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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第11章 咫尺天涯
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11-22.示唆

 怒っているような気がする。それも――……かなり。

「……」

 顔を伏せたままちらりとアレックスをうかがえば、背中から肌を刺すような、ピリピリした空気が流れてくる。

(ど、どうしてこんなことに……って、あれか、考えなしか、考えなしだったせいか)

 それ以外何かあんのかよ? とウェズ小隊長あたりにジト目で突っ込まれる幻想が浮かんできて、フィルはかくりと肩を落とす。

 話したいこととか、伝えたいこととか、いっぱいあった。が、「こんな空気では絶対に無理!」だ……。


 ニステイス邸の廊下を出口に向かってよろよろと歩きながら、フィルはいっそ失神してしまいたい衝動に駆られている。

 第一小隊は斎姫護衛の任を解かれ、邸内は新たに派遣されてきた第十小隊でごった返している。襲撃が本格的と判明した今、攻撃的な戦闘に長ける第一小隊よりも、要人の護衛と守備を得意とする小隊の方が任務に向いているという判断だ。ニステイス伯爵夫妻は、娘の命が危険に晒されていることをようやく実感したようだ。今回は騎士団の判断に文句をつけてこなかったらしい。

 敵の拠点に攻め入ることを得意とする他の小隊によって、犯人たちの逮捕も始まったという。彼らの手に余る案件など王都カザレナであるはずないのだから、直にアレクの安全は確保されるだろう。

 そんなわけで、現時点で役を持たない第一小隊員には、解散と半日の休暇の許可が出ているのだが……。


 フィルとアレックスは互いに無言のまま門外に出た。空を見上げれば、日は既に西へと傾きつつあった。

 日差しのおかげで寒さが少し緩んでいる気がしなくもないけれど、今まさに絞首台に向かう気分のフィルには実感のしようがない。

(……あ)

 どんよりとした空気で再び顔を俯けたフィルは、大きな手がポンと頭に落ちる感覚に慌ててアレックスを見上げた。

「少し寄りたい所があるんだ。一緒に来てくれ」

「あ、はい」

(ええと……大丈夫、なのかな。だっていつもと同じ声だし、目だって……)

 離れていったアレックスの手の感触を追うように、フィルは自らの左手を頭に置いた。

(……アレックス、だ。本当に、あの……)

 目の前で自分を見ているのは、この十日間会いたくて仕方のなかった、なのに、会っていいのかわからなかった彼だ。

(……また側にいる)

 改めてその事実を確認したことで、フィルは安堵の息を漏らした。

 アレックスがそんなフィルに眉を跳ね上げた。それから苦笑を浮かべ、ようやく目元を緩めてくれた。

(うん、大丈夫だ)

 それでさらに笑ってしまったらしい。

「大丈夫だと知っていたって心配はするんだ」

 再び顔をしかめたアレックスに、頭を小さく小突かれた。



 * * *



 そうして、騎士団や城とは逆方向、カザレナの外れに向けてしばらく歩いた。

(……川?)

 行く手から、風に乗って微かな小川のせせらぎと小鳥のさえずりが聞こえてきた。同じ風に、森の湿った土の匂いを嗅ぎ取る。王都では珍しい、故郷を思わせる音と香りに、フィルは知らず顔を綻ばせた。

「懐かしいだろう」

 そんなフィルにアレックスは気付いたらしい。目を細めてそう言ってくれて、さらに気分が浮き立つ。


「……わあ」

 右手の視界を遮っていた大きな屋敷の塀が途切れた瞬間、いきなり現れた緑にフィルは思わず歓声を上げた。

 奥が見えないほどの木立が目の前に広がっている。

「こっちだ、フィル。この先に小川がある」

 一足先に林に足を踏み入れたアレックスが、フィルを振り返って奥を指さした。


 落葉し切った木々の混ざる林の中は、暖かい日差しが差し込んで思いのほか明るい。足元は落ち葉でふかふかで、昨今石畳にばかり馴染んでいた足にはその感触がとても嬉しい。


 迷うことなくアレックスが歩いていった先には、彼の言うとおり奇麗な小川が流れていた。急いでそこに駆け寄って澄んだ水を手にすくい、フィルはその冷たさに声をあげた。

「あ、サワガニ、おお、あっちにちっちゃいけど鱒も……」

 はしゃぐフィルにアレックスが小さく笑い、日のあたる川辺の岩の上に腰掛ける。

「ねえ、アレックス、ここって……、っ」

 その彼を高揚した気分のまま振り返って……絡まった視線に息を止めた。じっと見つめられて心臓が鼓動を増していく。

「フィル」

 真剣な目で、強く名を呼ばれた。優しいのに抗いがたい不思議な声で「おいで」と言われ、顔に血が集まってくる。

 フィルは頬を上気させた顔を伏せつつ、おずおずと彼の側へと向かった。

 手を伸ばせば届く距離まで来て、なんとかその顔を見つめ返す。


「あ……ま、待ってください」

 アレックスが口を開いた瞬間、フィルは慌てて彼を遮った。

「……フィル」

 アレックスの顔が苦しそうに歪んだ。さらに慌てる。

「あ、そうじゃなくて……あ、あの、わ、私も、というか、私のほうこそ、話す、話さなくてはいけないこと、があって、あ、と、ええと、」

 伝えたいことがたくさんあるのに、伝えようと決めていたのに、咄嗟にちゃんと纏まらなくてしどろもどろになってしまう。

「ああ、あの、私……わた、し…………、っ」

 ――どうしよう、何から話すんだっけ……?

 進歩のない自分が情けなくて、涙が滲みそうになった。固い顔をしていたアレックスが、困ったように笑い、再び頭に手を置いてくれた。

 そのままポンポンと柔らかくその場所を叩かれる。

「焦らなくていいから」

 そう言いながら、アレックスは再び俯いてしまったフィルの顔を、穏やかな目線でのぞき込んでくる。

(……ああ、いつも、いつもそうだ。アレックスは、いつもゆっくり私の背を押してくれる……)

 優しい、綺麗な青い瞳に、先ほどとは別の意味で泣きそうになりながら、何とかフィルは口を開いた。

「アレックス、」

 その彼に伝えたいこと、一番大切なことは……――。

 指の先まで朱に染まっていくのを自覚する。今度は緊張のあまり、目が涙で滲んでくる。それを収めようと目をつむって深呼吸を二回繰り返し、それからアレックスの深く青い目を見つめた。

「好き、です」

 口にした瞬間、不思議な感覚が全身に広がった。自ら発した言葉が耳に届き、体中の細胞が共感に震えた気がする。

「っ」

 目の前の彼が目を見開き、そして顔全体をどこか苦しそうな形に歪めた。

「アレックス、好きです」

 それに促されてもう一度彼の名を呼び、同じことを口にした。


 唇を閉じた瞬間、体がふわりと浮く。全身をアレックスに包まれ、息もつけないくらい、きつく抱きしめられる。

 黒髪が顔に当たって、彼の吐息が耳に触れた。伝わってくる熱に身が蕩けていくような気がする。

「……ああ」

 低い音が耳朶を直接打ち、掻き抱くかのように拘束が強まった。

 体温と心臓の鼓動、吐息の熱、慣れ親しんだ香り……全身で感じる彼に、体が重力の感覚を失う。力が抜けていく。

「そ、それから」

 そのまま身と心を任せてしまいそうになって、フィルは慌てて言葉を続けた。

「も、もう知っているかもしれませんけど……その、わ、私の名前は、本、当は、フィ、フィリシア・フェーナ……、っ、ザルアナック、と言います。で、でも……」

(キラワレルカモシレナイ、コワイ……)

 その恐怖には勝てなくて、アレックスに抱きしめられたまま、ぎゅっと目を閉じて顔を俯けた。

「……か、勘当、されました。その……父の、父が、き、期待する様な子では……ご覧の通り、無くて…………っ、い、いらない、と」

 知らずアレックスの背に回した手に力が篭った。

「……ああ」

 自分の腰に回っていたアレックスの腕が、背を柔らかく撫で始める。こめかみに唇が触れた。次いで硬く閉じている瞼、恐らく皺が寄っているだろう眉間、頬……宥められでもしているかのように、何度も何度もキスの雨が落ちる。

「……」

 慈しむような感触に恐る恐る目を開けて……アレックスの顔をゆっくり、やはり怯えながら見上げた。けれど、目の合った彼の表情はとても優しくて、強張っていた全身から徐々に緊張が抜けていく。

「あ、の……」

 それに促されてしまったのだろうか、ずっと気になっていた泣き言のような台詞までが口を突いて出てしまう。

「驚かないんですか、というより……その……い、嫌、じゃありませんか? 貴族の出と言ったって、他の女の子たちみたいに綺麗ではないし、傷だらけで、剣を習ってて、親にだってそんなふうだから勘当されて、もう貴族じゃなくなってて……しかも、」

 自分で言っていて、さらに情けなくなってきて、眉尻を下げる。

「……グリフィスを一人で八匹も殺したり、何人もの盗賊や暗殺者を返り討ちにしたり、砦を壊してみたり、刺客の跡をつけて怪しい屋敷に忍び込んだり?」

「……うぅ」

(あ、改めて聞かされると、本当に私って……)

 アレックスのからかいを含んだ言葉と表情に、情けない声を零した。

「フィル、そんなこと、気にしなくていい」

 苦笑した彼にまた名を優しく呼ばれた。瞼に柔らかく唇が落ちる。

「すべて……俺はそんなすべてを含めて、フィルが好きだ」

「………」

(すべて――今、そう言ってくれた……)

 怖くて仕方のなかったこと、怖くて言えなかったこと――微笑みながら、囁くように受容をくれた彼の顔を見つめていると、安堵とも喜びともつかない雫がポロリと眦から落ちた。

 水滴の落ちた頬を包み込むようにアレックスの右手がかかり、そこを親指で緩く撫でられる。

 もう片方の手が左の額の傷跡に触れて、それから顔の輪郭を撫でながらやはり頬に落ちた。大きな両の手で顔を包み込まれ、怖いほど真剣な表情になった彼から目を逸らすことができなくなる。

「フィル、愛している」

「っ」

 目線と音――全身が震えた。

「出会ってからずっと、それから……この先も」

 そして囁き声と共に、重ねるだけの優しい口付けがゆっくりと唇に落ちた。



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