11-5.起伏
現実感を持てないままくぐった王宮の通用門すぐ。
(――ロンデール副近衛騎士団長だ)
早朝の人気のないその場所で苦手に思う人を見つけ、フィルは足を止めた。
アイコセの木の陰で背を正し、真っ直ぐ朝日を見つめている。
綺麗に整えられた茶の長い髪が風に揺れ、白い制服の背に拡がった。
タンタール地方へのグリフィス退治の道中で知り合った彼は、いつもあんな感じだ。
王宮の中だけじゃない、旅先でもずっとそう。所作も見た目もそれから雰囲気も、フィルとは違ってちゃんと貴族らしい。
気付かなかったことにしたいという気持ちと、挨拶ぐらいしなくては失礼だという気持ちが半々に湧き上がってくる。
悪い人ではないと思うのだが、なんだか彼が苦手なのだ。一緒にいると居心地が悪くなる。
しかもこの人を前にすると、今は考えたくない人のことが頭に浮かんできてしまう。
(あ)
逡巡する間に気付かれてしまったらしい。バランスのいい、印象の柔らかい顔がこちらに向いた。
密な茶の睫毛に縁取られた緑灰の瞳がフィルをとらえ、微かに、けれど品のいい感じで弧を描く。
「おはようございます、フィル殿」
「お、はようございます」
戸惑ったのを悟られたのかもしれない。一瞬苦笑した彼は、それでもちゃんと微笑んで挨拶を返してくれた。
(こういうところが本当に大人だ。私に対して思うところがなくはないだろうに……)
後ろ暗さも手伝って、思わず顔を伏せてしまった。
「……元気がありませんね」
やはり、と口にした彼が一歩近づいてくる。その言葉の意味を考えようとして、続いた彼の言葉に、息を止める。
「アレクサンダー殿が今日はいらっしゃらないことに関係しているのですか」
「っ」
弾かれるように顔を上げれば、彼と真っ向から視線が絡んだ。探るような目でフィルの顔を見つめたまま、大人の男性の唇が動く。
「ニステイス伯爵家のアレクサンドラ嬢の身辺が何やら騒がしいと伺っております。フィル殿はご存知でしょうか、そのアレクサンドラ嬢がアレクサンダー殿のご婚や……」
「……」
彼の口から同時に出た、今は聞きたくない二人の名に、唇が戦慄いた。そのまま顔をこわばらせる。
そんなふうに滑稽なほど動揺してしまったからかもしれない、先ほどまでのどこか鋭い視線を引っ込め、ロンデール副団長はぎこちなく微笑んだ。
「……すみません」
その顔に余計気まずくなって、また顔を伏せた。
彼の後方から小さく風が吹いてきて、何かの香水なのかもしれない、すっきりした男性的な香りが鼻腔に届いた。
「……いえ、謝るべきは私です。そんな顔をさせるべきではありませんでした」
懺悔のようなものを含んだ声に促されて、フィルはなんとなく顔を上げた。思ったより彼との距離が近いことに息を詰め、自分へと伸びてくる腕を呆然と見つめる。
(……似てるかも)
困ったような顔でそっと頬に触れる仕草に兄が重なって、知らずフィルは気を緩めた。
「フィル、」
(……違う。兄さまじゃない……)
だが、彼が自分の名を呼び捨てた瞬間、再び強い違和感が生じた。
兄はこんな感じじゃない。これはむしろ……――。
「私ならあなたにそんな顔はさせません」
さらに縮まった距離に総毛立つ。
「ロンデールさま、こちらでしたか、フェルドリック殿下がお呼びです」
救いとなったのは、遠方から彼に向けられた無機質な声だった。
「……了解した」
眉根を寄せた彼が物言いたげな視線を残して踵を返すのをただ見送った。
「……」
ひどく忙しない自分の心臓の音だけが、一人になってなお鮮明に耳に響いてくる。
* * *
そんなこんなでさらに消耗してしまっていたせいもあったのかもしれない。
ナシアには情けないまでにすぐ見破られてしまった。
王宮図書館での勉強の帰り、バラを見たいと言い出した彼女に誘われた王宮の温室では、冬だというのに赤や白、ピンク、黄、紫、様々な色合いと大きさの花が咲いていた。ガラス越しに差し込む明るい日差しが、それぞれの色を鮮明に照らす。品種の違いは様々でも香りだけは調和していて、室内の空気はまるで春のように華やかだ。
「少し疲れたわ」
そんな温室の片隅に置かれているベンチに座ったナシアは、フィルにも隣に座るよう告げた。
「何かあったのね」
そしてフィルに向き合うなり、そう断定した。
十三になろうという彼女からは、以前のオドオドとした感じが消えた。それどころか王女らしい威厳のようなものまで出てきている。
『前はね、人が私をなんと言っているのか、怖くて怖くて仕方がなかったの。だから陰口言われている時も一目散で逃げて……』
『でも、最近は違うのよ。そんな人たちとも敢えて目を合わせるの。彼女たちに何を言われたって、嫌われたってまったくかまわないわ。フィルが私の味方なのだもの、怖いことなんか何もない』
彼女がどれだけ頑張っているのか、彼女の侍女のジェシーさんがまるで自分の事のように自慢げに教えてくれるから知っている。ナシアがそう言ってくれるのは本当に嬉しいけれど、一番すごいのは彼女自身の努力だ。
ジェシーさんやフィル以外にも彼女の努力に気付いた人はいるようで、たくさんの人が彼女を見る目を変えた。ナシアが『簡単に逃げ出さない、できるだけ頑張るって決めたら、助けてくれる人がいることにも気づけたわ』と笑っていた。
そんな中起きたハフトリー辺境伯らによる反乱。事後処理の過程で第二王妃とセルナディア王女ら旧王権派の旗色が悪くなったこともあって、王宮内でのナシアの立場は以前と完全に変わった。
元々可愛らしい少女だったのが、自信を持って振る舞うようになったことで、今では美人という感じになっている。
「……」
彼女を前にフィルはそれを再確認する。
(すぐに求婚者が列を成し始めるかも。そうなるとアーサーも大変だろうな。あの人、ナシアに人が寄ってくるとものすごく警戒するから)
などと考えながら、王女の澄んだ茶色の瞳を見つめた。
「フィル、今まったく違うことを考えているでしょう」
顔をしかめる年下の少女に、また見破られたと悟ってフィルは笑いを零した。
きっとひどく情けない顔をしているのだろうと思ったけれど、それしか返しようを思いつかなかった。
「あー……うん」
ナシアが言うように、“何か”は確かにあった。でも深く考えたくない。まだ向き合えない。今少しでも何かを考えたら壊れてしまう。泣き出してしまう――。
「……色々、」
浅く呼吸をしながら途切れ途切れに、やっとの思いで言葉を口の端に乗せる。
「色々あって、何がどうなっているのか、どうしたら良いのか……ちょっと混乱してる」
そうしてそれだけをなんとか答えた。
「……」
ナシアが顔を一緒に曇らせてくれる。それが嬉しくて、だからこそ申し訳ない気がした。
沈黙の中、どこからか温室に漏れ入った冬の冷たい風が、自分たちの足元をひやりと撫でていった。
「……フィル、私は味方だわ」
膝の上に置いた手で、ナシアが自らのドレスをぎゅっとつかんだ。
「フィルは私の憧れなの。フィルは私に勇気をくれたわ。フィルがフィルとしてここに居てくれていることで私はいっぱい救われたの」
「ナシア……」
また少し笑った。でも、今度は泣き笑いになっているだろう。
優しい、と思う。彼女はフィルが訊かれたくないと思っていることを汲み取ってくれたのだろう。その上でなんとか励まそうとしてくれているとわかった。
身体に少し感覚が戻ってきた。ナシアを見れば、彼女も似たような顔で笑っていた。
「……ふ」
「……ふふ」
そうして目が合った瞬間、二人で苦笑するかのような、泣き出すかのような小さな声を出して笑い合った。




