11-19.思惑
「お嬢さま? いかがなさいました?」
「フィル、どうし――」
「出てくるなっ」
御者の悲鳴のせいか、ザルアナック伯爵邸内の人間が異常に気付いたらしい。屋敷の扉が開いた。
(助かった)
敵の注意が一瞬逸れた。その隙にフィルはアレクサンドラの身を抱えて屋敷へと走る。降り注ぎ始めた矢の雨を剣でなぎ払いつつ、玄関ホールに飛び込めば、すぐ背後の扉でカカッと音が立った。
「閉めてっ」
執事のオラールが弾かれるように動き、派手な音を立てて扉を閉めた。ほっと息を吐き出せば、扉に突き刺さった二本の矢を見て兄が青ざめている。その背後に……父。
「っ」
驚きで上がりそうになった声を、培った剣士としての習性ゆえにのみ込むと、フィルは「すみません、彼女をお願いします」と言い残して、脇の窓へと走った。
「出たら、鍵をかけてください」
「フィリシアっ」
窓を押し開くなり、外に飛び出す。絶叫に似た声に背後から名を呼ばれたけれど、応じる余裕はなかった。
(――これで一人)
先ほど矢を射かけてきた影の一つへと窓枠から跳躍し、一撃で仕留める。
「っ、あっちだっ」
別方向から射掛けられた矢を剣で防ぎ、直後にその方向にナイフを投げた。鈍い音と共にうめき声が聞こえる。
「……射るな。矢の起点を狙って反撃してくる」
霧の向こうから警告が聞こえた。昇り始めた朝日のオレンジとまだ消え去っていない夜の名残の黒に霧が加わって、敵を視認しづらい。
(八名、玄関前に二、馬車の手前に二、道向こうに四……距離感が測りにくい)
そのつもりで褪せた色合いの服を着ているのだろう、とフィルは眉を顰める。相手はこういう仕事を商売とする人間のようだ。
警戒を高めれば、刺客たちの影がこちらににじり寄ってきた。
霧の奥に更なる伏兵がいないことをフィルは密かに祈る。
先頭の一人が足を踏み出した。その足が着地する寸前に切りかかる。
一気に間合いを詰め、相手の剣が自分へと到達する前に、その利き腕手首を刺し貫いた。彼が取り落とした剣が、地面に至って硬質の音を奏でる。
返す剣で自らの頭へと振り下ろされた別の一撃を受け止める。直後に身を右へと抜き、かち合った剣に力を籠めてきていた相手の体の重心を崩した。
「……っ」
息を吐きながら、左足でその横腹を蹴り飛ばし、左方から襲い掛かってこようとしていた別の刺客への盾とする。
そうして二名の戦闘力を一時的に殺すと、背後から迫る一名の喉笛を振り向きざまに下段から薙ぎ払った。
霧の白に朱が弧の残像を描き、一瞬遅れてあたりに血臭が立ち込める。
残る刺客たちから強い警戒を向けられるのを肌で感じながら、フィルは円を描くように足を運んだ。残る六名から間合いを保ちつつ、霧越しにその動きを注視する。
「……」
彼らはそれなりに訓練されているが、騎士が苦戦するほどではない。問題は……、
(狙いが自分じゃないというのは厄介だな)
フィルはじりじりと包囲を狭めてくる刺客たちを見据え、目を眇めた。
懸念は当たった。フィルを包囲する四名を残して、他が霧に乗じて動き出す。行き先は屋敷の裏口と見て、舌打ちを漏らした。
(いっそ邸内に入るか……? いや、ここで相手に背を向けるのも愚策なら、複数の人間を庇いながらというのも賢い方法じゃない……)
時間稼ぎと注意を引くことを企図して、フィルは懐のナイフに手を伸ばすと、視界から消えようとしている刺客へ投げつけた。
(すべきことを最速で片付けていくしかない――)
同時に自分を囲む一人へと自ら仕掛けた。
「っ」
のけぞりながら、男はフィルの突き出した剣先を何とか弾く。だが、バランスを崩した。体を低め、腹を凪ぐ。
「アレクサンドラ嬢!」
「どこだ!?」
ひづめの音が覚えのある声と共に近づいてきた。
「っ、ミルトさんっ、オッズっ、こっちですっ」
敵の間に動揺が広がった。その隙をついてフィルはまた一人を屠り、裏口に向かった刺客を追った。
* * *
ザルアナック伯爵邸の応接室。早朝突然現れた客と異常な殺戮の光景にも、この屋敷の執事はうろたえることなく応対した。
暖炉には暖かな火が灯され、アレクサンドラとその横に座るこの屋敷の嫡男である青年、そして騎士団の二名に温かな茶と甘みの強い菓子が差し出される。
続いて執事は、別室で手当てを受ける怪我をした御者の元にもそれらを運んでいった。
「アレクサンドラ嬢、お怪我は?」
青ざめているアレクサンドラに、ミルトは事務的に訊ねたが、彼女は震えたまま口を開かない。
「……勝手に出歩いたんだから、当然の報いだけどな」
ぼそりと呟かれたオッズの嫌味にも、反応出来ないようだった。
温まった室内の空気が、小さな音と共に開いた扉に掻き混ぜられる。
「ザルアナック伯爵、ご協力感謝いたします」
アレクサンドラの様子に諦めと呆れの溜め息をついていたミルトとオッズは、現れた寝巻き姿のザルアナック家当主に一瞬で顔を引き締めた。立ち上がって頭を垂れる。
「騎士団の方、フィリ……ディラン殿はいかがなされた?」
落ち着いた声ではあったが、顔色はお世辞にも良いものとは言い難い。
(いきなりうちの前が血の海となったんだ、災難だよなあ)
同情しながら、問いかけられたオッズは背を正した。
「我が団の者についてはお気遣いなく。お騒がせして申し訳ありません」
実際、刺客のほとんどを難なく片付けた後、フィルは「ちょっと行ってきます」とただ一言を残して、霧の中に消えたのだ。
(あいつの腕だし心配はしてねえけど、今度は一体何をする気なのかね……。うちの隊長も事が起きた時は容赦ねえからなあ……)
伏せた顔の口の片端が知らぬ間に上がった。
騎士団第一小隊の長であるウェズは、普段はおちゃらけた、情に篤い人だが、非常時には冷徹だ。
先ほどニステイス伯爵邸が放火と襲撃を同時に受けた時もそうだった。事情を知っていないはずはないだろうに、早朝に出かけたというアレクサンドラを追おうとしていたアレックスを制し、代わりに馬の扱いが上手いというだけの理由で、オッズとミルトを差し向けた。
今頃その彼に使われて、ニステイス邸でのあれこれを片付けているだろうアレックスに、オッズは彼にしては珍しいまでの真剣な同情を寄せる。
(ただでさえこき使われてるのに、早く片付けようって働き通し。それもこれも全部フィルのためだってのに、当の本人は迎えにくるっていうアレックスを放って、刺客を追っかけていった、と……)
「……後で奢ってやるか」
思わずつぶやいてしまった。あいつは本当にとんでもないのに惚れている。
「ぅ」
下げた頭を戻したオッズは、伯爵の眉間に縦じわが刻みこまれているのを見て、これまた珍しく一瞬怯んだ。
(さすがは英雄アル・ド・ザルアナックの息子ってとこか。剣は嗜まないっつー話だけど、やっぱ迫力あるわ……)
微妙に顔を引きつらせつつも、オッズはなんとか言葉を探しあてる。
「いえ、本当に。あいつ、ディランの強さは半端じゃありませんから。それ以外のところが少し、いやかなり抜けていますので、こうして単独で動いたりしますが、野性が入っているおかげか、最悪の危険はきっちりと回避します」
「お気遣いありがとうございます」と締めくくったオッズに、だが、伯爵は形容しがたい表情を見せた。
ニステイスの斎姫の横で顔を伏せているザルアナック家嫡男の肩が震えているのも、気にかかると言えば気にかかる。
「……?」
(そういや、なんでこいつはザルアナック邸に居たんだ?)
ウェズが「ザルアナック伯爵邸に向かえ」と言っていたことを思い出して、オッズは首を傾げる。
(しかもなんでまたフィルが一緒?)
震えたままの斎姫を横目で捕らえて、オッズは伯爵に訊ねる。
「ザルアナック伯爵、アレクサンドラ嬢とお知り合いですか? それにディランとも……」
(げ)
伯爵の眉間に再び縦じわが戻るのを認めて、オッズはさらに珍しいことに後悔した。
「正確には僕がアレクサンドラ嬢と知り合いなんだ」
伯爵が口を開く前に顔を上げた子息は、オッズでさえ一瞬魅入ってしまうような美しい顔で微笑んで、「あまりその辺は突っ込まないでもらえるとありがたいな」と続けた。
「……はあ」
(じゃあ、このいけ好かない女と、この浮世離れした兄ちゃんが秘密の恋仲ってことか? となると、こいつがアレックスに付きまとってたのは、貴族の事情って奴……?)
そう考えつつも何かが引っかかって、オッズは更に首をひねる。
「ディラン殿はここを通りがかっただけのようだよ。君たちを訪ねて行くところだったんじゃないかな、ニステイス邸の方向に向かっていたようだから」
だが、続いた彼の言葉と小さな微笑に、オッズはミルトと視線を交わし、にやりと笑い合った。フィルが会いに行こうとしていた人間に、もちろん心当たりがあったから。
そうして二人が気を緩めたところに響いたのは、地を這うような伯爵の声だった。
「アレクサンダー・エル・フォルデリークは?」
「う」
「げ」
人の頭の中を読んだかのように出してきた名は、騎士団の二人の笑みを凍りつかせるのに十分な声音だったが、またもや嫡男ラーナックの救いが入る。
「父の古い知り合いの息子さんなんだ。君たちと同じ小隊にいると聞いているから」
にこやかに笑う、オッズと同じ歳だというこの青年の人当たりはとても柔らかい。周囲の、というより、伯爵から発せられる空気を嘘のように和ませてくれる。
「ほんとに親子かよ……」
思わずもらしたオッズを肘でつついた年長のミルトが、片頬を引きつらせつつも何とか体裁を繕う。
「ニステイス邸の方も大規模な襲撃を受けまして、フォルデリークはそちらの方に」
斎姫が小さな悲鳴を上げて倒れたのは、ミルトが「もちろん彼も無事なはずです」と伯爵に告げるのとほぼ同時だった。




