることを今更に思い出した。
「全然。最初はそう思いましたけど」
「そうか」
(そういえば、扉の前で顔を合わせた時、顔が引きつっていたな)
ただ「全然」で終わらないところが、正直なフィルらしくて、アレックスはくつくつと笑った。
「……あの、たくさん迷惑かけてごめんなさい」
「気にしなくていい。迷惑だなんて思っていない」
「……」
おずおずとした囁き声にそう答えれば、背後のフィルが息を吐き出した。吐息が首の後ろをくすぐる。それから、肩に小さな衝撃があり、髪が肌に触れた。
「フィル?」
しばらく待ったが返事がない。しかも背負った彼女の体からは明らかに力が抜けている。
「…………まったく」
どうやら寝たらしいと結論付けると、ここ数日で何度目だろうという溜め息が、また口を突いて出た。
背にあたるフィルの感触は柔らかく、甘い香りが夜風に乗って鼻腔に届く。どう考えても男のものじゃない。
先ほど遠慮する彼女を無理に背に乗せた時も負荷を感じなくて、正直驚いた。“軽くなった”と思ってしまったのだ。ザルアで魔物に襲われた後、彼女を背負って帰った時はもっと重く感じたのに、と。
(俺も大人になったってことなんだが……)
成長して、フィルを運ぶぐらい苦もなくできるようになった。それでもフィルは相変わらず。
「先は長そうだ」
そう零せば、なぜか口元が緩んだ。毎日が落ち着かなくなったってそれすら楽しい。彼女がいると、それだけでこうして毎日が特別になっていく。
(……いつ以来だろう、こんな風に夜空を見上げたのは)
見上げた夜空には星が瞬いている。その輝きに昔フィルと一緒にザルアで見た満天の星々を思い出すと、アレックスは微笑んだ。
* * *
「……あれ?」
翌朝、フィルはいつものように小鳥の鳴き声で、朝日の昇る前に目を覚ました。
(ええと、確か昨日、宿舎に戻る途中で……)
足元がおぼつかなくなって、アレックスに背負われて帰ることになったことを思い出す。
ただでさえ迷惑をかけ通しなのに、昨晩もいい加減怒られてもまったく不思議じゃないと思うのに、アレックスは終始穏やかなまま。
やはりというべきか会話はあまりなかったし、話しかけてもアレックスの返答はすごく短かったけれど、彼に話した通り、こわいとかはまったく感じなくて、むしろ安心した。
背中越しに伝わってくる空気が優しくて、彼の背も広くて温かくて、半年前に亡くなった祖父を思い出した。
そうしたら、入団以降の緊張が一気に解けてしまって……。
「寝ちゃったんだ」
なのに、上着はクローゼットにかかっていて、ブーツは脱いでいて、体にはちゃんと毛布が掛けられている。
「これも多分アレックスだ……」
さらに迷惑をかけたらしいと悟って、気まずい思いでちらりと横のベッドをうかがうと、彼はまだ規則正しい寝息を立てている。
「……」
悪いことをしてしまったと思うのも本当なのに、『お酒は怖い』と言った祖母はやはり正しかったとも思うのに、その顔を見ているとなぜか幸せな気分になってくる。
「……うん、予感、あたった」
やっぱり大好きだ。そう思って、フィルはにっこり笑った。
(大丈夫、私はここで頑張れる。それできっとここから私の人生は始まるんだ)
――やっとそう実感できた、そんな入団四日目の朝。




