2.麾下その1
氷の少年――それが貴族の出の、感情の起伏のないアレックスへのかつての評価だった。
貴族が宴席などで酔狂に見せびらかす、氷細工の彫像――美しいものの、刹那の鑑賞以外の用を成さない、享楽の象徴であるそれに引っ掛けてあったのだろう。
「そのアレックスがあんな奴だとはなあ、世の中わからんもんだよなあ……」
今フィルと話している奴の表情を見て、どこの誰が冷たいなんて言えるかという話だ。
最初こそ貴族の子弟なんぞうちの小隊にいらん、と思ったウェズだったが、実際手元において見ていれば、アレックスはかわいがりがいのある、気のいいガキだった。
何をするのにも真剣で、いい所の貴族だというわりに傲慢さは欠片も見当たらない。多岐に渡る才能があるというのに、それに驕る様子もなければ、努力を怠ることもないし、「正真正銘育ちのいい貴族のお坊ちゃん」で片付けるには根性が据わっている。それで、ウェズは副騎士団長が奴を自隊に配属した理由を悟った。こいつはこいつで変人、つまり、第一小隊向きってことだ、と。
そうなると、自然第一小隊員達の日常は奴でいかに遊ぶか、ということになった。もちろん誰も口には出さなかったが、そうする内に周囲との距離も縮まるだろう、と。
貴族の出のアレックスは、騎士団での生活に慣れないことが多いようで、当初ひどく戸惑っていた。手始めにそれをじっくり観察してからかおうと皆で計画したのだが、奴は人の気も知らないでしばしの後に適応してしまう。なんだかんだ言いつつ、オッズも面倒見が良かったし。
勉強を教えてやろうにも、下手をしなくても我が小隊の誰より賢い。そうなると余計なことに、ここに来る前までは王太子の学友をしていたなどという噂が流れて、アレックスはますます孤立する。
さらには見る間に成長してしまって、女の子のように見えた容姿すらすぐにあんなふうになってしまった。
見た目と出自、貪欲なまでの強さへの執着とそれゆえのストイックさ、際立った知能、他者を要しない性格、タイミングも手伝っての異質な戦歴――そのすべてに加えて、第一小隊員たちでさえ付け入る隙がないとなると、周囲に敬遠されるには十分だったらしい。時折幹部会議でも話題に上るほど、アレックスはここで浮いていた。
「あ、アレックス、今晩開いてます?」
アレックスが通りかかったロデルセンに「今日飲みに行くからどうせなら一緒に」と誘われて頷いているの見、ウェズは口角を上げる。
そんなふうにいまいちここに馴染めなかったアレックスも、そして、彼を取り巻く周囲もこの一年で随分と変わった。
それもこれも、あの一風どころか二風も三風も変わったフィルのせいだ。
彼の空気にも周囲の空気にもお構いなくアレックスに懐き、あの揉め事に好かれる体質でもって彼を巻き込み、周囲を巻き込み、結果として彼を周囲に近づけた。
あのアレックスを蒼褪めさせたり、絶句させたり、怒らせたりできるのは、この世にフィルぐらいだろう。
ウェズが気付いた時には、アレックスは既にフィルを目で追っていた。後輩に対するものでも弟に対するものでもない、愛しくて仕方がない、欲しい、と熱望する視線で。
さらには、どんな女に声をかけられても付きまとわれても絶対に変わらなかった冷たい空気が、彼女に対してだけは向けられなかった。まるで別人であるかのような柔らかい表情でフィルと話し、彼女がアレックスを見ていない時も、彼女を目の端に捕らえては小さく笑っている。
それらの意味と、フィルが来る前後のアレックスの様子を比べれば、彼のフィルに対する気持ちは明らかすぎるくらいに明らかだった。
なのに、アレックスは子供なフィルに付き合って、ウェズがイライラするほどゆっくりと、だが、この上なく大事なものを扱う仕草でフィルに接していた。
そのために自分の感情も欲求もすべて押し殺している様からは、何があっても傷付けたくないのだと如実に伝わってきて……それにウェズたちはやられた。言い訳をするなら、あの必死さにやられない男はいないんじゃないかと思う。
だから、当初フィルを男だと思っていた第一小隊員たちは、軽口を叩きながらも結構気を揉んでいたのだが……。
(……上手くいっているんだろうな)
優しい仕草と目線で交わされる会話は相変わらずだが、微妙に縮まっている距離にウェズはそう確信する。
「まあ、本人たちがそうと言わない限りはそっとしておいてやるか」
能天気に笑っている風変わりな部下と、柔らかく笑うようになった弟のようにも思う不器用な部下を見て、ウェズは小さく息を吐き出す。
「問題は配置換え、だよなあ」
実は第二十小隊からアレックスの異動を打診されていて、それをどうしたものかと密かにウェズは悩んでいる。
条件だけ考えれば、異動自体はアレックスにとっても騎士団にとっても悪い話ではない。実際、アレックスのあの頭脳は他に代えがたいものがあると思う。
(だが、そうなるとあの二人は一緒にいられなくなる……)
反乱分子制圧の際のアレックスの様子をイオニアから聞かされたウェズは、その異動に二の足を踏む。フィルから離れたアレックスがどうなるか、奴にやっと生まれてきた安定が損なわれはしないか、それを危惧する。
もちろん四年の年月の果てにやっと手に入れたおもちゃが無くなるのは耐え難い、それも大きな理由だ。
「……」
アレックスを見上げてやはり幸せそうな表情を浮かべているフィルを見、ウェズは眉をひそめた。
フィルがアレックスに影響を与えているだけではない。フィルは完全にアレックスを信頼している。そして、おそらくそれに間違いはない。何かの理由があるようだが、アレックスはフィルのためにならないことを絶対にしないだろう。そのためになら自身すら切り捨てそうな気配があるくらいだ。
「まだ早いと思うんだが……」
危なっかしいまでに世事を知らないフィルには、まだ誰かが付いていてやる必要がある。加えてあの考えなしな性質だ。その辺を含めて彼女を理解し、上手くフォローしているアレックスを、今の時点で彼女から取り上げるのは危険な気がする。
「第一、あいつはアレックス以外にはかなり制御が難しいんだよなあ……」
あまりの奇怪さに大抵の人間が呆然としている間に、きっと勝手に色々やってしまうだろう。それを考えると今はその時ではないと思うのだが……。
今度は別の新入隊員たちが、アレックスに向けて微笑んだフィルを、顔を赤くして魅入っている。
「おーおー、騙されてる騙されてる」
悩みを一瞬で忘れ、人の悪い笑みを浮かべて、ウェズは楽しげに呟いた。
気持ちはわからんでもない。確かに見た目だけは艶やかになった。中身は相変わらず、どころか、アレックスが甘やかしているせいで、どんどん手に負えなくなっていっているような気がしなくもないが。
「お、青くなった」
(さてはアレックスめ、無言で脅したな)
ウェズはくつくつと笑う。
あの新入りたちも学習したことだろう。一見して美しいその花は、強さも頭脳も彼女への想いも隙なく完璧なその騎士によって守られている。
しかも花自身、棘どころか文字通り最強と言っても過言じゃない刃物を持っている。下手に近づかない方が身のためだ。
「……懲りないやつってのは、いるもんだ」
それでもその内の一人が、アレックスと並んで歩き始めたフィルの後ろ姿をなおも未練がましく掠め見ている。
あれではアレックスも気が気でなくなるな、とウェズは肩をすくめた。
「おい、アレックス、フィル。午後、新人の前で模範試合をしてやってくれ」
「あ、ウェズ小隊長」
「承知いたしました」
振り返った二人がウェズに向けて頷く。彼らに手を振ると、ウェズは新人たちへと視線を向け直して、にやっと笑ってみせた。
さて、新人ども。お前たちが夢見る騎士は、かくも遠き道のりの向こうにいると知らしめてやろう。『何か』を望む気なら、せいぜい精進することだ。




