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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第11章 咫尺天涯
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11-3.遭遇

 それはまったくの偶然だった、少なくともフィルにとっては。


 リアニ亭を出ると、外はもう真っ暗だった。両脇に立ち並ぶ店からの光のせいで、夜空の星は鮮明ではないけれど、初冬を迎えたカザレナの風は冷たく、どことなく故郷を思わせてくれる。

(幸せそうだったな、リンもジェットも……)

 大事な人たちの幸せそうな顔を思い出しながら、フィルは上機嫌で宿舎に向かって歩き始める。


 その途中、王立の美術館や観劇場が集まる界隈で、巡回中のヘンリックと彼の相方であるフォトンに出会った。

 二人と他愛ない話をしていると、公演が終了したのか、観劇場の入り口付近がにわかにざわめいた。凝った装飾を施された大扉が開き、そこから出て来た、劇の興奮が覚めやらぬ観客たちによって、周囲の空気は一瞬で熱気を帯びる。

「……みんな楽しそうですね」

「まあ、こういう時ほど色々起こるんだけどなあ」

 そう返してきたフォトンの顔もどこか楽しげで、フィルも馬車や徒歩、それぞれの方法で劇場から離れていく人々の姿に目を細めた。

「幸せそうな顔っていいよね」

「ね」

 ヘンリックのしみじみとした声に頷き、二人でほのぼのする。

「……?」

 けれど、そんなささやかな平和はすぐに破られてしまった。


(殺気――どこだ?)

 場に似つかわしくない物騒な気配に、フィルは緩んでいた顔を引き締め、周囲へと気を散らせる。

 横ではフォトンが同じく警戒を高め、少しだけ遅れてヘンリックの空気が尖った。


「っ」

 劇場通用口周辺に空気の揺らぎを感じた。走り出しながら右手で剣を抜く。

「きゃああっ」

 直後に前方で女性の悲鳴が上がった。青いドレスに身を包んだ、黒髪の若い女性だ。華奢な身が男の白刃に晒されようとしている。

(――間に合わない)

 目測でそう判断するなり、フィルは懐に仕込んでいるナイフに左手を伸ばし、襲撃者の腕目がけて投げつけた。

 

 肉を断つ鈍い音が響き、男が呻き声を上げる。動きを止め、手にしていた短刀を落とす。

 目の前で跳ねた刃に、女性がヒッと息を飲むのが聞こえた。

 男はフィルへと目を向けて舌打ちすると、腕を押さえながら遠ざかっていく。雑踏に紛れて逃げる気だ。

(っ、他に三人……)

 追おうとしたのを察して邪魔しにかかってきたのか、それともあくまで女性を害する気なのか、通用口の目の前の木立や建物の影から、新たな男たちが現れた。一名が女性、二名がフィルへと向かってくる。


 女性を狙う刺客にナイフを二本投げつける。立ち止まって、一本を短刀で弾いた男だったが、残る一本が足に刺さって呪詛を叫んだ。

「っ」

 足止めの成功を確認した瞬間、別手から短刀が突き出された。身をかわして避け、喉へと剣を一閃させる。

 血臭が鼻腔に届くと同時に、残る一名が一歩遅れてやってきたフォトンに敗れる。

(まずい)

 微妙に足を引きずりつつ、逃げる彼女に追う刺客への追撃のため、フィルは三度ナイフに指を伸ばし、足の腱に狙いを定める。

「サンドラっ」

(……え)

 だが、ナイフを放った瞬間、前方から聞き慣れた声が響いた。足音の直後、対象の刺客が崩れ落ちる。

「大丈夫か、サンドラ」

「……アレックス……」

 その向こう、へたり込んだ女性に涙声を向けられているのは、昼過ぎに神殿の前で別れた彼だった。


(…………うん、アレックス、だ)

 間の抜けたことを考えながら、フィルは足を止め、血の滴る剣を握る彼を見つめた。貴族の正装に身を包んでいる。

 刺客から目を離して振り返ったアレックスに、青い顔をした女性が細く白い腕を必死に伸ばし、縋りついた。

「勝手に動くなと言っただろう」

「だって……」

「……怪我はないな」

 アレックスは震える彼女の背に腕を回して、落ち着かせるようにそこをさする。

 そして、女性の無事を確かめると、傍目にわかる安堵のため息をついた。彼女の小さな頭を宥めるように叩く。それから何かを彼女に囁きかけて……そこで初めて彼はフィルを見た。

「……フィル」

 驚きを含んだ彼の声に気を払うことができなかったのは、アレックスの腕の中からこちらを見た彼女と目が合ったせい――。


「……アレク」

 覚えのある瞳の青さに、唇から親友の名が零れた。怯えた様子でアレックスの胸に顔を隠してしまったから、すぐに見えなくなったけれど、ずっと焦がれてきたのだ。あの色を見間違えるとは思えない。

 折れそうに華奢な体は記憶そのまま、美しい声も聞き覚えがある気がする。真っ白な肌もさらさらしたまっすぐな黒髪も同じ。恐怖のせいなのか青く見えた唇も、ひょっとしたら変わらずに桃色なのかもしれない。

 妖精じゃなくて、神話の月の女神みたいになっているけれど、そんな人がそうそういるとは思えない。

(サンドラ、と呼んで……そう、か、アレクサンドラが正式な名前だったのか。やっぱりアレックスと知り合い、だったんだ……)

 目の前で抱き合っている彼らは、いつか絵本で見た、怯える可憐な姫君を助ける騎士の話のように、いつかフィルが予想したように完璧な組み合わせだった。


(……ええと、なん、だっけ……)

 なんとなく顔を伏せる。視界に返り血にまみれた自分の体が入って、なぜか眉根が寄った。

「フィル?」

(なんだろう、これ……)

 混乱はしていたものの、呼ばれたのだからとのろのろとアレックスへと顔をあげた。

「アレックス、デートだったのか?」

 暗殺者の遺体を確認し終えたフォトンが、アレックスに声を掛ける。それに合わせるかのようにヘンリックの呻き声も聞こえた。

「フィル? どうした?」

「あ、と……」

 そのすべてを無視したアレックスに、もう一度名を呼ばれた。

 上手く返事し損なったフィルへと怪訝な顔をした彼は立ち上がろうとして、けれど震えたままの女性に縋りつかれてもう一度膝を落とした。

「サンドラ、ちょっといいか?」

 彼の体に回されている腕に力が籠った。首が横に振られる。

「……もう心配はいらないから」

 アレックスが息を吐きながら、彼女の顔を覗き込む。

「……」

 その様子から目が離せない。なぜか胸が軋み出す。

 自分が何に動揺しているのかわからないまま、フィルは彼らから一歩後退る。



「アレクサンドラさまっ、ご無事でしたかっ」

 悲鳴にも似た中年女性の声が響き、黒髪の彼女の下へと駆け寄って行く。

「そっちのお嬢さんは……」

「アレックス、知り合いか?」

「おい、そっち、素性の洗えそうなものはあるか?」

 駆けつけてきた他の騎士たち、その女性の知り合いと思しき人々、ぞくぞくと集まってくる野次馬、彼らがフィルとアレックス、そしてアレクとの間に垣根を作っていく。

「……」

 そうしてフィルの視界から二人の姿はかき消えた。



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