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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第11章 咫尺天涯
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11-12.真実と嘘

「他の誰でもない、フィルに俺の側にいて欲しい」

 鼓膜に直接響いた声は、怖いぐらいに真剣だった。

 普段と違って丁寧に整えられた黒髪、その間からのぞく青い瞳。目の前の彼がいつもとは違った男の人のように感じてしまう。

 馴染みのない盛装姿のアレックスを最初に見つけた時もすごく緊張した。でも今は緊張どころじゃない。自分を包み込んでいる彼から伝わる体温に、何一つ考えられなくなっていく。

「……アレックス」

 何とか搾り出した彼の名は、うるさいほど早い心臓の音に紛れて、自分の声ではないように響いた。

 それだけじゃない、さらに詰められる顔の距離に、周囲の音すべてが遠ざかっていく気がする。

「アレクサンダーさま」

「アレクサンダー殿、よろしいですかな?」

「っ」

 けれど、踊りのための動きをやめた瞬間、方々から近づいてくる人の気配にフィルはようやく我に返った。


「そちらの方は……」

「確か騎士団の方では?」

「女性でいらっしゃいましたか……気付きませんでした」

「……ぅ」

 彼らから向けられる目つきに、背筋がぞくっとした。小さく舌打ちしたアレックスは、その人たちの方へと身を捻りながら半歩前に進み出る。

「え……、っと」

 腰に置かれた腕に背後へ回され、彼の身で周囲からの視線が遮られる。

「……」

 結果、体が彼に密着してしまったけれど、恥ずかしさより、離れなくてはいけないという良識より、彼から伝わってくる温もりに気を取られた。

「しばらく遠慮願えませんか?」

 頭上から響く低い声と、鼻腔に届く彼の香り――離れていたのは十日にも満たない時間だったのに、どうしようもなく懐かしくなる。

「……」

 無意識に彼の上衣の背をつかめば、厳しい顔をしていたアレックスが振り返った。目が合って、彼が表情を緩ませるのにつられて微笑む。

「それにしても驚きました、女性が騎士団にいらっしゃるとは」

「アレクサンダー殿と随分と仲がよくていらっしゃるようで」

「本当に。お二人の馴れ初めは、騎士団でということでしょうか。今後のことなど詳しくお話をうかがいたいものです。フォルデリーク公爵はご存じで?」

 周りの人々から向けられる口調は穏やかなのに、空気には確かに険がある。同じように感じたのだろう。アレックスがまた険しく目を眇め、彼らへと向き直った。


「アレクサンダー」

 そんな妙な気配が一瞬で霧散した。

「申し訳ないが、通していただきたい」

(……おお、すごい)

 アレックスの背から顔を出せば、目の前で人垣が自然に開いていく。

 黒髪に青い目、アレックスよりかなり細身だけど、よく似た容貌をしているその人に覚えがあった。アレックスのお兄さんだ。以前街中で出会ったことがある。

 彼は小さく、けれどちゃんと優しそうな感じでアレックスに笑いかけつつ、こちらへと歩いてきた。


(アレクだ……)

 その彼の背後にいたから、さらに細い女性の影が出てきた。フィルは息を止め、彼女にすべての意識を向ける。

 腰を超える長い黒髪が、彼女の動きに遅れて扇を宙に描く。陶磁器もかくやというほどの白い肌に、目を奪われるまでに色づいた唇、小さな卵形の顔、それから……記憶の中のものと同じ青色の瞳。

(こうやって改めて見ても本当に美人……)

 皆そう思うのだろう、さっきまでフィルたちに向いていた視線が今は彼女に集中していた。

(……あ)

 その彼女は振り返ったアレックスのお兄さんを見上げて、幸せそうに微笑んだ。お兄さんも柔らかく笑い返す。

 覚えのある微笑み合いにフィルは、目を瞬かせた。

(ええと、今、アレックスのお兄さんとアレクが一緒にいて、あんなふうということは……)

「……」

 問題はそこじゃない、と思っていたはずなのにほっとしてしまって、知らず今日までの緊張が緩んでいく。


「二度目だね。フィル、だったよね?」

「あ、はい、こ、こんばんは」

 アレクに見蕩れている間に、いつの間にか身近になっていたアレックスのお兄さんに話しかけられて、フィルは慌てて彼へと顔を向けた。

「……」

「?」

(……何、今の?)

 そして、自分に向けられた、なんだか懐かしいものを見るような不思議な目つきに、思わず首を傾げた。

「そのような振る舞いは誤解を生むのでは、アレクサンダー殿?」

 もっともその違和感は、同じく人垣を割いて現れたロンデール副近衛騎士団長の声と……、

「…………フィル?」

 次いで横からごく小さく響いた声に、すぐに掻き消されてしまった。


(今、呼んでくれた……)

 ざわめきが大きくなっていくし、その中心にいるアレックスたちのことも気にならないわけじゃない。

 だが、フィルの注意はアレクに向いた。彼女があの綺麗な瞳で自分をじっと見つめてくれている。それが本当に嬉しい。

「本当にあのフィル……?」

 目を見開き、大人になってさらに美人になったアレクが訊ねてくる。

「うん、そうだよ」

 ――覚えてくれていた、思い出してくれた。

 その目に驚きが走るのを見て、全身が幸せで埋め尽くされた。続きの言葉がうまく出てこなくて繰り返し頷き、満面の笑みを返す。

「嘘、みたい……まさかまた、しかもこんなところで会えるなんて……」

 自分を見つめたまま踏み出してきたアレクに応じたくて、フィルも彼女に歩み寄る。彼女が細く白い指で、フィルの手を取ってぎゅっと握った。

「嬉しい」

 ふわりと笑う笑顔が記憶に重なった。

(ああ、アレクだ。髪も目も笑顔も変わってない。……そう、か、「本当にフィル?」ってことは、アレクは私だと知って私を護衛から外したわけじゃないんだ)

 そう知ってさらに嬉しくなる。

「……うん、私もすごく嬉しい。私もずっとアレクに会いたかった」

 会えたことも今やっと再会が喜べるようになったことも、ひどく幸せだった。


「久しくお会いしていませんでしたね、アンドリュー殿」

「……ええ、スペリオス殿、ご壮健そうで何よりです」

 仲良く話し始めたアレックスたちの声を聞くともなしに聞きながら、アレクと「元気だった?」「ええ、フィルは?」などと小声で会話する。


「……ねえ、二人でゆっくり話をしない?」

 周りに視線をめぐらせた後、不意にアレクが居心地悪そうに囁いた。

 フィルたちを取り囲む人々のほとんどは、アレックスたちのやり取りを見ているけれど、それでも一部はこちらをちらちらとうかがっている。

「あ、うん」

 アレクにそんな顔をさせておくのはもちろん嫌だったし、何より彼女と二人で話ができるというのはフィルにとっても魅力的だった。

 喜んで提案に頷けば、彼女の顔に満面の笑みが広がった。

「……?」

「いつカザレナに戻っていたの?」

 少しだけ違和感が頭を掠めるも、話しかけられて疑問は霧消した。

「ええと、去年の夏」

「嘘、じゃあ私、随分もったいない時間を過ごしたのね」

 アレクサンドラが少しの茶目っ気を見せて、フィルの顔を覗き込んでくる。それがめちゃくちゃ可愛くて、顔が勝手に緩んでしまう。

「外に行きましょう? ここにいると、色々な人が話しかけてくるのですもの」

 そう笑って自分の手を引いていく彼女に、フィルはザルアでの毎日を思い出して自然と笑みを零した。


 その様子を父が眉間に深いしわを刻んだまま見つめていたことにも気付かずに。



 * * *



「アレクサンダー」

 政治的な思惑を含んで自分とフィルの関係、そしてフィルについて探ろうとする貴族たちに囲まれていたアレックスは、兄の呼びかけに知らず息を吐き出した。

 今最も権勢を誇る公爵家の一つ、現王后陛下の実家でもあるフォルデリーク家の跡継ぎとして、彼はアレックスとは比較にならないほどの尊重を周囲から受ける。

 事実、彼がやってきたことで、アレックスとフィルへとぶしつけな視線と言葉を投げかけてきた者たちは怯み、距離をとった。

「二度目だね。フィル、だったよね?」

「あ、はい、こ、こんばんは」

 やって来た兄がフィルに話しかけ、周りがどよめいた。自分とフィルの関係を兄、ひいては父であるフォルデリーク公爵がどう見ているのかという点に、彼らの興味は集中している。

 焦るフィルはともかく、スペリオスがそれに気づいていないわけはない。だが、彼がフィルに向けている目つきと口調は、アレックスに向けられるものと同様ごく好意的だった。

 一見社交的に見えるだけで、彼が人に気を許すことはほとんどないと知っているアレックスは、フェルドリックの先ほどの言葉が杞憂に終わりそうだと感じて胸を撫で下ろす。

 が、次の瞬間、彼は口をつぐみ、じっとフィルを見つめた。

(……なんだ、あの顔)

 アレックスが見たことのない複雑な表情に、また懸念が湧き上がってくる。

 実家同士の繋がりに加え、アレックスがザルアに療養に行ったこともあって、兄は当然フィリシア・フェーナ・ザルアナックを知っている。だが、“フィリシア”に出会ったことはないはずだし、彼女が今ここにいるフィルだということも知らないはず。

(俺がフィルと組んでいることは剣技大会の時に話したが……)

「そのような振る舞いは誤解を生むのでは、アレクサンダー殿?」

 考え事はアンドリュー・バロック・ロンデールの登場によって遮られた。


「誤解も何もご覧の通りの関係です。アンドリュー殿はよくご存知でしょう」

 声の方向へと油断なく表情を作り、体を向けた。

 兄だけじゃない、彼も望まなければ人を寄せ付けないだけのものを持ち合わせている。人々が彼のために道を開け、動向を注視しているのを見て、アレックスは微かに眉根を寄せた。

「それがそもそも、という話でしょう」

 アレックスの返事に苛立ちを押し殺したような声を返してきたロンデールは、それでも顔に笑みを貼りつけている。そして、視線をアレックスの背後――フィルへと注いだ。

 苛立ちが湧き上がって、彼の視線を遮ろうとした瞬間、兄がすっと進み出た。

「久しくお会いしていませんでしたね、アンドリュー殿」

 微妙にロンデールが目を眇めた。

「……ええ、スペリオス殿、ご壮健そうで何よりです」

 明らかにフィルへと意識を向けているロンデールと、兄は軽妙に会話をつなぐ。アレックスや周囲を巻き込み、彼にフィルと接する糸口を与えない。

(大丈夫、スペリオスが裏切るはずがない)

 そんな兄の様子に、アレックスは知らず気を緩めてしまっていたらしい。


「アレク」

「っ」


 喜色を含んだフィルの声にもう一つの名を呼ばれて、一瞬時と場所を忘れた。

 アレックスは弾かれるように背後を振り返る。

「……フィル?」

(――……いない)

 気付けば、すぐそばにいたはずの彼女が消えている。

「……っ」

 嫌な予感に焦りながら、フィルの姿を探す。

「アレックス、どうした?」

「? ……フィル殿は?」

 数拍後、兄たちの戸惑いの声と同時に、ようやく見つけたフィルは会場の遥か向こう。

(……サン、ドラ……?)

 遠めにわかるほどの笑顔をアレクサンドラに向け、その彼女に手を引かれて会場から消えていくところだった。



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