11-8.ヘンリック観察記6
「ヘンリックっ」
よく通る低い声。けれど息が切れ、平静さを明らかに欠いた声音は、いつもの冷静な彼からは想像できないものだ。
それにほっとしそうになるのを抑えながら、ヘンリックは背後を振り返った。
視線の先には予想通り息を乱したアレックスがいて、ヘンリックの反応を待つことなく口を開いた。
「フィルはどうしている?」
「……」
必死な表情といつになく強い語気に少し気後れしたものの、ヘンリックは負けじとアレックスを睨む。
憧れのアレックスにこんなことをするのは、もちろん親友、フィルのためだ。
夕暮れの傾いた日差しを受けて、彼の彫りの深い顔には濃い陰影が落ちていた。
ヘンリックはその顔に、あの晩彼がアレクサンドラ・カダル・ニステイスに縋りつかれていた光景を思い出し、露骨に眉をひそめた。
あの時アレックスに深い考えがあったとは思っていない。助けを求めて怯える人を無碍にできる騎士なんていないだろうし、気心の知れた従妹だからということも、むしろ疚しいことがないからこそだったというのも理解している。
でも、事情をまったく知らないフィルの目の前で、めちゃくちゃ意地が悪い(とヘンリックは決めつけた)あんな斎姫とやらに抱きつかれるままになって……。
(そりゃあフィルだってなんか様子がおかしかったけど、あれは駄目だろう)
ヘンリックは無言のまま、アレックスを睨み続ける。
しかも、何が腹立たしいかと言って、その斎姫ことアレクサンドラ嬢の「神のお告げ」とやらだ。そのせいでフィルは今回の任務から除け者にされ、さらには「女だから外されたらしい」とか噂されて騎士団での居心地まで悪くなった。
今回の件以前に、確かに結構な人たちがフィルは女性だと気付いていた。でもそれはフィルが騎士をしていることを、その人たちが認めているということには必ずしもならない。実際、うやむやな立場でいる彼女を、ただ波風を立てないためだけに知らん顔していた人たちだって多いのだ。
そんな人たちは、コレクト騎士団長が今回こんなふうにフィルを扱ったことで、彼女にどう接したらいいか、余計わからなくなったのだろう。その結果が無視だったり、敬遠だったりするわけで……。
「……」
そう考えると、原因となった斎姫が懐いているアレックスまでもが、憎たらしくなってしまう。もちろん斎姫本人もコレクト団長も許し難いけど。
ついでに言うなら、無断で持ち場を離れることが騎士が一番やっちゃいけないことの一つだって理解しているし、団長命令で斎姫に直で護衛についているからというのも知っているけど。きっと誰よりアレックス本人が、会いたがっているのもわかるけど。
「……」
アレックスがフィルに会ってないのは事実で、それもやっぱり面白くない。
「ヘンリック……」
無言のまま睨むヘンリックに、アレックスが顔を歪めた。続けて「何か……何か言っていなかったか」と縋るように訊かれて、首を横に振った。
主語は抜けていたけど、フィルのことを言っているというのはわかる。いつも冷静なアレックスの表情が崩れることなんて、彼女に関すること以外では見たことがないし。
「……っ」
アレックスが苦痛と焦燥を顔に浮かべた。
王都の外れにある、ここニステイス伯爵邸にお使いに来てから既に四回、ヘンリックは第一小隊の面々に同じ事を訊かれた。曰く『フィルはどうしている?』と。
だから、本当は知っている。第一小隊の全員、特にアレックスがフィルを外した件で斎姫一家を恐ろしく厳しく追及したこと。……うん、まあ、普通じゃ考えられないけど、そこはほら、第一小隊だから。
結局、神のお告げだと先代斎姫のニステイス伯爵夫人が言い張って、最後はコレクト団長に言いつけてやめさせたらしいけど、『胡散臭いにもほどがある』と小隊のイオニア補佐がぶすっとしながら言っていた。『どこの神さんが人の子の性別をいちいち理由に挙げてこの人の護衛はダメなんて馬鹿で暇なお告げを出すんだよ』と。
ちなみに、ウェズ小隊長は『仮に本当にお告げだったとしても、どうでもいいように思うけどな』と不遜なことを言い、その場にいた人たちも皆頷いていた。
(だから、わかってるんだけど、知ってるんだけど……)
「斎姫とどんな関係なんですか?」
アレックスが一瞬ひどく不快そうな顔をした。劇場前では見られなかった表情だ。
「家の都合で昔婚約の話があった従妹、それだけだ。とっくに解消しているし、今後そんな気もない」
アレックスが言い切ったことで少し安心する。だけど……、
「向こうはそうは思ってないんでしょう」
斎姫の両親は両親で、仕事をしているアレックスに散々付きまとっては、婚約の話を持ち出していると言うし、本人は本人でアレックスにべったりらしい。
彼は首を横に振ってから、真っ直ぐヘンリックを見て口を開いた。
「俺には彼女以外意味がない」
「……」
(その彼女が誰のことかは、確かめるまでもないけど……)
すごいセリフをヘンリックが赤面してしまうくらいの真顔で言い切ったアレックスは、けれどその後、目線を外した。
そして、「それに……」と呟いたきり険しく眉を寄せ、次の言葉を飲み込んでしまった。
「まだ何かあるんですか?」
犯人の手がかりを得ようと事情を聴取するウェズ小隊長たちに、ニステイス一家は協力的でないと聞いている。だから、貴族間の事情を独自に探るべく、実家の関係で伝手の多いアレックスは、昼の護衛を終えた後もほとんど寝ないで働いているらしい。
副団長や小隊長の許可も取ってあるらしいから、『普段は実家の伝手借りんの、あいつ嫌がるのにな』とイオニア補佐が苦笑していた通り、彼は彼で早くこの件を終わらせようと必死なのだとは思う。
「……」
さらに眉間の皺を深くしたアレックスにため息をつきながら、ヘンリックはこれ以上の追求を諦めた。
第一小隊の人たちが、彼らのことを散々不器用だと言うけど本当にそうだ。こそっと抜け出してフィルに会いに行ったりしないあたり、この上なくアレックスは要領が悪いと思う。今だって言い訳ぐらいすればいいのに。
(フィルだって、それこそ得意だろうに、アレックスにこっそり会いに行ったりもしてないみたいだし、この二人、変なとこでいい勝負なんだよなあ。お互い怖くて動けないってのもあるのかもしれないけどさ……)
もう一度息を吐き出す。
アレックスが「フィルは……?」と苦しそうに呟いた。
「……」
その顔に少しだけ罪悪感を覚えたが、飲み込む。
本当は知っているのだ。フィルはアレックスに怒っていないし、疑ってもいない。
多分戸惑っているだけ。自信がなくて、アレックスの側に本当に自分がいていいのか考えているだけ。
(まあ、その原因の大半は、むかつくあの斎姫一家がフィルに居場所と自信をなくすように仕向けたせいだけど)
だからまだ容赦できない。
ヘンリックにとってフィルは親友だ。すごくいい奴で、一緒にいると頑張ろう、きっとなんとかなるって思える、本当に特別な存在だ。文字通り命を救われたことだってある。
そのフィルをあれほど思いつめさせたんだ。いくらアレックスが憧れでも、生半可なことじゃ許してやらない。
「ひどく落ち込んでいましたよ。色々考え込んでもいるみたいです」
「それ、は……」
アレックスの顔色が変わった。
「明後日、お城の夜会にフィルもナシュアナ第二王女殿下のエスコートで出るそうです。その時フィルがどうしているか、自分の目で確かめてみたらどうですか?」
「っ」
体の脇にある拳にぎゅっと力を篭めたアレックスに、にっこり微笑む。
「――うかうかしていると、誰かに掻っさらわれるか、もしくは勝手にどっか行っちゃうかしちゃうと思いますよ」
口にした後、間違えた、絶対後者だ、と思ってヘンリックはくすっと笑った。
(フィルは誰かにさらわれるお姫さまなんて柄じゃないよな。きっとどこまでも逞しく自分で歩いてく)
言葉と表情を失ったアレックスをちょっとだけ気の毒に思いながら、踵を返した。
(本当はね、アレックス、フィルは派手にやりました。だから夜会でも多分……)
ニステイス家の敷地外へと足を踏み出しながら、親友の今日を思い出して、ヘンリックはくつくつと笑った。
いつも可愛がってくれる第一小隊員たちがいない中、なぜかフィルを気に入っているらしいスワットソンさんやヘンリックやカイトなどの同期たち、フォトンさんとかグリフィス退治で一緒だった人たち以外の面子に敬遠されて、ぼうっと四日間過ごしていたフィルは、今日になって復活した。
ちなみに、フォトンさんはフィルが女の子だと今回初めて知ったらしい。アレックスと付き合っているというのも気付いてなかったみたいで、めちゃくちゃ驚いていた。その後で、「まあ、どの道フィルはフィルだ」と言ったところは好きだけど、本当に鈍いなって思う。だから、結婚願望があったってチャンスを逃すんだ。
じゃなくて……そう、今日の朝だ。
フィルは、どこからどう見ても女性と見える姿(って変わったのは、胸だけだったんだけど。あ、いやらしい意図はないから、本当に。メアリーに怒られるじゃんか)で、鍛錬場に現れた。
ちょっとビックリした。意外にスタイルいい……じゃなくてっ。(こんなこと思ったって知られたらマジでメアリーに殺される……)
性別を明らかにする気になったらしいフィルは、朝礼のためにそこに出てきていたコレクト騎士団長を見つけなり、周囲からの視線をことごとく無視して、つかつかと彼に近寄っていった。
「団長、質問があります」
ヘンリックはきっちり見ていた。団長はすさまじく動揺していた。
「女性が騎士団に所属してはいけないという規則はありますか?」
良く通る、女性にしては低い、それから騎士に相応しく落ち着いた声。
皆が息を詰めて見つめる中、コレクト団長がぼそぼそと何事かを口にした。
「では、私の仕事に騎士として相応しくない落ち度が何かありましたか?」
言葉そのものは丁寧だったけど、物言いは『言えるものなら言ってみろ』というふうに聞こえた。相変わらず彼女はキレると怖い。
団長を前にしたフィルは冷静だった。でも彼女の問いに答えようとせず、口をつぐんだまま視線を揺らしている団長に、ヘンリックの方が「答えない気なのか」とかっとなった。
「っ、そんなわけないよ、フィル。盗賊六人に囲まれて無傷で全員捕獲するなんて、フィルにしかできない芸当だっ」
皆がこっちを見ていた。でもここで言わなきゃ、親友でもなければ騎士でもない、と思った。
「……そうだな、剣技大会での優勝もナシュアナ殿下をお救いしたことも、騎士として文句のつけようがない」
「グリフィスの頭を叩き割りながら一人で八頭も倒すとかも」
「砦壊すのはやりすぎだけど」
「女だろうと男だろうと、フィル、お前は騎士に相応しい」
次々に別の声が上がって、頷く人が増えていく。
「大体さあ、それで駄目って言われたら俺ら立つ瀬なくなるぞ」
「それは言うな、俺たちはこれから伸びるんだ」
そして、笑い声があちこちから上がり始めた。
「い、や、その、私は……」
そんな皆の様子に焦ったコレクト団長が、喧騒の中フィルに何事かを言って、側でそのやりとりを見ていたポトマック副団長がゆっくり笑う。
「……」
それからフィルは、何かを吹っ切ったように軽快な笑みを顔に浮かべると、仲間たちへと真っ直ぐ向き直った。そして、自信満々に、それからどこか挑戦的に笑ってみせる。
『文句があるなら正面から言ってこい』
そう言外に雄弁に含ませながら。
こうしてフィルは自分の存在を騎士団の皆に認めさせたんだ。




