11-2.祝事
「よー、おめでとう、ジェット」
「リンー、よかったわねえー、しつこく諦めなくって」
王都カザレナの下町にある宿屋リアニ亭に併設されている食堂は、今日は貸切だ。
「わざわざ仕事抜けてきてくれたのか、エリック」
「ありがとう、ミシェル。けどしつこいは余分!」
その中央では白地のドレスを着たリンが同じく白の上下のジェットと共に、皆と笑いあっている。リアニ亭の娘のメイ、タンタールで出会ったニッカ、そしてリン本人が憧れていた花嫁となって。
(綺麗だよなあ。飛びっきり嬉しそうだし……)
長年想い続けた人とずっと一緒にいられることになったせいだろうか、皆の中心にいるリンは、フィルがこれまで見たどの瞬間よりも輝いて見えた。
「お前らなあ、見つめ合ってんじゃねえよー」
「ほんと散々女じゃねえって言い張ってたくせにさあ」
野次が飛び、ジェットが慌ててなにかを言い返す。続いて広がっていく、陽気でちょっと粗野な喧騒。
それを物ともしないリアニ亭の女将が、一抱えもある大皿いっぱいの料理を器用に両腕に乗せてやってきて、歓声はさらに大きくなった。
うっとりしたようにリンに見惚れていた、この間八つになった娘のメイが、女将さんに小突かれた。文句を言いながら、急いで取り皿を各テーブルに置いていく。
先ほど神殿での儀式をつつがなく終えたジェットとリンの結婚は、気の知れた仲間の集まったパーティ、つまりはリアニ亭のおかみさん曰くの『ドンちゃん騒ぎ』へと発展している。
(なんか、本当に相変わらずだ、皆)
ジュースの入ったグラスを手に、騎士団入団までの間世話になった皆の様子を壁際から眺め、フィルはクスっと笑い声を零した。
お酒は飲める。あまりに量が過ぎると眠たくはなるけど。
第一小隊の仲間たちが開いてくれた歓迎会もその後の飲み会も、気付いたら酔いつぶれていないのはフィルとアレックスだけなんてことも珍しくない。
最初はフィルに強い酒を勧めてくる人たちを止めていたアレックスも、最近は何も言わないし、おそらく普通以上に強いのだろう。
けれど、祖母がお酒の上の過ちとは怖いものだと言っていたし、実際に何度か眠ってしまってアレックスに背負われて帰ったこともあるので、よほど安心できる時しか飲まないことにしている。
リアニ亭の人たちはいい人たちだし、そう意味では飲んでもいいと思うのだが、女将しかいない宿だと知って暴れたり、難癖をつけてきたりする輩が出てきたりで、良く騒動の種が転がり込んでくるので、特に今は絶対に酔いたくないと思う。
万が一何かが起こった時、それを止められなくて、せっかくのおめでたい場でリンが泣くのは嫌。それを見てここの気のいい人たちが心を痛めるのも嫌。
「フィル、どう?」
「結婚おめでとう、リン。今日はいつにも増して綺麗です」
リンがこちらにやってきて、ドレスの裾を軽くつまみ上げ、自慢げな顔をした。そんな仕草も含めて全部かわいい。微笑んだフィルに彼女は顔を真っ赤にする。
「……素でそんなふうに返してくるんだもの、やぶへびだったわ……ほんと、今でもフィルって男じゃないかって真剣に疑っちゃう」
「そうだよ、お前のせいだぞ、俺がこの執念深い幼馴染に捕まったのは」
少し酒に当てられているのだろう、別の意味で赤い顔になったジェットがやってきてそう言い、リンのひじをわき腹に食らった。
(そうだった、この二人は私が女だと知っているんだったっけ)
その際の一件を思い出して、フィルは人の悪い笑みを浮かべた。――あの時殴られた仕返しをちょっとだけしてみよう。
「私が男だと思っていたジェットは焦ったんでしたっけ、リンをとられてしまうって」
「え、あ、いや、それは」
「それまでただの幼馴染ってずっと言い張っていたのに、リンと一緒に街に出かけた私をものすごい顔で睨んでましたよね」
「ぐ……っ」
「次に同僚の彼女と一緒にいるところを見かけたとかで、『リンとは遊びなのか』って激怒して私に詰め寄ってきて」
呻き声と共にジェットがみるみる赤くなっていく。面白そうな雰囲気をかぎつけたのか、皆の注意がこちらに向いた。
「それで、私は決闘を申し込まれて……殴りかかってきたジェットは、その時なんと仰ってましたか……」
「ちょ、ちょっと待て、フィルっ」
口をふさごうとしてきた彼の手をひょいっと避け、フィルは首を傾げてみせる。
「ええと、そうだ、確か『リンは俺のものだ、お前には渡さな――』」
八ヶ月ほど前の話に、ジェットは「うぐううう」と唸りつつ、手のひらをこちらに向け、仕草で「頼むから黙ってろ」と伝えてきた。
俯いてしまった彼の表情は見えないけれど、耳の端が先ほどよりさらに色味を増している。
横ではいつもおしゃべりなリンが同じように真っ赤になって、珍しく口をつぐんでいる。
「へえ、そんなふうだったんだ」
「妹みてえなもんだって散々言ってたのになあ。って、みーんなそうじゃねえって知ってたけどなー」
「わーってるよ、お前らがフィルとリンを焚きつけたってっ。挙げ句アレックスが罠をはって、俺はそれにまんまと引っかかったんだっ」
「いやあ、実におもしろかった」
「気づいてなかったのはお前だけだったからなあ」
「まあまあ、おかげでこの日を迎えられたわけだろ? 感謝しろよ」
そして、そんな二人へと皆が温かいまなざしと笑いを向ける。
そのすべてがひどく愛しい。
脱力したジェットが、幼馴染で親友だというパン屋のジョゼに「お前の完敗だ」と肩を叩かれながら連れられていった。
笑ってそれを見送って、フィルはまたリンと二人になった。
「ほんと、一体いつの間にそんな芸当覚えたわけ……」
真っ赤な顔のまま、照れ隠しに睨んでくるリンへとにっと笑って返し、グラスを口元に運ぶ。
「で?」
「?」
「フィルの方こそアレックスとどうなってるのよ」
「っ」
飲んでいたジュースが肺に入ってむせた。リンの頬の筋肉がにやりとでも言うように動く。
花嫁らしくない笑い方に、まずい、やぶへびはこっちだった、とフィルは顔を引き攣らせた。
「だってさー、夏くらいだったかしら? 急に綺麗になったじゃない」
「き、き、きれ、」
「そう、綺麗。前は整った男の子としか思えなかったもん。けど、最近はどう見たって女の子だわ。てか、女、ね」
「おん……ぅ」
リンの瞳がきらっと光った気がして、フィルは微妙に後退る。ものすごくまずい気配がする。
「ぶっちゃけ、どこまで進んでるの?」
「ど、どこまでって……」
(それ、は……ひょっとしなくても、そういう意味、なのかな……)
そこで思考は止まってしまったのに、自分の顔が真っ赤になっていくことだけはなぜかわかる。
「ふーん」
半眼で、でも面白そうにリンが微笑んだ。
「そっかー、フィル、そうなんだー。アレックスも隅に置けないわよねえ」
「ちょ、ちょっとリンっ」
慌ててリンの口を押さえると、聞こえていないかとフィルは慌てて周囲を見渡した。
「いいじゃない、お姉さんに話しなさい。アレックスが今日ここにいないのが悪いんだから」
「うー……」
リンとジェットの結婚祝いに一緒に参加する予定だったアレックスは、急遽実家から呼び出され、神殿での式だけを見届けて帰ってしまっていた。思わずそれを恨む。
「フィルぅ?」
「……」
束の間の抵抗、とばかりに口を閉じてみたものの、リンは花嫁らしくない笑みを再度顔いっぱいに浮かべる。
「アレックス、本当にフィルのこと、大事にしてるものね」
「っ」
「あの時もムキなったジェットからフィルを庇うのに、さらっとお姫さま抱っこしてたもの」
「え、い、いや、」
「その後は切れた唇の端にキスしてたし」
「み、みみみみ見て……」
「やーん、赤くなってかっわいーっ」
そう言いながら本日の主役は、フィルの頭を撫でまわす。
もちろん恥ずかしい。が、この程度で済むなら許容範囲だ。耐えよう、主役の思し召しじゃないか、そう思った瞬間――
「やっぱりアレックスはそういう時も優しい?」
「っ」
フィルはやっぱり今日も彼女に敵わない。




