11-21.憂慮
「ウェズ、気付いていたのか?」
情けない顔をしたフィルがアレックスの後について、屋敷の階段を下っているまさにその頃。フィルが去った後の部屋でポトマックが零した問いに、ウェズはにやっと笑って頷いた。
ニステイス邸の複数ヶ所から火の手が上がったのは、まだ街が寝静まっている時分だった。同時に、あちこちの窓や戸口から組織的な侵入を受ける。
邸内に内通者がいるという疑惑が証明された状況下で、ウェズは部下たちに鎮火と襲撃者の撃退を命じつつ、この邸の一人娘、アレクサンドラの部屋に走った。が、庇護対象の彼女はそこにも、他のどこにも見当たらない。
自分たちへの襲撃と火災、娘の不在に恐慌状態に陥ったニステイス家当主夫妻を前にしたウェズの頭に浮かんだのは、昨夜の光景だった。
勤務を抜けてフィルの元に行って戻ったアレックスを、オッズたちがここぞとばかりにからかっていた時、廊下のはるか先に彼女の姿を見かけた。ウェズと目が合うなり、踵を返してしまったが、もしあの時彼女がアレックスたちのやりとりを聞いていたとしたら?
恐ろしく気位が高く、我が儘な彼女は、フィルに明確な敵愾心を持っている。屈辱に耐えかねて直接フィルに物申しに行ったのではないか?
首謀者がそのタイミングを狙ってこの邸に襲撃をかけたとすれば、彼女のほうにも刺客が向かっているはず――。
真っ先に思い浮かんだアレクサンドラの行き先は、フィルが暮らす騎士団宿舎だった。だが、どれだけ切羽詰まっていても、カザック騎士団の本拠とそこへの道中を襲撃する人間はまずいないだろう。
そこ以外でフィルがいる可能性がある場所といえば――。
その瞬間、口を開こうとしたアレックスと目が合って、確信した。
『ミルト、オッズ、ザルアナック伯爵邸に行けっ』
咄嗟の判断で、ウェズは馬の扱いに飛び抜けて長けた二人をザルアナック邸へと差し向ける。アレックスの抗議の視線はもちろん無視、必死になるだろう彼をここぞとばかりに使い倒した。
襲撃と火災が一段落したのは、それから小一時間ほど後だった。すぐに、ザルアナック邸からアレクサンドラの無事が届く。
ウェズの推測通り、内通者から情報をもらった首謀者は、囮の騒動を引き起こして騎士たちをニステイス邸に引き付け、その裏でザルアナック伯爵邸へ向かったアレクサンドラを仕留める気だったのだろう。
ちなみに、ミルト曰くの『たまたまそこに居合わせた』フィルが刺客を追って消えたことを知らせてきたのも同じ使いだった。
『……』
騎士団本営から急遽やってきて、ウェズと共にその知らせを聞いていたポトマック副団長が、本来の鉄面皮を盛大に引きつらせたのも珍事なら、ウェズがほんの少しだけアレックスに悪いことをしたような気分になったのも珍事だった。
『容疑のあった人物はすべて抑えました。小隊長、俺もザルアナック伯爵邸に向かっても……』
タイミングがいいのか悪いのか、そこに内通者を捕捉したアレックスが、焦燥の色を隠そうともしないでやってきた。
『……』
さすがにかける言葉が見つからなかったウェズの横で、ポトマックがボソリと、これまた珍しいまでに気の毒そうな表情で告げた一言――。
『刺客を追っていなくなったらしい』
固有名詞も入っていないそのセリフですべてを理解したらしいアレックスの表情は……形容しがたかった。フィルのしでかすことに責任をとらされる立場でなければ思いっきり笑えたのに、とひどく残念に思う。
「きっかけは副団長やアレックスの太刀筋がフィルのものによく似ていたことです。アル・ド・ザルアナックは言わずと知れた有名人ですし、聞けば聞くほどフィルに似ているなあ、と。アレックスにさりげなく聞いても笑うだけ」
正直最初は驚きましたけど、とウェズは笑った。
「決定打はフィルの『師匠は祖父』発言です。となると、あの王太子殿下と打ち解けているのも頷けますし」
そう口にしてから、彼はふと眉根を寄せた。それを誤魔化すかのように、茶目っ気を混ぜて続ける。
「まったくそうは見えませんが、色々と複雑な環境なのかもしれませんね、あいつ」
「ああ、そうは見えないがな」
そう返してポトマックも小さく笑った。
「複雑、か……」
事後処理のためにウェズが部屋を後にした。一人残ったポトマックは、少年の頃に一緒に剣を学んだ、フィルの父でもあるステファン・ド・ザルアナックの顔を思い浮かべる。あれが笑わなくなったこととフィルのその『複雑な環境』は繋がっているのだろう。
フィルの出産で、その母、つまりステファンの妻が死に、一年経たないうちに師はフィルを引き取って育てることにしたと言って騎士団を去った。その後十五年間、師がカザレナを訪れたことは数えるほど。
その娘の話をステファンから耳にしたことも一度もなかった。昨年の師の葬儀でもその娘を見かけなかったというのに、その数ヶ月後、彼女は名を変えて騎士団に入団してきた。
どうやら二人の仲は芳しくないらしいとおぼろげに推測していたのだが……念のためと思って、彼女の入団をステファンに告げた時、わかりにくいながらも彼は安堵していたように思う。
その後も王城を訪れる度に、不自然なほどの頻度で彼と顔を合わせるようになった。何を言ってくるわけでも訊いてくるわけでもないが、それとなく『元気だ、上手くやっている』と仄めかしてやると姿を消すから、恐らくそれが目的なのだろうと思う。
「……一度、話してみるか」
子を持たない自分に、ステファンとフィルの見るからに複雑な仲が理解できるかどうかはわからない。だが、自分の弟子でもあるアレックスが幸せになるためには、あの二人の問題はきっと避けて通れないのだろう。
* * *
「……あれは強いのだな」
「そのようですね」
「出てくるなとこの私に怒鳴った……いつも怯えているくせに」
「優しい子ですから」
予期せぬ客人は去り、日は既に頂点を越えた。午前のうち部屋に入り込んでいた日の光は、窓辺に温かみを残して後退してしまっている。
「……抜けていて、野性が入っていて……やはり愚かなのだな、心配をかけているらしい」
「ええ、とても可愛がられているようでした」
「危険は回避すると……あんな危なっかしい娘の一体どこを見てそんなセリフを言うのだか」
「信頼されていましたね」
紡ぐように父、ステファンがフィルのことを話す。ここまで彼がフィルを話題にするのは初めてかもしれない。ラーナックは彼の表情をうかがう。
ノックの音が響き、父の許しを得た執事のオラールが扉を開いた。
「旦那さま、騎士団のルーク・ポトマックさまから『二重の協力を感謝する』との使いが。もう一件、フォルデリークさまからも伝言です。『無事に戻ってきています』と」
父の右眉が一瞬跳ね上がった。それからいつもに輪をかけた仏頂面になる。
それを見てラーナックはくすりと笑った。きっと何もかも見透かしたような幼馴染に対する感謝と居心地の悪さ、今朝フィルを迎えに来なかったアレックスに対する怒りと、無事を知らせてくれた心遣いへの感謝とで板ばさみになっているのだろう。
横を見ればオラールもかすかに笑っている。
その対象となった父はため息をついた後、再び口を開いた。
「……だから、だ。あれはあれであのまま放っておけばいい」
「父さま……」
「私には昔から娘などいたことはない」
掠れた自嘲の後に、何かを切り捨てるような冷たい響きの言葉が続く。
ラーナックは愁眉を露にその彼を見つめ、そっと視線を伏せた。室内からは陽の名残の温もりが既に消えつつあった。




