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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第11章 咫尺天涯
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11-17.言葉

 夜会の翌朝。その日の予定を確認するためのミーティング後、解散しようとしている第一小隊の面々を前に、アレックスは頭を下げた。

「今日の晩と明日の朝、一時間ほど勤務を抜けます」

 私事ゆえに任務を放棄する――騎士にとってのその意味がわからないわけではもちろんなかったが、叱責にも罰則にも気を払う気にはなれない。

「ご迷惑をおかけします」

 ただ、不測の事態に備えて、彼らには告げておくべきだと判断しただけのことで、正直なところ相手の反応に興味などなかった。

「……」

 会議用にとニステイス家から割り当てられた室内は、第一小隊員たちの集まりにしては不自然なまでに静まり返っていた。


「……くっ、あははははっ」

 言うべきことは言った、と踵を返した瞬間に響いたのは、目の前でアレックスを見つめていた、ウェズ・シェイアス第一小隊長の笑い声だった。

「せ、宣言しやがった! いきなりそれかよ!? あのなあ、俺、仮にもお前の上官だぞ? 上辺だけでも許可を求める形をとれっての。なんてそう極端なんだよ」

「……」

 予想外のことに目をみはる間に、笑いは背後の小隊員たちにも広がっていった。

「おう、行ってこい。てか、もっと早く行っときゃよかったのに」

「ほんと、変に二人とも真面目だから」

「これですっきりしますね」

 こっちを見ての苦笑に頭が真っ白になる。そのアレックスに彼らは――らしいと言えば彼ららしいことに――一様に人の悪い笑みを浮かべた。

「本当に不器用にもほどがある」

「だから、昨日も失敗したってことだろ」

 図星を突かれて思わず顔を歪めると、彼らはますます笑いを深めた。

「あははは、あたったらしいぞ。フィルに逃げられたってさ」

「ほんと、フィルが来てからイメージ台無しだな、アレックス」

(……これにどう返すべきなのだろう……)

 呆気にとられたものの、隙を見せてはいけないという、貴族の出の者ならば誰もが身に叩き込まれている習慣に従って、なんとか口を開いた。

 その瞬間を見計らったようにイオニアがにやりと笑う。「俺たちは皆フィルが女だと知ってた」と。

 続いて、「途中まで男だと思ってたけどなあ」「そうとしか見えなかったもん」と楽しげな声が、そこかしこから上がった。

「アレックスといい感じなのもとっくに気がついていたよ」とのザルクの言を受けて、「だってばればれだし」とオッズがにやっと笑い、「そもそもフィルが『例の子』だもんな」と小声で付け足した。思わず睨めば、彼は盛大に噴き出したが。

「今回のことがお前がらみなのも当然予想済み」とやはりミルトが言い、「だから俺たちもさっさとこの件を片付けようと必死だったんだが、中々うまく進まなかったな。悪い」とヘルセンが苦笑を零している。

「お前にとってどうしようもなく大事なことなんだろ? なら、どこにでも行って、思うようにやってくりゃいいさ」

「ばれなきゃなんだってありだ。こっちのことを心配する必要もねえよ」

「おう、俺らそういうの得意だしな」

(つまり……自由にしていい……?)

 アレックスはその場の全員の顔を見渡し、今度こそ呆然とした。

「何呆けた顔してんだ、アレックス」

「……」

 イオニアの声に、彼に視線を戻す。騎士団への入団以降フィルが来るまで、相方としてずっと世話になった人だ。そのまなざしに、この人がいつもこうやって見守っていてくれたこと思い出す。多分ものすごく心配してくれていた、そうと感じさせないように――そう実感する。


 そんな隊員たちの様子を苦笑と共に見ていたウェズ小隊長が、アレックスへと改めて顔を向けた。

「うまくやってこいよ、フィルもお前もうちの大事な面子なんだから」

「……ありがとうございます」

 他の仲間たちがやはり笑って頷くのを見、アレックスは唇を引き結ぶと、頭を下げる。そして、何とか声を絞り出した。


 歳も出身も性格も得手不得手も何もかも異なる第一小隊は、隊長を始めとして変人の集まりだと称されている。相手が誰であろうと、彼らは基本的に全部受け入れてしまって、気にしない。それゆえかアレックスにも居心地のいい空間だった。

(それだけじゃなかったんだな……)

 今初めてそう悟った。

 何もかも完璧にこなせなくてはいけない、隙を見せてはいけない、それができないことは許されない――貴族社会では当たり前にそう要求される。アレックス自身、そのつもりで生きてきた。

 物事を上手くこなせない時、それが叱責も失望もなしに受け入れられるなどと、まして、助けが得られるなどと考えたことはなかった。だが、この人たちは違うのだ、と改めて知る。

 こんな環境に恵まれたことに、体の芯が温まっていく。

「……失礼します」

 相変わらずにぎやかに笑っている彼らにもう一度礼をとり、部屋を出た。閉めた扉を背に、息を吐き出す。


 すべて十年近く前のフィルとの出会いがはじまりだ。何もかも諦めて手足を縮めていたアレックスに別の世界を見せ、足を踏み出すよう、手を引っ張ってくれた。そうしてこんなに多くのものを教えてくれた。

「フィル……」

 だから今度こそちゃんと彼女と話をしよう。抱えている思いも、伝えていないこともすべて伝えて、その上で側にいて欲しいと、そう彼女に告げよう。

 絶対に放さない、放せないとわかっているのだから、その為に今度こそ必要なことをしなくてはいけない。

 そして――今度こそ本当の意味で彼女を手に入れる。



 * * *



(……頭、痛い)

 目蓋も重たい。窓から差し込む、もう沈んでしまった暗い夕日の名残すら目に痛い。ずっと昔、こんなことが何度かあった。

「……泣きすぎだ」

 もう十八になろうというのに、剣士なのに――。

 フィルはザルアナック伯爵家の邸のベッドの上で寝返りを打ち、肌触りのいい枕に抱きついた。


「……」

 昨晩、もう枯れてもいいだろうというくらい泣いて、挙げ句の果てに、ここで兄を相手にウジウジしながら半日過ごしたのに、また涙腺が緩んだ。

 それを止めようと、何度も何度も自分に言い聞かせるように呟いている言葉を、フィルはまた繰り返す。

「だってアレクだし……あのアレクならきっとアレックスも……」

 あの彼女だ。優しくて思慮深くて、フィルのこともいっぱい色々考えて大事にしてくれた彼女だ。

(あの彼女ならアレックスだって、きっと私と一緒にいるより……)

「っ、……うー」

 そう考えて、またぼたぼた雫を零した。諦めが悪い、格好悪い、そう思うのに止まらない。大好きな人たちが笑ってくれるならそれでいいはずなのに、と思うと余計情けなくなる。


『それに彼だけなの、私の身体についた傷を見ても愛していると、奇麗だと言ってくれる人は』

 アレクが自分にはアレックスしかいないと言っていたことを思い出して、さらに凹む。

 フィルがヒュドラからアレクをちゃんと守れなかったせいで、彼女が苦しんでいたという事実が痛い。そして、アレックスが触れたのがフィルだけじゃなかったということも、愛していると言われたことが一度もないということも――。

(つまり、私はアレックスの特別じゃない……)

 顔を枕にぎゅっと押し付ける。


 それだけじゃない。アレクとアレックスは婚約していて、それでアレックスには何かいいことが一杯あるらしい。

 対照的にフィルのほうはどうだ? これまで彼に迷惑をかけるばかりで、しかも、この先もそうなりそうだ。

(だから、私では駄目で、アレックスの大事なただ一人にはなれない。だから、アレックスを自分が諦めれば、きっとアレックスはアレクともっと幸せになる。アレクだって、それでいっぱい笑ってくれる……)

「もういいよね……」

 洟を啜って確かめるように呟く。もうしんどい、もうつらい、もう考えたくない――。


 頭の片隅が囁く。

 ――モウアキラメテシマエ

(だってそうすれば、今のこの状態からは少なくとも解放される。こんなのはもう嫌だ……)

 ――ナヤムヒツヨウハナイ

(だってアレックスだって、私をそんなに好きではないのだから。一人で頑張ったって仕方がない……)

 ――ソノホウガラク

(だってそうすれば、私じゃ駄目かもって怯えることはなくなる。彼に相応しいかどうか考えて、不安になることだってなくなる……)

 ――ソノホウガカレハシアワセニナル

(だって私じゃないほうが、アレックスは幸せになるって……)

「……?」

 ふと違和感が頭を掠めて、フィルは目がちかちかするほどの力で枕に押し付けていた顔を上げた。

 先ほどまで部屋に差し込んでいた光はもう失われ、代わりに雲が陽の名残に紅く輝き、空を彩っている。

「幸せになる、アレックスが……」

(誰が、そう言った……?)

『その人に会っていない時に、周囲から得た情報だけでその人を判断することはよしたほうがいい』

(そう言ったのは、確か……)


 室内に響いたノックの音に我に返った。

 兄だろうか? だが、彼はちょっと用事があって出てくる、夕食までには戻ると言って出かけて行ったばかりだ。

 では、執事のオラールさんか侍女の誰かだろうか? オラールさんはザルアの別邸を管理するオットーとターニャの息子で、とても人当たりの柔らかい男性だ。昨日も兄に連れられて突然やってきたフィルに、『父と母が見たら、ザルアに戻れと騒ぎ出しそうですね』と優しく微笑みながら、ココアを淹れてくれた。それがターニャのものと同じ味で、フィルはまた泣きそうになった。

 自分でできることは自分でやれ、というのが、祖父の口癖だったせいもあるのだろうけれど、ここにいるのは、その執事のオラールさんと奥さん、侍女三名とそのうちの一人の娘だけ。しかも彼らは滅多に主人たちに構わない。

 その彼らが何の用事だろう、と首を傾げながら、フィルは袖でごしごしと目元を拭って扉に近づく。


「フィル、いるんだろう?」

「っ」

 ドア越しに響いた低い声に、息をのんだ。

(なんで、なんでここに……)

 体が凍りついたかのように動かない。心臓の拍動だけが早まっていく。

「フィル……」

(アレックス、だ、本当に……)

 もう一度声を聞いて確信する。そして、名を呼ばれてしまったことで、はっきり思い知らされた。

(どう、しよう、やっぱり……好き、だ)

「……っ」

 涙がぽたぽたと落ちた。

「そのままでいいから聞いてくれ」

 アレックスがそこにいる、それだけでこんなに苦しい。声が聞ける、それだけで全身が震えてしまう。


「フィル、愛している」

 そっと扉に手が置かれる気配と共に囁かれて、また息を止めた。

「愛している」

 言葉は簡潔に、けれど強く繰り返された。拳を握ったのかもしれない、扉が小さく音を立てた。

「フィルのいない人生なんて、もう考えられない。フィルがいなければ、俺は生きている意味を失う。だから側に、俺の側にずっと居て欲しい、どこにも行かないでくれ……」

 掠れたような声が続いた。


「……」

 欲しかった言葉のはずなのに、体が震えるばかりで、その意味をちゃんと消化できていない気がする。

 それなのに、頭とは別の部分が感応し始める。頬を流れ落ちた滴が、首を、胸を、手を、足を次々と濡らしていく。

「俺がいない間に、いない場所で、頼むから一人で泣かないで欲しい。一人で結論を出してしまわないで欲しい。フィル、話したい。たくさん、本当にたくさん話したいことがあるんだ……」

「っ」

 声をあげて泣いてしまいそうになって、フィルは咄嗟に手で口を押さえる。

「フィル」

 優しいのに抗いがたいほど強い響きを含んだ声に、再度名を呼ばれた。

「明日の朝、迎えに来る。その時、顔を見てもう一度伝えるから――」


 アレックスの気配が、ゆっくり遠ざかって行く。

「……」

 扉の内側で、フィルは右手の甲を唇に押し当てたまま、床にへたり込んだ。



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