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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第11章 咫尺天涯
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11-20.徒労

 ギリギリの距離を保って極限まで気配を消し、フィルは一人の男の跡をつける。

 男は日の昇った町では逆に目立つ暗色の装束を脱ぎ、特に特徴のない外套を身にまとっている。だが、右手首に負った傷の出血が、まだ止まらないらしい。巻きつけられた手首の布が、徐々に鈍色に染まっていくのが遠目に窺えた。吹いてきた風にはかすかな血臭が混ざっている。

 それを気にかける人がいないカザレナという場所をひどく奇妙に思う一方で、フィルはそんな街の恩恵に預かっている。

 ザルアの森の中で魔物や鹿などの動物を付け回すのに比べれば相手の警戒は段違いに劣るし、フィルの気配自体も雑踏で紛れてしまうからかなり尾行しやすい。非番で騎士団の制服を着ていなかったことも幸いした。

「幸い……?」

 ――だったのだろうか、本当に……?

 町人を装うために朝ごはんにもなると買った露店売りのサンドイッチを頬張りながら、フィルは顔を引き攣らせた。

 霧に紛れて逃げようとする一味の一人を、咄嗟に思いついて、わざと逃がし、その跡をつけることにした。我ながらものすごくいい考えだと思った。これで犯人を捕まえることができれば、アレクはようやく安全になると思った。

 のだけれど……。

「アレックス、迎えに来るって言っていたよね……?」

 そうだ、自分はその彼をものすごく神妙な心持ちで待っていたはずだ――それがなぜこんなことに……?

 フィルを知る人間が聞けば、何を今更と言うこと請け合いの思い付きに、フィルはごくりとつばを飲み込む。

「ひょっとして、す、すっぽかしたことになるんじゃ」

 そして、さらにそう思いついて青ざめた。

(ああ、でも、アレクは「アレックスは来ない」と言っていたし……)

 いやでもアレックスが約束を破るとは思えない。

(で、でも、あの場にはミルトさんもオッズもいたし、きっとやむをえない事情があったとアレックスもわかってくれるはず……)

 いやでもそもそも勝手に出てきて『やむをえない』事情になるのか……?

「……うぅ」

 一人自問自答を繰り返して、呻いてしまってから、フィルははっと我に返った。慌てて目標に意識を戻す。

 考え事をしながら尾行――相手がネルとメルなら今頃木の上から逆さ吊りコースだ、と顔をしかめる。


 とりあえず目の前のことに集中すると決めて、フィルは刺客の入っていった屋敷の前を何気なさを装いつつ通り過ぎた。

「……」

 この辺は王都の中でも裕福な者たちが住む住宅地で、高い生垣や鉄柵に囲まれた高級そうな邸宅が立ち並んでいる。だが、男が入っていった屋敷は古く、小ぢんまりしていて人気があまりない。地味さが逆に人目を引く。

「ええと……」

 その屋敷の主を思い出そうとして、フィルは数秒後、自嘲とともに諦めた。

 そういう情報が自分の頭によく残っていた例がない。アレックスに聞けばなんとかなるから、まあいいやと思っていた。そう気付いて反省する。

(……よし)

 周囲から人通りが絶えた。誰もいないと確信するなり、フィルはひらりと生垣を越えて屋敷の中へと忍び込んだ。



 * * *



「このっ、馬鹿……っ!」

 昼過ぎのニステイス伯爵邸。第一小隊のある者は同様に怒り、ある者は苦笑し、ある者は呆れて、ある者は楽しんで、フィルを怒鳴りつけるウェズ小隊長の声に扉越しに聞き入っている。


 その扉の内で、フィルは額からだらだらと汗を流して直立していた。

 正面に座るポトマック副団長に表情の変化は見られないが、怒りのオーラが流れてくるのをひしひしと感じる。

「……」

 教訓――怒った上官はいつものことながら恐ろしい。


 壁に張りついて窓越しに窺ったあの屋敷の中には、わずかながら人がいた。といっても屋敷自体にやはり生活の気配はない。フィルがつけていた刺客は、そのうちの一室に集まっていた、身なりのいい人々に手ひどい扱いと罵倒を受け、続いて部屋に入ってきた屈強そうな男たちに拘束されて室外に連れ出された。

 死角となる位置に身を置き直し、気配を消したフィルは、そのまま残った男たちの会話に耳を澄ませる。聞き取れた会話の内容に、『ニステイス家』『斎姫』『トスベ銀鉱』『神託』『トウラン家』という単語が並ぶ。それらをつなぎ合わせて、今回の騒動の発端は、斎姫が湖西地方トスベ銀鉱山の鉱業権を『神託』により別の貴族に与えたことらしいと判断する。

 その後、慌しく屋敷から出て行く男たちのうち、一際偉そうな、でも顔色の悪い一名の跡をつけて行き着いたのは、ひどく悪趣味な屋敷。出迎えた屋敷の者の様子からするに、あの男はどうやらそこの主のようだった。当然持ち主なんて知らないから、とりあえず位置だけ覚えて戻ってきてみた。後で誰かに訊けばいいか、と。


 で――今に至る。


「独断の誹りは免れないが、刺客の跡をつけたことまではまだよしとしてやる。なぜその後、真っ先に知らせに来なかった……? 邸内に罠が張られでもしていたらどうするつもりだったんだ!」

 人気が少なかったから、刺客が素人臭かったから、万が一見つかっても自分なら逃げ出せるから、屋敷に侵入しても害はないと判断した、だって、さっさと何とかしたかった。

 ――のだけれど、それは一人の騎士、しかもフィルのする仕事ではない。

「……」

 だが、そう口にすれば、「わかっていてなぜやった!?」と火に油を注ぐことになるのは確実だ。

 そこでフィルは口を貝のように閉じて押し黙る。

 この辺は小さな頃から怒られ慣れた者の感覚だ。空気を誤らずに読んで小言を最小限に減らす――我ながら姑息だと思うが、背に腹は代えられない。


「襲撃の直接証拠になったと言えなくもないが、」

 そんなウェズ小隊長の小言がひと段落した瞬間、今度はポトマック副団長の静かな声が響いた。声音はいつもどおりだが、それでもなんだか少しお疲れの様子。聞けばこっちはこっちで襲撃を受けていたというから、あれこれ大変なのだろう。

「そんなことをせずとも、既に十分な証拠が挙がっている。お前が行き着いたのは、間違いなくモイセン子爵邸だ」

「……へ?」

 目の前の書類を顎でさすポトマックの副団長へと顔を上げてから、フィルは激しく後悔した。

 目を合わせないほうが幸せな状況というのは世の中あるものだ。情けないと祖父は嘆くだろうが。

(それにしても……)

とフィルは書類の山を見つめる。

(そうか、無駄だったのか……。せっかく少しはアレクの役に立つかもって頑張ったのに……)

 ずずんと沈む。

 が、それで容赦してくれる気は微塵もないらしい。ポトマック副団長は「その証拠のことだが、」とくぐもった低い声でさらに続けた。

「誰が揃えたか知りたいか……?」

「い、いえ、遠慮しときます」

 無表情に言われて、フィルは音を立てて首を横に振った。

 はっきり聞かない方が幸せなことというのは世の中あるものだ。逃避だと祖父は悲しむだろうが。

(それにしても……)

と限界まで眉尻を落とす。

(そうか、余計なことだったのか……そう、それでアレックスとの約束をすっぽかして……)

 ずずずんとさらに沈んだ。

「ったく、こっちの気も知らないで」

 死んだような顔でどんよりするフィルを前に、ウェズがブツブツ呟く。そこにポトマックのあからさまなため息が重なった。


 ポトマック副団長が自身も渋い顔をしながらも助け舟を出してくれて、何とかウェズ小隊長の小言が終わった。

「……失礼します」

 フィルは精神的にヨレヨレになったまま、呻くような声で挨拶を残すとようやく部屋の扉を開ける。そして……

「う」

 再び硬直した。その拍子に我ながら奇妙な音が喉から転がり出る。

 扉の目の前、笑うばかりで助けてくれる気は皆無らしい、他の小隊員たちの間。

 廊下の壁に背を預け、長い腕と足をそれぞれ優雅に組み、さらさらの黒髪の間からこちらを見ている切れ長の青い瞳。

「……」

 教訓――黙ってただこっちを見ているアレックスは、怒った上官よりもっとずっと恐ろしい。

 ちなみに、あれはただ見ているだけであって睨んでいるのではないと、切実に思いたい。



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